幼馴染み以上、恋人未満
「今日も何とか無事終わったか……」
そう言って俺は椅子の背もたれに体を預けた。
既にこの身体になってから半年近くになるが、やはり色々と慣れないモノはある。
何処かの有名な漫画の台詞を借りるのであれば、「ありのまま起こったことを話すぜ? 朝起きたと思ったら女の子になってたんだ。何を言ってるのかわからないと思うが、俺自身、何が起こったのかわからねぇ」といった感じだった。
あれから病院にかかったり色々検査したが、遺伝子的には性別が異なる以外は全くの同一人物であり、原因も不明であれば戻る方法も不明ということで、やむなく女の子として残りの一生を過ごすことになったわけだ。
今日も今日とて、未だ慣れない月のモノと格闘しながらの授業を終えたところである。何とか一日を乗り切った、と溜息を吐いたところで、幼馴染みの一馬が俺の顔をのぞき込んできた。
「お疲れさま。やっぱり女の子の日は辛い?」
ペットボトルのホットレモンティーを俺に渡しながら、一馬は自分のホット緑茶を口に含む。
「正直辛いなんてモンじゃねぇよ……。この日が来る度に思うけど、ホント、よく女子はこんな辛いのを耐えられるな、って実感してるわ」
そう言って俺は自分の机に突っ伏した。一馬から貰ったホットレモンティーをお腹に当てると、幾分か辛さが和らぐ気がするから不思議だ。
「女子は小さい頃からソレと付き合ってるから、水輝よりなれてるんじゃない?」
「あー……それはあるかも……。中学生の妹が、どうすれば良いか判らなくて慌ててる俺よりも落ち着いてて、色々処理してくれたのは衝撃だったしな」
女の子になって初めて月のモノが来て慌てふためく俺に、アレしてコレしてと、テキパキ指示を出してた妹を思い出して苦笑する。
「ブラの付け方とかお手洗いの方法とかはあっさり慣れたんだけどやっぱりコレばかりは慣れないわ……」
やはり日常的なものはやらざるを得ないので流石に慣れた。最近は妹に叩き込まれて髪の毛や肌の手入れまでするようになってきているあたり、徐々に男を捨ててるような気がしてならない。
「そういえば水輝、女の子になったばかりの頃より、大分女の子らしくなってきたよね」
「むぅ……。余り嬉しくねぇぞ、それ……」
今は女の子なので、男だったときよりも身だしなみなどには気を付けるようになったのは間違いないが、それはあくまで女の子として人前に出ても恥ずかしくない、最低限のものでしかない。流石に化粧は元男として非常に抵抗がある。せいぜい女の子になる前から使っていたリップクリームを色つきのものに変えたくらいだ。
「お世辞抜きに、今の水輝はトップクラスの美少女だと思うよ?」
「元男としては全く嬉しくない台詞だな、それ。女の子としては物凄く嬉しいんだろうけど」
たまに一馬はこういう事を平気でサラッと言ってくれるので、気を付けてないとドキッとする。
俺は話題を逸らそうとして、周りが騒がしいことに気が付いた。
「ところで一馬。何か女子が騒がしい気がするけど気のせいか?」
一馬との会話に集中してた俺は、いつにも増して女子たちが浮ついているような気がして仕方がなかった。
満面の笑みで教室に戻ってきた女子がいたかと思えば、涙ながらに戻ってくる女子、果ては物凄く挙動不審に教室の中を覗いている女子など、いつも以上に騒がしい。
「……水輝、それ素で言ってる?」
俺は何のことを言っているのか判らず首を傾げた。
「今日は2月14日。これだけ言えば判るんじゃない?」
色々とあって忘れていたが、日付を聞いて俺は今日が何の日だったかを思い出した。
「うまい棒の日?」
「何でさ」
うん、ボケてみただけだ。ちなみに、今日は本当にうまい棒の日だったりする。
「なるほど、そりゃみんな一喜一憂するわけだ」
お腹に当てていたホットレモンティーを取り出し、封を開けて一口飲む。程良い甘さが口に広がり頬が緩む。
「女の子になっても、相変わらず幸せそうにレモンティーを飲むね、水輝は」
そう言って一馬もお茶を飲む。
「そりゃ、元々レモンティーが大好きだからな」
体は女の子になっても心まではそう簡単に変わらないもので、俺はバレンタインというと、未だに貰う側のイメージが強い。
一馬もそれは判っており、そういった話題は一切振ってこなかった。
正直、周りには女の子になったんだからもっと女の子らしく暮らせとは言われるものの、そう簡単に今までの男性としての経験値を捨てろというのは無理な話だ。
「……そういえば一馬、お前今年は何個貰ったんだ?」
