変わらないと信じていた日々 後半
この画面を開いてくれたそこのあなたに感謝を。
いつも通り、いつも通り過ぎる憂鬱とした時間が過ぎる。
――キーンコーンカーンコーン――
その時、定番のチャイムが鳴り響き今日の授業の終わりを告げた。
「今日って『ドロえもん』あるじゃん?」
「そうだな」
「僕毎週欠かさず見てるんだけどさ......毎回思うんだよ。ジーアンがアニメと映画で性格変わり過ぎだろ!? ってな」
「あぁ......それは俺も思った。てか、ノベタも異常だよな。映画補正であいつ急に格好良くなるからな......変わらないのスナオだけだろ」
「あいつもあいつで映画になると若干勇気出すけどね......」
クラスの皆がそれぞれ雑談をしながらも荷物をまとめ、ある者は部活へ、ある者は帰宅を始める。そんな中、風間春人もまた、親友の西野五郎と雑談に興じていた。
「ほら、教室閉めるから、さっさと出なさい」
何時までも話を続ける二人を見かねたのか、先生が声を掛ける。実際はまだ日直が黒板を変えたり色々あるので、まだ教室が閉まる事は無いのだが、話を止めるいい切っ掛けになったので、元々用意してあった荷物を手に、これまた定番のセリフを吐いた。
「「はーい、さよなら先生」」
今日は部活が休みらしいコゴローと、帰宅するために教室を出る。その時――
「――春人さん、私もご一緒して良いですか?」
と、こちらの機嫌を窺うかのような、慎重な声が後ろから掛かる。その正体が誰なのかは把握している。ここまでこちらに対して慎重な行動を取る人物は一人しかいないからだ。しかし、相手が分かっているからと言って、背中を向けて会話をするのは良くない。だから春人は、振り向きながら返答した。
「もちろん。一緒に帰ろうか、風間さん」
「もう、千恵でいいって言ってるのに......」
彼女は風間千恵。
肩まである淡い栗色の髪を膨らむようにふんわりとまとめたおっとり系美少女で、それなりに男子生徒から人気がある。
が、大体の生徒が彼女が春人狙いなのを知っているため、手出しをする者は少ない。春人自身は気がついていないようだが。
「風間、風間って、自分の名前呼ぶの恥ずかしくないんですか?」
そう、彼女の名前もまた、風間なのである。が、別に兄弟というわけでもなければ、親戚という訳でもない。ただの偶然だ。最も、彼女はそうは思っていないようだが......
「こうやって私達が出会ったのは運命なんですから、下の名前で呼び合いましょうよぅ……」
正直、下で呼ぶ方が春人にとっては上で呼ぶより数十倍恥ずかしいのだが、なんだかんだ言って春人も千恵が嫌いではない(むしろ好意をもっている、もちろん、恋愛的な意味では無くだが)ので、仕方無く、それはもう仕方無さそうに、肩を竦めて言った。
「分かったよ、千恵」
「――!」
千恵はその一言だけで、顔を真っ赤にして俯いてしまうので、どんな表情をしているのか分からないが、きっとニヤニヤとしているのだろう。
「はい、お二人さんイチャつかなーい。全く、このリア充共が......爆発しやがれ」
コゴロー、女子からの人気無し。裏で流行っている『彼氏にしたいランキング』でなんとワースト五位。坊主&低身長はかなり効いたようだ。顔はそこまで悪くは無いと思うのだが......
「な......イチャついてるってお前! 僕は別に......」
「あーはいはい、言い訳しない」
ともかく、春人にとっては自分がイチャついているという自覚が無いため、慌てて訂正するが、普通にサラリと流されてしまった。
「ほ、ほら、春人さん、早く帰りましょう!」
ようやく恥ずかしさから脱したのか、顔をガバッと上げて、千恵は春人の手をさりげなく引く。しかも地味に力を入れて『離しませんよ』と心で言っているあたり、彼女も大概である。
「ま......そうだな、早く帰ろっか」
そしてそれをスルーして普通に手を握り返しているあたり、彼もさらに大概である。
「ハァ......」
そんな光景を見せつけられながら、ため息をつくしか無いコゴローは苦労人である。
◇ ◇ ◇
――そんな、こんなにも、あっさりと......
