帰城
明け方、ようやく城に戻ると、イングルウッド城は蜂の巣を叩いたような騒ぎになっていた。
先に逃げたメンバーは、みんな無事に帰れたようだ。ボクはホッとしたが、みんなは気まずい顔をしている。そんな中でもガイルはまっすぐボクの目を見て、地面に頭を擦り付けて謝罪してきた。
「すまん!レイ!俺は、俺は、本当に臆病者だ!命が惜しかった。それが、あのとき多くの命が助かる最善の策だと思った。いや、やっぱり俺はただ恐ろしかった。死ぬのが怖かった。すまん!許してくれとは言わん。だけど、ついお前の申し出に甘えてしまって。本当に申し訳ない!」
「やめてよガイル、らしくない」
ボクはつとめて笑顔で明るく言った。仕方ない、と思う。立場が逆なら、ビビリのボクは同じことをしたと思う。……いや、どうだろう?
「それよりガイル、いまどうなってるの?」
「ああ、とりあえず城主さまにあの恐ろしい魔獣の大集団の侵攻を伝えた。さすがに近衛魔法騎士団候補生の根城の長だな。落ち着いたもんだったよ。すぐに訓練兵長殿や幹部との対策会議を開かれた。俺はオブザーバーとして参加したんだが、結論から言うと、住民は近くのウィンブリー城に即避難、兵士1万は残ってこの城を死守。ウィンブリーから3000の援軍を借りて対処せよ。とのことだ。俺たち訓練候補生460名も予備役として待機。第七班壊滅の報も伝えたが、今はそれどころじゃないな」
「あ、それ、もう大丈夫になったんだ」
「大丈夫とは?」
「いないんだよ、あの魔獣たち」
「ああ、俺が城主様たちに伝えてくるよ」
隣でガイルを睨んでいたミナトが、さっと離れていった。
戻ってくれたミナトと逃げたガイル。しばらくは仲直りに時間がかかるのかな。ボクはガイルを責めるつもりは、本当にないのだけれど。
ミナトが速報を伝え、ボクとミナトは城主様に謁見し、僕たちが体験したことを伝えた。魔獣の大群の中にはドラゴンもいたこと、統率がとれていたこと、あのお姉さんの言葉を信じるならなんとS級もいたらしいが、その協力な大群を謎のヒト族の戦闘集団が瞬時に壊滅させたこと。
すると城主様は、一言だけ呟いた。
「笑う玩具箱……」
その意味を問うヒマもなくボクらは退出となり、ミナトと顔を見合わせるばかりだった。はじまりかけていた住民の避難は中止。警戒を続けつつも、城は一旦の落ち着きを取り戻した。
「まさか、マハの季節なのか」ミナトが呟いた。
ボクたち第七班生き残りは、いったん宿舎で夕方まで休んだあと、みんなで食堂に集合して、出来事を振り返っていた。
マハの季節。そう、ボクもその可能性が最も高いと感じていた。ただ、伝承によると前回のマハは、120年前。エルフ族の僅かな生き残りしか、その実態は知らない。
この世界は、ヒトが暮らす領域が限られている。広大な世界のほとんどが、魔国領とよばれる魔人や魔獣によって統治されているのだ。統治といってもヒト属のようなルールに基づき治められている国もあれば、ある程度のタブーだけが決められてあとは弱肉強食というワイルドな国もあるそうだ。
ヒトやエルフ族、獣人などが暮らすボク達の世界は、魔国領の5分の1ほどしかないらしい。そんなヒト族の領域でさえ馬で旅をしても端から端まで2年はかかるほど十分に広い。
ヒト族の国は大小27カ国に分かれ、いくつか亜人だけの国もある。魔国領の魔獣たちは、ヒト属の領域に存在する魔獣より遥かに強力で、こちらの基準のH級以上がごろごろいるらしい。ヒト属の領域などあっという間に蹂躙され、侵略てもおかしくない。しかも、魔獣にとってヒト族というのはとても美味な存在だと言われている。
では、なぜその魔国領から、むしろ5分の1もヒト族に領土が残されているのか?
