母
死んでいた。高校2年生になった頃の夏。
あの時こうしていなかったらと、後悔しか浮かばなかった。
旦那は仕事の帰りが遅いから私が夜逃げをしたと思っていそうだが、流石にそれだけで夜逃げはしない。
家を出ようと決意をしたのは9年前、原因は私の心の部分にあった。
私は優しくも自立している旦那に依存傾向だった。
それは付き合い始めた頃から自覚していて、付き合い始めて2年は経った頃、結婚して、子供も産もうと将来を話し合っていたため、子供が生まれる頃には依存している状態ではなくなるだろうと思っていた。
だが、実際は違った。
子供を産んだんだから子供と一緒に私のことも見てくれるようになるだろうと心のどこかで思っていた。しかし、そんな事はなく、旦那は私と娘の生活安定のためにもっと稼いで楽な生活をさせてやろうと言い、仕事の帰りが遅くなり、一緒にいる時間がさらに減った。
私はそんな旦那を見ていて嬉しくもあったが焦ったくもあり、どうして私のことも子供のことも見てくれないのと心の中で思い、苦しんだ。だが、結局はそんな自分を自分で可愛がりたいだけだったのかもしれない。
ある時旦那が、最近お疲れ気味だね。有給とって、娘を連れてどこかに出かけるから、気晴らしに1人で出かけてくれば。と言った。
私は普通のお嫁さんが聞けばとても喜ぶであろうその言葉に愕然とした。私と2人でデートしてくれないんだ。と。
私は旦那に1人で生きろと言われたようで、実際に言われてもいないその言葉が頭の中でぐるぐる反芻する。
固まった私を見て、旦那が私を大丈夫?とすごく心配してくれた。
そして私は長い間、旦那にすごく依存していた状態になっていたと自覚し、旦那と距離を取り、その期間、自立した女性になるために、1人で働いて生きようと決意した。旦那には何も言わないで出ていった理由は、私が旦那に依存状態であると知られたくなかったからだった。
それを知った旦那は、私を怒りもしないし軽蔑したりもしない。そういう本当にそれは優しいといえるのか、人間をダメにしそうな優しさを持つところが好きだったが、私が旦那に憧れていて、旦那の人生のパートナーで、一生隣で共に歩いていく人間が旦那のその優しいところにずぶずぶはまっていくのは違うと思った。
しかも私は旦那の優しさを自分勝手に改変し、自分で自分を可哀想と可愛がるために私の中で旦那のイメージを下げていたことに自己嫌悪になり、私のただ1人の片割れ、大切な存在を邪魔だと憎悪していたことに落胆した。
ただ唯一良かったことは、自分の異常さに自分で気づき、行動できたことだった。それは、旦那と付き合う前から、旦那のように自立した人間になりたいと思っていたからかもしれない。
夜逃げをしようと決意し、夜逃げ決行日の昼間、私は娘に私について行くか聞いた。
そしたら娘は、私が少し前まで娘のことを邪魔な存在だと憎悪していたことが伝わっていたのか、私にはついていかないと言い、そうして私の帰りを待っているとも言ってくれた。私はその旦那のような優しい言葉に泣きそうになりながらも、旦那と娘のことを忘れるわけではないと言った。
旦那と私は相性が良かったが、最悪な組み合わせだったのだろう。
旦那とは大学の子供サークルで出会った。
旦那と私は境遇が何となく似ていて、旦那は弟がいる中、親に虐待されて育ち、私は一人っ子で親に育児放棄をされた。旦那は虐待を受けていた自分よりも弟を児童養護施設に入れ、子供が1人になって経済的に楽になったのか、虐待を受ける事はなくなり、成長しても突然暴れ出す親の面倒をみていたらしい。
旦那は弟、そして面倒を見なければならない親がいた為、苦しい環境で家族の面倒を見ようと自立した人間にならざるをえなかったのだと思った、そして私は、子供の頃、親が自分の中の世界の全てで、親の愛情をもらおうとした結果、依存体質になってしまったと思った。
似ていたところもあったけどただそれだけで、私たちには決定的な違いがあった。だから、私は似ているけれども私にはないところを見せる旦那に依存状態にあったのだろう。
私は家を出る直前まで、離婚届、婚約指輪、結婚指輪を家に置いて行こうか悩んだ。
私は娘と並んで寝ている旦那の後ろ姿を見て、私から離れようと決意したのに、それでもこんなに好きでいる旦那と縁を切りたくないと思ってしまった。
そして、旦那との社会的繋がりを断ち切ってしまうと、私の家族が誰1人としていなくなってしまう。私がこの世で一人ぼっちになってしまう感覚に陥りそうだった。
