火刑台で記憶を取り戻した悪役令嬢は、異端審問官を跪かせる
「どうしてわたくしが火炙りなんかにっ!」
火刑台の上でそう叫んだ瞬間に、私は私を思い出した。
私は前世、現代日本で生きていた一人の女だった。そして同時に、私が前世で読んでいた小説に登場する悪役侯爵令嬢、ヴィオレッタでもある。
火刑台の上で前世の記憶が戻る、なんていう間の悪さに、誰を呪えばいいのか分からない。
数日前、ヴィオレッタこと私は、衆人環視の中、婚約者である王太子に断罪された。
聖女アンナを階段から突き落として殺そうとしたからだ。
そこまではよくはないが、まあよしとしよう。
問題はその次だった。
激昂したヴィオレッタは、人目もはばからず叫んでしまったのだ——こんな女を選ぶ神なんて、間違っている。そんなもの私は信じない、と。
教会が最も強力な権力を握るこの国で、その一言は致命的だった。
すぐさま捕縛されると教会の地下牢に移送され、三日間にわたる異端審問が始まった。
私にとっての最大の不幸は、彼女が愚かなほど自分の快不快に素直な娘だったことだ。
聖女アンナを嫌っていたこと、死ねばいいと思っていたこと、神を否定する言葉を口にしたこと——ヴィオレッタは異端審問の場で、それらすべてを正直に認めてしまった。
たった一言「あの場の発言は撤回します、神への信仰は変わりません」と言えば、異端認定は回避できた可能性があったというのに、それをしなかった。
罪を逃れるためであっても、聖女アンナを肯定することがどうしてもできなかったのだ。
常に一番大事にするのは自分の感情で、その感情に嘘をつくことだけは絶対にしない。
それがヴィオレッタという娘だった。
そして今まさに、その愚かな娘の火刑が行われようとしている。
王太子の元婚約者の処刑は、王家の体面と侯爵家の面子の両方に配慮し、書記官の立ち会いすら省く秘匿の場で行われることになった。
公式記録は獄中死として処理されるのだろう。
森の中にひっそりと用意されたこの処刑場にいるのは三人だけ。火刑台に縛られた私、立会人として祈祷を捧げる異端審問官、そして私を火炙りにする処刑人。
処刑人の持つ松明の火が目に入った瞬間、身体が本能的に震えた。
生きたまま焼かれる。前世で、それはどうしようもないほど辛い死に方だと聞いたことがある。
私はこれから訪れるであろう最悪の苦しみを思い、自然と涙が溢れた。呼吸が乱れた。
私だけではない。十七歳の少女の身体も、死の恐怖に震え上がっている。
完全に詰んでいる。冷静な部分が、瞬時にそう判断した。
柱に縛り付けられ、薪はすでに足元まで積まれ、処刑人の手の中で松明が燃えている。
——前世で読んだ小説の通り。ヴィオレッタは、ここで最期を迎えるのだ。
それでも、と必死で自分を律する。
思考を停止することだけはしてはいけない。ここで諦めたら、本当に死ぬしかなくなってしまう!
