邂逅
「さ、集中集中。みんなが全滅したら、残った意味ないもんね」
「何であんなこと言っちゃったかなぁ」
「ユウがいたから、カッコつけちゃったのかなぁ」
「それともガイルが止めてくれるのを期待してたのかなぁ」
「怖いなぁ」
「痛いだろうなぁ」
そんなキモい独り言を呟きながら、ボクは集中しはじめる。敵が到達するまで、あと7分はあるだろう。それだけあればなんとかなる。
ボクはある花のイメージをはじめた。
「ヨマヨイエルハルナ」
美しい花だか、強烈な神経毒を持つ植物。密集して咲き、方向感覚と歩行を狂わせ、動物を迷い込ませて、同じところをグルグル回して野垂死にさせ、その土から養分を吸い取る。根はつながっていて、集団で狩りをする。悪魔のような花だ。
ボクの地元では、決して立ち入ってはいけないと言われていた山一面に咲く花。いま、その神経毒が体に入ったイメージを広範囲に広げ、感知した先頭の魔獣にかかるように、徐々に練度を高めて行く。
もちろんこんな遠距離では、大したことはできない。だが、ボクは感知魔法だけは得意なので、その感知の「波」にのせて、感覚に少し違和感を感じさせることができる。人間ならそれでも影響しないが、感覚に優れた魔獣は、敏感に感じとってしまうはずだ。先頭の狼型の魔獣のようだ。急げ。奴らの咆哮が聞こえる距離になれば、ボクはチビってしまって集中できないのだから。
しばらくして、魔獣たちの動きにわずかな戸惑いが感じられた。
「よしっ!効いた!」
先頭が、違和感を感じたのか、少しだけ動きを鈍らせた。後続がその混乱に突っ込み、さらに混乱が大きくなる。続けて同じ魔法をかけ続ける。混乱がさらに広がる。魔力が一気に持っていかれる感覚。だめだ、まだ気絶するな。ほんの少しでもいい。ちょっと動きを遅らせれば……。
「よしっ、これなら!」
あと少しだけ足止めできれば、もういいだろう。ボクも離脱できる!もしかしたらボクもまだ生き延びられる可能性が……、と思い始めたその刹那、
——グゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーン‼︎
希望を打ち砕くような凶悪な咆哮。びくり。と、ボクの集中は途切れる。
「嘘だろ、この距離で。。。」
いくら強力な魔獣は言え、こんな大音量で聞こえるはずがない。だが、いる。心臓を鷲掴みされるような恐怖がそこにあった。台風や地震のような、人間にはどうにも出来ない自然災害のような圧倒的な力。幻影魔法は、いつの間にか掻き消えていた。
「に、逃げなきゃ」
その瞬間、背後で何かが飛び込んでくる気配があった。びくんっ!と、ボクは思わず大きい方まで漏らしそうになる。そう、小さい方はすでにチビってしまっていたのだ。
「レイ!大丈夫か!!」「レイ!まだ生きてる?」
「……ミナト、ユウ!どうしてまだここに!」
「やっぱ無理だろ、見捨てるなんて!それより何だよこのとんでもない魔力は!」
「ボクにもわかんないよ。と、突然現れたとしか」
「とにかく逃げるぞ!立てるか?」
「あ、ああ、なんとか」
それからボク達は、走った。ただひたすらに、凶悪さから逃れるためだけに。
だけど砦から300メートルほど進んだところで、
——ズウウウウーン!
突如巨大な質量が目の前に落ちてきた。ボク達は前につんのめって倒れた。顔をあげると、巨大な竜が、こちらをジッと見つめていた。怒りで睨むような感じではない。ただ、真紅の瞳がこちらを静かに見つめている。かえって不気味で、ボクは心臓がばくばくいっているのに、寒気を感じていた。
これは、ヤツじゃない。あの恐ろしい気配ではない。それよりは少し格下のような気がする。だけど、確実に分かるのは、今までにあったことのない強力な魔獣で、ボク達はここで終わりだということ。歯がガチガチと音を立てている。当然幻影魔法など使えない。
「ふぅー」
そんなとき、ミナトが深く息をついた。
「練度3武器強化、練度4防御強化、練度2倍速」
強化魔法を静かに己にかけていく。ミナトは特に防御が得意な騎士見習いだ。敵の攻撃を受けたり流したりしてカウンター攻撃を繰り出す。防御力を高める練度4の防御強化魔法を使えるのは同期ではミナトしかいない。
「レイ、俺が隙をつくる。逃げろ」
「えっ」
一瞬うなずきかけた。なんてバカだ!ミナトは、たったひとり、戻って来てくれたのに。このセリフを言うべきなのはボクなのに。
そうだ。ビビるな。目の前の竜を見る。威圧感は、ほんの少し薄らいだ。落ち着け。何とか幻影魔法を……。
その瞬間、竜が「ぺっ」と軽く唾を吐いたように見えた。隣のミナトが、爆ぜた。
——ボゥ!
