分身
あの不思議な事件から二週間。あれから全く変なことも怖いこともなく普通に過ぎていった。朝妻ともとくに話していない。
で、そんなことよりも前期期末試験の終わった俺たちは今、学生の一大イベントの一つ、文化祭準備に追われていた。他の学校は文化祭を秋にやるらしいがうちの学校は二期制だから夏休み前に行うことになっている。俺たちのクラスはお化け屋敷をするらしく、日に日に血にまみれた段ボールが増えていた。
俺の担当は大道具なのだが、これが中々きつい。教室や、廊下でペンキを使うと汚れるということで外で作業を強制される。その上、今は七月の暑さのせいで汗が出るわ出るわ。
ピッ、ガシャン。
自販機から落ちてきた飲み物取り出して、プシッと缶のふたを開けた。そして一気にぐいっと流し込む。あー、生き返った。こんなくそ暑い中で作業なんて確実に倒れてる奴いるだろう。学校側も対処してくれればいいのに。と心の中で愚痴っていると、前からうちのクラスの小林って奴が歩いてきた。
「小林!!」
「あ、やあ、佐倉君」
小林は伏せ目がちに答える。こいつはクラスで唯一の美術部だ。大変残念だが、我らがC組は体育会系がほとんど。だからこういった文化系には相当助けられている。その上、小林は美術部の中でも絵がめちゃくちゃ上手い。だから今回の文化祭のポスターや、看板などの色付けは小林がほとんど担当になっている。。……俺の中学での美術の成績? 3しか取ったことねぇよ。
「大変そうだな。 何か手伝おうか?」
「え!? いや、大丈夫だよ!! それに、佐倉君も忙しいでしょ?」
「別に大道具は人いすぎるぐらいだし、俺が抜けたところで何ともねぇよ」
「ありがとう! けど、本当に大丈夫だから」
「……そうか。あ、じゃあこれやるよ」
さっき買った、炭酸レモンジュースを小林に渡す。
「え、いいの?」
「おう。お前、頑張ってるし。あ、でも頑張りすぎるなよ? 俺になんか出来ることあったら手伝うし」
「う、うん。ありがとう!」
そう言って小林は俺とは正反対の方向へ歩いていった。
「ただいま」
「あ、佐倉。俺の分の飲み物買ってきてくれた?」
「買ってきてねーよ」
ぐでーんと寝そべる岡田の言葉を一蹴する。
「えー!! 何でだよ!!」
「自販機のところで小林と会ったからあげたんだよ」
俺の言葉に岡田は「ん?」と首を捻る。
「小林ならさっきまでここにいたぞ?」
「は? ……いやいや、そんなわけねぇよ」
俺は否定するが、岡田の方も譲らない。だが、嘘をついている様子でもなく、本気で言っている。けど、自販機からここまで最短ルートを使っても五分かかる。俺はその最短ルートを通ってきたのだから、小林が先にここに来ているのはおかしい。その上、小林は俺とは正反対の方向へ歩いていったはずだ。
「佐倉?」
「いや、何でもない。多分、俺の勘違いだ」
そうだ、勘違いだ。小林が遠回りの道の方を全速力で走ったのかもしれないし。
そう勝手に納得して、俺は作業を再開させる。が、岡田の方が声をあげた。
「赤ペンキ切れた……」
「とってこい。」
「うあ……。動きたくねぇ」
そう文句を言いながら岡田が立ち上がったその時だった。
ピーンポーンパーンポーン、と校内放送がはいる。
『二年C組の岡田竜司君、至急職員室まで来てください。郷田先生がお呼びです』
「……」
「何やったんだ?」
「この前のテストで赤点取って課題渡されたけど提出してないことぐらいしか思い当たる節がない」
「はあ……。しょうがねぇな、ペンキは代わりに行ってやるからお前は早く職員室行って叱られてこい」
岡田はスマン、と言い残し風のように去っていった。俺はため息をつきながら立ち上がる。
ガラッ――。
うわ、湿っぽい……。様々な道具のある工具室は汚かった。多分、色々なクラスの奴等が片付けずに出てったんだろうな。
「あれ、佐倉君?」
「うおあっ!?」
いきなり話しかけられ吃驚する。後ろを振り向くと小林がいた。
「な、何だよ。小林かぁ……」
「ご、ごめん。まさか、そんなに驚くとは思わなくて……。佐倉君は何か探し物?」
「ああ。赤ペンキが切れちゃってさ」
「それならここにあるよ」
そう言って小林は棚から赤ペンキを取り、渡してくれる。
「ありがとうな。俺もう行くけど、小林は?」
「僕はこの仕事があるからもうちょっといるよ」
「そうか。じゃあな」
俺は小林に別れを告げ、工具室を出る。うん、普通だったよな。いつも通りの小林だ。ほっとした俺はトイレに行くことにする。
「あれ?」
俺の目線の先には、小林と思える人物がいる。俺は華麗に踵を翻し、小林とは反対方向に歩き出す。まさか、まさかな。
しかし、もうすぐで俺たちの作業場に戻れると思った時、その途中の体育館倉庫近くで作業をしている、小林がいた。
小林があちらこちらにいる……?
