第一話『英雄と呼ばれた男』
決戦の場は、荒野。
酷く渇き切り、ひび割れた地面が、どこまでも続く。
相対するは、二つの軍勢。
一つは、魔術の祖ウィズを至高の存在とし、"この世全てのありとあらゆる魔術の根源はウィズにあり、魔術を使う者は皆、彼を崇拝しなければならない"と主張する《魔人軍》。
それに対するは、竜を至高の存在として崇め奉り、"全ての魔術の起源は竜であり、他生物の扱う魔術はそれを真似たものに過ぎない"と主張する《竜魔軍》。
風が吹き荒ぶ荒野の中、お互いに相容れぬ思想を持って対立する二つの軍。
その戦いの火蓋が今、切って落とされる。
……その矢先、二つの軍勢の間を割って入るようにして、一人の青年が中央に立ち塞がった。
双方の軍が困惑する中、青年はまるで演説をするかのように二つの軍へと語りかける。
「意味の無い争いは、もう止めないか。 こんなことをしても、無意味に死人を出すだけだ!」
「なんだ貴様は、そこを退け」
「断る! 双方の軍勢が和解の道を選ぶまで、私は此処を退かぬ。」
「ならば、貴様ごと切り捨てるのみ!」
彼の制止に聞く耳を持たず、戦いを始めんとする両陣営。
「愚かな。 このような戦いに、なんの意味があるというのだ。 双方沢山の人が死に、沢山のものを失うだけの無意味な戦争。 例え勝利したとしても、得られるのは一時の悦だけだ!」
「黙れ! この戦いは、我らが祖の尊厳を懸けた、祖の為の戦いだ! 己が信ずるものの為に死ねる、この上ない喜びではないか!」
意味の無い戦いを引き起こし、死人が出ることすらも正当化する双方の軍勢に、青年は酷く憤りを感じていた。
「……尊厳を懸けた戦い、か」
青年は、何か打開案を思いついたかのように、にやりと口角を上げた。
直後、彼は深く息を吸い込み、軍の最後列まで聞こえるようにと、大きく声を張り上げた。
「我が名は、ギール! ギール・エヴリス! 私こそが魔術の祖、魔術の根源である!」
彼の発言に、双方の軍は呆気に取られる。
十数秒の静寂の後、荒野には何万もの笑い声が響いた。
「わはははは! 貴様が魔術の祖だと!? これは傑作だ! なんと、貴様は只の馬鹿ではなく、大馬鹿であったか!」
切り詰めた空気の戦場が一変、まるで宴会ような雰囲気になる。しかしそれは、青年の思惑とは全く異なるものだった。
「貴様らの信仰しているものは、只の虚妄に過ぎない! 魔術の祖ウィズも、魔術の起源である竜も、所詮は信仰の対象として人間に作られただけの、幻だ!」
青年の放ったその言葉に、双方の軍は酷く憤慨した。
「……取り消せ、今の言葉。 冗談だとしても、魔術の祖を幻などと言うことは、許さぬぞ」
「それは我ら竜魔軍も同じだ。 我らとて竜を愚弄する発言は、無視出来ぬ」
しかし青年は億さず、続けて声を張り上げる。
「人間は誰しも、心の拠り所を求める。 そういった人間の心理によって、心に余裕持たせる為だけに作られたのが、"ウィズ"や"竜"だ! 信仰の対象として、人間の手によって作られただけの、偽りの存在!」
「黙れ黙れ! それ以上口を開いてみろ、我が軍の勢力全てを持って、お前を八つ裂きにしてくれよう!」
「やれるものならやってみろ! 偽りの祖や偽りの起源を信仰している弱者に、私は負けはせぬ!」
その言葉を聞くやいなや、双方の軍は進軍を始めた。
それは、魔人軍と竜魔軍による、戦争ではない。
二つの軍と一人の青年という、あまりにも一方的すぎる戦い。
もはやそれは戦いとは言わず、ただの"集団いじめ"となる。
……かのように、思えた。
「なんだ、あいつは……」
「俺達の魔術が……届いていない、のか?」
「いや違う、あいつは……俺達の魔術を一つ一つ、撃ち落としているんだ! あれだけの集中砲火を受けているというのに……!」
「馬鹿な! そんなこと、出来るはずが……」
