急襲
アネさんに突然話しかけられた。それまで感じていた不安や悩みが、いつの間にか消えていた。
アネさんとまともに戦ってミナ王女がどうなるかわからない。だけど、ボクにはもう、その成り行きを見守るしかない。そういうレベルの戦いになる。だから、ボクは自分にできることをする。隊に戻り、相場を確認する。
「移動だ」
突然、伝令の団員が後ろからボクたちに告げた。まるで気配を感じなかった。
ほんと、こういう特殊技能を持った団員を何気なく保有しているところが、この団の恐ろしいところだ。
どの隊にも所属しない、部隊名は、カゲ。個々の名前はなく、カゲとかしか呼ばれない。何人いるかもわからないし、顔も目だけだした頭巾のようなもので覆っていて、武装も同じ。短く細身の担当を背中にさしている。アースラさんが持っているような反りのあるものではなく、まっすぐで短い。背中にさしていても抜きやすく、かつ動きやすくするためだろう。魔闘術をベースとした体術や不思議な技を使うらしい。
それはさておき、いよいよその時が来たらしい。
作戦は至ってシンプル。
敵の隊列の前方で陽動の戦闘が始まる。陽動部隊は逃げる。それを前方の部隊は追っていく。前に気を取られているうちに中央の本体をアネさんたちが横から急襲する。
ボクたち3人の分隊長クラスは、突撃部隊といっても、アネさんたちの戦いの近くでサポートするといったほうが正しい。アネさんたちの戦闘を邪魔させないこと。厄介なのは敵の飛竜部隊だ。上空からの視点や妨害で、アルス軍の全体の立て直しをしてくる可能性がある。
だけどそれも心配いらない。ギルドの誇る飛竜部隊が同時にぶつかる。アルス軍の飛竜部隊より数が多い上、圧倒的な実力差がある。おそらくこちらに被害が出るまえに殲滅できてしまうのではないだろうか。
「レイ、いよいよだな」
バジルさんが歯を見せて笑いかけてきた。
戦場に向かうのに、まるでピクニックにでもいくような雰囲気だった。
歴戦の冒険者とはいえ、それはあくまで冒険。
今からやろうとしているのは、冒険ではなく戦争だ。
っていうか、いちギルドが国の軍隊相手に仕掛けるって、おかしくないか?
まぁ、防衛戦ではあるが。しかし、
「いい迷惑だよな」
横でドーリアがつぶやく。わかってるよ!ボクたちが問題を起こさなければこの事態は避けられたかもしれない。バジルさんが何かを言おうとしたその時、
―――ドン!
それは、強力な魔法の炸裂音から始まった。
奇襲による開戦だ。
ミナ王女がいる中央あたりにありとあらゆる魔法が集中する。しかし、さすがはアルス正規軍の本陣。魔法障壁でしっかりと守られているようだ。その代わりに、近衛騎士以外の一般兵は、障壁に弾かれた魔法の餌食となり、散り散りとなっていた。本陣近くにいるのだからかなりの精鋭だとは思うが、ギルド幹部の魔法はケタが違うようで、直撃でなくとも、なす術なく倒れていく。
―――バリン!
遠くから何かが飛来して、頑健な魔法障壁を打ち破った。
チラリと認識できたのはアネさんの気配。どうやら身体ごと飛んで突っ込んでいったらしい。
何とも大雑把でアネさんらしい。その後に、数名の幹部たちも続いていく。ってゆーか、何でそんな跳躍できるんだ。と、思いつつ、見とれている場合ではないと、自分の役目に専念する。
「いこう!」
「てめー、俺に指図すんな」
「まぁまぁ」
そんなやりとりをしながらアネさんたちが突入した付近に分隊長3人で一気に近づく。
ドーリアのやつ、やはり攻撃魔導士なのに体術も相当のものなのか、きっちりとついてきてやがる。
ブオオオーーーン!
「あつっ!」
強力な炎熱魔法が耳元をかすり、50メートルほど先で爆ぜた。数人のアルス兵が吹き飛ぶ。
「ドーリア、わざと!」
「レイ、そんなの後だ、前からくるぞ!」
「くっ」
魔法を免れた敵の騎兵が4人の横列で突っ込んでくる。
幻影魔法で、馬の方向感覚を狂わせる。4匹の馬が竿立ちになり、次の瞬間。
ーーーーーザシュ!
ーーーーーブシャーーー!