と、真紅の炎の塊が、ミナトの装備を粉砕し、ミナトは後方に吹き飛ばされる。左半身が完全に焼け焦げ、ぷすぷすと音を立てて倒れているミナト。練度4の防御魔法、まるで意味ない。
「ミナトっ!」
ボクはミナトに駆け寄り、キュアポーションを強引に飲ませる。なんだこのダメージ、全然回復しない。今ボクは、竜に完全に背を向けている。つまり、竜がもう一度「ぺっ」をすれば、ボクもこうなる。だけど今はこれしかできない。ただの無力。逃げることすらできない。
腰を抜かしていたユウもなんとかミナトに這いずり寄って、回復魔法を震える手でかけようとしている。こわい。こわいよ。僕らはここで終わる。
——フワッ
そのとき、頭に優しく柔らかい重みを感じた。え、なに?なにコレ気持ちいい……。混乱している頭に、澄んだ美しい声が響いた。
「よーがんばったなぁ、坊主」
ほのかに甘い香りがした。声のした方を見上げた瞬間、月明かりがその人物を照らした。手のひらを優しくボクの頭に乗せてくれている。
艶やかに輝く長い黒髪。陶器のように透き通った白い肌は、かつてクレオール大神殿で見た世界三大女神像のひとつを思い出させた。程よく高く整った鼻梁に、アーモンドのような切れ長の目。真っ黒な瞳。少しだけぽってりした唇。
「美しい」
ボクは、思わずそう呟いた。しかし、その美しい唇からは想像もできない汚い言葉が吐き出された。
「はぁ?寝言言うてんなやボケェ!さっさとそこに寝てるボンクラつれてもうちょい離れろ!邪魔じゃ!」
聞き慣れないイントネーションで怒鳴り散らされる。慌ててボクはミナトを引きずって距離をとる。
その女性は、凛と立っていた。身長は170cmぐらい。細身だが、スタイルがやたらいい。鎧を着込むわけでもなく、肌の露出の多い萌葱色の旅装をしていた。細身だかしっかりと張り出した胸につい目がいってしまう。そんなよこしまなボクの視線を嘲るような流し目をしてから、その人は竜の方を向いた。
いきなり竜がまた「ぺっ」とする。しかし紅蓮の業火のかたまりは、彼女の1メートル隣を虚しく飛び去った。
いや、いつの間にか彼女は元の場所から動き、避けていたようだ。
少し驚いた様子の竜は、今度は「ごう!」と思い切り口を開けて地獄の猛火を噴出させた、が、
次の瞬間、その竜は粉々に砕け散った。まるで自爆したようだが、違う。
「は?」
なんで?何をしたの?何かしたの?
だが、確かに竜の魔力は感じられなくなっている。
「団長、これからどうします?」
また、へたり込んでいるボクの頭上で声がした。ものすごく背が高い細身の男が隣に立っていた。引き締まった筋肉に浅黒い肌に重装備。手には黒い曲刀を握っている。ただし普通の曲刀ではなく、ボクの背丈はあろうかという異常な大きさ。そして、彼の耳は獣人のそれだった。レオポルド系の尖った耳に、少し覗く牙。暗がりで瞳孔が開いた瞳。
「決まってるやん。殲滅や」
「はぁー」
と、ため息をつく獣人。
「愚問ぞな、アースラ。おぬしは何年団長に仕えておるのだ」
隣で、またいきなり声がした。
この人たちは、全く気配がなく突然と現れる。能力感知もできない。強いのか、弱いのか。いや、弱いなんてことはあり得ないが。
その変な言葉遣いの主は、これまた美しい女性魔法使いだった。
古ぼけた魔導衣にすっぽりと身を包んではいるが、少しだけのぞく肌は透き通るように白く、顔立ちは美少女という言葉がぴったりの、くりっとした大きな目。小振りのパーツのバランスが絶妙な顔立ち。どこか異国人の雰囲気がある顔だった。
「では、団長、ゴミ掃除は我らにお任せを」
「かーっ!めんどくせぇ!他にもG級が何匹かいやがる」
「アースラ、お前らなら楽勝やろ。うちは、あの奥にいるデカいのをやる」
「たぶんC級。気をつけるがよろしい、団長」
は?いま、なんて言った?C級?そんなのここらへんで聞いたこともないよ。それってあの災害のようなあの気配のことじゃないの?それに、G級が楽勝?冗談でしょ。G級でさえ、魔法騎士団が10人ぐらいで対処するレベルじゃないか。
「パニくんなや、ぼーず。大丈夫や。うちの団員のうち、今ここには17人も集まっとるんやから」
リーダーとおぼしきその美しい女性は、ボクの目を覗き込んでにまっと笑った。月あかりに照らされたその顔に、ボクは雷に打たれたような感覚を覚えた。
人間界では滅多に会わないレベルの魔獣が100体以上もいて、17人という少なさは「大丈夫」の説得力がまるでない。だが、ボクは美しさに痺れたまま、「おね、おねがいします」とだけ声を絞り出した。
その女の人は、森の奥へ顔を向けたかと思うと、次の瞬間には消えていた。
次に、美少女魔導士が「さてと、さっさと片付けるぞな」と、まるで部屋の掃除をするような気軽さで声をかけると、多数の気配が、森の奥へと飛び去っていった。これが彼女の言った、ダンインなのか?
