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50話 カティア・リンクス

ティア・デルタの亡命は、ナツメたちが懸念していたような混乱もなく、拍子抜けするほどあっけなく完了した。

それも当然で、あれだけ周囲(日本の省庁や英国陸軍)を巻き込んでおいて不備があれば、各方面の面子を潰しかねない。そのため、彼女の移送はVIP待遇どころではない、とてつもなく手厚い扱いで行われた。


また、この作戦にはアリア・ドレイクが一枚噛んでいたのも大きかった。

ドレイク社の重役である彼女が自ら輸送機に同乗しているという事実は、現場に完璧な統率をもたらした。不測の事態に対しても万全の構えが敷かれ、何より「リリアのタイトル獲得を祝福しに来た」という表向きの理由は、今回の極秘任務のカモフラージュとして完璧に機能した。


リリアは伝手がないなんて言っていたが、実行役という大役をしれっと自分の役割にしているあたり、なかなか食えない性格をしている。


日本に到着後、ティアはクサナギ重工所属でサポート科として編入された。

名をカティア・リンクスと改めた。かつての栗色のロングヘアはバッサリと切り揃えられ、ショートボブに。さらに伊達眼鏡をかけることで、その印象は大きく変わった。どこにでもいる真面目な女子学生といった風情で、かつてのパンドラの「生物兵器」の面影はない。


百華猟乱ティラノス」カオリ・タチバナのエクリプス正式加入というビッグニュースが学園を賑わせていたため、ティアの手続きはその陰に隠れてひっそりと行われ、周囲に怪しまれることもなかった。

そして、さらに驚くべきことに、もう一人、強力なメンバーがエクリプスに加入した。


「陰雷」アマネ・コウサカである。

彼女が率いていた「疾風迅雷」の他メンバーは、三月で事実上引退。それぞれが家業に専念するためにチームは解散となった。アマネ自身もちょうど身の振り方を考えている状況だったようで、ナツメたちのチームへの合流は渡りに船だったようだ。


エクリプスの部室にて。


「いやー、めでたいね。また君がコンペで活躍する姿が見られるなんて」


アマネは相変わらずの飄々とした態度で、新入部員とは思えないほど馴染んでいる。


「よく言うぜ、自分の思惑通り一緒にコンペに参加できるのが嬉しいだけだろ」


カオリが呆れたようにツッコミを入れる。


「その二つに大きな差があるかな?」


「全く……」


アマネの悪びれない様子に、カオリは肩をすくめた。


「実際、また活動できるようになったのはありがたいな。約束も果たすことができる」


ナツメが感慨深げに頷く。彼が言及したのは、キングス・テスタメントから程なくして参加が受理されたAクラスコンペ、「ユグドラシル杯」のことだ。

これはペア参加の空戦コンペであり、以前から約束していた通り、アマネがナツメを誘う形でのエントリーとなった。現在はそれに向けての調整が進められている。


「キングス・テスタメントで顔出ししたのが功を奏したみたいですね。シェリーがクロエ・リシャールを破ったことと、ナツメさんが襲撃者を撃退したことで話題性抜群でしたからね」


エリは端末を操作しながら、満足げに微笑んだ。実績と話題性、この二つが揃った今、ナツメの参加を拒む理由は、真っ当な判断力を持つ運営なら持ち合わせていないだろう。


「しかし、二人とも調子良さそうですね」


エリがディスプレイに表示された訓練のデータを見て感嘆の声を上げる。


「この前は参加できず悔しい思いをしたからな。それに、チームの創設者としてうかうかしてられない」


「君たちには悪いけど、ペア戦に限ってはナツメくんと一番相性がいいのは僕だよ。今からお祝いの言葉を考えておいてね」


アマネは自信満々に言い放った。

ナツメから見ても、その自信は過剰なものではなかった。アマネの得意とする奇襲戦法や幻惑撹乱は、相方が強力であればあるほど輝く。そして、ナツメのクルセイダーは囮にも、主攻にもなれる柔軟性を持つ。

