56話 片割れ
パシフィック襲撃事件が世に知れ渡ると、イノベイター内部は緊張に包まれた。 シオリは、自室でナツメの無事を確認すると、安堵のため息をついた。 しかし、安堵と同時に、もどかしさも感じていた。自分は、ナツメの力になれなかった。
(このままでいいの……?)
シオリは、イノベイターという組織から抜けることを強く意識していた。
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それから数日後、高級ホテルのバーラウンジ。シックな照明が、大理石のカウンターを柔らかく照らし、ピアノの生演奏が流れる。平日の夜、客はまばらだ。
カウンターの隅に、シオリは座っていた。
ネイビーのサテンワンピースを纏っている。腰まである黒髪は、後ろで一つに束ねられ、背中に流れている。化粧は最低限。薄いファンデーションと、血色を足す程度のリップ。
扉が開き、男が現れた。
筋肉質な肉体を、瀟洒なグレーのスーツに包んでいる。白いシャツに、臙脂のネクタイ。堂々とした歩き方。引き締まった顔には、歴戦の兵士らしい鋭さがある。
ジョセフ・スターリング。
彼は、シオリを見つけると、静かに近づいてきた。そして、隣の席に座る。
「お招きいただき、恐悦至極。かの『冥王』からの招集とあっては馳せ参じぬわけにもいかない」
スターリングの声は、低く、落ち着いていた。しかし、その目には警戒の色がある。
シオリは、微笑んだ。
「その名はあまり好きではないのだけれど。まあいいわ。そんなにめかしこんでいるのに、デートとは受け取ってくれないのね?」
「そうであるなら光栄なのだがね」
「そう受け取ってもらってもかまわないわ。それとも、他になにか心当たりでもあるかしら?」
ジョセフ・スターリングは苦笑しながら両手を挙げて降参を示した。
スターリングを呼び出したのは、イノベイター所属の臨界者。『冥王』の畏名を持つ絶対強者だ。商業的なキャッチコピーである字名と、戦場で畏怖とともに名づけられる畏名では、その格に天と地ほどの差がある。畏名持ちとはすなわち戦場における天災、死神ともいえる。アメリカにおいては、『神の雷』ナツメ・コードウェル、『嵐の王』アリア・ドレイクの活躍が目覚ましいが、この冥王の方が活躍期間が長い。
目の前の女性がいくら魅力的でも、浮かれた気持ちになれないのも無理はない。
スターリングは、バーテンダーに目配せをして、手短に注文をする。
「ロブ・ロイを一つ」
「ソルティドッグを」
シオリも新たに注文をすると、ほどなくして二人の手元にグラスが届いた。
濃い赤色のロブ・ロイと、塩の縁取りがあるソルティドッグ。
シオリは、グラスを手に取った。縁に塩がついている。その塩を、指でなぞる。
「乾杯しましょうか」
「なににかね?」
「二人の出会いに、ではダメかしら?」
スターリングは、少し驚いたような顔をした。
「そいつはいい。では、二人の出会いに乾杯」
乾杯の理由から呼び出された理由を探ろうとしたスターリングだったが、シオリがあまりに無邪気に構えているので毒気を抜かれてしまった。なにか企みがあるにしろ、情報がないので、ここは素直に楽しむことにした。
カクテルの芳醇な味わいを楽しんだところで、シオリが一枚の写真をバーカウンターに載せた。
「この子のこと、知ってるかしら?」
スターリングは、写真を見た。
そこには、見覚えのある顔があった。
「ああ、ナツメ・コードウェルか。一度護衛をしたことがある。今やAクラスコンペだけでも三冠か、大したものだね」
シオリは、写真を見つめながら、静かに呟いた。
「この子、私の子なの」
スターリングは、わずかに目を見開いた。しかし、すぐに納得したように頷く。
「なるほど、面影がある」
突然のカミングアウトではあったが、二人ともイノベイター所属であり、シオリが組織唯一の臨界者であれば、二人の間に遺伝上の関係があるのは想像に難くない。
「手短に言うと、私は近々組織を抜けてこの子のバックアップにまわりたいと考えているの。そこで、貴方にもそれを手伝ってもらいたくて今日コンタクトをとったわけ」
スターリングは、眉をひそめた。
「話が見えないな。なぜ私にその話を?」
シオリは、カウンターに肘をついて指を組むと、そこに可愛らしく顎を載せた。隣のスターリングに微笑みながら小首を傾げる。
「さて、何故でしょう?」
ほんの数秒の逡巡。スターリングの思考回路が、とある仮説に辿り着いた瞬間、血の気が引いた。
「……まさか」
シオリは、微笑んだまま、静かに告げる。
「私は今からでも親としての責任を尽くしたいと思っているの。ところで、もう片方の責任は誰が担うべきかしら?」
「まさか……そんな。ありえない」
「嫌かしら?それとも、本当に心当たりがない?」
スターリングは、記憶を辿った。
イノベイターに所属する際に受けたバイタルチェック。そこで、少し不可解なサンプルの提出を求められたことを思い出す。
あの時、自分は何も疑わなかった。
「健康状態の確認だ」
そう言われて、素直に応じた。
まさか、それが……。
シオリは、スターリングの表情を読み取ると、静かに頷いた。
「その表情、私と違って同意も説明もなかったようね。であれば、あまり貴方を責めることもできないわね」
スターリングは、震える声で尋ねた。
「貴女はなぜ私が彼の父親だとわかったんだ?」
