記憶の狭間にて
この画面を開いてくれたそこのあなたに感謝を。
第1章 始まり
◇ ◇ ◇
何も無い、白い世界に春人は居た。
声が聞こえる。自分の声が。
――本当は、覚えているんだろう?
何を......言ってるんだ?
――オレはお前だ。覚えていないはずが無いだろう?
お前は......お前は誰なんだ?
そう考えた瞬間、目の前に自分の姿が現れる。
『お前はオレだよ。見れば分かるだろう?』
彼は確かに春人の姿をしていた。が、細部が微妙に異なる。
「お前は......知らない。僕は......お前を知らない」
彼の髪は毛先が僅かに白く染まっており、一人称が僕ではなく、オレになり、何よりも、目が違った。ギラつく彼の目は、まるで獲物を狙う獣のように鋭い。朝に鏡で見た頼りない自分の姿とは、あまりにもかけ離れている自分の姿。
『全く......オレはお前の中でずっと隠され続けて来たもう一人のお前だよ。分かるだろう?』
認めたくはない。だが、知っている。奴は、春人がずっと心の中で無意識に殺し続けていた、もう一人の春人だ。
『分かるよなぁ? オレがどうして出てきたのか、分からないお前じゃあないよなぁ?』
「? どういう事だ?」
『オイオイ、本当に覚えてねーのかよ。ったく......仕方ねぇ、オレが思い出させてやるよ!』
肩を竦めてそう言うと、もう一人の春人は、春人の頭へと手を伸ばしてくる。
周りが全て真っ白なため、遠近感がよく分からないが、春人には腕がニューッと伸びて来るように見えた。
――ッ!
咄嗟に頭を捻って躱そうとするが、動かそうとした頭は金具で固定されているかのように、ビクとも動かない。目だけは動かせるようなので、掌が目前まで迫った所で、感じる恐怖が命じるままに目を瞑った。
――あ......あぁ......――
瞬間、溢れ出て来る記憶。記憶の奥深くに隠してあった悪夢の金庫が開かれた。
――止めろッ! 止め......アアァァァ!!
もう二度と思い出したくないと願った、そう願ったはずだったのに。
『ハハッ! 傑作だなぁ!? オイ、大丈夫かぁ!?』
「あぁ......ごめん、ごめん、ミナト......僕は...…ボクは……オレはァァァ!!」
全ての記憶が解き放たれた時、そこにいたのは、もう以前の春人では無かった。
『どうだ? 生まれ変わった感じは?』
《オレ》がニヤニヤしながら聞いてくる。だが、こちらの返事など決まっていた。
「あぁ、最高だよ......最高だ!!」
髪の毛先は白く染まり、目がギラついている、以前の彼からは想像出来ない凶暴な風間春人の姿が、そこに在った。
『クククッ! お前はオレだ。忘れるなよ? もう、お前は以前のお前じゃあない』
「そんな事、とっくに分かってるさ」
ゆっくりと、しかし確実に、もう一人の春人は変貌した春人の下へと近づいて来る。しかし、もう彼の心の中に恐怖は無かった。
――受け入れるさ、オレも、過去も。
遂に目前まで《オレ》が迫った時、不意に彼は口を開いた。
『――でも、お前が求めるなら、オレは僕にも成れるだろうさ』
思わず瞬きをして、もう一度目の前の《オレ》を凝視する。
そこには、ありふれた日常の中に居た、以前の《オレ》が居た。
「お前......」
『そういう事だ、お前は僕にもなれる。自分で決めろ。お前は僕で、お前はオレなのだから』
もう一度瞬きをすれば、また凶暴な姿のオレが居た。
――そうか、オレは......
『頑張れよ』
遂に、もう一人の春人は、春人と重なり......残ったのは先と変わらぬ、変貌した春人の姿だった。しかし、その目は先ほどより、少し和らいだように見える。
「――......そろそろ、起きるか」
目を開ければ、どんな世界が広がっているのだろう。そこは、多分とても大変な所で、色々苦労するだろうけど......それでも春人は、なんとかなるだろうという、予感とは違う、確信のようなものを感じていた。
ここまで見てくれたそこのあなたに感謝を。