何より、お互いが陽動も奇襲もできる「スイッチアタッカー」として機能するため、相手にしてみれば厄介なことこの上ないだろう。


組んでみてわかったことだが、アマネはどちらかといえば実戦的な思考をするタイプだ。盤面を綺麗に整えるよりも、泥臭く勝ちを拾いに行く判断ができる。その点が、ナツメの思考と恐ろしいほど噛み合っていた。


一方、社会的な変化も起きていた。

イノベイターがプロデュースする「クルセイダーズ」と呼ばれる男性ドレス部隊が、静かに世に浸透し始めていた。彼らはコンペの華やかな舞台よりも、治安維持や局地戦といった実戦を想定した部隊であるため、一般の人々の印象に残る機会は少ない。


だが、キングス・テスタメントという世界中が注目する舞台で、ナツメが襲撃してきたドレスを制圧した事実は大きかった。「男性でも実戦で戦える」という認知は、確実に広まっていた。

コンペで活躍していても、実戦での実力を疑う者は一定数存在する。それを実力で黙らせた形だ。もっとも、ナツメは元々実戦で命のやりとりをしてきた戦士なので、その疑いはナンセンスなのだが。


懸念材料だった、切札「ケラウノス」が露見したことについても、表面的には大きな騒ぎになっていない。

しかし、パンドラなどナツメを仮想敵としている勢力からは、一気に警戒レベルを引き上げられることになるだろう。


(まあ、あの場面だけでは生産コストやエネルギー消費の弱点は見抜かれないだろうし、見せ札としての「抑止力」にはなるか)


身近な人の中で、エリだけは申し訳なさそうにケラウノスの詳細について質問してきた。ナツメが、その運用コストやリスクといった問題を率直に伝えると、彼女は技術者として納得し、それ以上の追求はなかった。

ナツメはアクトレスとして復帰する見通しが立ち、チームも順風満帆。ブラックスミスやパンドラにも大きな動きが見られず、日々は平穏そのものだった。


------------------


時間は少し遡り、場所はパンドラの拠点。

ティアが消息不明になったことで、パンドラの活動は大きな支障をきたしていた。

遺伝上、臨界者になりうる候補者は多数用意できる。だが、そこから実際に臨界者に至ることができる者、その過酷な調整過程に耐えうるものは決して多くない。

それに加え、高い知性と作戦遂行力を持つティアを失ったこと、そして何より、ティアを将来的な「母体」として利用できなくなったことは、組織にとって手痛い損失だった。


冷たい懲罰室で、レア・ベータは作戦失敗の咎から、折檻を受けていた。

しかし、思考能力に乏しい彼女には、罰の意味はあまり理解できていない。彼女にとってそれは、ただ耐え忍ぶだけの形式的な時間でしかなかった。


一方、ヴィー・ガンマは荒れていた。

ティアが作戦に出る前は「尻拭いをしてやるから失敗してもかまわない」などと悪態をついていたにも関わらず、いざ彼女が帰ってこないと、イライラとして落ち着かない日々が続いていた。


(ティアの奴……どこ行きやがった)


戦いしか知らないヴィーにとって、ティアは数少ない「会話ができる相手」だった。レアは従順だが、思考能力に乏しい。ティアは生意気だったが、少なくとも話が通じた。 そして今、そのティアがいない。


「おい、ティアはまだ戻らねぇのかよ! あいつ、まさか逃げたんじゃねぇだろうな!」


壁を蹴り、物を破壊し、ヴィーは吠える。その粗暴な振る舞いの裏には、自分たちと同じ「同類」を失ったことへの、彼女なりの歪んだ喪失感が見え隠れしていた。

そんな中、上層部から次の作戦が臨界者である二人に告げられた。

それは、他勢力を陽動として利用し、本命としてパシフィック校に攻め込むという、とんでもないものだった。

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