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パンドラ・ボックス  作者: 枯木
1/1

魔狼の遠吠え(1)

 人と異族が共生する都市。

 人異中立都市レトロクス、それがその島の名前である。

島、本来ならば海面に浮かぶ離島であるがしかしレトロクスはそういった意味では一般的な島の定義からは外れるだろう。

 なぜならばその島の周囲には海はなく、されどたしかに島はある。

周囲には海の代わりに雲海が流れ、船の代わりに飛空艇が離着陸を繰り返す。

そしてレトロクスの中心には天を突く大樹が生え都市を支える。

世界唯一の浮遊都市。それがレトロクスの別名であり代名詞。

 そんな浮遊都市に今こんな噂が真しやかに囁かれる。

 曰く。

「この島のどこかにパンドラの箱が眠っている」

「災厄の箱は実在し、やがて開かれ世界は災厄に飲み込まれる」

「災いはもうすでに起きている」

 などといったうわさ話だ。 

 パンドラの箱、それは遥か昔の神話に伝えられる物語に出てくる災厄の箱である。

箱の中にはあらゆる災厄が閉じ込められていた。

 だがパンドラという娘は好奇心でその箱を開けてしまい世界に災厄が振り撒かれたといわれている。

 普通ならば与太話だと笑い飛ばすだろう。しかしレトロクスに住まう者は笑いはしてもそれをどこかあるかもしれないと心の片隅で考える。

 なぜならこの都市は人と異属の住まう都市。

 人異中立都市レトロクスなのだから。






     ◆

「正位置の運命の輪に逆位置の戦車っと。んー?なによ。気に食わないわねぇ」

 ファミレスのテーブルの上に並べられた最後の2枚を捲ると尾羽(おばね)ナズナは気に食わないというようにハーフアップに結ってある夕日色の自分の髪を弄る。

その様子を一緒のテーブル席に座っていた3人は各々の反応を見せる。

「お、この寝坊助は明日死ぬとでもでたか?」

着崩した制服とニヤけた顔立ちが特徴的な少年、一神幹也(いちがみみきや)はそういうとドリンクバーから持ってきたメロンソーダを音を立ててすする。

「そんなこと言ったらだめだよ。幹也、でもどんな結果だったの?」

 不穏なことを言った幼馴染をたしなめながら、しかし友人の占いの結果が気になると目を少し輝かせながら小柄の少女、地摺彩芽(じずりあやめ)は対面に座る少女に占いの結果を促す。

その姿は学校指定の制服の上に愛用のピンクのフードを被っており小柄な彼女が来ていると袖が大分余っており、どこか小動物めいた印象を持たせる。

 そのフードの隙間からは淡いピンクの髪の毛が覗かせていた。

 そんな姿に渋々といった表情でナズナは肘掛代わりに自分の隣に座り自らの腕枕で眠る少年の白髪

頭に肘を乗せ。心底気に食わないという風に今しがた行ったタロット占いの結果を目の前の友人に告げる。

「・・・出会い」

「え、出会い?ですか?」

「えぇ、衝撃的な出会いと一生涯の困難の始まりですって。ほんっとこの寝坊助には過ぎた占い結果だわ」

「ほぉん、衝撃的な出会いねぇ。それって一目惚れっふが!」

幹也の鼻っ面にテーブルにあったおしぼりが投げつけられ軽い衝撃とともに思わず後ろに頭をのけぞらせると背後の仕切りに頭を打ち付けた。

「っふん、しょせん占いなんて気休めだし」

「あはは・・・ナズナがそれ言っちゃう?」

 彩芽はなんとも言えない表情で親友の苛立ちを抑える。

「てゆうか、この男ほんっと起きないわね。おら起きろ!儀式!」

「んごっ・・・ってぇな何すんだよナズナ」

「そろそろ出るから起こしたの!ほらとっとと立つ」

 ナズナが肘掛にしていた頭にそのまま肘を振り下ろすと自分の頭を肘掛にされていた少年は間抜けな声とともにテーブルに頭をぶつけ、恨みがましい目で安眠を妨げた犯人を半目で睨む。 顔を上げた少年の目元には放課後の仮眠をとっただけでは消えない濃い隈がこびりついている。寝ぼけ眼の少年、末木儀式(まつぎぎしき)はファミレスにある時計を見ると、針は18時を指すところだった。

