59話 さよなら
ナツメはエリに招かれてクサナギ重工の施設を訪れていた。
広大な敷地の中に設けられた研究施設。厳重なセキュリティゲートを抜け、エリに案内されながら廊下を進む。
「本当にこんなところに入っても大丈夫なのか?なんだか落ち着かないのだが」
ナツメは、周囲を見回しながら尋ねた。
エリは、くすくすと笑う。
「ふふっ、ナツメさんでもそんな借りてきた猫みたいになることがあるんですね。大丈夫ですよ、諸般の事情があってお招きしているので」
「そうか」
その諸般の事情が想像もつかず、ナツメは頷きながらも釈然としなかった。
エリに導かれ、広い会議室に入る。
そこには、二人の女性が待っていた。
「ナツメくんやっほー。また会えたね」
シオリだった。
エリの母であるサキコとともに、シオリが現れた。ナツメは彼女がこんなところにいるのが理解できず、思わず固まる。
シオリは、いつもの柔らかな笑顔を浮かべていた。
「驚かせちゃったね。色々あって、ここに戻ることにしたんだ。だから、これからはもっと気軽に会えるよ」
「驚きました。事前に知らせておいてくれればよかったのに」
「サプラーイズ」
浮かれているのか、シオリは女子高生のような乗りでそう言ってブイサインをする。
サキコは、そんなシオリを見て、少し呆れたように笑った。
「シオリったらこんなにはしゃいじゃって」
そうは言ったものの、サキコも無邪気に笑うシオリを見て微笑んでいた。
ナツメは、サキコに向き直り、深く頭を下げた。
「あの、ありがとうございました。あなたの作ったミラージュに私は救われました」
サキコは、静かに頷いた。しかし、その目には複雑な光が宿っている。
「ええ。でも貴方は私から娘を連れ去っていくのね」
礼を伝えると、サキコは思わぬ鋭さでもって、ナツメに非難を示した。
「お母さん!」
エリが、慌てて母を制する。
サキコは、ため息をついた。
「わかっているわ、反対なんてしない。全くシオリの子じゃなかったら、こんな簡単に娘を預けないんですからね」
「ど、どうも」
シオリとの血縁のおかげで難を逃れることができ、ナツメは内心胸を撫でおろした。
サキコは、部屋の奥を指した。
「さあ、本題に入りましょう。こちらへ」
一同は、隣接する格納庫へと移動した。
そこには、ミラージュが立っていた。
しかし、その装甲は、これまで見たどのパッケージとも異なっている。
仏像の光背を思わせる円形のバックパック。全身のシルエットは無駄がなく、戦うために洗練されていた。
シオリが、その機体を見上げながら、神妙に呟いた。
「それで、これが以前サキコさんが言っていた、臨界者への回答ってやつですか」
サキコは、誇らしげに頷いた。
「ええ、ミラージュ:コードセラフィム。それがこの子の名前よ」
ナツメは、少し首を傾げた。
「パッケージ、ではないんですね」
ナツメはライトニングパッケージやストームパッケージなど、それまでの命名法則から外れるネーミングがひっかかった。
エリが、説明する。
「パッケージシステム自体が、クアッドコアによる次世代化を隠匿するためのミスリードみたいなものですからね。これがミラージュの完成形になります。まあ、パッケージシステム自体にサブのコアが組み込まれているのでデュアルコアの試作品でもありましたが」
ナツメは、感心した。
「てっきり換装機であることがコンセプトであると思っていたが、まんまと騙されていたんだな」
エリが、得意そうに微笑む。
「ナツメさんを騙し徹せたならわたしも戦士として捨てたものではありませんね」
ナツメは苦笑する。
「とっくの昔から、立派な戦士だったろうに」
シオリが、機体を見上げながら呟いた。
「それにしても熾天使ですか。パンドラの機体と対になっているようでなかなか皮肉ですね」
サキコは、腕を組んだ。
「人を超越した存在、と位置づけるとどうしてもそのようなイメージになるのでしょうね」
ナツメは、パシフィック襲撃事件を思い出した。
「人を超越……確かに人どころかドレスを含めた従来の兵器全てを超越した性能をしていましたね」
サキコの表情が、少し曇る。
