夜道
「ふむ。不可解な事件と、元魔法騎士団候補生の逃亡者、ですか……」
ナユタは私たちの話をひとしきり聞いた後、顎髭に手を当て、独りごとのように言った。
「お嬢さん方、あいにく、ここにその元魔法騎士団候補生の逃亡者が潜伏しているという確実な情報はありません。ただ、確かに冒険者たちの中には、そういう噂をしている冒険者も多くいます」
「その噂の中になにか気になることはありませんでしたか?」
「ふむ。そうですね」
ナユタは静かに目を閉じて思案する。
「あえて言うなら、どれも曖昧すぎる噂という点ですかね。みな、すれ違いざまに見た気がする、だの、遠目で見た気がする、だの。普通そういった噂の中には、もう少し確証めいたものが混じっていてもおかしくないのですが、どうにも微妙な話が多い。だからどう、と言うわけではないのですが」
「そう、ですか……」
私の落胆する声を聞いて、ナユタの声色はさらに優しいものとなった。
「そう気を落とさんでください。まだ初日だ。ここハムルを、ゆっくり楽しんでおられんでしょう。しばらくは逗留なさると良い」
「はい、ありがとうございます」
「あなたたちは、さすがエリートの候補生だけあって、腕も立つようだ。冒険者としてクエストをこなせば、路銀の足しにもなるでしょう。ここにはおもしろいクエストもたくさんある。あとで一階の掲示板を見て行きなさるといい」
「はい、ありがとうございます。路銀は十分にありますので、すぐに、とはまいりませんが、いずれその必要も出てくると思います」
「おっと、これは失敬。あなた方は、貴族のお生まれでしたか。それでは、ワシのとっておきの観光コースを伝授しんぜよう」
ナユタはにんまりと笑い、ハムルとその近郊の見所をかいつまんで教えてくれた。
「ありがとうごんぜした」
帰り際、例のブサイク君がドアの脇に立って深々とおじぎをしてきた。
いつまでも私の脳内ネーミングがブサイク君だと流石に可哀想なので、思わず聞いてしまう。
「私はユウ。そしてこちらはサナと申します。あなたのお名前を教えてくださるかしら?」
「オラは、ザス、と、申します。以後お見知りおきを」
「ザスさんか、ありがとう!ナユタ殿に引き合わせてくれて」
サナが、にかっと笑い、親しげに言った。
「いえ、めっそうもございません。では、おら、仕事がありますので。気をつけてお帰りくだせぇませ」
そう言って、ザス君はそそくさと離れていった。彼の仕事はギルド付きの給仕、といったところか。どこかオドオドしているところは、やはりちょっとだけレイ君に似ている。
宿はギルドの裏手を抜けて数ブロック先だ。昼は少し汗ばむ陽気だったが、今は夜風がひんやり気持ちいい。早くお風呂に入って、今日は早く寝よう。アルスでは火系の魔法石を使った蒸気風呂が主流だったが、この温泉都市ハムルでは、宿に温泉を引いている浴槽風呂が主流だ。しかも私たちの宿の主人は土魔法が得意な元魔法使いだそうで、お湯をたっぷりと湯船にはった温泉はハムルで一二を争う人気らしい。宿はそのサービスの良さや絶品の料理の旨さもあって、この国一番の人気宿なのだ。
いつも満室だそうなのだが、私たちは、運良く空きができたタイミングで訪れたらしい。空きができたのは、まあ、宿泊していた冒険者パーティーが全滅したからだそうで、縁起が悪くはあるのだが――――
ヒュッ!
突然、隣を歩くサナの方から剣で空を切り裂く音がした。サナはそれをバックステップでかわしている。意識が右に向いた瞬間、左下から気配。
シュッ!
剣が私のドレスの端を引っ掛けて切り裂いた。大丈夫、体へのダメージはない。サナと阿吽の呼吸でさらに数歩バックステップ。敵は二人。
——ゴウッ!
違う!3人だっ!炎熱系の魔法が背後から降りかかる。今度はサナと左右に散る。熱風が少し髪を焦がした。第二波にそなえて両手に魔力を込める。剣は持っていない。宿からも近い食事だからってことで油断した。この街、治安いいんじゃなかったっけ?