 放課後のあとファミレスに入ってすぐに爆睡したため1時間半ほど眠れたはずだが頭に残る鈍痛のような眠気はいまだ自分を睡眠に引きずり込もうとしているようだ。

 このままではファミレスで二度寝することにもなりかねない。

「わり、んじゃ行くか」

 儀式は寝相と肘置きされていたためにすこし乱れた自分の白髪を手櫛で荒っぽく直しながら席を立ち上がる。

 そのまま会計をすましファミレスを出るとすでに辺りが暗くなっており。代わりに街頭と並び立つ店の光が辺りを照らしている。

「それじゃ、またね儀式、ナズナ。私と幹也はまだふらふらしてるよ」

「そゆことだ、この馬鹿一人にしておくと何しでかすが分かんねぇからな」

 そういうと彩芽は余る袖をペシペシと幹也の背中に叩きながら北区画エリアに向かって歩き出していった。

「お前はどうするんだ」

「私?私は帰るわよ、あんたも帰るのよね?どうせ道は一緒なんだし一緒に帰る?」

「いや、俺は薬味屋さんのとこ行かねぇと」

「そ、あんまり薬を飲み過ぎちゃだめだかんね。薬臭くって鼻が曲がっちゃうわよ」

「へいへい、善処しますよ」

 憎まれ口を叩くわりにナズナの表情は暗く、落ちた目線は自分の影を見つめている。

「あでっ、なにすんのよー・・・」

 ナズナの頭に儀式の手が乗せらせ、そのままぐりぐりと夕日色の頭を揺らす。

頭が抑えられ儀式の顔は見えないがそのまま儀式は口を開いた。

「気にすんな、もう慣れた」

その声には疲れと諦観がにじみ出ている。しかし不思議とその中に少し誇らしさが混じっているように聞こえる。

 それがどうしても悔しくて。

「っ!あんたはいつも・・・」

「じゃ、また学校でな。心配かけて悪い」

 儀式はそういうとナズナの頭から手を放してそのまま南区画の方へ歩き出す。

ナズナは苦虫をすり潰したような顔をして。

「馬鹿野郎・・・」

 腐れ縁の馬鹿に対して聞こえないと知りつつも心の一端を漏らせずにはいられなかった。

     ◆

富士山、それは遠い昔には日本で最も高い山であったといわれる。しかし現在誰が見上げても富士山が日本で最も高い山だとは思わないだろう。なぜなら富士山の頂上から中腹にかけてまるでスプーンで抉り取られたかのように消失しているのだ。

 そして、そんな抉られた富士の山の足元に広がるのは今ではもう誰も足を踏み入れられなくなった富士の樹海と呼ばれる青木ヶ原樹海が広がっている。

元々は富士山の北西にしか広がっていなかったこの樹海も長い時間を経て広がりついには富士山周囲を覆い尽くした。

現、富士山含め青木ヶ原樹海は世界の秩序を保つために創設された機関である人異保全協会が管理している。そのために人は一歩たりとも入り込むことができないのだ。

 しかし。人がいないはずの樹海にその少女は存在していた。

 だがその装いは少女には似ても似つかないものだ。

 黒い軍服。それが端的に少女の服装を言い表すのに適しているだろう。しかし一般的な軍服に比べ着ているジャケットにはポケットが多くついており、長ズボンの両足についているホルスターには一丁ずつ大口径の拳銃が収納されている。さらには腰に巻かれたボディバッグの下部には短刀さえも装着されていてその様は軍人というよりも傭兵のようだ。

 そしてその少女は全身に包んだ武器の重みをまるで苦にした様子も見せずに凜とした様子で木々の間に立っていた。

 少女の相貌はまるで機械のようだ。それは少女が自動機械で出来ているというわけではない。むしろ少女の顔立ちは整っている。むしろ整い過ぎているかのようだ。

瞳はまるで黄金を溶かしこんだかのような金色の瞳。右頬には刃物によってつけられたであろう切り傷が古い傷跡となっている。風に揺れる髪は暗闇を切り取ったかのような漆黒で乱暴に切られ不揃いであってもその美しさは微塵も損なわれてはいなかった。

 だがしかし少女の表情には感情というものが決定的に欠如していた。

虚空を見つめる少女の瞳には何が見えているのか。まるで数十年置き去りにされた骨董品のような儚さと無機質さを持つ少女。

 そんな彼女に話しかける声があった。

「名を名乗れ」

 少女に発せられた声はしかし少女の目線には存在しなかった。

しかし、少女はなんの動揺を見せずに木々の枝に視線を移動させる。

そこには一羽のカラスが止まっていた。

「聞こえなかったか、名を名乗れ」

 業を煮やしたかのようにカラスは再度そのくちばしを開いたようだ。

それを確認し軍服の少女も口を開いた。

「破軍所属、『神殺し』見習い。太刀乃栞奈(たちのかんな)

