【子語り怪談】ルームミラー
子にせがまれて、毎日語る怖い話の一つです。
バブルが弾けるちょっと前、私も好景気の恩恵に、少なからず与っておりました。休日前には深夜まで飲み歩き、終バスなんてとっくに過ぎてますから、帰りはタクシーを使うなんて贅沢も。今じゃ、到底できやしませんが。
まあ、それはさておいて。
タクシーと言えば、怪談が付き物で、その日に乗り合わせたタクシーの運転手さんも、少なからず奇妙な現象に遭遇していたようです。
深夜、ルームミラーを覗いて、いるはずのない乗客が見えると言う話は定番ですが、その運転手さんの話は、いささか異なっておりました。
ミラーには、何も映っていなかったと言うのです。
ええ。変なものが映ってないなら、「はあ、そうですか」としか言いようがないのですが、まったく奇妙なことに、映るはずのものまで映っていない。それは、ひたすら真っ暗なだけで、後続車や、街灯と言った、当たり前に見えるものさえ見えなくなっていたのだ、と。
さては走っている途中で、後ろの窓に何かが被さったか? しかし、肩越しにちらりと後ろを見ても、特におかしな様子はありません。ためしにミラーを動かして自分の顔を映せば、それもちゃんと映る。
いよいよもって怪しげな事態ですが、何よりまったく後ろが見えないのは、いささか危険です。ひとまず近くのバス停に、車を停めることにしました。とっくに最終便の時間を過ぎていますから、バスがやって来る心配もありません。そうして、このおかしな現象の原因を探ろうと、後ろを振り返りますが、そこには空っぽの後部座席があるばかり。何かしらの怪異なら、お題目でも三唱してやるつもりでしたが、これでは手の打ちようがありません。もちろん、ルームミラーは相変わらず真っ暗です。
はてさて、いよいよ困ったぞと悩んでいたところ、ふと閃くものがあり、自動ドアを開けてみました。しばらくすると、助手席の窓の外に、人影が現れます。一人、二人、三人、四人……老若男女、子供の姿まで。
その奇妙な一団は、お行儀よく一列になり、みな一様に少しだけ背を丸め、深夜の道をとぼとぼと歩いて行きます。そうして彼らは、近くにあった稲荷神社の鳥居をくぐって姿を消したのです。
運転手さんはドアを閉め、ルームミラーを確認します。それはもう、真っ暗ではありませんでした。ミラーが映らなくなった原因は、やはり先ほどの一団なのでしょうか。
「そうだとしたら」と、運転手さん。「後ろの窓が見えなくなるくらいなんだから、相当ぎゅうぎゅう詰めで乗ってたんでしょうねえ。何の用事があったか知りませんけど、早めに切り上げてバスでも使えばゆったり座って帰れたんでしょうに」
まったく、その通り。しかし、幽霊(?)でも終バスを乗り落としたりするものなんですね。