訓練
アイナさんに連れられて、まずは隊長のゲルズさんに挨拶に行く。アイナさんは、その歩き方からしても、只者ではない雰囲気を漂わせていた。この認識阻害魔法で偽装された宮殿の中庭には、広大な塀で囲まれた訓練場がある。本当に見渡す限り、と言った感じで、小さな町ならまるごとすっぽりおさまりそうな広場が広がっていた。あらゆる状況に対応するためか、ジャングルや岩、城塞、草原、沼、砂漠、廃村などさまざまな地形が再現されていた。魔法騎士団の訓練場より、よっぽど実践的で、洗練されている。何より広い。思わず晴れ渡った空を呑気に見上げていると、後ろに目でもついているのか、アイナさんが後ろ蹴りで腹を蹴ってきた。
「このクソ外道、よそ見してる場合か。ちゃっちゃとついてこい!」
ボクはクソらしい振る舞いや、外道らしい行動をした覚えはないのだけれど、どうやらアイナさんはその呼び方を気に入ってしまったようだった。ってゆうか何なのこの口の悪さ。ボクは一応貴族だったけど、交流のあった平民もこんなに口が悪くはなかったぞ。
しばらく歩くと、目の前に小さな山があった。いや、人だ。振り返った顔は、その巨体に似合わず、やさしげな女性だった。巨人族の女戦士。身長が大人の2倍以上はある。
「おや、アイナじゃないか。そこに連れているヒョロいのが例の……」
「そうなんだよゲルズ隊長!アネさん、あたしにこんなしょぼいヤツの教育係をおしつけたんだ」
「はん、そのわりには声が弾んでるじゃないか」
「そっ、そんなことねーよ!おい、何をボサっと見てるんだクソ外道、さっさとゲルズ隊長に挨拶しねーか!」
アイナさんがちょっと慌てた様子で、ボクにそう指示した。
「は、はいっ!この度、アネさん様より入団を許可されましたレイ・フォン・ブルモンドと申します!元魔法騎士団候補生ですが、恥ずかしながら魔法はあまり得意ではありませんし、追放された身です!剣は少々使えるのと、幻影魔法がなぜか使えます。粉骨砕身頑張りますので、よろしくお願いします!」
「へー、面白そうな経歴だね。剣は少々使える、ねぇ。ちょっとアイナ、手合わせしてみなよ。どのぐらいのもんか見てみたい」
「えーっ、めんどくせーよー」
「隊長命令だ」
「ちっ、しょうがねぇな。」
とてもめんどくさそうにボクに向かって細身の剣をぬらりと抜くアイナさん。なんだかとっても気だるそうで、やる気が感じられない。ちょっとカチンときた。ボクだって、死線をくぐり抜けてきたんだ。やってやる!ボクが剣を抜こうとしたその瞬間。
———チクリ
気がつくと、喉元にアイナさんの剣の切っ先があった。うす~く喉に触れている。
「えっ?」
「まあ、こんなもんだよな」
アイナさんがちょっとガッカリした表情でつぶやいた。何が起こったのかわからない。
「何が起こったのかわからない。という顔をしているね、坊や」
ゲルズ隊長が優しく微笑みながら、こちらをみている。
「坊や、ヒントをあげよう。感知魔法を少し身の回りに纏うように展開しながらもう一度やってみな」
聞いたことがない手法だが、言われてみた通りやってみる。感知魔法は基本的に視認できない遠中距離の敵を捉えるために使う魔法だ。なので範囲を体の周りになんて難しい。と、思っていたら案外簡単にできた。身体中が総毛立つような、不思議な感覚。
剣を構えようとした瞬間、ピリピリと右下からかき乱されるような不思議な感覚があった。思わず右側に剣を構える。
———ガキン!
アイナさんの剣をボクの剣が受け止めていた。すごい衝撃だ。ビリビリと手が痺れている。思わず剣を落としそうになる。
「ほう」
ゲルズ隊長がちょっと驚いたような顔をしている。アイナさんは、それよりもっと。
「隊長、なんなのよ、これ」
「少しヒントを言ったら、瞬時にモノにしやがったね、この坊や。さすがに隊長が拾ってきただけのことはある」
「ふん、まぐれだろ。こんなの?」
「アイナ、お前は魔力感知を身に纏うのに、どれぐらいかかった?」
「半年だけど、それが何だよ」
「うちの団員でも大体1年はかかる。天才と言われたお前でも半年だ。そんなことが、たとえまぐれだとしても、一瞬で出来るようになるのかい?」
「くっ、だったら!」
今度は左側の側頭部にヒヤリとした嫌な感じ。剣でさっと守る。
———ガキーン!
