38話 ナツメの暇とシェリーの願い
パシフィック校に戻ってから一か月。騒動が一段落し、停学処分が明けたナツメの日常は、以前の喧騒とはかけ離れたものになっていた。
多くのパシフィック校の学生たちは、彼を「英雄」として祭り上げるでもなく、「不正な行為者」として糾弾するでもなく、ただただ腫れ物に触るかのように扱った。視線は常にナツメを追うものの、直接話しかけてくる者はいない。ナツメという存在は、彼女らにとって未だに正体が掴めない、不可解な対象であり、その距離感がかえってナツメの居場所を奪っていた。
ナツメはもっぱらカオリの所有する格納庫に身を寄せていた。そこだけが、世間の視線から切り離された、唯一の安息の地だった。読書をしながら、カオリが淹れてくれた温かいお茶を啜る。その熱が、凍てついた心にじわじわと染み渡るようだった。時折、リリアから連絡が来ては、人目を忍んで会いに行っていた。しかし、アストラルのチームルームには、まだ顔を出せない。
エクリプスのチームルームは、いまだにナツメのファンとアンチが入り乱れ、混沌と化していた。チームメイトであるエリとシェリーに、多大な迷惑をかけていることが申し訳なくて胸が痛んだ。
唯一の救いは、こんな停滞した日々を過ごしていても、タイトルホルダーであるがゆえに単位には困らないことだった。パシフィック校をはじめとしたアクトレスの養成機関は、その実態が教育機関というよりも、コンペティションの運営機関としての側面が強かった。ゆえに、すでに実力を証明した者に対しては在籍条件が緩く、特にタイトルを保持しているナツメには、かなりの優遇措置が与えられていた。
だが、この先コンペティションに参加できる保証もない今の立場では、その事実がどれほどの意味を持つのか、ナツメにはわからなかった。
これまでは、目の前の敵を倒し、がむしゃらに勝利を掴むという、単純で分かりやすい目標があった。それが急に失われ、立ち止まってしまった今、将来への漠然とした不安が、ゆっくりと、しかし確実に思考を蝕んでいく。
不意に、ソファの隣が沈み、カオリが腰を下ろした。
「人生で立ち止まるのは初めてか?」
口調こそぶっきらぼうだが、その声には人生の酸いも甘いも知る、先輩としての穏やかな気遣いが滲んでいた。
「ああ、そういうことになる」
ナツメは読んでいた本を静かに閉じ、テーブルに置いた。そんなにも自分の不安が表情に出ていたのかと、思わず自分の顔に手を当てた。
「焦るこたぁねぇさ。なるようになる」
とても適当なアドバイスだったが、結局のところ、真理はそうなのかもしれない。見えない未来を心配していても仕方がない。そう腹を括ろうとした矢先、カオリがニヤリと笑った。
「退屈なら慰めてやろうか?」
「まだ日も高い。遠慮しておこう」
「つれないねぇ」
からかうようなカオリの言葉に、ナツメは苦笑した。一緒に過ごす時間が増えるにつれ、彼女の軽口のあしらい方も、だんだんと分かってきた。
その時、不意に端末が鳴った。画面に表示されたのは、シェリーからのメッセージ。「ナツメ、相談したいことがある」という一文に、ナツメはすぐに「カオリのところに匿ってもらっている」と返事をした。すると、すぐにエリを連れてこちらに向かうという返信がきた。
「シェリーとエリがこちらに来るが、構わないか?」
「まだ正式な書類は出してねぇが、オレにとってもチームメイトだ。なんの問題もない」
カオリはそう言って、ナツメを安心させた。
「助かる」
ほどなくして、二人がやってきた。カオリは、あらかじめ用意していたお茶を二人に出す。温かい湯気が立ち上る湯吞を手に取ったシェリーは、緊張した面持ちで口を開いた。
「ナツメ、いつぞや交わした、願いを聞いてもらう約束を覚えているか?」
ナツメはそれが、シェリーに性別がバレた時に交わした約束であることをすぐに思い出した。
「もちろんだ」
緊張した面持ちでシェリーの言葉を待つナツメ。しかし、人前で頼み事をするということは、そう困るような内容ではないだろうと、どこかで高を括っている自分もいた。
「エクリプスとして、『ザ・キングス・テスタメント』に参加させて欲しい」
シェリーの願いは、イギリスで最も権威のあるコンペティションへの参加だった。アーサー王と円卓の騎士をモチーフにしたその大会は、騎士道に生きるシェリーにとって、最大の栄誉となることに疑いの余地はなかった。
ナツメの胸に、焦りがこみ上げてくる。
「もちろん否ではないが、私が参加できる保証はないぞ」
力になれないかもしれない、約束を反故にしてしまうかもしれないという不安が、ナツメの胸を締め付けた。
「無論、それは承知している。だが、挑戦することに諦めがつかないのだ」
シェリーの目は、諦めを知らない強い意志で満ちていた。その眼差しに、ナツメは心を決めた。
「最善は尽くすが……。シェリーの所感としては、私の参加は見込めそうなのか?」
「む、そういった政治的な視点を我に問うか。皆目見当もつかんぞ」
自信満々で「わからない」と答えるシェリーに、エリは呆れながらツッコミを入れた。
「仮にも英国のナイトが自信満々でわからないって言うのは、どうなんでしょうか」
話の区切りがちょうどいいので、今回の更新はこの話で最後にいたします。
10月以降の更新を予定しておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。