「へー。かわすんダァ」
奥からフード付きのマントをかぶった男が、ぬらりと現れた。顔はよく見えないが、たぶん嫌いなタイプだ。歪んだ口元に無精髭が生えていて気持ち悪い。
「見た目はべっぴんな嬢ちゃんだから楽勝だと思ったがなぁ~。さすがに冒険者ギルドをうろついているだけあって、それなりに心得はあるってことか。まぁ、多少傷物になっても、死なない程度に治癒魔法かければ、お楽しみはできるからな。けひぇひぇひぇひぇ!」
下卑た笑いを不快に感じながら思考する。私らがギルドをうろついていて?思いつきの犯行?いや、まだそう考えるのは早計だ。つけられていた、ねらわれていた、あるいは、何か触れてはいけないものに触れた。いずれにしても、かなりの連携。こいつらはプロだ。剣を持っていないところを確実に狙いに来ている。並の魔法騎士団候補生なら、剣を持っていない時点でアウトだ。だけど、私とサナなら、五分五分か、かろうじてこちらが上回る。
なぜか?サナは魔闘家の家系。素手でも、いや、素手の方が強いまである。私?私も実は剣は苦手で、魔法の方が得意だったりする。わがルノーブル家は、治癒と攻撃、両方を使える二色魔導士の大家を祖とする。
とはいえ、逃げるが上策。こんなつまらない戦闘で怪我をするわけにはいかない。油断しているところを畳みかけて逃げよう。ユウとは言葉を交わさなくても考えていることはわかった。よし、私も得意な炎熱系の魔法をお見舞いしてやる。さっき放たれたのは練度2。こっちは練度4だ。びびるなよ。
「ユウッ、上だ!」
えっ、4人目?アサシンスキルかっ!ちょこざいな!
私は溜めた魔法を上へと方向転換する。上空からの襲撃者に炎熱魔法をお見舞いしてやった。襲撃者の驚く顔と目があう。まだ若い。とっさに方向を少しずらす。半身を焦がして吹き飛ぶ襲撃者。私もまだ甘い。
——グサッ!
「ぐうぅ」
投げられた短剣が左腕に突き刺さる。
「ユウッ!」
そう叫んだサナの身にも、曲刀を持つ大男が襲いかかる。こいつら仲間が黒焦げにされたのに、躊躇しない。私のアタマに一気に血が上る。油断するな、こいつらはプロだ。あと3人。私には、ナイフを投げた男と、ゲスな魔法使い。サナには、大男。
ゲスな魔法使い、略して「ゲス使い」は、もう一度炎熱系の魔法を私に向かって打とうとしている。腹立つことに威力は大したことないが、まともに食らえばナイフ男が隙を突いてくる。でも、私には攻撃魔法だけじゃなく回復魔法もがある。帝国連合内でどのぐらい2色魔導士がいるのかは不明だが、多くはないはずだ。
よし、ゲス使いの魔法をあえてもらって即座に回復。まんまと襲ってきたナイフ使いを逆に攻撃魔法で仕留める。うん、この作戦で行こう。
——ボウ
きたーっ、さすがに直撃は熱いから肩をかすめさせる。
「あちっ」
流石に痛い、が即座に「回復魔法、練度3」からの、
ナイフ使いめ、くらえ!
「雷光魔法練度2!」
発射速度に優れた低練度の雷光魔法をお見舞いする。ビリビリっと少しだけダメージを与えて、ナイフ使いの動きが怯む。その隙に左後方にバックステップ、一呼吸おいて……
「炎熱魔法練度3!」
男の上半身に火球がぶち当たる。さっきよりは威力は下げたから死にはしないだろう。
よし、この勢いで、ゲス使いに一発……
「あれ?」
さっきまで2発目の魔法を詠唱していたゲスな魔法使いが倒れている。なんで?
「ぐおっ」
——ドサッ
右の方で曲刀を持った大男も崩れ落ちた。サナの魔力がこもった肘鉄が大男のみぞおちに突き刺さったのだ。ひゅー、さすが魔闘家、素手でもあんなの倒すんだ。
「逃げますだよ!」
ゲス使いが倒れている方から、聞き覚えのある声がする。さっきのザスという青年だ。私はダメージを負っている。新手が来ないとも限らない。逃げるか。
私たちはザスについて走った。こいつ、見かけによらず、足が速い。
まだ人通りのある賑やかな大通りを私たちは疾走していく。途中腕から血を流している私をみてギョッとしたおばさんがいた。ああ、さっき半分焦がした男の目に似ているな、なんてぼんやり考えていると、ザスがさっと立ち止まった。
「お二人さん、入ってくおくんなせ」
ザスが少し寂れた通りにある粗末な小屋に案内する。
——パタン
戸口が閉められると、わずかな月明かりが部屋に差し込んでいた。