 鈴のような透き通る声で発せられた声は薄暗いこの樹海の中でも不幸の塊のようなカラスにも届いたようだ。

 少女の所属する組織と立場を聞いたカラスは再度そのくちばしを開く。

「此度、災厄の箱が浮遊都市に出現したようだ」

「浮遊都市というと、レトロクスでしょうか?」

「左様、レトロクスにて災厄の箱が発見された。此度はそなたに災厄の箱の監視ついてもらう」

「!?私が、ですが・・・」

 黒の軍服を纏った少女はそれまでの無表情を崩しカラスに向かって苦言を呈するような表情で顔を向ける。

「しかし、まだ私は見習いです。それほどの大役は他の『殺し』に任せるべきでは」

「否、此度の任務は『神殺し』の後継者たるそなたに命ずる。災厄の箱は不滅の箱。全てを殺す兵器たるそなたにこそふさわしい」

「そう、ですが。それでは災厄の箱の所在を求めます」

 栞奈がそういうとカラスは身をよじり、羽を一枚木々の上から地上へと落とした。

より詳細にいうならば少女に向けてだ。

 栞奈の手元まで舞い降りた羽は瞬きをする間に一枚の紙へと姿を変えた。

それを当然のように栞奈は掴みとると紙には一人の少年とその少年に関する情報が書かれていた。

「それが災厄の箱だ」

「?この少年が災厄の箱を所持している。ということでしょうか」

 災厄の箱とはそれ自体が謎に包まれている。

その形状も、その中身も。どんなものが入っているかは噂でしか分からない。

「否、文字通りの意味だ。その少年こそが災厄の箱なのだ。世界を滅ぼすに足る災厄をその身に閉じ込めいつ空の庭園から地上へ向けて災厄が振り撒かれてもおかしくはない。それが現状なのだ。だからこそそなたにその少年の監視を任せる」

 栞奈は手元の写真を見ると少し眉を寄せた。

「言わずとも分かるだろうが。そなたの任務は災厄の箱の監視、もしも災厄が振り撒かれるようならば」

「分かっております。その際は『神殺し』の力を持って殺し尽します」

「・・・よかろう。それでよい、だがしかしそなたはまだ見習いだ。よってこれより正式に『神殺し』を襲名させるための試練を与える」

 その言葉をカラスが発した瞬間、カラスは身を震わせるような仕草をした。

そしてなんとカラスの体はみるみるうちに肥大していきあっけなくカラスはその体を破裂させた。

 だが、その体から降り注いだのは肉片と血潮ではなく、何らかの文字が書かれた府と何十もの青白く光る結晶だった。それらは地面に落ちると輝きだし、輝く府と結晶が光の線で繋がれ地面に光の陣が浮き上がった。

「これは、降次と招来の術式ですか。しかしこの規模はまさか!?」

 弾けたカラス、いや式神には目もくれず栞奈は浮き上がる術式を見渡す。

 地面に輝く術式は栞奈に叩きこまれた魔術や降霊術の知識に該当するものはあった。

しかし該当する術式は魔術師や巫女が数百人規模で執り行って初めて成立するレベルの術式のはずだった。

 それを式神一体で代行できるはずがない。

だが実際には術式は成立し、起動を始めている。

「・・・そういうことですか。上はこの一帯を消し去るつもりでしょうか」

 地面に手を置き、霊脈の流れを感じるとカラクリが解ける。

富士の山から莫大な霊力がここの術式に流れ込んでいくのが分かる。

 富士山は遠い昔から霊峰として崇められていた。それは山の半分が抉り取られても変わることはない。

そして日本有数の霊脈の力を媒体として発動させようとしている。

さらに栞奈の知識にある発動されようとしている術式は召喚系の術式だ。

この二つの要因がそろっただけでいまから起きることに頭痛がしてきそうだ。

「さて、こういう時はどう言うのでしたっけ。あぁ、そうですね。鬼がでるか蛇が出るか。でしたっけ。・・・今回は蛇のようですね」

 そういうとボディバックから細い針のようなものを取り出し周囲に数百本ばら撒いた。

「インスタントアンカー手持ち600本、閃烈弾と破音弾、それと爆式弾は3つずつ。レーヴァテインの使用許可は下りていない。・・・・・死にますかね、これ」

 無機質な表情のまま、軽口を叩くという器用なことをしながら手持ちの道具を確認する。

 そして術式は発動した。

強い、目を焼くような光が辺りを照らした後、そこにそれは存在していた。

人が前傾姿勢でいるようなその姿、表皮は蛇のような鱗で顔は蛇そのものだった。

鋭いかぎ爪を生やした指はあらゆるものを切り裂くだろう。

 それは(みずち)と呼ばれる最高位レベルの精霊だった。

水を司るこの大精霊の力量はたとえ数十人の抗異師が入念な準備を半年間行った上で何重っもの作戦を一つのミスもなくクリアしてようやく封印ができるかどうか、といったレベルのもはや災害にも等しい生命体だ。