「朝妻ああああああ!」
二年C組の教室に駆け込んだと同時に朝妻の名前を呼ぶ。 俺が声をかけると、いつも通りの朝妻が振り返った。教室には朝妻以外にも女子がいたが、そんなこと気にしている場合じゃない! ……と思ったけど、さすがにここで話すのはあれだから廊下に呼び出す。
「どうしたの?」
「あの、俺も何が何だかよくわかんねぇんだけど……」
「小林君のこと?」
「え!? 知ってんのか?」
「たくさんいるよね」
よかった。さすが、朝妻。説明する手間が省けた。ていうか、知ってるなら知らんふりしないでくれよ。
「これってヤバイよな?」
「うん」
「朝妻、頼む!! 何とかしてくれないか?」
「いいよ。けど、その場かぎりでしかない」
「どういうこと?」
煮え切らない朝妻の態度に違和感を覚え、俺は首を捻る。出来るってことは治せるんだよな。だけど、その場かぎりってどういう意味だ?
「一時的な対処しか出来ないってこと」
「それって、また小林が影分身みたいになっちゃうってことか?」
「うん」
「ならないようにする方法はないのか?」
「難しいと思う」
「……それでもいい。とにかくなんとかしてくれ」
「わかった」
はあ、と朝妻はため息をつく。しょうがないだろ! だってほっといたら大変なことになるのに見て見ぬふり出来るかよ!!
「でも、まずは本体を見つける」
「本体とかあんの!?」
「実際に見なきゃわからない。だから探そう」
「お、おう!」
こうして、俺と朝妻の小林大捜索が始まる。
体育館。
「あの小林は!?」
「違う」
購買。
「この小林は!?」
「違う」
渡り廊下。
「あっちの小林は!?」
「違う」
教室。
「こっちの小林は!?」
「違う」
校内を端から端まで探しまくってもういないんじゃね? と諦めかけたその時だった。
「いた」
「いたああああああああああああああ!?」
「うわぁ!! さ、佐倉君?……と朝妻さん?」
朝妻が指差す方には小林(本物らしい)が看板に色を塗っていた。
「お前、色んなとこに居すぎだ!!」
「ええ!? 」
ついつい八つ当たりしてしまう。いや、ちょっとぐらい文句をいっても許されるだろう。それぐらい俺は頑張ったはずだ。
「佐倉君、小林君を押さえて羽交い締めにして。」
「……はあ?」
「ちょ!? 」
「早く」
「お、おう」
言われた通り俺は小林の腕の下に手を入れ、羽交い締めする形で押さえつけた。
「ちょ、ちょっと! 佐倉君、な、なにするの!?」
「悪いな。小林。だけど、朝妻が言ってるから」
「えええ!?」
「で、朝妻。次はどうするんだ?」
朝妻の方を見ると、何故か朝妻は右手をグーにして胸に掲げている。え、何すんの?
「小林君。ちょっと痛いけど我慢してね」
そう宣言した朝妻は拳を下から振り上げた。そしてその拳は見事に小林の腹に決まったって……。
「何してんの!?」
「これで他の分身は消えた」
「消すってお前、もっと他にいい方法があるだろ!!」
「これが一番、手っ取り早い」
「小林、気失ってんじゃん!!」
朝妻から見事な腹パンをくらった小林は気を失っている。ていうか、朝妻こんなにバイオレンスな性格だったっけ!?