今度はさらに強い衝撃。思わず右側に倒れ込む。いたたたたー。起き上がって体制を整えようとした瞬間、ちくり。今度はボクの鼻先にアイナさんの剣があった。っていうか、ちょっと刺さってる。いちいちビミョーに刺してくるんだよな、このドSめ。
「実戦だったら死んでたな」
アイナさんが見下してくる。
「やれやれ、まだまだだね」
ゲルズ隊長も、興味を失ったのか、そっぽをむいて、これ以上は無用だと言わんばかりに手をひらひらとさせた。ボクは鼻にかるく回復魔法をかけながら、すごすごと歩き始めたアイナさんの後をついて歩く。
いくつかの施設の案内と、このギルドのルールを、なぜかずっと機嫌が悪いアイナさんに教えられた後、さっそく午後の仕事を言い渡された。掃除だ。
このギルドは、ふつうの冒険者のゴールである一般等級以上で入団のスタートラインに立てる。一般等級といえば、地方では警備などの行政役職につけて、のんびり余生を過ごせる資格だ。冒険者の肩身が狭いアルス王国でもそうなのだから、他の国ではもっと待遇がいいだろう。それが、魔法騎士団の駆け出しの仕事のようなことをやらされるなんて。でも、下働きが嫌でやめていく新人はいないと言う。よほどこのギルドに所属することが冒険者にとって名誉なことなのかが窺い知れる。
「いたっ」
物思いにふけって床を拭いていると、通りがかりのアイナさんがゲシッとボクのお尻を蹴っていった。ほんとなんなのこの人。もしかして、ベテランの一般等級のみなさんも、こんな仕打ちを受けていたの?
午後の仕事が終わると、夕食、そして、また訓練だ。アイナさんが今後、しばらくは特別指導してくれるそうだ。気が重い。
待ち合わせ場所の訓練所の隅に行く。松明で照らされてはいるが、昼間に比べて視界が悪い。満点の星空で、こんな夜は、ガイルやミナトたちと将来の夢について語り合ったのは、今となっては青くさい思い出だ。
そして、そんなセンチメンタルな気持ちを吹き飛ばすように、アイナさんの特別指導は苛烈を極めた。ボクは、さっそく覚えたての「感知魔法を纏う」を使ってみたが、それが、余計にアイナさんの気に障ったらしく、激しい剣戟は、まるで暴風のようだった。感知で初撃は防げるものの、あまりの強さに吹き飛ばされて転ばされる。っていうか、これ、防いでなかったら死んでるんじゃないの?脳しんとう寸前のクラクラした頭で、なんとか防いでは右に左にと吹っ飛ばされ、転んだところを執拗に鼻やお尻を剣でチクチクされた。地味に痛いし精神的にとてもつらい。
「立てよ。おら、次行くぞ」
いそいで鼻先の出血を回復魔法で治して、感知魔法を身に纏って、吹っ飛ばされて、また鼻を刺される。何度繰り返したかわからないこのやりとりを、ボクらは延々と続けた。しかし、よく飽きないなこの人。だんだんアイナさんが不思議そうな顔になってくる。
「気持ち悪いな、お前」
え?なにその悪口。いや、あなたのドSにつきあって、うれしいですぅ、でへへ、なんて顔をした覚えはないんですけど、あんまりじゃないですか?
「せやろ」
いつの間にか、その人がアイナさんの隣に立っていた。
「あ、アネさん⁉︎」
アイナさんも気がついていなかったようで、びっくりする。
それにしても、アイナさんも、少々目はきついものの、美人、いや、かなりの美少女だと思うのだが、アネさんは別格だ。顔のシャープさと柔らかさが絶妙なバランスとコントラストを作り出していて、おもわず、ほぅ、と声が漏れそうになる。
「ほぅ、アネさん!」
っていうか漏れ出たわ、ほぅって。
「ははは、二人してアホな声出してなんやねん」
「すいませんっ」
アイナさんが直立不動して手を後ろに組む。やっぱりこの人でもアネさんは怖いのか。
「どや、アイナ、このボクちゃん、おもろいやろ?」
「は。おそらく魔素量が尋常ではないかと」
「せやねん、でも、魔法のセンスゼロやから、宝の持ち腐れ。けっさくやろ」
少し考え込んでから、アイナさんが答える。
「お言葉ですが、彼には魔法のセンスがないとは思えないのですか」
思わぬお褒めの言葉にボクは目を見張る。デレなのか?あなたはデレちゃう系のひとなのか?
「ふふーん、そこが面白いところやねん。たぶん、極端に距離感が狂ってんねん、このボクは。なあ、坊や、炎熱系魔法の飛距離どれくらい?」
「……97センチです」
本当は87センチだけど、ちょっとサバを読んだ。
「だーーーーっはっはっは!聞いた?97センチって、ちょっと離れたら絶対当たらんやん!」
大笑いした後、アネさんは急にやさしい顔になって、世にも美しい微笑みと共に、軽く頭をボクの撫でて言った。
「でもな、ちゃんと力の使い方間違わんかったら、お前は、めちゃめちゃ強くなる。だから、ちょっとシンドイかもしれんけど、がんばりーや」
そして、フワッと煙のように消えてしまった。
もうっ、そんなふうにされたら、惚れてしまうじゃないですか。
「いだっ」
振り返るとアイナさんが無表情でボクのお尻を軽く刺していた。ちょっと怖いんですけど、この人。




