逃亡
——ごうっ!
はぁっ、はぁっ。熱い。かすった。
耳が少し焦げた。
くっ、また右から炎熱魔法!
ボクは大木が倒れたわずかな隙間に潜り込む。
大木に当たって、熱が四散するのを感じる。
いまだ!
——ダッ!
大きく足を踏み出して、再びボクは走り始める。
胸が苦しい。張り裂けそうだ。血の混じった味がする。
でも、止まるな!走れ!
生きるんだ。このまま死んだら、ボクの命が、あまりにもかわいそうだ。親友殺しの汚名を着せられ、森の奥で嬲り殺しにされる。そんなの嫌だ。ふと、故郷の父と母の顔がよぎる。目に涙がたまる。だめだ!弱気になるな!ビビってもいい!もう、おしっこはちびりまくってびしゃびしゃだ!だから、今は、生きることだけを考えるんだ!
こんなときに、思わぬ強気を発揮して、ボクはなんとかまだ4人の魔法騎士に追われながらも生きながらえていた。原生林の中を進んでいるので、追手も馬は使えない。おそらくボクも知っている先輩だ。しかし、容赦ない。生死を問わずという感じで、強烈な魔法を繰り返してくる。おそらく練度3以上。だけど走って追いかけながらだからこの程度で済んでいる。止まって相手に時間を与えたら、先輩たちなら、練度6を放ってくる。
——ビシッ!ビシッ!ザクッ!
「くっ!」
岩石魔法で飛んできた。石礫に、すこし腿の裏を裂かれる。まずい、少し速度が落ちた。
——ヒュン!
右上方から剣。
——ぎいいん!
すんでのところで剣で受け止めてそのまま右足で相手の腹を蹴る。その勢いのままでんぐり返りをして、また走り出す。とにかく、動け。動け!
また少し距離をとれた!こう見えてボクは結構足が早いし、体力もあるほうだ。その自信があったからこそ、あのとき、魔獣の群れに大してしんがりを申し出たとも言える。
そう思ったのも束の間、目の前に大きな谷が見えた。だめだ!この幅は飛び越えられない。しかも、深い。くそっ。谷沿いに逃げるか?
その判断が遅かった。追手はこの先に谷があることを知っていたのだろう。上流と下流側に一人づつ待ち構えているのが感知魔法で確認できた。そして、逃げてきた方向から二人が迫ってきている。絶体絶命。膝がガクガクと震えてきた。
谷底の川に飛び降りても、きっと助からない。谷が深い上に川が浅い。川底に打ちつけられて終わりだろう。
——ザッ!
森の奥から、二人現れた。川沿いの少し開けた場所。もう隠れる場所もない。
「ハァ、ハァ……。ずいぶん手こずらせやがってェ」
「ふうっ、まったくですね。逃げ足だけは早い」
額に傷がある、赤毛の先輩騎士。年齢は20歳すぎだろうか。目つきが悪くてこの男は苦手だった。それと、ボクも話したことはない長身で細身の男性騎士。おそらくリーダーだろう。いかにも頭がキレそうな人物だ。
「あ、あのっ、本当にボクは何も知らないんです!見逃してくれま……」
「ああん?てめーはもうあの世行きって決まってんだ。ゴチャゴチャ言うなや、めんどくせぇ」
「ひいっ!」
「ふん、情けない。こんなのに殺されたなんて、被害者たちも、いくら不意打ちとはいえ、浮かばれませんねぇ」
「だ、だからっ、本当に何も……」
——ビシッ!
ぐううっ。右足に尖ったこぶし大の石が足にめり込んだ。痛い。
右手、川の下流側からずんぐりとした男が現れた。
「さぁて、観念しようか」
あ、この人も知ってる。訓練でヘトヘトになったボクを見たとき、果物を分けてくれた優しいおじさんだ。だけど、その人からは今、殺意が向けられている。左にも気配。黒髪長髪の無口な美少女騎士。イングルウッド城内でも有数の実力者と名高い。だけどそれよりもまず注目を集めるのがその美貌で、ボクら後輩男子からのダントツ人気の人。小柄で幼くは見えるが18歳だったはず。遠くからボーッと眺めるだけだったその人から、今、ボクは見つめられている。つぶらな瞳には、残念ながら殺意が込められている。ぜんぜん嬉しくないよー。
【さて、どうするよ?】
頭の中で、誰かが喋っている。これは、ボクの声?
【このままビビったへたれ野郎のまま、やられんのか?】
うるさい。無理だろ。どう考えても。格上に囲まれてるんだ。
【そんなのわかってるよ、バカ】
なんだよ、ボクのくせにボクをバカにするな!
【ふるえ、止まってるじゃん】
え?