「早く、小林君を保健室に連れていこう」
「分かったよ……」
もう深く考えず、小林をおぶって保健室に向かうことにした。
「よく寝てんな」
朝妻に腹パンされ気絶した小林は、今現在、保健室のベットで寝ている。ちなみに養護教諭である大島先生は在庫切れとなった氷を取りに行ったため、今はいない。
「なあ、何で小林は分身の術みたいな状態になったんだ?」
「やることいっぱいだったから」
「はあ?」
「聖徳太子は一度に人が話していても全て聞き分けることができた。彼と小林君は同じ」
「つまり、聖徳太子も某国民的人気忍者漫画の多重影分身的なことをやってて、小林もその口だと?」
「そう」
へー……。いや、そんな超人もいるんだな。
「けど、一人の人間が体を分身させるなんて異常事態。そんなことが続けば確実に彼自身を傷つける」
「じゃあ、やっぱり良くない状態だったんだな。小林は仕事を一人で終わらせようとしたから無意識に分身しちゃったんだろ?」
「うん」
「何とか頼ってくれるようにならねぇかな」
小林は責任感が強いし、遠慮して誰かを頼ろうとしない。どうしたらいいんだ?
「ん、……あ、あれ? ここは?」
「あ。気づいたか!!」
「佐倉君? 僕、いつの間に保健室に?」
目を覚ました小林はキョロキョロと辺りを見渡している。どうやら、何も覚えていないようだ。
「ああ、それは朝妻がお前に腹パンをかましぃだぁっ!!」
「働きすぎで倒れたの。先生は熱中症だって言ってた」
「え!! め、迷惑かけてごめん……。」
小林は明らかに肩を落とし、謝罪した。それを見て俺の心は痛む。違うんだ。謝るべきなのは俺たち……じゃなくて朝妻がぃだぁっい!! 朝妻、足踏んでる!!
「あ! まだ、看板出来てないんだ! 早くやらなきゃ!」
「ちょっと待て!! お前倒れたんだぞ!!(朝妻のせいで)」
勢いよく起き上がる小林を抑え止める。しかし、絶対に終わらせなきゃ、と中々いうことを聞かない。もう一度気絶させちゃった方がいいかもとか、危ない考えが頭を横切ったその時だった。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダっ!!
「小林ぃ!! 大丈夫か!!」
大きな足音と共に入ってきたのはC組の奴等だった。全員走ってきたのだろう。全身で呼吸をしている。
「み、みんな……、何でここに?」
「何でって、小林が倒れたって聞いたからに決まってんだろ!!」
岡田が大きな声で叫んだ。周りは静かに! と睨み付ける。岡田もバツが悪いのか少し小さくなった。
「っ!! 僕のせいでごめっ……」
「スマンっ!!」
「……へ?」
いきなり謝られ吃驚している小林。岡田は小林をしっかり見つめ、話始めた。
「お前、相当無理してたんだな。気づかなくてごめん。俺ら、絵描くのとか苦手だし、お前も断るから逆に邪魔になるからかなって勝手に思って任せっきりにしてた。馬鹿だよなぁ。お前は責任感が強くて周りに迷惑かけねぇためにそう遠慮してたのに……」
「そ、そんなこと!!」
岡田はぎゅっと拳を握った。そうだ、こいつは正義感が強くて、そういうのが許せないタイプだった。だから今回のことも気づけなかった自分に腹が立っているんだろう。
「小林、頼む。俺にも手伝わせてくれ。中学の美術の成績は2だったけど、雑用ならなんでもするし、指示してくれれば頑張るから!!」
「小林! 俺らも何でもするよ!!」
「あたしも!!」
次々と皆が名乗りだしていく。小林の目から大粒の涙が溢れだしている。
「ごめん。あ、ありがと…………」
何か、俺も泣きそうになってきた。ふと、気がつくと先程までいた朝妻がいない。そっと保健室を出ると朝妻が向こうに行ってしまうところだった。
「朝妻!!」
大きな声で呼ぶと朝妻が振り返った。急いで俺は駆け寄る。
「ありがとな。朝妻のおかげで助かった」
「私は対したことしてない」
「そんなことねぇよ。お前がいなかったら小林はこのままだったし……。それに言い忘れてたけど、前の時もありがとう。」
「別に。私は仕事に戻るから。あと……」
「ん?」
「小林君は今のところもう、大丈夫」
「本当か!?」
朝妻は頷く。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあね」
「おう!!」
朝妻はくるっと背を向け、歩いていってしまう。俺も保健室に走って戻る。このときの俺は清々しい気持ちだった。
だから、俺は知らない。
朝妻が振り返って、こちらを見ていたことも。
朝妻の後ろには真っ黒い闇が蠢いていたことも。