バジルさんの斬鉄剣が馬ごと騎士たちを横なぎに両断した。
馬鎧も、騎士たちの鎧も、まるごとぶった斬る。ひ、ひどい。
そんなこんなで、分隊長3人は連携よろしく一気に中央本陣に向かう。
アネさんたちは跳躍してミナ王女と会敵している。
しかし、ボクらは敵兵士を斬り伏せながら、ときには間を縫って、一気に敵中央本陣まで距離を詰める。
そして、魔法を使えばアネさんたちの戦いが視認できる範囲までは近づけた。
ボクは気を引き締めて、再び相場に目を向けた。戦場は混乱し、まるで時間そのものが引き延ばされたように感じられる。どこか遠くで咆哮が響く。飛竜か、それとも…。
「――南側、来るぞ!」
バジルさんの声と共に、砂塵を上げて敵の後続部隊が姿を現した。数は予想よりも多い。だけど、ボクたちもただの冒険者くずれじゃない。
「みんな!ここで陣取ろう!アネさんたちが動きやすくなるように、なるべく多くの敵を引きつける!」
「だからテメーが仕切るなっつうの」
ドーリアにそんな憎まれ口を叩かれながら、ボクは覚悟を決める。
幻影魔法を剣に宿す。その後、どこからともなく現れた3人のアルス兵が槍を一斉に突き立ててきた。
その槍がボクの胸を貫いたとおもわれた刹那、3人は致命傷を負っていた。訳がわからない、という目をして絶命していく。
その時、風のような気配――いや、それよりももっと薄い気配が背後を通り過ぎた。振り向くと、数人の“カゲ”が敵方の斥候を無力化していた。
そしてついに、空がうなり始めた。上空でギルドの飛竜部隊とアルス軍の飛竜部隊の決着がつきそうになっている。風が、炎が、雷鳴が交差し、空そのものが戦場になったようだった。武器や鎧の破片。騎士たち燃えながらが落下してくる。空を見上げる兵士たちもいたが、ボクはそれを横目に、自分の足元を確かめた。
この戦場で、ボクにできることは限られている。でも、それはできることをやらない理由にはならない。
「ミナ王女を、本当にアネさんは……」
心の中でそう呟いた。たとえこの戦いの結末がどうあれ、ボクを裏切り、命を狙ってきたアルス王国に立てするつもりは毛頭ない。だけど、なんでミナ王女が出てきたんだ。
――そして、その瞬間だった。空の一角が突然、真昼のように輝いた。
強大な魔素。感じたことのない種類の。あのとき襲ってきた無数の高ランク魔獣の比ではない。
なんだ、これは、いや、これは…ミナ王女?
目を凝らすと、かすかにミナ王女らしき人から、この力の奔流は流れてきているように思える。
こんな距離なのに、気を失いそうだ。というか、すでにチビっている。
全体の空気が、妙に静まり返った。魔法炸裂の咆哮と飛竜の羽ばたきすら、どこか遠く感じる。それはまるで、世界が一度呼吸を止めたかのような瞬間だった。
ボクは、その“光”の中心――ミナ王女のほうを見た。彼女は、まるで別人のようだった。
銀の髪が宙に舞い、瞳は深い琥珀に輝いている。彼女の周囲には、無数の魔紋が空中に浮かび上がり、風が逆巻くように魔力を吸い上げている。
あれは、ただの魔法ではない。おそらく王家に秘められた“力の発現”だ。
幼い頃、ミナ王女と遊んでいたときにこっそりと教えてくれたことがある。
いたずらな瞳で、その指に宿した片鱗を見せてくれていた。アレだ。
轟音とともに、中央本陣が大きく崩れた。強大な魔力などないかのように平然と、アネさんが再び空中から強襲していた。吹き上がる炎と衝撃、舞い上がる土煙。
「…アネさん…」
ボクは、唇を噛む。けれど、ここで心を乱すわけにはいかない。
上を見ると、もはや飛竜の戦いに決着がついていた。当然、ギルドの飛竜部隊の圧勝。
その時だった。一筋の閃光が空を引き裂いた。
飛龍部隊の何名かが、一瞬で燃えさった。
「バカな、警戒体制は解かずに魔法障壁を出していたのに」
この力は何だ?王女の王家の力とは別の、もっと粗暴で、破滅的な魔力だ。
あのとき広場で感じた、ミナ王女の得体のしれない内に秘めた何か。
その「何か」が、目覚めたかのような気配だった――。