 それに一人で挑むなど自殺以外の何物でもない。

 否、だからだろう。これからその災害にも等しいものを全て閉じ込められているといわれている『災厄の箱』をたった一人で監視するのだ。

 このような災厄を一人で御しきれないようでは話にならない。というところだろう。

「勝手に呼び出されて、勝手に殺されるとは。自分勝手ではありますが私の都合であなたを殺します。謝罪も懇願も許しも乞いません」

 そう独り言を話すと、未だ召喚されて戸惑っている蛟に向け、太ももから抜き出した大型拳銃の一丁を右手に構え銃口を向ける。

「『神殺し』見習い、太刀乃栞奈参ります」

 その次の瞬間銃口から火花と轟音が辺りに響き、聖銀製の銃弾が蛟の頭を正確に吹き飛ばした。

吹き飛ばされた頭部は血液や体液ではなく、富士山から流れ込んだ霊脈の奔流が溢れ出す、だが。

「やはりだめ、ですか」

 まるで時間を巻き戻すかのように、蛟の首元から吹き飛ばした蛟のパーツが再生していく。

魔に連なるものに絶大な威力を誇る聖銀製の弾丸であるが、元々が神聖なものである蛟には一時的に動きを止めるレベルのものだった。

 さらに自分の頭がたとえ再生するとしても、吹き飛ばされたことによる不快感によって蛟はようやく栞奈を認識した。

「!起爆っ」

 栞奈は先ほど周囲へばら撒いたインスタントアンカーのうち、蛟と自分の間に刺さっているものを起爆させた。

 小規模ながら常人の腕一本ほどならば吹き飛ばせ威力を持つ。

そのその衝撃波を受けながら真横に飛ぶと、それまで栞奈がいた場所には蛟の鋭いかぎ爪が突き刺さっていた。

 その速さと鋭さは、初動を見て一瞬でも迷えばそのかぎ爪は常人よりも少し頑丈な栞奈の体など豆腐のように切り裂かれるだろう。

 先ほどは蛟と栞奈の通り道に爆発の壁を生じさせ、わずかながらでも蛟の速度を落とさなければその予想は確実に起こっていただろう。

 今さらながら叩き込まれた知識の中でも最上位の精霊に一人で挑むという意味がわかったような気がする。これは一人で挑み勝機を見つけ出せるようなものではない。

「ですが、私は『神殺し』たかが精霊如きを殺せずにその名を襲名しようとは思っていません」

 効果の無い拳銃は放り投げ、蛟の行動をよく観察する。

蛟はようやく本調子が出てきたのか、蛟の周りに水滴が浮かび上がる。

蛟は腕を横なぎに振るう。

 その動作を見た栞奈は己の直観を信じて、近くの木へ飛び移る。

その脚力はただの人のものではなく。彼女が普通の人ではないことが分かる。

 そして、蛟の振り払われた腕の軌跡には水の刃が形成され射出されていた。

水の刃は栞奈の後方にあった木々を切り倒し辺りに生木が倒れる騒々しい音が響き渡る。

 栞奈はボディパックからグレネードのようなものを2つ取り出すと、蛟に向かって投擲する。

蛟は投げられたそれがなんなのか分からず見つめているが、それは悪手だった。

敵から目をそらし、身に着けている軍服の袖に目を押し付ける。

次の瞬間、蛟に放ったグレネードに似たものから竜の咆哮にも似た轟音と直接目にすれば目を焼き尽くすような光が発生した。

 顔面の目の前で爆音と強烈すぎる光を浴び、声を出せないものの身もだえるような動作をする蛟。

 本来実態を持たない精霊だが、今は実体を持って顕現させられている状態であるため、通常の生物のように視覚も聴覚も働いている、それゆえ感覚器官をもろに攻撃する武器は有効であるようだ。

 しかし、普通の生物なら失明し。鼓膜を破られ平衡感覚を完全に失うところではあるが、さすが高位精霊。見た限りではあと数秒もすれば視力を取り戻し平衡感覚も取り戻すだろう。