それは下校中に起こった。
千恵は文芸部に所属しているが、文芸部は部活の活動日が少ないため、部活の無い日はいつも一緒に帰っている。そう、ここまではいつも通りの日常の光景だったのだ。しかし、今日はそんな日常の中に一つの異物が紛れ混んでいた。
全身真っ黒な服、紳士のような帽子、体は痩せこけているのに、背は185はありそうな長身。後ろを向いているので顔は見えないが、纏っている雰囲気が確かに示している。そうだ、あれは――
「「父さん?」」
――......ちょっと待て、今なんかもう一人言わなかったか?
ゆっくりと、隣にいる千恵の顔を見る。千恵は春人が言った事に気づいていないのか、それとも、分かっていて動かないのか、ジッと男を見つめて固まってしまっていた。
とにかく、だ。今は千恵の父かもしれない云々は置いておいて、3年間も妙子を放置したあの男にちょっとお灸を据えてやる必要がある。そう、一発殴ってやるのだ。
春人は繋いでいた手を離すと(今までずっと繋いでいたため、町の人には生温かい目で見られていた)明らかに周りで浮いている父らしき人の所へ向かう。
が、男も気配に気づいたのか、明らかに不自然な挙動を取りながら、裏路地へと歩いていく。
もちろん、春人が逃がす筈もなく、歩くスピードを少し速めて男が入っていった裏路地へと足を踏み入れた。
千恵も何か思う所があるようで、少し固めた表情で春人の後ろをついて来る。
コゴローは、未だに何があったのか分からない、といった困惑した顔をして千恵の後ろをついて来ていた。
「――やぁ、久し振り」
男、風間隆介は裏路地を二回右、左と曲がった所で、なんと座して待っていた。
「......今まで何やってたんだよ! 母さんがどれだけ苦労したと思ってるんだ、父さん!!」
そのふざけたような態度に春人は腹を立てて、迸る激情のままに言葉を紡ぐ。
未だに紳士のような縦長の帽子を被って座っているため、顔は口元しか見えないが、その口元が僅かに笑っていたのもその原因だ。
「――すまないが、その質問には答えられない。君達には、やってもらうことがあるのでね」
千恵は最初から何も言わずに覚悟を決めたかのような、厳しい表情をしていた。もしかすると、今日何かがある、ということが最初から分かっていたのかも知れない。春人は気づいていないが。
「――?」
コゴローは自分を指差して、『え? 俺も?』と言っている。実際には言っていないが、顔が言っていた。しかし、隆介はそのような事が意に介する素振りも見せず、淡々と意味の分からない言葉を並べる。
「すまないな、君達は沢山苦労をするだろう。しかし、それは後に必ず君達の為となる。全ては計画通りだ」
「何ふざけた事言って......!」
訳の分からない事を言い始めた隆介に向かって、一発ド突いてやろうと拳を振り上げようとする。しかし、それは叶わなかった。何故なら、突然頭にブスッと何かが刺さったかと思うと、急に力が抜けていき、その場にうつ伏せで倒れてしまったからだ。ドサッという音が春人のものを除いて二つしたので、恐らくは二人共春人と同じ状況なのだろう。
――あぁ、駄目だ、意識が――
このまま意識を失えば、何か大変な事になると、脳が警鐘を鳴らしていたが、必死の抵抗も虚しく、見える世界が朧気になって行く。
「――ようこそ、ヨルムンガルドへ」
最後に聞こえた声はそんな言葉だっただろうか。
遂に限界を迎えた意識は真っ白に染まった。
◇ ◇ ◇
第0章 日常 完
ここまで読んでくれたそこのあなたに感謝を。