今更改心を口にしたところで、せいぜい火炙りの前に絞殺する程度の慈悲しかもらえないだろう。
肌に食い込むほど強く縛られた縄は、どれだけ力を入れても緩む気配はない。
腹立たしいほど星が綺麗に見えるこんな天気では、雨など到底期待できそうにもない。
そして買収も、おそらく成立しない。
処刑人だけならともかく、異端審問官のあの男は確か公爵家の次男、ヴァレリオ・ディ・モンテリーニだ。親に見捨てられた侯爵令嬢が差し出す端金など、見向きもしないだろう。
その時ふと、人の気も知らずに淡々と祈祷を続ける男の顔が場違いなほど整っていることに気付き、理不尽な怒りが込み上げてきた。
今から私を火炙りにしようとしているこの男は、私よりも遥かに多くのものを持っている。
それなのに、私が今持っている唯一のものである命すら奪おうというのか。
恐怖と怒りで頭がおかしくなりそうになった、その時だった。
男と目が合い、祈祷の声がほんの一瞬、途切れた。
しかし、何かを期待する間もなく、祈祷はすぐに再開された。
処刑人の手の中の松明はまだ薪に近づいていないが、もうすぐ祈祷も終わってしまうだろう。
恐怖のあまりほとんど過呼吸になっていると、男がゆっくりと私の方に近づいてきた。
何か儀式のためにこちらに手を伸ばしてきたら、その白く骨ばった指を噛みちぎってやる。
そんな気持ちで男を睨みつけていると、彼は私だけに聞こえる声で囁いた。
「動かないでください、ヴィオレッタ様」
なぜ、と問うことは叶わなかった。
彼が処刑人に向かって液体をかけた途端、松明の火が勢いよく処刑人に燃え移ったからだ。
火だるまになりのたうち回る処刑人の姿に、私の極限状態だった意識は急速に遠のいていった。
◇◇◇
目が覚めたとき、私は見知らぬベッドの上にいた。
最初の感覚は、喉を圧迫する不快感。
次に、手首と足首にくっきりと残る縄の痕の痛み。
なぜか、私は生きていた。
どうやら火刑は中止され、代わりにここに連れてこられたらしい。
首の圧迫感を確かめようと手を伸ばすと、首輪のようなものに触れた。
そこからのびた鎖は壁に打ちつけられている。
牢屋の代わりのつもりだろうか。
実行したのはヴァレリオ以外にあり得ない。
しかし問題は、この行為はあの男の独断によるものなのかということだ。
私は身体を起こし、部屋を観察した。
窓は一つ、扉は一つ。家具は最低限だが、よく見れば調度の質は驚くほど高い。
犯罪者の隠れ家にしては、いっそ不釣り合いなほどの贅沢さだった。
扉に鍵がかかっているだろうか、確かめようと床に足をつけたところで、ノックの音が響いた。
無言でいると、静かに扉が開いた。
姿を現したのは、やはりヴァレリオだった。
彼は法衣ではなく、仕立ての良い服を着ていた。
私が目覚めていることを確認すると、穏やかに、しかし丁寧に頭を下げた。
「お目覚めですか、ヴィオレッタ様」
その呼びかけに、私は咄嗟に怯えと混乱と、わずかな感謝を混ぜた表情を作った。
「ここは……どこですか? わたくしは……」
男は私から数歩の距離まで歩み寄ると、膝をついた。
私を見上げるその視線は、なぜか異様な熱がこもっているように見える。
「あなたは異端ではなかった。私はそう確信しました。だから刑の執行は阻止し、ここにお連れしたのです」
男の説明は、私を余計に混乱させた。
あまりにも、辻褄が合わない。異端でないと判断されたのなら、なぜ私はこんな場所に連れてこられたのか。なぜ鎖に繋がれているのか。
「あの処刑人の方は……」
「ご安心ください。私が処理しました」
その顔には、罪悪感のかけらも浮かんでいない。
——狂っている。
私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
教会の論理では、殺人は地獄行きを確定させる行為だ。
だというのに、聖職者であるこの男は教義に背き、自分の死後の安寧を投げ捨ててまで、私を生かしたというのか。一体なぜ。
「我々は今、表向きは野盗に襲われて死んだことになっています。けれどご安心ください。ここは私の生家である公爵家が秘密裏に管理する山中の屋敷です。ここにいる限り、あなたの身の安全は保証されます。生活に必要なものは、すべて私が責任を持って整えます」
男は淡々と状況を伝えてきたが、まるで理解ができない。
