呪いのぬいぐるみ
その日、私が、凜子ちゃんの部屋を訪ねたのは、早く帰れたからという事もあったのだけど、何より、会社でちょっとした不思議な話を仕入れたからだった。彼女は不思議な話が好きなのだ。
凜子ちゃん。鈴谷凜子は、同じアパートに住んでいる大学生で、私は彼女を気に入っている。性格はちょっときついけど、それも含めてなんだか可愛いのだ。それに、民俗文化関係に詳しくて頭が切れるところもある。ちょっと前も、同僚の変わった有給休暇の使い方の理由を、見事に当てたりしてみせた(本人にそれとなく確認してみたら、その通りだったのだ)。
もしかしたら、だけど、彼女なら今回の話で、何かに気が付くかもしれない。
「呪いのぬいぐるみですか?」
私がそれを少し話すと、彼女はそう尋ねて来た。私が訪ねたのは、ちょうど夕食を食べ終えたタイミングだったらしく、台所に食器を運んでいる。
「そう。今日、ちょっと会社の備品・消耗品の棚卸的なことをやったのだけどね、その時に、誰が買ったのか不明のぬいぐるみが、倉庫の隅から出て来たんだ。そのぬいぐるみは、会社の備品リストには入っていなかった」
それを聞くと凜子ちゃんは首を傾げる。
「私は学生ですから、会社の事は何も知らないですけど、そもそも、会社の備品にぬいぐるみなんてあるものなんですか?」
「いや、普通はないと思うけどさ。うちはあったのよ。まぁ、その杜撰な管理体制も、事の発端の一つではあるのだけど…」
本当は、備品・消耗品の棚卸を今日やる予定なんてなかったのだ。部長が突然に「ボールペンがたくさん捨ててあったぞ、もったいない」と騒ぎ出した事がその始まりだった。
「しかも、使えるものもある」
そう言って部長は、使えるボールペンの選別までし始めてしまった。部長の行動だから、あまり止められる人はいない。見かねてか、お局様が、「部長、ボールペンなら充分にあります。つい最近、補充したばかりですから……」とそう言う。しかし、それを聞くと部長は今度はこう言うのだった。
「なんだって? こんなにボールペンがあるのに、補充までしたのか?」
そして、「一体、どんな管理体制になっているんだ?」と言い始め、備品・消耗品チェックの指示までしてしまったのだ。
始めは皆、「高がボールペンの為に」と、くだらないと思っていただろう。普通に仕事がしたいと。ところが、ボールペンを集めてみて、種類が帳簿に記載されているものと合わない事が発覚してしまったのだ。しかも、捨ててあるものばかり、数十本単位で。更に、マウスも帳簿とは違うものが数個、廃棄されてあるのが発見された。それくらいなら、まだ「誰かが持って来た」で済ませられたかもしれない。ところが、それからUSBメモリまで違うものがある事が分かったのだ。
もっとも、捨ててあったのだから、恐らく、ルールを破って誰かが持って来たものだろうとは予想できる。ただ、それでもUSBメモリの場合は、情報セキュリティの観点から重大な問題だ。それで、遂には本格的な備品・消耗品の棚卸をするまでに事態は発展してしまったのだった。
「ぬいぐるみ」
そして、その時に誰かがそう言った。
「備品リストに、ぬいぐるみまであるぞ」
ぬいぐるみが職場に置いてあるのは、皆知っていたが、それがまさか会社の備品だったとは誰も知らなかった。当然、
「誰だ? ぬいぐるみなんて備品として、認めた奴は?」
と、声が上がる。
ここまで、管理が杜撰だとは… 部長はそれで激怒した。そして更に詳しく調査がされる事になったのだけど、その時に倉庫の隅から、もう一つ、ちょっと綻びたぬいぐるみが発見されたのだった。少し似ていたが、会社の帳簿リストにはない。
ボールペン、マウス、USBメモリなら、まだ分かる気もする。でも、ぬいぐるみが、誰にも見つからないように倉庫の隅に置いてある。これは流石に、どうしてそんな事になったのか見当も付かない。
「それで、そのぬいぐるみは呪いにかかっていて、何者かが手放す為に、倉庫に放置したんじゃないのか…
なぁんて事を、誰かが言い始めたのよ。それで、呪いのぬいぐるみ。どう? ちょっとだけ不思議な話でしょう」
私はそう言い終える。その時何故か、凜子ちゃんは少し難しそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