それには、「絶」という存在と魔獣のチカラの源になる魔素の関係がある。過去のとある大魔導師が「絶」という強力なバリアを作ってくれた。ただし、なぜか120年に一度はその力が弱まり、一時的に魔獣の侵入を許してしまう。しかし一方で、ヒト族領は大気中の魔素が弱い。魔素は魔獣たちの強さや生命力を維持するのに必要で、やつらもあまり長くは留まりたがらない。だから、再び「絶」が強くなり帰れなくなる前に魔獣たちはまた魔国領に引き返すのだ。そんなヒトにとっては地獄の期間がマハと呼ばれている。
一度マハが始まると、およそ1ヶ月間やつらの饗宴が続き、甚大な被害になる。前回のマハでは、ヒト族の人口は当時30%近くも減ったらしい。ボク達は、生まれたときからマハの恐怖を伝えられながら育ってきた。
ちなみに今ヒトの領域にいる魔獣のほとんどが過去のマハで帰れなくなった間抜けな魔獣たちの子孫だが、ヒトが倒せるぐらいには十分に弱くなっているというわけだ。
「いや、しかし」と、ミナトが呟く。
「ああ、前回のマハからまだ80年しか経っていない。あと40年は猶予があるはずだ。……しかし昨夜のアレは、伝承に聞くマハにそっくりだ」と、ガイルが続ける。
「ふん、魔獣の決め事など、あてになるものか。おおかた腹でも減ったんであろうよ」
「でもエラート、だけどボクたちが見たあのドラゴンは、感じたことのない風格があった。たぶんE級」と、ボクは反論する。
「さらに後方には伝説クラスのS級ねぇ。その謎のおねーさんたちは、本当にそう言ったんだよね?」
「サナの言う通り、にわかには信じがたいが……」イザークもサナに同調する。
「まあまあ、それよりも今はこの7人の生還を祝い、犠牲になった仲間を弔おうじゃないか」と、ガイルが場をとりなすが、ミナトは舌打ちをした。
空気を読んだユウがおどけて言う「あたしぃ、なんか自信無くなっちゃったなぁ」
「俺もだ。今までやって来た厳しい訓練はなんだったんだ」
「イザーク、気持ちはわかるけど今は生きているだけでも、良しとしなきゃ」と、サナ。
はぁー。一様に、全員がため息。
逝ってしまった戦友たちを思い、ボクたちは再び暗い気持ちになってしまった。そう、ボクたちは完膚なきまでに叩きのめされたのだ。厳しい訓練と努力を重ねたエリートと思っていたのに。とはいえ、若いみんなは食欲には勝てず、もそもそと目の前の豪華な料理に手をつけはじめた。
「昼間の出来事と関係あるのか?」再びミナトが口を開く。
「あの群れは、本体の前の斥候のようなものだってこと?」サナが問い直した。
「あり得るかもしれないね」と、ボクが答える。ミナトも同意する。
「そうだな、H級以下とはいえ、俺たちが最初に遭遇した一団も統率が取れていた」
「それよりも、吾輩はその美女がきになるぞ。報告せよ」
エラートがそこに余計な口を挟んできた。こいつ、貴族組がいなくなったからって、何気にボクたちのグループにもう馴染んでるんだよな。しかも偉そうだし。
「とにかくキレイな人だったよ」
「もうひとり美少女魔導士もいたのであろう?」
「ワイルドな獣人のことも聞かせて!」
宴の最後には、ボクたちは十代らしい甘ずっぱい会話でひとしきり盛り上がって解散となった。そう、恐怖を忘れるために不自然なくらい盛り上がって。
そしてボクは、また悪夢が訪れるなんて疑いもせずに、帰途についた。