この男とヴィオレッタは、異端審問の時が初対面のはずだ。
なのになぜ、刑の執行直前のあのタイミングで、突然こんなことをしでかしたのか。
彼は私の救済者であると同時に、最大の脅威でもあった。
◇◇◇
ヴァレリオとの生活が始まってから数日が過ぎ、数週間が過ぎた。
彼は何を欲しがるでもなく、献身的に私の世話をした。
まるで使用人のように私のために食事を作り、掃除をし、手足の傷に丁寧に薬を塗る。
その全てを無抵抗に受け入れているうちに、私は屋敷内を自由に歩くことを許されるようになった。
表面だけ見れば、まるで新婚夫婦のような穏やかな生活だ。
犯罪者の隠れ家とは思えないほど、屋敷の中は満たされていた。
食材も衣服も寝具も、上質なものが揃えられている。
外には熊などの大型の獣がいるらしく、ヴァレリオ自身は屋敷から一歩も出ない。
代わりに、深夜になると誰かから物資や手紙を受け取っているようだった。
私が眠っている間に、すべては音もなく整えられている。
私は表向き、この生活を完全に受け入れているように振る舞った。
そしてその裏で、ヴァレリオの目的を注意深く探った。
彼はヴィオレッタを、何か特別な存在として遇している。
それが信仰なのか執着なのか、はたまた全く別の何かなのか、現時点では判別できない。
けれども今のところ、私がヴィオレッタを演じ続ける限り、身の安全は保証されるようだ。
しかし、演じることをやめた瞬間、何が起きるかは分からない。
いざという時のために、逃げる算段だけは整えておかなければ。
◇◇◇
その日の夜、私は寝たふりをしていた。
ヴァレリオはいつも私よりも遅くに寝て、私よりも早く起きるため、彼が確実に眠っている時間を把握するためだ。
目を閉じて呼吸を整えていると、ようやく彼の足音が聞こえてきた。
しかし、その音はなぜか私の部屋の前で止まり、数秒ののち、扉を開く音が小さく響いた。
ヴァレリオが、足音を消して近づいてくる。
彼は私のそばまでくると、跪いた気配がした。
薄目で確認してみると、見守るというより、祈りを捧げるような姿勢をとっている。
乱れそうになる呼吸を懸命に整えていると、ヴァレリオの指先が私の頬に触れた。
極めて優しいその手つきは、私をまるで聖遺物にでもなったかのような気持ちにさせる。
さらに彼は私の髪を一房手に取ると、唇に押し当てながら何かを呟き始めた。
それは、主への祈りのようだった。
「天におられる我らの父よ、あなたが与えてくださったお恵みに感謝いたします」
なぜここで祈るのか、そんな私の疑問は、彼の次の言葉で吹き飛んだ。
「あなたを私に与えてくださった存在ではなく、あなた自身に、私はすべてを捧げます」
ヴァレリオは神に祈っていたのではない。私に信仰を宣言していたのだ。
私は呼吸を一定に保ったまま、内心で凍りついた。
彼は私——ヴィオレッタを、神を超える何かとして扱っている。
やがてヴァレリオは静かに部屋を出ていったが、私はしばらく動くことができなかった。
◇◇◇
彼の望みが、ようやく分かった。
どうやら私は、完璧にヴィオレッタを演じる必要があるらしい。
「ヴァレリオ様、今朝の卵は半熟が良かったのですけれど」
ある日の朝食の席で、私は皿を見ながら少し眉をひそめてみせた。
家格が上の人間にこんなことを言うなど、普通の貴族ならあり得ない。
けれども、それをするのがヴィオレッタだ。
本当は、卵の焼き加減なんてどうでもいい。
そんなことで食べ物を粗末にするなんて論外だし、食事を用意してくれる人間に理不尽を言うのは心苦しかった。
しかし、原作のヴィオレッタは罪悪感など微塵も持たない娘だ。罪悪感を見せれば演技が崩れてしまう。
ヴァレリオは私の言葉を聞くと、即座に皿を下げた。
「申し訳ございません、すぐに焼き直します」
彼の声は穏やかで、不快感の欠片もない。
むしろ、わずかに弾んでいるようにすら聞こえた。
それからも、私が我儘を口にするたび、ヴァレリオの視線は柔らかくなった。
私が罪悪感を抑え込もうとする瞬間、彼の口元はほんのわずか緩むのだ。
それがどのような感情からくるものなのかは、分からない。
ただ、彼の表情が緩むたび、私は「正しく演じられた」という安堵を覚えた。
その安堵が、「彼に喜んでもらえた」という喜びに変質してきていることに気付いたのは、何度目の我儘を言った時だったか。