その難しそうな顔に向けて私が問うと、彼女は何故かこんな事を訊いて来た。
「公務員の横領は、罪が不問にされるケースがあるのだそうです。本来なら、犯罪なのですが、組織ぐるみで経費なんかにして庇ってしまうのですって。もっとも、ただの噂で、どこまで本当なのかは分からないのですが。
綾さんは、この話をどう思います?」
どうして彼女がそんな事を訊いて来たのかは分からなかったが、私はこう返した。
「権力を持っていれば別かもしれないけど、民間なら有り得ないわよね。もし、隠すのなら会計操作もやらなくちゃならないし、犯罪者を庇うという大きな社会的リスクを犯すことになる。
まぁ、もしやったとしても、企業の場合は自分達が損をするのに対し、公務員の場合は国民の税金… 納得いかない話だわ」
「でも、民間でも、少額ならやっている人も多そうですよね?」
「ん? まぁ、そりゃね」
「そういう人を見つけたら、綾さんならどうしますか?」
「んー 状況によるな。もう、二度とやらないって言うのなら、許しちゃうかもしれない。
どうして、こんな事を訊くの?」
私の質問を聞くと、凜子ちゃんは答え難そうにしながらこう言った。
「いえ、やっぱり私は、部外者だから、最終的な判断は綾さんに委ねる事になると思いまして…」
「何の話?」
「綾さん。今日、女の人で欠勤した人がいませんでしたか?」
私は凜子ちゃんの質問を不思議に思いながらこう答える。
「いたけど?」
「大雑把な憶測ですが、多分、犯人はその人です」
「犯人って… ぬいぐるみの?」
「はい。そして、ボールペンも、マウスも、USBメモリも」
私は不穏な雰囲気を感じ取って、「どういう事?」と尋ねる。すると、凜子ちゃんはこう淡々と説明し始めた。
「杜撰な管理体制だって、綾さんは言いましたよね? なら、もしかして、こんな事も可能だったのじゃないですか?
まず、自宅などから、壊れたボールペンやマウス、USBメモリを持って来る。そして、壊れたので補充する必要があると訴え、お金を貰って自ら買いに行くと見せかけ……」
そこまで聞けば、流石に私にも彼女が何を言いたいのか分かった。
「それで、そのままお金を懐に入れていたって言うの? つまり、横領?」
「はい。もちろん、さっきも断った通り、大雑把な憶測ですがね。でも、そう考えるのなら、備品の種類が違う事の理由にも説明がつきます。
捨ててあったものは、自分が家から持って来たものなんですから」
「ちょっと待って。いくら管理が杜撰だからって、流石に領収書くらい確認するわよ」
「それは、その人がまったく別で買い物した時の領収書を取っておいたのじゃないでしょうか?
ちょっとした物なら、お店でも具体的な品名や日付を書いたりしませんよね?」
私はそれを聞くと腕組みをする。どうも、本当に怪しいような気がしてきた。
「ぬいぐるみが、倉庫にあったのは?」
「多分ですけど、ぬいぐるみを可哀想に思って、捨てられなかったのじゃないかと私は思います。
私の推論が正しければ、家にあったものを持って来たのでしょうから、愛着があったのかもしれない。だからこそ私は、女の人が犯人じゃないかと思ったのですが。偏見かもしれませんが、男の人は、あまりぬいぐるみに愛着を感じたりはしないでしょうから」
「なるほど。それで、見つからないように倉庫に放置したと… 欠勤したから、それを隠せもしなかった。もしかしたら、そもそもぬいぐるみを備品として認めたのも、その子の仕業かもしれないわね。だとしたら、呆れた話だわ」
そう言い終えると、私はため息を漏らす。そんな私に凜子ちゃんは言った。
「もう一度言いますけど、大雑把な憶測ですよ?」
「分かっているわ。私もそれなりの対応をするつもり… 今日は、どうもありがとうね」
私はそう言うと、彼女の部屋を出た。当初は楽しい気分だったのに……。こんなに嫌な気分になるとは思わなった。
次の日、私は“ぬいぐるみなんかの件、これ以上やったら、見逃さない”とワープロソフトで書いたメモを、容疑者の子の机の上に置いておいた。
そのお蔭かどうかは分からないけど、それから会社の帳簿とは異なる備品が出てくる事はなかった。
これくらい、誰か気付きそうですがね。