「起動、連結、四神結界」

 自身の乗っていた木の枝から蛟に向けて跳躍。それと同時に蛟の周囲にばら撒いたインスタントアンカーのほぼ全てを起動させ、術式を発動させる。

 その途端周囲のインスタントアンカーが先ほどの式神が術式を発生させたのと同じようにそれぞれが光の線で繋がり、命の取り合いをしている最中でなければ美しいとすら言えただろう。

 光の線は幾十も交差しながら平衡感覚を失っている蛟の四方を囲み、一つの結界を完成させた。その結界は蛟の自由を奪うかのようにその体にぴったりと張り付くように形成されていた。

 発動させたのは東西南北を四神に見立てた、封じ込めたモノを縛り付ける結界だ。

 栞奈は腰の短刀を引き抜くと、立っていた枝から蛟へ向けて跳躍した。

その気配を感じとったのだろうか、蛟はぎちぎちと結界を破ろうと体に力を籠める。

栞奈が手持ちの媒体をほぼ全て使用した結界を使用した現在使用できる最高硬度の結界だが、あとおそらく1秒ほどで完全に壊されるだろう。

だが、1秒あれば十分だ。

 栞奈は己の身に宿るたった一つの、それでいて絶対の力を短刀に宿す。

「『神よ、死に給え』」

 紅い霊力を纏わせた短刀を蛟へ向けて振り下ろした。

それと同時に結界が敗れる音と肉を突き破る音が同時に響き渡った。


「被害、軽微。なんとかなりました、ね」

 両者の姿は対称的だった。

栞奈は結界を一部破壊した蛟の鋭い爪が左肩に突き刺さり、溢れ出す血が黒い軍服をどす黒く汚している。

 それに引き換え蛟は短刀を胸に刺されたまま、血も流れず。まるで時が止まったかのように静止しており動き出す気配が感じられない。

 そして突き刺した短刀をするりと栞奈が引き抜くとまるで霧のように蛟の体は崩れ去ってしまった。

 そして当然のことながら肩に突き刺さっていた爪も消失し、肩に開けられた風穴から先ほどとは比べものにならない勢いで血が吹き出してきた。

 常人であれば即座に病院へ駆け込み医者を卒倒させるような傷だが、栞奈は腰のボディバックを動く右腕でまさぐり一本の注射器を取り出した。

 そしてそのまま左肩にそれを突き刺し、中の液体を自身に投与した。

 その変化は劇的だった。それまで血が噴き出していた肩の傷口がみるみるうちにふさがっていきやがて破けた軍服からはきめ細やかな白い肌が覗かせていた。

「見事、危なげなく蛟を仕留めたな。太刀乃栞奈、いやこれからは『神殺し』と呼ぼうか』

「・・・いまのが危なげなく見えたのならば、さぞ大戦時は楽勝だったのでしょうね。師匠」

 気が付くと先ほどの繰り返しかのように式神で作られたカラスが木の枝から栞奈を見下ろしていた。

だが、口調には先ほどの事務的な硬さはなく、どこか弟子の成長を喜ぶかのような柔らかさが混じっていた。

「一応私は反対したんだけどな、上ががらにもなく出しゃばってきていてな。まぁお前なら生き残るとは思っていたが、もう少し長引かせてもよかったんだぞ?」

「私には派手な魔術も術式も使えませんので。相手が力を出す前に仕留めなければあっさりと殺されてしまいますよ」

 一応試練が終わったのだと実感し、疲労感と失った血による眩暈で思わず腰を地面におろす。

「それで、私はいつレトロクスへ出発するんでしょうか」

 これからのスケジュールを自身の師匠か操る式神へ訪ねる。

初めての任務でこそないが今までの任務とは比べ物にならないであろう困難が待ち受けているであろう任務だ。出発までに可能なまでに準備をしなければ。

「明日だ」

 だがそんな計画も師匠兼メッセンジャーであるカラスの声に思考が止まった。

「・・・よく聞こえませんでした。血が抜けているせいでしょうか。すみませんがもう一度お願いします」

「・・・明日だ」

 栞奈の無表情がもはや表情が抜け落ちたと表現してもよいぐらいに生気が抜け落ちていく。

 そんな弟子の肩に式神のカラスが降り立つ。

「ごめんて」

 そう軽く言うとカラスは周囲に転移系の術式を展開させる。

「私、そろそろ死ぬんじゃないですかね」

その声にカラスは答えず、完成させた転移術式を発動させた。栞奈(かんな)


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