こう言うのもなんだが、一馬はモテる。去年なんかは義理抜きで10個ほど気合いの入ったチョコを貰っていた。ちなみに俺は、そのおこぼれで義理を10個ほど……。幼馴染みとして誇らしい反面、男として悔しい思いをしていたのは言うまでも無い。
「ああ、今年は全部断ってるよ」
なんで、とは聞けなかった。何故か理由を聞くのを躊躇ってしまったのだ。その理由はわからないが、どこかでほっとしている自分がいた。
「何というか、水輝が大変なことになってるのに貰うのも気が引けるなって思ってさ……」
「なんでさ」
別に俺に気をつかう必要は無い。そう言おうとしたところで一馬は二人だけの秘密を口走った。
「それに水輝、女の子になりたてのとき、興味があるからって僕のこと……」
「ちょっと待て一馬、ここでそれはまずい。いくら周りがお祭りムードだからって、言って良いことと悪いことがあるぞ」
俺は慌てて一馬の言葉を遮って周りを伺った。うん、誰も聴いてないな。
あのときのことは、正直若気の至りというか、男としての興味が勝ったというか、最初はよかったけど後半はただひたすらに痛いだけだった。正直今となると物凄く恥ずかしい事案である。
「水輝、耳まで赤くなってるけど、ひょっとあのときのことして思い出した?」
「思い出してない! 思い出してなんかないからな?!」
俺は全力で否定するが、これでは思い出してるって言ってるようなものじゃないか。自分で言ってて余計に顔が熱くなるのを感じて、それが余計に自分自身を慌てさせる。
「ぐ……ぅ、一馬、お前わざとだろ?」
苦し紛れに一馬を睨み付けるが、位置的な問題で上目づかいになってしまうのが悔しい。
「さて、どうだろう?」
一馬はさらっと受け流しやがった。
「少なくとも僕は、成り行きとは言え、大切なモノをくれた人に不義理を働きたくないんだ。義理なのか本命なのかよく判らない渡し方してくる人もいるし、それなら最初から貰わなければ良いじゃない?」
一馬の言葉を聞いて俺は、なるほどな、と思った。きっと一馬がモテるのは、こうやって相手のことを思いやる姿が格好良く見えるのだろう。
認めたくないが、俺ですら一馬に一瞬ときめいてしまった。
だが、それと同時に呆れも抱く。
一馬は、自分自身が初めてを散らしてしまった俺のことを気遣っているのだ。原因は俺にあるにも関わらず。
「まったく、一馬は気にしすぎだ。あれは俺自身が興味本位でやったことなんだから気にするなよ」
自分ではそう言うモノの、あれから何度もそのときのことを思い出してしまうのは、きっと欲求不満なんだろう、と思い込むことにしている。そうしないと、色々とヤバい気がしたから。
「それでも、だよ。あの時の水輝は色々不安だったんじゃない? だからその不安を、別の何かで埋めようとしてあんなことをしたんじゃないかな」
本当に一馬は色々と気が利くし気付いてくれる。何か、俺自身よりも俺のことをよく判ってそうだ。
「とはいうけど、そう深く考えるなよ、一馬」
そう言って俺はレモンティーをほんの少し口に含んだ。
飲み込みはしない。
ゆっくりと席を立ちながら机の中に忍ばせていた包みを、左手で出来るだけ見えないように取り出す。
右手を一馬の首に回して、自分の体重をつかって屈ませる。
そして一馬の唇に口づけをした。
さっき口に含んだレモンティーで湿った舌を一馬の口に割り込ませ、舌同士を絡ませる。
ほんの少ししたら唇を放し、唇から少し溢れたレモンティーを手の甲で拭う。
呆然としている一馬に、チョコを手渡しながら俺はニヤリと笑った。
「どうだ一馬、ファーストキスはレモンティーの味ってな。あとこれ、俺からのバレンタインチョコな。結構チョコ作りって面白いのな……。妹がクラスのヤツにあげるからって付き合いで作り出したは良いんだけど、思いの外面白くて普通に手の込んだヤツつくっちゃったよ……って、おい、どうした?」
いつも割と冷静な一馬が顔を真っ赤にして唇を触りながら固まっている。
というか、クラスの空気も物凄く固まってる気がするんだが……。
それから少しして、俺は自分自身がとんでもない事をしでかしていたことに気づき、羞恥で顔が熱くなっていくのを感じた。
「ぁ、いや、その……ぎ、義理だぞ、義理!! あと、それはだな、深刻な顔をしてたから驚かせてやろうと思ってやっただけだからな?! 他意何か無いからな!!」
俺は余りの恥ずかしさに、チョコを持って固まったままの一馬を放置して教室から飛び出した。
飛び出した教室から歓声やらなんやらが聞こえるが、俺はそれらを無視して走った。
変な胸の高鳴りや、頬が熱いのは走っているからだと自分に言い聞かせて。
でも、何か変に嬉しくて、俺は唇を触りながら頬を緩めて走るのだった。