青年は、一人で二つの軍と渡り合う実力を持っていた。
自分に向けて放たれた魔術を、一つ一つ撃ち落としていく。
しかし、彼は決して誰かを傷つけるようなことはせず、ただただ防御に徹した。
やがて、両軍の兵は青年を倒せぬまま疲労しきり、争いは止まった。
一方青年は、疲れなど微塵も感じていない様子でまた声を張り上げた。
「これが貴様らの限界だ! 二つの軍を持ってしても、私一人すら倒すことが出来ない!」
その言葉が、両軍に突き刺さる。
双方の軍人達は、己の無力さを痛感した。
青年は、続けて語る。
「だが私は、貴様らを殺しはしない! 私が求めているのは、魔人軍と竜魔軍、その双方の和解だ!」
彼に逆らおうとする者は誰もおらず、結局その場で、魔人軍と竜魔軍の協定が結ばれることとなった。
そう、これこそが青年ギール・エヴリスの策略。
両軍を煽りヘイトを自分一人に向けさせることで、一人も死人を出さずに協定を結ばせたのだ。
しかしそれは、一人で軍に匹敵する力を持った者にしか成しえない、まさに偉業。
当時戦い参加した兵士達は、彼を様々な異名で口々に呼ぶ。
その中でも、特に多く呼称された呼び名。
それこそが、"終戦の英雄"。
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「おーい、ギール! こっちの荷物も運んどいてくれ!」
「ああ、こっちの作業が終わり次第、運んでおく」
「任せた!」
その終戦の大英雄は、今は小さな町で土木工事の仕事をしている。
そこに、大英雄としての面影はない。
「それにしてもよ、なんたってあの終戦の英雄様が、こんなとこで木材運んでんだ? 土木工事の仕事なんて、ろくに魔術の使えない奴が最終的に行き着くような仕事だろうに」
「魔術が使えるだとか使えないだとか、そんなのは関係ない。 私は、私がするべきことをするだけだ」
「こんな土木工事が、かの英雄様のするべきことだって?」
彼が、このようなひっそりとした小さな町で働いているのには、とある事情がある。
彼は確かに、魔人軍と竜魔軍の争いを終わらせた、紛れもない英雄だ。
しかし、その賞賛とは裏腹に、国の上層部からは『軍に反逆した危険人物』として指名手配されている。
故に、国の監視が届かないような辺境の地にある町で、安穏に暮らしているのだ。
「……とはいえ、そろそろ此処も限界か」
しかし、いくら辺境の地にある町だとはいえ、国の捜査機関も無能ではない。
時間はかかれど、様々な情報網を駆使し、ほぼ正確に彼の場所を割り出してくる。
彼はその度に、ほぼ全ての財産を置いて町を出て行き、また新たな住居を探す放浪の旅に出るのだ。
「おいギール、とうとう国の連中が此処を嗅ぎつけて来たっぽいぞ」
いち早く情報を伝えに来たのは、この町で出会った親しき友、マーブル・ノーチェだ。
「やはりそうか……なら、この町とも今日でお別れだな」
「町の奴らには俺から説明しとくぞ。 あと前にお前が言ってた通り、お前の家と財産は町に寄贈しておくからな」
「ああ、頼む。 なにからなにまで済まないな、マーブル」
「良いってことよ、かの終戦の英雄の手伝いが出来るんだ、むしろ俺の方が感謝する側かもしれん。 ああ、ありがたや……」
「止めろ、気色の悪い」
「へへへ……それじゃあ、達者でな」
「ああ、お前も」
親しかった友と別れ、一度家に戻る。
ギールは手荷物を軽くまとめ、旅立つ準備を整えた。
「……さて、いくか」
もう戻っては来ない家の扉を、閉める。
もちろん、家の鍵は開いたままだ。
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ギールが町を出てから、一週間が経った。
町の隣にあった森を抜け、広大な砂漠地帯に入る。
家から持ってきた干し肉は、まだ数日食い繋げる程には残っている。
