36話 スターリング
熱狂が冷めやらぬワシントンD.C.の街に、夕闇が静かに降りてきた。地平線は最後の光を放ち、空には群青と茜色のグラデーションが広がっている。
「やったな」
「やりましたね」
「ああ、我々の勝利だ」
五日間にも及ぶ過酷なアメリカ横断レース「トランザム」。チーム「エクリプス」の三人は、その全てを乗り越え、今、栄光のゴールラインに立っている。大歓声の中、優勝の栄誉を分かち合ったナツメ、エリ、シェリーは、マスコミの取材攻勢に笑顔で応えながら、その身体が限界を迎えているのを感じていた。
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その夜、彼らが宿泊するホテルでは、ディバイン社、クサナギ重工、キャメロットという三大企業が合同で祝賀パーティーを開催することになった。
エクリプスの3人は、各々がスポンサーから提供されたパーティドレスに身を包んでいた。
ナツメは、手慣れた様子で自らの体型を補正するコルセットを身につけ、滑らかな手つきで濃紺のドレスを纏う。ドレスは光沢のあるサテン生地で、肩から鎖骨にかけて緩やかにV字に開き、そこから流れるようにゆったりとしたスカートへと続いていた。深いネイビーブルーの色合いは、彼の繊細な体格を隠しつつ、クールな雰囲気を際立たせる。彼は鏡に向かうと、慣れた手つきでファンデーションを薄くのせ、目元にはグレーのアイシャドウをグラデーションで施す。アイラインは切れ長に、そしてマスカラは控えめに。唇には血色を足す程度の薄いローズカラーのリップを引く。その一連の動作は、プロのメイクアップアーティストのように淀みがなく、あっという間に華やかなルックスが完成した。
「驚異的な早業だな。マジックを見ているようだ」
呆然と見守っていたシェリーが、感嘆の声を漏らした。
「本当に見事ですね」
エリもまた、その手際の良さにただただ感心する。
「ありがとう。ところで二人はどんな感じのメイクにするんだ?」
ナツメの言葉に、二人は顔を見合わせた。
『どうするもなにもこれで終わり』「ですよ?」「だが」
ナツメは、困ったように片手で頭をおさえた。
「せっかくの晴れ舞台なんだから、もう少しおめかししても罰は当たらないだろう。メイクのアシスタントは手配していないのか?」
二人が首を振ると、ナツメは軽くため息を吐いた。
「せっかくの素材がもったいない」
ナツメが呟くように漏らした言葉に、二人の顔がぱっと明るくなる。
「それは我らの本気のドレスアップが見てみたいということか?」
シェリーが前のめりになって尋ねる。
「それは……正直に言えば少し期待していた」
ナツメが照れながらそう言うと、二人が息を飲む音が聞こえた。
「その、わたし、こういうの慣れてなくて……。よかったら、ナツメさんがメイクをしてくれませんか?」
遠慮がちにお願いをしたエリだったが、思いのほか乗り気なナツメに若干気圧される。
「……いいのか!?」
「よもや、エリだけ特別扱いする気ではあるまいな?」
「君もか。うーむ、ヘアセットも考えるとスケジュールがタイトだな……。わかった、すぐに始めよう」
まるで本職のような手際の良さを発揮したナツメによって、二人のメイクアップは、パーティが始まるまでに無事終わった。
ナツメは満足そうに頷き、言葉を紡ぐ。
「うん、二人とも綺麗だ!」
その直球な賛辞に、二人は咄嗟に言葉が返せない。
エリは、見違えるほど華やかに垢抜けた自分の顔に戸惑っていた。ナツメが選んだのは、肌の透明感を最大限に引き出す、輝きのあるファンデーション。目元には繊細なパールが輝くピンクベージュのアイシャドウと、瞳を大きく見せるブラウンのアイライン。そして、唇には瑞々しいグロスが塗られた。ウェアラブルデバイスを外した素顔の彼女は、まるで別人のようにきらめくアイドルやお姫様みたいで、ただただ唖然としていた。
シェリーは、自分の素材の良さには自信があったが、ナツメによって日焼けや細かい傷が丁寧にコンシーラーで隠された肌は、まるで陶器のように滑らかだった。目元は、彼女の強い意志を感じさせる鋭いアイラインが施され、さらに深みのあるアイシャドウと組み合わされることで、その目力は一層際立っていた。唇には、燃えるようなレッドのリップが引かれ、彼女の内に秘めた情熱が表現されていた。普段の戦闘服からは想像もつかない、本物の令嬢のように洗練された自分に、シェリーは満足そうに口角を上げた。ドレスは、肩から胸元にかけて大胆に開いたホルターネックのデザインで、深いスリットが脚線美を際立たせていた。それは、日頃のストイックな訓練で鍛えられたしなやかな筋肉を惜しげもなく披露し、彼女の女性らしさと強さを両立させていた。
「ありがとうございます……」
借りてきた猫のようにしおらしく感謝を述べた二人を見て、ナツメは微笑んだ。
「どういたしまして。さあ、行こうか」
ナツメが二人に手を差し伸べると、三人は華やかな祝勝会の会場へと向かった。
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会場は華やかなドレスとスーツを身につけた人々でごった返し、シャンパンのグラスが軽快な音を立てていた。