そんな違和感に苛まれ、眠りが浅くなっていたある日の深夜、私はふと目を覚ました。
扉が開く小さな音に続いて、足音がこちらに近づいてくる。
ヴァレリオが来たのだ。
彼は私のすぐそばまでやってくると、いつものように跪いたらしい。
本来なら警戒すべき瞬間のはずだ。
それなのに——その気配に、私は安堵を覚えていた。
彼がそばにいてくれるのなら、自分は安心して眠れる。
そんな錯覚が、確かに胸の奥で芽生えたのだ。
私はこの事実に、息を呑んだ。
これは、ストックホルム症候群の兆候だ。
監禁され、二人きりで過ごしていくうちに、加害者に愛情を抱き始めたのだ。
今、私の中でその兆候が確実に発芽している。
このままこの気持ちが大きくなっていったら、私はきっとヴィオレッタを演じられなくなる。
ヴィオレッタではなくなった私に、彼は信仰心を抱き続けるだろうか。否。
もし彼の偶像でなくなってしまったら、不要になった私は、あの処刑人のように始末されるのではないか。
そう思い至った時、私の中に湧き上がってきたものは恐怖ではなく、純粋な怒りだった。
「私の命は、私だけのものなのに……奪うだなんて、絶対に許さない」
それは私の口から出た言葉だったが、驚きから思わず息を呑んだ。
——そろそろ潮時のようだ。
私が少しでも長く生き続けるためには、この屋敷を出なければならない。
私は翌日から、脱出の準備を本格化させた。
保存食を少しずつ寝台の間に隠し、調理用ナイフの位置と斧の位置を確認し、彼の生活リズムを完全に把握する。
ヴァレリオは眠りが浅いようで、ちょっとした物音でも目が覚めてしまうらしい。
けれど、観察を続けた結果、彼が深く眠り込む時間帯があることに気付いた。
明け方の数時間、ちょうど夜明け前の最も暗い時間だ。
彼の呼吸が深くなり、こちらの足音にも反応しなくなるその時間。
そこを狙うしかない。
ヴァレリオは以前、「屋敷の周囲には熊のような大型の獣が出るため、銃なしで一人で出歩くのは危険だ」と私に説明したが、実際にその姿を見たことはない。
いるかも分からない獣よりも、彼の存在の方が脅威は上だ。
山を降りたところで生家に戻ることはできないが、幸い私には一般人として生まれ育った前世の記憶がある。
貴族のご令嬢であるヴィオレッタには無理でも、私なら平民の暮らしにも溶け込めるはずだ。
全ての準備を整えた決行前夜、いつも通りヴァレリオと夕食を共にした。
食卓には、不自然なほど穏やかな空気が流れている。
私はヴィオレッタらしく、我儘を言いながらも、一切の警戒心を見せぬよう努めた。
すると、ヴァレリオはふと私の手を取ると、今まで一度もしなかったことをした。
私の手の甲に、唇を触れさせたのだ。
私は表向き、慎ましく頬を染めてみせる。
けれど内心では、その行為が信仰心からくるものではないことに気付き、驚いていた。
——これは、生身の女性に対する口づけだ。
そして彼は、顔を上げて私を見つめながら、静かに言った。
「あなたは、私の知っているあなたよりも、ずっと強い方ですね」
背筋が凍った。
彼はきっと気づいたのだ。私がヴィオレッタではないことに。
ヴァレリオは穏やかに微笑むと、何事もなかったかのように食事を再開した。
私も懸命に口を動かしたが、もはや自分が何を食べているのかも分からなかった。
けれども、やるべきことは変わらない。
明朝、私は逃げる。
彼が何を知っていようと、もはや関係はない。
◇◇◇
私は落ち着かない心臓をなだめながら、夜明け前の最も暗い時間に準備を始めた。
持ち物は最小限。隠していた保存食、水、火打ち石、調理用の小型ナイフ。
外に出る直前、薪割り用の斧を手に取るかどうか一瞬迷ったが、重さと移動速度を考えて諦めた。
私は初めて外へと繋がる扉に手をかけながら、深呼吸を一つした。
振り返らない。振り返れば、これまでヴァレリオと過ごした数週間の何かが、私の足を止めてしまうかもしれない。
意を決して外に出ると、山道を一定のペースで歩き始めた。
日の出の方角を背にして、街があると推定される方角へ向かう。
歩きながら、感覚を最大限に研ぎ澄ました。熊にでも遭遇したら、私は終わりだ。
そのまま数十分ほど経った頃。背後に生き物の気配を感じた。
獣ではない、人だ。そして、その足音は私を追ってきている。
私は速度を上げた。けれど山道を歩き慣れていない貴族令嬢の身体では、追っ手から逃げ切れる道理はなかった。距離が徐々に縮まっていく。