「ああ、あなたもその一端触れたのだったわね。ただ、正直に打ち明けると、コアリンクに関する技術が追い付いていなくて現段階だと兵器としては欠陥品なの」
シオリが、眉をひそめた。
「どういうことです?」
「使用者を選ぶのよ。コア共振率ではなくて、複数のコアを並列処理する複雑な操作性という点において。つまり、クアッドコアまでいくとエリしか使える者がいないわ」
エリが、少し困ったように笑った。
「わたしも実戦ではすぐに限界がきましたが」
「デュアルコアの時点でドレスの操作難易度はおおよそ倍になると思ってもらってもいいわ」
ナツメは、ふと思い出した。
「シェリーは使いこなしていなかったか?」
エリは、少し間を置いて答えた。
「シェリーは……シェリーなので」
エリの言葉は答えになっていなかったが、ナツメは改めて己の伴侶の一人の底知れなさに戦慄した。
サキコが、シオリに目配せをする。
「この子のお披露目が済んだところで、あなたの用事は彼に伝えなくていいの?」
シオリは、少し緊張したように息を吸った。
「あー、そうですよね。少し緊張してしまって」
シオリは、ナツメを真っ直ぐ見つめた。
「ナツメ君、イノベイターを抜ける気はない?」
あまりに衝撃的な言葉だったため、ナツメは数秒固まった。
格納庫に、静寂が降りる。
それでも、周りの者は彼が言葉を紡ぐことができるようになるまでじっと待っていた。
ナツメは、ようやく口を開いた。
「ずっとそれを望んでいましたが、そんなこと可能なんですか?」
シオリは、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「勝手だとは思うけど、ずっとその機会を伺って準備してたんだ」
「それが、なぜ今なんですか?」
「君という存在がイノベイターの思惑を超越し始めたからだよ」
ナツメは、眉をひそめた。
「私の活躍はどれだけ想定を超えても彼らの利になるのでは?」
エリが、静かに口を開く。
「正直に言って、今回の襲撃事件で世間の耳目を集め過ぎました。もはやイノベイターでも制御しきれない程の関心が貴方に向いています」
「あの事件に限って言えば、私はなにもできなかった。エリの手柄だ」
エリは、首を横に振った。
「そうだとしても、世間は分かりやすい解釈を、よりセンセーショナルなニュースを好みます」
ナツメは、苦々しく呟いた。
「度し難いぞ」
シオリが、続けた。
「世間の皆が君ほど『確かなもの』を好んでいるわけではないということだよ。なんにしたって、イノベイターとしても君と距離を置く選択肢ができたってわけ」
ナツメの声が、少し荒くなる。
「そんな、あまりに身勝手な」
望んでいることとはいえ、離れるきっかけまであちらの都合であることに流石に不満を抱いてしまう。
そんなナツメを、シオリはそっと抱き締めた。
温かい腕が、ナツメを包む。
「納得いかない気持ちはわかるよ。それでも、私は君に一度は戦いから離れた暮らしをして欲しいんだ。どうか、私のわがままに付き合って欲しい」
ナツメは、シオリの腕の中で、小さく息を吐いた。
「この選択肢が嫌なわけじゃないんです。ただ、気持ちが追い付かなくて。それで、私はどうしたらいいんですか?」
シオリは、ナツメの肩を優しく叩いた。
「ウィリアム・アシュフォード氏には、面会の根回しが済んでいる。そこで彼の承認を得られればあとはスムーズに運ぶと思う」
エリが、小声で尋ねた。
「どなたですか?」
ナツメは、ポツリと答えた。
「イノベイターのトップだ」
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話はとんとん拍子で進んだ。
ウィリアム・アシュフォードが面会場所に選んだのはパシフィック校であった。
ディバイン社の会長である彼は、ナツメのスポンサーとして敷地に入る権利を持っており、視察という名目で訪れるのも不自然ではなかった。
会議室には、ウィリアムとナツメとシオリ、それに鼻息を荒くしたリリアの4人がいた。
ウィリアムは、ナツメを見て、穏やかに微笑んだ。
「久しいねナツメ。こうして無事に再会できてうれしいよ」
