Daydream Like a Strawberry
…ここはどこ?
裸足のままで彷徨う少女は、真っ白なワンピースを着ていた。白装束を連想させるほどに真っ白なワンピースだった。
まだ覚めない夢心地な気分を引きずりながら、広がる闇に包まれて歩いていた。 前も後ろも分からないけれど、微かに聞こえる楽しげな笑い声。
…誰かいるの?
少しだけ、深く暗い闇の中に光が差し込んだ。床は黒い大理石で出来た床だった。
少女は笑い声が聞こえる方へと歩き出す。床はひんやりと冷たかったが、構わずぺたぺたと歩く。すると、笑い声の中から、誰かが囁きながら語りかけてくる声が聞こえたので、立ち止まり、耳を傾けた。
ーようこそ、私の素晴らしき世界へ。
差し込んだ光の筋がじわじわと太くなるにつれて、闇に隠れてた笑い声の主たちの姿が現れる。皆ドレスやタキシードを着て、煌びやかにおめかししている。楽しそうにダンスをしたりしており、その近くにあるテーブルには見た事のないようなケーキやフルーツが並べられている。
…あなたは誰?
ー僕は君だよ。
…私は1人しかいないよ?
ー君は僕でもあるんだよ。
…何を言ってるの? あなたはどこにいるの?
少女はキョロキョロと、声の主を探した。しかし、この空間にいるどの人も、少女には見向きもせずに踊り狂い、何かを食べている。
…ねえ、ここはどこなの? あなたはどこにいるの?
ーここはね、僕の世界。つまり、君の世界。
…みんな楽しそうにしてるね。これはパーティー?
ーそうさ。君もどうだい?
ふと背後に気配を感じた少女は、振り返ってみた。そこには黒いタキシードをきた、幼い顔の少年がいた。
ー僕はレイ。君はレイカ。
…どうして私の名前を知っているの?
ー僕は君だもの。君は僕だもの。
少女は目の前の少年の言う事に不安感を抱いた。少年はまっすぐに少女を見つめた。
…私はひとりしかいないの。私は私。
ーまぁいいや。よかったら君もパーティーに参加するかい? ケーキも迷うほどたくさんあるよ。
少年の両の手の上には、いつの間にかカップケーキがひとつあった。クリームの上に赤く小さなイチゴがのっていてる。カップケーキの周りには小さな白い蝶が舞っていた。
ーさあ、光が消える前においで…
少女は、少年からカップケーキを受け取った。さっきまでそこにいた蝶は、ひらひらと少女の頭上を舞い、少女の肩にとまった。
ケーキを口にした少女は、いきなり涙が止まらなくなった。
口の中で、クリームが甘く温かさを帯びてとろけるたび、赤いイチゴの甘酸っぱい風味が広がるたび、ケーキのスポンジ生地の柔らかい食感を噛みしめるたび、涙が溢れ出した。
少女の脳裏に、あの温かい涙が、あの赤い頬が、あの頬の柔らかさが蘇った。それはいつだって私のそばにいた、私を愛してくれたあの人の顔。母親の顔。
ーあらら、君はこの世界が気に入らなかったんだね。
少年は寂しそうに言った。
少女はただ泣いていた。自分で終わらせようとした小さなモノの大きさに。
みるみるうちに、差し込んだ光が再び細くなってゆく。泣きじゃくる少女を照らす光が消える。笑い声も少しずつ遠のいていくように、静かになっていく。肩にとまっていた蝶が、向こうの方へ飛んで行く。
ーおや…光が消えるね…
ドレスを着て踊っていた婦人も、何か食べていたタキシードの男の人も、白い蝶も、みんな暗い闇の向こうに消えてゆく。
ー残念だけど、君を還してあげるよ。つまらない現実にね。
…ねえ、あなたはどこに行くの?
ー僕はいつでもここにいるよ。でも、できれば二度と逢わないことを祈ってるよ。
闇が深くなり、少女の目には少年の姿も捉えることができなくなった。
…私が嫌い?
ーいいや…僕は僕が嫌いだけど、君のことは愛してる。
…私もあなたは嫌いかも。
ー僕のことを好きになんてならなくていいよ。帰れなくなっちゃう。君には…
待ってる人がいるんでしょう?
光が僅かに照らした少年の顔。少女には笑っているように見えた。
…ええ。楽しい幻想をありがとう。またね。
光も笑い声も少年の気配も消えて、暗く深い闇の中で、少女は眠気に襲われた。
間も無く、眠りに落ちた。
目が覚めたら、今度は真っ白な空間にいた。地味な服をきたたくさんの人たちが、悲しそうな顔をして座っていた。
ふと横を見たとき目に飛び込んできたのは、赤く柔らかな頬に涙を流しながら、少女の手を握るあの人の姿…待ってくれている人が、母親がそこにいた。
「麗香!」
少女はふと、あの時食べたカップケーキの味を思いだす。すると、その時と同じようにまた涙を流した。
周りにいた人も同じようにまた涙を流しながら、お見舞いだよと言いながらたくさんのケーキやフルーツを差し出してくれた。
「もう二度と……あんな真似しないでちょうだい! 私にとって、あなたを亡くすことがどれほど辛いかなんて……私にしか分からないでしょう?」
この人からもらった命だった。私は、そんな命ごとビルから、全部、投げ出したんだった。思いだした。
ーできれば二度と逢わないことを祈ってるよ
少年の声が聞こえた気がした。
…大丈夫よ、もう私の意志では二度と逢いに行きませんでしょうから。
差し出されたイチゴを食べながら、少女は彼を嗤う。彼は自分であると言っていたが、今はもう他人になれたと少女は思った。
真っ白な空間に、光が窓から差し込んできた。光は明るさを増した。少女の笑顔のようだった。