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月は日増しに丸みを帯びて、ついにその日がやってきました。今夜、満月が昇ります。空はふたりの再会を祝すかのように、朝から気持ち良く晴れていて、これなら月も綺麗に見えそうです。
「会えるわね、今夜」
松子が言うと、結鶴は強張った声で「ええ……」と答えました。一刻も早く会えるよう、明るいうちから町へ入り、夜になるのを待つと言ったのは彼なのに、随分と頼りないものです。
「しっかりしなさいよ!」
完全に緊張している結鶴の背を強く叩き、松子たちは町へ出発しました。
町へ到着した松子は、ふと違和感を覚えました。
「なんだかいやに騒がしいわねぇ」
もともと賑やかな町ですが、今日は賑やかさのなかに平素とは違う慌ただしさが混ざり、町全体が奇妙な熱を帯びているのです。
「あの、何かあったのですか?」
松子が思わず道行く男に訊ねてみると、相手は興奮気味に答えました。
「今夜、かぐや姫を迎えに月から使者が来るって話だ。嘘か誠か知らねぇが、とにかく屋敷の翁は今、必死に護衛をかき集めてる。報奨金もたんまり出るってんで、もう朝から大騒ぎよ!」
「おい、俺たちも早く行こうぜ!」
知人らしい男に誘われて相手が行ってしまうと、松子たちは顔を見合わせました。
「どういうこと?」
「わかりませんが……月ではもうかぐやの居場所がわかっていたっていうのか……」
「そんな……どうするの?」
「とにかく、月の使者より早く、かぐやのもとへ行かなくては!」
絶世の美女かぐや姫、彼女をさらう月の使者、対する護衛と報奨金、非日常に沸く喧騒のなかを、ふたりは走り出しました。
夜、かぐや邸には大勢の護衛が集まっていました。そのほとんどが戦になど慣れていなさそうな町人でしたが、数だけならばどんな軍勢とも張れる迫力があります。たった一日でよくもこれだけの人間が集まったものだと感心しながら、松子もそのなかに立っていました。昼間、急ぎ町で整えた戦支度のおかげで、女ながらも目立つことはありません。隣に立つ結鶴はそれなりに様になっていて、凛々しい若武者のように見えないこともありませんでした。
「馬子にも衣装ね」
小声で茶化すと、若武者は弱々しい声で謝りました。
「すみません、松子さん。こんなに巻き込んでしまって……」
「今更なに言ってるの。それにここまできたら、是が非でもあんたたちに再会してもらわなくちゃ。私だって気が済まないわよ」
そのとき、即席の護衛団の前に翁が進み出て言いました。
「間もなくこの屋敷の真上に月が昇る!良いか!必ずや姫を守るのだ!」
真っ赤な顔をして大声を張り上げる翁は、身なりこそ煌びやかなものの、ごく普通の翁に見えました。かぐや姫を失うことをよほど恐れているのでしょう。姫を守れ、守ってくれと叫ぶ声は、もうほとんど泣いているようです。
「あの方が、かぐやを……」
翁を真っ直ぐ見据えて、結鶴が呟きました。
「父親同然……いや、もう父親だわ」
翁の声を聞きながら、松子も囁くように言いました。
人員配置の指示が飛ぶなか、松子は鎧を脱ぎ捨て、下女に扮して屋敷のなかへ入ります。姫を隠しているからでしょう。屋敷のなかは薄暗く、ひっそりとしていました。先ほど聞いたばかりの配置指示を思い返しながら、松子は広い屋敷を進んでいきます。指示によると、かぐや姫の居る最奥の部屋は特に護衛を固めるということでした。配置が終わるその前に姫を連れ出さなければ、屋敷を抜け出すことは難しくなるでしょう。松子は急いで最奥の部屋へ向かうと、御簾のなかへ声をかけました。
「失礼いたします。御尊父様より御言伝を預かって参りました。護衛を強化するため、かぐや姫さまに、お部屋を移られるようにとのことで御座います」
「まぁ、そんな話は聞いていないけれど……」
そう答えたのは媼でしょう。人員という人員は皆、護衛にまわっているので、姫の側には彼女しか居ないようでした。老いた声から、当惑していることが窺えます。
「急に決まったことです。早くお支度を!」
強い調子で急かすと、媼の影が焦ったように動きました。支度のために姫の側から離れたようです。すかさず松子は小声で呼びかけました。
「かぐや姫、結鶴に頼まれて参りました。早くこちらへ!」
言い終わるか終らないかのうちに御簾が翻り、中から姫が飛び出してきました。松子は抱きかかえるように、慌てて彼女を受け止めます。
「結鶴は?結鶴は何処?」
その声は鈴が鳴るように愛らしく、松子は同性ながら胸が高鳴るのを感じました。泣いていたのでしょうか。微かに濡れた瞳は、しかし美しく澄んでいて、じっと見ていると吸い込まれるようです。かぐや姫がきょろきょろと辺りを見回すたび、その艶やかな黒髪が清流の如く流れ、衣は花のように香りました。まさしく噂に違わぬ麗しさです。
「あの、結鶴は?何処に居るのですか?」
思わずぼぅっと見とれていた松子は、姫の声で我に返りました。
「失礼、結鶴ならもう屋敷の裏にまわっているはずです。急がないと!」
松子は姫の手を取り、裏門を目指して駆け出しました。
「こっちよ!」
外へ出ると、明るい月明かりが辺りを照らしていました。暗い屋敷のなかを進んで来たので、少し目が眩みます。急いで裏門へ向かうと、先に待っていた結鶴がふたりを見付けて駆けて来ました。
「かぐや!」
「結鶴!」
結鶴と姫はひしと抱き合い、再会の喜びを噛み締めます。そんなふたりを見守りながら、松子の瞳にも自然と涙が浮かんでくるのでした。しかし満月が屋敷の真上へ登るまで、もう時間がありません。
「さぁ、それくらいにして、今は早く逃げなさい!」
松子がそう促したとき、三人の背後から鋭い声がしました。
「お前たち、何をしている!」
驚いて振り返ると、そこにはわなわなと肩を震わせる、翁の姿がありました。その形相は怒りに歪み、先刻、護衛団の前へ出ていたときとは別人のようです。
「かぐや。こっちへ来なさい」
翁はつかつかと歩み寄り、結鶴の腕から乱暴にかぐや姫を引き離しました。
「お父様……どうしてここへ……」
震える声で訊くかぐや姫に翁は静かに答えます。
「儂はこれでも育ての親だぞ。お前が考えることくらいわかる」
冷静な彼の声が却ってその胸の内を伝え、松子は目を伏せました。月の使者という得体のしれない脅威にも怯まず、必死に護衛を揃えて姫を守ろうとするほどです。生みの親ではなくとも、共に過ごした時間が短くとも、翁の姫に対する愛情は、既に並大抵のものではないのでしょう。
「どうしてだ。どうして儂らのもとから去ろうとするんだ。それだけがわからない。教えてくれ。どうしてなんだ」
出会った日から、ありったけの愛情を注ぎ、大切に守ってきた娘が今、目の前で逃げようとしていたのです。次第にか細くなっていく翁の声を聞きながら、松子は胸が締め付けられるようでした。