しかし、万が一の状況に備え、そろそろ食料を補充しておく方が良いだろう。
幸い、砂漠にはヘビやトカゲ等の爬虫類が多く生息しており、毒のある部位さえ除けば、比較的美味しく食べれる。
基本は砂の中で潜伏しているので、目で探すのは困難だが、心眼などの探知系魔術を使えば、楽に見つけることが出来る。
「心眼」
心の眼で、辺り一面を見回す。
探知範囲は、半径二百メートル程だ。
「……食料となりそうなのは、いないな。 もう少し範囲を広げてみるか」
探知範囲が、半径一キロメートルに拡大される。
それと同時に、食料になりそうな生物の反応が、何十匹も確認された。
しかし彼の意識は、既にそれらの生物とは違うものへと移り変わっていた。
「この反応は……人か」
南南東の方角に、人間の反応があったのだ。
こんな広大な砂漠の真ん中で人間に出会うのは、とても珍しいこと。
しかしその人間の反応は、
「反応が弱々しい……このままでは危険だな」
その人間の魔力反応は、今にも掻き消えてしまいそうな程に、酷く弱々しかったのだ。
それはつまり、その人の生命の危機を意味する。
それを見殺しにするとなっては、それこそ英雄の名が廃るというもの。
ギールは即座に、反応のある方向へと向かった。
走り出して少し経ったところで、視界に小さな人影が映り込んできた。
その人影は、力なく倒れていた。
長い金色の髪が、砂上にぶわっと広がっている。
遠目で見た感じ、動いている様子はなく、このままでは危険だと判断したギールは、足に強化をかけてさらに加速した。
強化の魔術を使ってからものの数秒で、人影の元に到着する。
倒れていた人影の正体は、長い金髪が特徴の少女だった。
「おいお前、聞こえているか」
呼びかけてみるが、一向に返事は来ない。
少女は、気を失っていた。
額に手を当てると、酷く熱くなっていることが分かる。
それに、どうやら少女は息をしていないようだ。
「……だが、残存魔力を見るにまだ死んではいないようだな。 ……取り敢えず、先にこの日差しを何とかしなくては」
この強い日差しが照り続ける限り、いくら治癒を施しても再度熱にやられてしまうだろう。
そう考えたギールは、空に向けて魔術を放った。
「雨よ、大地を潤せ」
天高く放たれた魔弾は、上空で破裂した。
破裂した魔弾は雲となって周辺の空を覆い尽くし、恵みの雨を降らす。
太陽光によって熱せられた砂が、たちまち冷えていく。
それに合わせ気温も徐々に下がってきた。
ギールは早速、少女の治癒に取り掛かり始める。
治癒を始めてから、三十分が経過した。
治療を始めるとすぐに熱は下がり、先程までの生命の危機が嘘かのように急速的に回復した。
治療する前までは、まるで既に死んでいるかのように、息もせずピクリとも動かなかったが、今では寝息を立てて穏やかに眠っている。
この様子だと、直に目覚めるだろう。
しかし、この少女は何故、このような砂漠の中央に居たのだろうか。
太陽の日差しから身を守る物をほとんど身につけておらず、所持している物も少量の水と、一食分の食料だけ。
これで砂漠を渡るなど、死にに来たも同然だ。
「ふわぁ……ってあれ、雨が降ってる? なんで……」
「目が覚めたか」
「……ひっ!? な、何者です貴方!」
少女の目が覚める。
しかし少女はギールを見るや否や、臨戦態勢を取った。
「待て、私は敵ではない。 倒れていたお前を助けただけだ」
「……えっ、私、助けられた……のですか?」
警戒する少女に、このような状況になった経緯を話す。
ギールの話を一通り聞き終えた少女は、軽く身嗜みを整えその場に正座すると、ギールへ感謝を伝えた。
「……そうだったのですか、私が此処で倒れていたところを、貴方が。 そういう事とは露知らず、大変失礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ありませんでした。 改めて、名も知らぬ私を助けてくださった心優しき貴方に、心から感謝を」