私は結局、自分のことが1番大切だったし、旦那に依存していたのだろう。
♢♢♢
まさか9年も経って、旦那から連絡があるとは思っていなかったため。電話に出ようか迷った。
もう流石に旦那に依存はしないと確信したいが、私が、私が憧れた旦那の自立している姿になれているのか分からなかったため、自分に自信がつくまでは旦那とは関わりを持たないと思っていたからだ。
3コール目で受信ボタンを押す。
旦那がすぐに話してくると思っていたが、なかなか喋ってこないため、声をかける。
「もしもし?」
当たり障りのないことを言ったが、これでも旦那は喋ってくれないのかと要件を聞くことにする。
「どうしたの?いきなり電話してきて。」
9年ぶりのまともなセリフがこんなに可愛げのないものになってしまい、少し気分が落ち込む。
「娘が、亡くなったんだ。」
「は?」
私は頭が真っ白になり、ただ、何の冗談を言っているんだと、頭に血が上る。
「今は警察が自殺か他殺かどうか判断している。」
旦那は嘘をつく人間だとは思わないが、私は9年ぶりに話す言葉がそれかと怒っているのかもしれない。
「何の冗談?つまらないわよ、それ。」
しかし、旦那だからこそ9年ぶりに電話をかけてきてまで話す言葉がそれなのかとも納得した。
「まだ同じアパートに住んでいるから、そこまできてくれると嬉しい。三日後には、娘の葬儀をしたいんだ。」
私はその言葉で、私に帰ってきて欲しいという言葉を期待していたのかもしれない。だから、突然電話をかけてまで話そうとしていた旦那の言葉を聞いた時、怒りしか湧いてこなかったのだろう。
ただ、娘が死んだと聞かされた後なのに、私は旦那に来てくれと言われて嬉しいのか、急いで家を出る準備をした。薄情なのか、ただ私の精神はとっくのとうにおかしくなってしまって、旦那のところを離れる時にはもう後戻りはもうできない状態だったのか、それは私には分からなかった。
「…そう。聞きたいことはたくさんあるけど、まずはそっちに行くわ。直接話したほうが早いでしょう。」
「ああ、わかった。アパートの駐車場で待ってるよ。」
そう言われて、私は急いで休日に使っているカバンを持ってスズキのKeiに乗り込む。
「1時間もすればそっちに着くわ。」
私は急いで電話終了ボタンを押し、職場に休みの連絡を取る。
職場には娘がいることは伝えていなかったが、私の旦那に呼び出されて早く行かなければという焦りで娘が亡くなってしばらく休むという理由は事実だが本当に聞こえたらしく、五日の慶弔休暇をくれた。私と歳が近い所長には明日か明後日には事情説明と申請書を書きにくるようにと言われた。
車を飛ばしてきて、駐車場に着くとまだ旦那はいなく、本当は嘘をつかれたと思ったが、少ししたら駅の方向から旦那が歩いてきたため、安心した。
それと同時に、また私は旦那に依存していたと気づき、服の上から自分の太ももを激痛がするくらいに爪を立てて引っ掻いた。涙は滲むが、もう絶対に9年前とは同じような状態にならないと決めていたので、これは自分を戒めるためには必要なことなのだと涙は引っ込める。
すると旦那は助手席に乗り込んできて、言った。
「随分早かったね。スピード出すと危ないよ。」
「変わらないわね。ずっと。」
半分は嘘だった。旦那の優しさは変わっていないが、旦那はやつれているし、私の9年前と同じような空気を感じられた。
おそらく、旦那は私がいなくなって九年間、ずっと娘に依存をして生きてきている。
その依存先が急にいなくなったらどうなるか、私は分からない。私は自ら離れることができたが、旦那の場合は相手がなにも言わずにいなくなってしまっている。新しい依存先を探すか、依存していることを自覚させないと、旦那はこれから生き急いでしまうだろう。
「そうだね。みんな、ずっと変わっていなかったのかもしれないね。」
私は九年間あの時の旦那に近づけるように生きてきたが、旦那にそう言われて、この今までの時間は一体何だったのかと無力感を感じられた。だが、私は旦那がもし、生き急いでしまわないように旦那に声をかけ続けようと決心した。
「それで?なんで娘が死んでしまうようなことになったのよ。」
「わからないんだ。遺書もないし、部屋で争った形跡もない。でも娘が事件事故に関わるとは思えないんだ。そんな様子もなかったし。」
私は旦那のその弱々しい言葉を聞いた時、また頭に血が上りそうになった。
「そう、あなたを、まあいいわ。あなたがそう言うのならそうなんでしょうね。」
そう、あなたを信頼して娘を預けたのに、娘は私と一緒に連れて行くべきだった?