私は思い切って、森の開けた場所で立ち止まった。
予想通り、ほどなくして姿を現したのはヴァレリオだった。
薄い外套を羽織っただけの軽装。息は切れているが、表情は不思議なほど穏やかだ。
手には銃を持っている。
数秒の沈黙ののち先に口を開いたのは、私だった。
「私を殺しますか?」
意外なことに、ヴァレリオは私の問いに首を横に振った。
そして、静かに語り始めた。
「火刑台の上で、あなたの瞳が変わった瞬間、私は神の顕現を見ました」
「瞳が、変わった瞬間……?」
「ええ。異端審問の三日間、発言を撤回すれば助かるのにそれもできず、かといって火刑も受け入れられずに泣くだけだった愚かな娘の瞳に——生きたまま焼かれる恐怖の中で、それでも諦めずに活路を探す、生命の輝きが宿ったのです」
私は息を呑んだ。
火刑台の上で、私が私となったあの瞬間に、彼もまた私という存在に気付いていたのだ。
「神があなたを別の存在に作り変えたのか、新しい魂を与えたのか、私には分かりません。けれど私は、その奇跡を信仰せずにはいられなかった。だから処刑人を手にかけ、あなたを連れ去りました。殺人は魂の救済を失う選択でしたが、迷いはありませんでした」
ヴァレリオは陶然とした瞳を私に向けた。
そこに込められた圧倒的な熱に、思わずあとずさりしそうになる。
「共に過ごした数週間のうちにあなたが見せた、恐怖の中で諦めずに思考を続ける強さ、表面の演技を貫きながらも罪悪感を隠しきれない人間性。そのすべてが、私の選択の正しさを肯定し続けた」
なんという茶番だろう。
彼は、私が必死に見せないようにしてきた、私自身の姿だけをずっと見てきたというのか。
「そして私の信仰はいつの間にか、あなたへの愛へと変容していきました。神の代替としてではなく、一人の女性として、私はあなたを愛しています」
ヴァレリオは銃を地面に置くと、自ら片膝を湿った地面につけた。
私が黙って彼の頭を見下ろしていると、彼は膝をついたまま、私を見上げて宣誓した。
「あなたの前で、私は何者でもありません。私の信仰も、私の職務も、私の名前も、すべてあなたに委ねます。あなたが私のそばにいてくださるなら、私はあなたの望むあらゆる形になります。……もし、あなたが私を必要としないなら、私はここで朽ちます」
やはり、この男は狂っている。
しかし、それは私も同じかもしれない。
怯えながら観察してきた数週間、彼の異常な献身、彼が私のために捨てたものの重さ——聖職者が、魂の救済すら投げ捨てて私を選んだという事実。
そして今この瞬間、湿った土の上に跪いて自分の人生をすべて差し出している姿。
惹かれていないと言えば嘘になる。
だが、私のこの気持ちは愛と呼べるのだろうか。
愛は与えるもの——少なくとも、ヴァレリオの愛は、そういった類のものだ。
けれど今、私が彼に対して抱いているのは、与えたいという想いではない。
「……私はあなたをまだ愛していません。これから先、愛するかどうかも分かりません。それでもあなたは、私を愛し続けますか?」
ヴァレリオは膝をついたまま、深く頭を下げた。
「はい。私はあなたに何も求めません。たとえあなたが私を愛さなくても、私はあなたを一生愛し続けます」
迷いのないヴァレリオの返事に、私の心が満たされていくのを感じる。
——ああ、私はこういう人間だったのだ。
私はゆっくりと右手を伸ばし、跪いたままの彼の顎に指をかけた。
彼の顎を、自分が見たい角度まで上げさせると、彼の青白い喉が薄明の光の下に晒された。
彼は抵抗することなく、従順に喉を差し出している。
私は身を屈めると、己の欲求に導かれるように、晒された喉に唇で触れた。
ヴァレリオが思わず、といった様子で喉を鳴らした振動が、唇から伝わってくる。
生きている。この男は今、確かに生きている。
そしてその命を、いつでも私が奪えるよう急所を明け渡している——その事実が、どうしようもなく私を満たした。
私は彼を愛するかもしれない。愛さないかもしれない。
けれど今、彼の命の鼓動は、私のものだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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