少女は、反省の意と感謝の意を込め、深くお辞儀をした。
やがて少女は顔を上げ、続けるようにして名乗り始める。
「私は、ドロシー・ワイズと申す者です。 この度は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」
「そう畏まるな。 人が倒れていれば手を差し伸べる、至極当然のことだ」
「いいえ、その"当然のこと"を、言葉通り当然のように出来る人というのは、そう多くはいませんから。 貴方は、紛うことなき心優しき人です。 どうか、名前を教えては頂けないでしょうか」
「私の名か? ……私は、ギール・エヴリスだ」
ドロシーと名乗る少女はその名を聞くと、ひどく驚いた様子で、ギールの顔をじっと見つめた。
「ギール・エヴリス……! まさか、かの有名な"終戦の英雄"と、こんなところで出会えるとは!」
「……疑いは、しないのか? 有名な英雄の名を、騙っているだけかもしれないぞ」
「いえ、それは無いでしょう。 でなければ、貴方の持つその強大な魔力に、説明がつきません。 そもそものところ、貴方を一目見たときから、只者ではないということは分かっていましたから」
「……そういうお前も、先程は弱っていたから分からなかったが、翌々感知してみれば……相当な魔力を持っているようだな」
ギールの治癒によって回復したドロシーを改めて見てみると、その魔力量は相当のものだった。
お互いに只者ではないということが分かり、場に少し緊張感が漂う。
「……お互いに、色々な事情があるようですね」
「……ああ。 お前が何故、このような砂漠を彷徨っていたのかも聞かないでおこう」
「そうして頂けると、助かります」
二人は、お互いの事情をこれ以上詮索しないことを約束した。
実のところ、ギールが国に指名手配されていることを、殆どの人は知らない。
なので、自分が国に追われているということを教えるのは、真に信頼出来る者のみなのだ。
そうでなければ、懸賞金欲しさに国へ情報を明け渡す者が多発する。
よって、初対面の者に指名手配のことを教えることは、まず無い。
ドロシーの回復を確認できたギールはふと手荷物を持ち上げると、ドロシーへと別れの言葉を告げる。
「さて、私はそろそろ行くが……食料も水も、その量では心もとないだろう、私のを少し分けよう」
「そんな、治療してもらった上に食料品まで……何から何まで、ありがとうございます」
「せっかく回復したのに、また倒れてしまっては意味が無いからな」
「……はい、気をつけます……」
申し訳なさで萎縮しているドロシーに、食料と水の入った皮袋を渡す。
ありがとうございます、と小声で何度も言う彼女を尻目に、ギールはまた雨の止んだ砂漠を歩き始めた。
彼が向かった方向に、ドロシーが反応を示す。
「あれ、ギールさんもそちらの方向へ向かうんですか?」
「ああ……と言っても、この方角に何か用事がある訳では無い。 これは、ただの放浪の旅だ」
「特に目的があるわけではないのですね……そういうことでしたら、少し提案をしても良いでしょうか」
「……提案とは?」
「……理由は言えませんが、私も途中まで同行したいのです。 ……いえ、同行させてください! お願いします!」
ドロシーは、深々と頭を下げてギールに懇願した。
ギールは首を傾げつつも、その頼みを了承した。
「……そんなことなら、別に構わないが。 私と共に居ても、楽しいことはないぞ」
「ありがとうございます!」
後ろを振り返って会話をするだけで、歩みを止める気のないギールに、後からドロシーが追いつく。
英雄呼ばれた青年と、その後ろを付いていく少女。
二人の旅は、今ここから始まる。