ウィリアムは老齢に似合わず、がっしりした体格と威厳を持った声をしていたが、ナツメに対する態度は孫に会いにきた祖父のように柔らかいものだった。
ナツメは、深く頭を下げた。
「ご無沙汰しております。本日はご足労いただきありがとうございます」
「気にするな。こんなことは我々が君に課してきた難題に比べればなんでもない」
「そう言っていただけるとこちらも助かります」
ウィリアムは、椅子に座ると、ナツメを真っ直ぐ見つめた。
「遠慮する必要はない。君の要望は既に聞いている。そのうえで伝えたいのは、どんなことがあってもこちらには君を支え切る準備と覚悟があるということだ」
重く吐き出された言葉を受け、ナツメは身を固くした。
隣に座ったリリアは、ナツメの手をテーブルの下で握りしめながら、鬼のような形相で老爺を睨んだ。
ナツメは、深呼吸をして、静かに答えた。
「その言葉は嬉しいのですが、私自身はもっと広い世界を知る時期になったんだと痛感しています。組織から離れて自立する機会を与えていただけますと幸いです」
ウィリアムは、少し寂しそうに微笑んだ。
「残念だ。だが、困ったときはいつでも頼って欲しい。ああ、イノベイターから離脱するにあたって課されるものは守秘義務くらいのものだが、付け加えると君に返してもらわねばならぬ物がある」
「なんでしょうか?」
ウィリアムは、静かに告げた。
「クルセイダーだよ」
言われた瞬間、ナツメの思考が止まった。
ドレスはそれ自体が高価な商品であり、最高の軍事力だ。いままで貸し与えられていたその特権を返すのは考えてみれば当たり前のことだ。
だが、今まで己の一部のように認識していたドレスとの別れは、理解できても感覚が追い付かず、沈黙をしてしまう。
両隣に座ったリリアとシオリが、ナツメの手を優しく握った。
二人は、ナツメの顔を覗き込んでいる。
そこからは、ナツメの変調への気遣いと、どんなことがあっても守るという決意が伺えた。
ナツメはそんな2人の気持ちを受け止めてなお、自分が戦う力を手放すことに抵抗を感じた。
一般的に考えれば異常だ。
それがわかっていても、ドレスが手元にない人生なんて経験も想像もしていなかったので体が固まってしまう。
ウィリアムは、穏やかな表情でナツメを待っていた。
リリアとシオリが泣きそうな顔で自分を見ているのを見て、ナツメはようやく口を開くことができた。
「承知しました。ただ、引き渡す前に少しだけ時間をいただけませんか?」
「もちろんいいとも。だが、なにをするかきいても構わないかね?」
ナツメは、震える声で答えた。
「己の半身を、己の半生をこの目に焼き付けておきたいんです」
ウィリアムは、深く頷いた。
「わかった。当然の権利だ。何人にもそれを邪魔はさせない」
「ありがとうございます」
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他の人を残して会議室を出ると、ナツメは駆け足で格納庫に向かった。
じっとしていると不安に襲われそうで、息が切れるほどの速度で駆け抜けた。
廊下を走る。階段を降りる。扉を開ける。
そして、目の前には、ずっと変わらない己の相棒がいた。
クルセイダー。
オフホワイトの装甲。シンプルな人型。しかし、その佇まいには、歴戦の証が刻まれている。
ナツメは、ゆっくりと近づいた。
幾つもの傷をその身に刻んだオフホワイトの装甲を撫でる。
それがいつついたものか、ひとつひとつ思い出すことができた。
一人で暗闇を駆け抜けるようだった「ケラウノス」として活動していたときのこと。
パシフィック校に入学してエリやシェリーと出会えたこと。
リリアとの激闘、輝かしいコンペティションの日々。
仲間の身を案じて人間らしく戦うようになったこと、シェリーと全てをぶつけ合った決闘、そして、ヴィーと対峙し決着をつけたこと。
その全ての日々を鮮明に思い出すことができ、それを一緒に体験してきたクルセイダーとここで別れることにまるで現実感がなかった。
己の内から湧き上がるなにかが分からず、ナツメは悶えた。
衝動的に、クルセイダーに抱きつく。
冷たい装甲が、頬に触れた。
ジワリと、涙が滲んだ。
これは人を殺す兵器で、己を戦場に縛る鎖だ。