ごふっ。ミナトが咳き込む。
「大丈夫かミナト!」
いつのまにか、さっきの美少女魔道士が、ミナトに回復魔法をかけてくれていたらしい。赤黒く爛れた肌が、すっかり元どおりになっている。
「ああ、ダメかと思ったけどこの通りだ。あの魔法使い、ただもんじゃねぇぞ。レイ、あの竜は、あのおねーさんが倒したのか?」
「そう、だと思う」
「へへっ、強い上に綺麗な人だったな。スレンダーな割には巨乳だったし」
意識が朦朧としながらも、見るところは見ているミナト。それにはボクは答えず、ちらりとユウの方を見る。予想通り、ユウは竜よりも恐ろしい表情をしていた。ミナトのバカ……。
突然、恐ろしい魔獣の集団が近づいてきていた方向から、轟音が鳴り響いた。それは、あらゆる攻撃魔法、あらゆる斬撃、あらゆる打撃が何千も炸裂したような音だった。まだかなり距離があるようだが、腹の底に音が鳴り響く。実際に、暴風も時折届いてくる。
「とりあえずここを離れよう」
ボクはよろけるミナトに肩をかして、ひたすら距離を置こうと、ノロノロと進み続ける。しばらくのあいだ、轟音は後ろで鳴り響いていたが、10分ほどで、その音はパタリと止んだ。
ついに全滅、したのだろう。でも、あの人たちの犠牲のおかげで稼げた貴重な10分だ。何としても逃げきらなければ。
「ミナト、もうだいぶ動けるだろ?走るよ!」と、その時、
「ほーん。礼も言わずに逃げんのかぁ、ぼーず。お行儀悪いやっちゃなぁー」
先ほどの美しいおねーさんが、ボクの目の前に腕を組んで立っていた。少し右腕に怪我をしている。「逃げてきたんですか?」の、「か」を言う前に、
「あほおおおおお!」
バチコーンと、一瞬で接近されてからのデコピンを食らった。いや、デコピンなのかこれ、頭が首から引っこ抜けそうな衝撃なんですけど。
「いでででで」
「だぁれが、逃げたじゃボケェ!あんなもん、サクッと片付けたわ」
「ふふ。嘘を言うでない。珍しくかすり傷をつくったくせに」
またいつのまにか美少女魔導士が近くに現れていた。
「ちょっと油断しただけやん。あいつC級かと思ってたら、S級の擬態やってん。だまされたわぁ」
「S級に不意をつかれてよく無事なもんじゃ。まったく主は規格外じゃから。その慢心、改めよといつも言うておろう」
「へいへい。で、そっちは?」
「ふむ、若い団員の良い訓練になったようぞ。なかなか単体のG級や複数のH級以上を相手にする機会はないからの。怪我をしたものはおるが、死んだものはおらぬ。もうちょっと新米に訓練を積ませたかったのじゃが、親玉を倒すのが早すぎるわい」
「ごめんごめん、このボーズに面白いもん見せられたから、興奮してしもたわ」
「ふむ、幻影魔法か。ワシも実際の使い手を見るのは初めてじゃ」
「極めればチートなんやけどな。魔力を使いすぎるし、このボーズじゃなぁ。もったいないわぁ」
さっきから何を言ってるんだろう、この人たちは?次元が違いすぎて訳がわからない。あと、何気にディスられている気がする。
だけど、さっきまでの恐ろしい魔の波濤が消えている事実が、彼らの言葉に真実味を持たせていた。
「ま、もう大丈夫やから、ゆっくりおウチに帰り、ボーズたち」
「は、はいっ!ありがとう…」ボクがお礼を言い切る前に、2人の気配は忽然と消えてしまった。
しかし、あれは、本当にヒト族だったのか?想像の範囲を超えすぎていて、夢を見ているようだ。
「なんだったんだろうな……」
「うん、なんだったんだろう」
「なんだったのかしら……」
ボクとミナトとユウは、しばらく呆然としてから、月明かりを頼りに、とぼとぼと本拠地のあるイングルウッド城に向かっていった。
綺麗なヒトだったな。ボクはまだ痛むデコピンのあとをさすりながら、月光に照らされたあの人の凛とした立ち姿を何度も思い出した。まさか、このあと深く関わることになっていくなんて、思いもよらなかったけれど。