私はこう言おうとした。だが、やめておいた。
娘が亡くなったと聞いても、悲しみの感情一つ心に浮かばない母親が、そんなことを娘をずっと育てていた旦那に言うのは筋違いだと思ったからだ。
「私が気づいてやれなかったから、娘が死ぬようなことになったとは思わないのか。」
私はなんて言おうか迷った。娘が死んだことについてはいまだに何とも思っていない。だが、娘が自ら死んでしまうような子に育つ、育てられるとは思っていなかったので、否定をしておく。
「そうね。思ったわ。だけど一瞬。」
私は旦那の方を見た。そして、旦那が長年思い悩んでいたのであろうことを口にしておく。
「あなた、ずっと勘違いをしているようだけど、私のこと1番わかっている人って、あなたなのよ。そして、娘のこと1番わかっている人って、きっと、あなたよ。」
「それはないだろう。」
私は前に向き直る。
「あるわ。そんなあなたが、娘が死んだ理由が分からないって言うのなら、きっと、この世の誰にも分からないわよ。」
事実、私にも娘が死んだ理由が分からないのだ。九年間も離れていて、わかるはずがない。
私はこんなことをずっと話しているべきではないと思い、仕切り直した。
「それじゃあ、家の中に入らせてもらえるかしら?」
私は旦那を残して車を出て、アパートの階段を上る。
旦那に中にいた刑事さんに私のことを紹介してもらい、挨拶をした。刑事さんには不躾な視線で見られた気がした。
「家を出てから、娘さんと会った事はありますか?」
「いいえ、九年間一度もありません。中に入っても良いですか。」
私は家の中がどんなに変わっているのかが知りたくて、先ほどから気がはやっていた。
「ええ、どうぞ。中のものには触れないでください。」
私はわかりましたと言い途中に刑事さんを押し除けるような形で、家の中に入っていく。
「遺体は署の方で預かってあります。現時点では自殺の可能性が高いとみて捜査をすすめていて、明日にはご遺体の返還が許可できるかと。」
「そうですか…」
旦那が答えた。
私はその声色で旦那が納得していないと思い、顔色も伺ってみる。おそらく、旦那は娘が自殺をしたと思っていなかった。
私は最後に娘が死んでいた浴室を見た。そこに娘はいない。ただ、9年前と同じ家、私が引っ越してきたときすぐに決めたのと同じような家具配置で、この人は9年前の私と同じく、九年間、娘と、もしかしたら私にばかり執着していたんだと知った。しかし、そこで旦那に対して好きという感情と憧れはなぜだか決して薄まることはなかった。
私は無理やり旦那と同じホテルの同じ部屋を取り、今にも倒れそうだった旦那をベットで寝かせ、1人になった時、私はやっと娘が死んでしまっていたんだと自覚した。
娘のことを忘れたことは片時もない。娘が亡くなったことに対しては、なにも思っていなかったと思っていたが、どこからか涙が溢れてくる。
私は、娘のことを一時は邪魔だと思いながらも、大切にしていたんだと悟った。そうでなければ、こんなに涙は出てこない。
旦那に背を向け、洗面台の方へ向かう。備え付けのペーパータオルで涙を拭った。
旦那は娘が自殺したと思っていない。だから娘が死んだ本当の原因を知りたがるだろう。私はそのためにも旦那のそばにいなくてはならない。
部屋の鍵を閉め、車に乗り込み、私の着替えを持ってこようと帰宅した。
私はすぐ履いていたズボンを脱ぐと、パントリーの中に入っていたウイスキーを消毒液代わりにかける。
感情任せに思ったよりも強く引っ掻きすぎていて、洋服に血が滲んでいた。
「…っつ。痛い。」
喋れば痛みが和らぐかと思い、何か言葉を放ってみる。でも、それは静かな部屋に吸収されていくだけだった。
♢♢♢
これから娘のお葬式だ。
今まで旦那が娘の面倒を全て見ていたため、最後は私がやろうかと思い、手配は私がした。完全に私のエゴだったが、旦那はありがとうと私に感謝の言葉を言ってくれた。
もう始まるが、喪主の役割を務めている旦那がいないと式は始まらない。旦那はどこにいるのだろうと周りを見渡してみると、全面だガラス張りの窓から旦那の姿が見えた。
私はドアを開け、外に出る。今にも雨が降りそうな天気だった。
旦那に近づき、少し大きい声で呼びかける。
「なにぼけっとしてるの。はやく行くよ。」
そうして私は再び式場の中に入って行った。