「20年近くも活動をしてたのよ。組織内にそれなりの伝手があるわ。とは言っても、調べたのはナツメ君と仲良くなってからだけど」
スターリングは、そこで確たる証拠がある情報だと確信して、うなだれた。
息子がいた。
20年近く、知らなかった。
同意もなく、遺伝子を使われた。
そして、その息子は、ずっと危険に立ち向かっていた。
「俺は……何をしていたんだ……」
スターリングの声は、震えていた。
シオリは、グラスを置いた。
「少し受け止めに時間がかかりそうね。今回の話は気が向いたらでいいわ。ただ、意図してなくても彼にとって貴方は血のつながった相手だということは覚えておいてあげて」
スターリングは、顔を上げた。
「貴女はナツメ・コードウェルと打ち解けることができたのか?」
「ええ、彼が会いに来てくれたのがきっかけでね。おかげで随分と救われた。生きる意味ができたと言ってもいいくらい」
シオリの声には、温かみがあった。
スターリングは、その声に、わずかな希望を感じた。
「私も会って話をしたい」
「仲介なら喜んでするわ」
そしてスターリングは改めてシオリを見つめた。
日本人らしく、年齢を感じさせない美貌。まだ20代と言われても信じてしまいそうであった。この女性と自分との間に遺伝上の子どもがいる。改めて考えても信じられない感覚だった。
スターリングは、静かに尋ねた。
「貴女とナツメ君のために私ができることがあるだろうか?」
シオリは、少し驚いたような顔をした。
「あら、お人好しなのね?かなり危ない橋をわたることになるかもしれないわよ?」
「覚悟はある。何を懸念しているか聞かせて欲しい」
シオリは、グラスを見つめながら、静かに語り始めた。
「ナツメ君の周りには複数の女の子がいるわ、あ、そんな顔しないで。やむにやまれぬ事情があるのよ、貴方にも想像がつくでしょう?そして、ナツメ君の子どもが生まれたときに、どんなことが起るか想像できるかしら?」
スターリングは、息を飲んだ。
臨界者の子であるナツメのコア共振率は男性にしては高い。生まれてくる子が女子である場合、そのコア共振率は限りなく100%に近づくだろう。それを狙う人物が出ないとも限らない。
シオリは、続けた。
「付け加えると、男の子が生まれても安心できないの。ナツメ君の周りにいるのはトップアクトレスばかりで、下手をしたらあの中に臨界者がいる可能性もある」
スターリングは、目を見張った。
その予想が合っているなら、男児にも危険が及ぶ可能性が高い。
「守らねば」
絞り出すように、渋い声が響いた。
シオリは、静かに頷いた。
「ドレスを着ている場面に限定すれば、守り切る自信はあるんだけどね。それ以外の場面を想定した場合、ナツメ君に比肩する戦闘能力を持っているのって、私が知る限り貴方くらいしかいなくて」
スターリングは、少し困惑したような顔をした。
「少し待ってくれ、色々と理解が追い付かない」
スターリングは、己の身体能力と戦闘技術に絶対の自信を持っていた。しかし、それを目の前の相手に把握されていることに頭を抱えた。何より、特殊部隊にいた経験がある自身に匹敵する力をナツメが持っていると言われたことも聞き逃せなかった。
シオリは、静かに説明する。
「少し考えればわかるでしょう?コア共振率60%程度で100%に近いトップアクトレスに勝たなければならないのよ?人類最高峰の身体能力がなければ不可能よ」
スターリングは、そこまで言われて、間近で見たナツメの戦闘を思い出した。
トランザム祝勝会の夜。
ナツメが見せた圧倒的な戦闘能力。
見ていて震えるほどの強さをしていたのは確かだ。
そして、シオリの突き付けた、相手の6割程度の出力で勝利をもぎ取らねばならない過酷さを想像して、スターリングは絶句した。
「彼は、それほどまでに困難な道のりを歩んできたのか……」
シオリは、ソルティドッグを口に運んだ。酸味とほのかな苦み、それを塩が受け止めて絶妙なバランスでハーモニーを奏でる。
「運命の悪戯かしらね。確率論で言えば100人のサンプルがいてもナツメ君と同じところに到達できる者はいないでしょうに、彼は成し遂げてしまった。でもこの先も同じようにうまくいくかしら」
「そうはいくまい。先日のパシフィックの件を経て世の中の流れは加速している」
「ええ、世界は今転換点に立っているわ。だから私はこのタイミングを逃すわけにはいけないの」
「そこはイノベイターの思惑通りか。だが、もしナツメ君がこれ以上の戦いを望まないなら、どこかで舞台を降りる機会を設けておいた方がいいな」
「ええ、だから今貴方に味方をしてもらえると心強いわ」
シオリは、右手を差し出す。
スターリングは、その手を見つめた。
細く、白い手。
しかし、その手は、戦場で何百もの敵を葬ってきた手だ。
スターリングは、その手を握った。
固く。
「頼りにさせてもらうわ」
「私も、彼のために戦おう」
二人の手が、固く結ばれる。
照れくささを精一杯隠しながら、シオリは微笑みかける。
スターリングは神妙な顔をしており、彼女の年齢不相応な恥じらいに気がつくことはなかった。
しかし、二人の間には、確かな絆が生まれていた。
ナツメを守るという、共通の目的。
そして、「親」として、初めて責任を果たそうとする決意。
シオリは、グラスに残ったソルティドッグを一気に飲み干した。
唇に、塩が残る。
それは、まるで流せなかった涙のようだった。
スターリングも、ロブ・ロイを飲み干す。
今、スターリングは、家族を守る決意を固めた。