それでも、どんなものよりも頼りになって、今の今まで自分の命をずっと守ってきてくれたものだった。
目を瞑っても、どんな形をしているかすぐに思い浮かべることができる。
身に纏っていなくても、どんな動きをするかイメージすることができる。
ナツメにとって体の一部とも言えるような存在。
合わせ鏡の反対側、ドレス社会に抵抗した唯一のドレス。
それが過酷な運命とともに与えられたものでも、己を兵器として定義づける証明でも、理屈抜きにナツメにとってなによりも信頼し、誇らしいと思えるドレスだった。
「クルセイダー」
物言わぬ相棒に最後の抱擁をしながら語りかける。
「今までありがとう。私の守りたいものを一緒に守ってくれて、本当に、ありがとう」
とめどなく流れる涙はそのままに、全力でドレスを抱き締める。
こいつに遠慮なんていらない。
いつだって全力を受け止めてくれた。
そして、これが最後だ。
全ての思いを吐き出して、ナツメは静かに身を放した。
最後に、敬礼をする。
そして、鋭く踵を返すと、もう振り返らない。
(私は新しい人生を歩む。それが君に恥じないものになることを誓う)
ナツメの足音が、格納庫に響く。
その距離はどんどん離れていく。
ドレスがなくても、ナツメの顔は歴戦の戦士のものだった。
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会議室に戻ると、ウィリアムが立ち上がった。
「もういいのかね?」
ナツメは、静かに頷いた。
「ええ、感謝を伝えることができました。もう心残りはありません」
「では私も行くとしよう。君も私がいつまでもいたのでは落ち着くまい」
ナツメは、少し肩の力を抜いて答えた。
「答えづらいことを口にしないでください」
ウィリアムの言葉が冗談を含んでいることに気がつき、軽い調子で返す。
ナツメの様子は先ほどまでの空気に飲まれていたものと違って、堂々としたものだった。
ウィリアムが右手を差し出した。
ナツメはそれを躊躇わずに握る。
男同士の固い握手が交わされた。
「君には感謝している。君のおかげで私は夢を見て、それを叶えることができた。君の戦いにあらん限りの称賛と感謝を捧げる」
力強い口調で言い切った老爺の目には、僅かに光るものが浮かんでいた。
ナツメはそこにこめられた思いを推し量ることしかできなかったが、組織という曖昧な存在でなく、この老爺の願いが自分の出発点であったと思うなら少しだけ納得できたような気がした。
「どうか、お元気で」
「君もな」
二人の手が離れ、お互いのいるべき場所へと歩みを進める。
おそらく、もう会うことはない。
だが、お互い忘れることはないだろう。
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廊下を歩いていると、リリアが待っていた。
「お疲れ様」
ナツメは、微笑んだ。
「ああ。そばにいてくれてありがとう」
「僕がそうしたかっただけだから。なに?遠慮なく言ってよ」
ナツメがもの言いたげな様子であるのを察して、リリアは水を向ける。
「いや、もう少し噛みつくものだと想像していたから、無事終わってよかったなと」
リリアは、ため息をついた。
「誰を想ってそうなってると思ってるのさ。場面くらい弁えてるよ。それに、あの人はナツメを手段としては見ていなかった。何を犠牲にしているか真正面から受け止めた上で、それをナツメにしか託せないと確信しているように見えた。まあ、そこもムカつきはするけど」
ナツメは、リリアの頭を優しく撫でた。
「すまない。少しだけからかいたくなって。そうだな。私の人生が、誰かの利益追求のためじゃなく、男としての夢を見るためのものであったのなら少しだけ許せるような気がする」
リリアは、ナツメの手を握った。
「甘すぎると思うけど。少なくともこれからは自分一人の命だなんて思わないでよね」
「十分承知している。これからもよろしくな」
「うん」
手を繋いだ恋人の機嫌はいつの間にか戻っていて、愛くるしい笑顔をこちらに向けていた。
いまだけは、この穏やかな時間を抱き締めて、ゆっくりと歩んでいきたい。