【足の震え。おまえ、もうビビってねぇよ】
そうか。ボクはビビっていないのか。
【だから、最後にさ。一花咲かせてからあの世へいこうぜ】
そうだね。うん。ビビらされっぱなしの人生だ。最後ぐらい、ビビるのを忘れて、思いっきり暴れるのも、悪くないか。そう思った瞬間。頭の中で、カチッと何かスイッチが入る音がした。
剣を構える。静かだ。すごく。ボクを囲んでいる奴らがワーワー何かを言っているが、聞こえない。早朝、故郷にあるお気に入りの湖畔に立っていた、あの時の気分だ。
足を一歩正面に踏み出す。赤毛の男が剣を構え、長身細身が後ろで魔法の準備をはじめる。なんだ?やけにゆっくり動くんだな。そんなことを頭の片隅で思いながら、冷静に相手との距離を測る。一歩、二歩、三歩、四歩で赤毛、五歩目で長身細身は斬れる。魔法が長身細身から放たれるかもしれないが、大丈夫だろう。うん、こんな風に四歩めで相手の剣をかわして同時にボクの剣を跳ねあげれば、赤毛の手首は飛んだ。その勢いで一回転しながら、五歩目で斜め下から斜め上にえいっ!スーッという感覚で長身細身の左脇腹に剣がめり込む。どうしちゃったんだろう、なんかバターみたいに切れるぞ、この剣。なんて思っていたら長身細身はとっさに左の肘を骨ごと剣にぶつけてきた。痛そー。案の定、肘の半分ぐらいまで剣がめり込んで長身細身は凄い形相になる。だけどそのまま後ろに飛びずさった。なるほど、腕を犠牲にして胴体真っ二つを避けたわけか。さてと、今度は左後方に二歩下がって、と。ほら、やっぱり黒髪美少女は赤毛の魔法治療中だ。復活されるとめんどうだから蹴り飛ばすことにした。さすがに顔は悪い気がするので肩の辺りを蹴り飛ばす。
後ろ上空からすごい圧。うん、これも想定内。おじさんが、上から力任せに剣を振り下ろしてきた。魔力を纏っているから、岩をも砕く威力だろう。が、遅い。振り向く勢いで少し体の軸を左にずらし、その流れで体を回転させながら「とすん」と刺突を繰り出す。ずぶりとおじさんの肩口に剣が突き刺さる。
一度距離を取って、状況を確認。実はボクは、剣の腕はけっこう良い。幻影魔法が珍しいから騎士団候補生になれたわけではない。剣の見込みがあると、ボクに入団許可をくれた人は言った。つまり、合わせ技でなんとか滑り込むことができたわけだ。
しかし、こんなに先輩たちってノロノロと動いて、しかも弱かったっけ?あれ?おかしいぞ?いくらボクの剣技がそれなりでも、先輩には模擬戦で一度も勝てたことがなかったじゃないか。
——ぎいいいいいん!
急に耳がギリギリと痛くなる。
「ぐっ」
——ずきぃいん!
「ぐあっ」
なんだ、このものすごい耳鳴りと頭痛は?
心臓がバクバク言っている。何か魔法をかけられた?いや、そんな感覚は何もなかった?相手にも幻影魔法使いがいる?いや、それはボクなら感覚でわかる。現にまだ、4人は戦闘不能のままだ。今のうちに、ここから逃げなくては。ぐううっ、いだい、立っていられない。
「あぐっ、うっ、くっ。」
ずりずりと体を這わせて、その場を離れる。
——サクッ
「え?」
脇腹に、黒いナイフが刺さっていた。遠くを見ると、黒髪美少女が、半身をおこして投擲の構えを見せている。手加減している場合じゃなかった。しかもこれ、魔法付与のナイフだ!慌てて抜いて投げ捨てる!
——ドーン!
炎熱魔法が仕込まれたナイフが谷底ではじけた。その閃光で、谷の形状が見える。確かに深いが思ったよりも急斜面ではない。これなら……
二射目が来る。頭痛と吐き気は治らないし、脇腹が熱い。でも、谷の方へ向かう。
——ずざっ、ずざざざざっつ。
なんとか斜面に生えた細い木を握りながら、ボクは転がるように落ちていく。逃げろ。逃げ切るんだ。
——ダンッ
上から手元に石礫が飛んできた。あのおじさんも、もう動けるのか?
——ダンッ
——ガンッ
3発目が来たところで、ボクは木の枝を手放してしまい、そのまま暗い谷底へと落ちた。水の衝撃と音。幸い斜面の半ばまではずり落ちていたため、川底への衝突はかなり緩和されていたが、勢いで岩に頭を打ちつけた。
そして、ボクの世界は真っ暗になった。