ナツメは、人々の喧騒に少し疲れて、会場のテラスへ出た。ワシントンの夜景が眼下に広がり、遠くにはリンカーン記念館の白い建物がぼんやりと浮かんでいる。未来への不安、自身の出生、そしてこのレースで感じた様々な感情が、渦のように頭の中を駆け巡っていた。頭を冷やすように、ナツメは夜風に吹かれながら散歩を始めた。
人気のないホテルの裏手に回り込んだとき、ふと背筋に悪寒が走った。まるで獣のよう研ぎ澄まされた直感が、危険を告げていた。身を低くして物陰に隠れた直後、ナツメがいた場所の壁に、銃弾が火花を散らす。
「くっ……!」
反射的に身を隠したナツメだが、全身から冷や汗が噴き出した。おそらくブラックスミスの襲撃者だ。レース中にも現れた彼らが、今、こんな場所にいるとは。
パシフィック校に入学する前からやつらとは因縁があった。そのころはクルセイダーというガワしか相手に認識されていなかったが、パシフィックで活躍して面が割れてしまった。そしてイノベイターと同じく、鉄血同盟の本拠地はアメリカにある。こうなることも当然想定すべきだったのだ。ナツメは自身の迂闊さを呪った。
なんにしても、丸腰の自分では、あまりにも分が悪すぎる。
絶望的な状況の中、ナツメは歯を食いしばり、次にすべき行動を考えていた。
その時、ナツメの頭上を、何かが高速で飛び越えた。
「――っ!」
視界の端に映ったのは、軽ドレスよりもはるかにシャープなシルエットをした、メタルブルーの強化外骨格だった。その外観はまるで、騎士の鎧を現代的に再構築したようなデザインだ。襲撃者たちが放つ短機関銃の弾丸が、その強化外骨格に次々と叩きつけられる。しかし、弾丸は甲高い金属音を立てて弾かれ、表面には傷一つついていない。
強化外骨格を纏った人物は、銃撃をものともせず、一気に襲撃者たちとの距離を詰める。そして、電光石火の速さで放たれた一撃が、襲撃者の一人を地面に叩きつけた。あまりの威力に、襲撃者は呻き声をあげることもできず、その場で意識を失う。
「ケガはないか?」
強化外骨格のヘルメットが開き、中から屈強な体つきをした白人男性の顔が現れた。彼はナツメに手を差し伸べ、気遣わしげな表情で尋ねた。
「あなたは?」
「君の護衛を仰せつかっている者だ」
男性はそう答えると、どこか楽しげに、肩をすくめた。
「……この辺りじゃちょっとした有名人なんだが、ご存じない?」
「えっと、すみません。普段は日本のパシフィック校で活動しているもので……」
ナツメは正直に答えた。彼の顔は、確かにどこかで見たことがあるような気もしたが、すぐに思い出せない。
「ならこれを機に覚えてくれたまえ。私はキャプテン・スターリング」
「はい、よろしくお願いします。私はナツメ・コードウェルです。ところで、それはドレスですか?」
スターリングはナツメの質問に、少し驚いたような顔をした。
「もちろん、護衛対象なので知っているとも。これは治安維持用に開発された外骨格、我々は皮肉を込めて『スーツ』と呼んでいる」
スターリングは自分の外骨格を見下ろしながら、その性能について説明してくれた。
「ドレスのような高性能ではないが、銃弾を弾く程度の防御力と、強化された筋力を持つ。まあ、男性用にダウングレードしたドレスだと思ってもらえばわかりやすいかな」
ナツメは、彼の言葉に興味をそそられた。その時、遠くから重々しい駆動音が近づいてくるのが聞こえた。
襲撃者の一人が、援軍を呼び出したようだ。夜の闇を切り裂くように、全身に傷を負った陸戦ドレスが現れる。見たところ、型落ちの旧式ドレスのようだったが、それでも生身の人間にとっては、圧倒的な脅威だ。
「くそっ、ドレスまで……!」
スターリングは、一瞬で状況を把握した。スーツでは、この相手には対抗できない。彼は迷わず、ナツメを抱きかかえると、その場から全力で走り出した。いわゆるお姫様抱っこをされ、ナツメは困惑しながらも、即座に懐から端末を取り出し、イノベイターと連絡を取る。
「……!至急、クルセイダーを運んでください!」
「君は一人で逃げてくれ!」
スターリングはそう叫んだが、ナツメは首を横に振る。
「だめです!指定ポイントまで一緒に逃げましょう!」
ナツメの切羽詰まった声に、スターリングはわずかに驚きを隠せないようだったが、ドレスの追撃を振り切ることに集中する。
猛攻を仕掛けてくるドレスに対し、スターリングは卓越した体術でその攻撃をいなし、ナツメは端末を使って合流地点までのルートをナビゲートしながら、敵ドレスの脅威度の高い攻撃のタイミングを伝える。二人の息は今日会ったばかりとは思えぬほどに合っており、絶望的な状況にもかかわらず攻撃を躱し続ける。
そして、ついにクルセイダーが格納されているトレーラーが見えてきた。スターリングは最後の力を振り絞り、ドレスを足止めする。
「起動までの時間を稼ぐ!大船に乗ったつもりで行ってきたまえ」
ナツメはトレーラーに飛び込み、クルセイダーに乗り込む。全身に力が満ち、心臓が高鳴る。クルセイダーのセンサーが起動した瞬間、ナツメは安堵と高揚感に包まれた。
クルセイダーは、トレーラーから勢いよく飛び出し、スターリングと組み合っているドレスを横合いから一撃で吹き飛ばす。武装は装備していなかったが、それ以前の問題だった。敵ドレスはよろめきながらも立ち上がると、反撃を試みるが、殴りかかる度にクルセイダーからカウンターを喰らい、エネルギーフィールドが火花を散らす。
「スーツアクターの矜持を見せてもらいました。ここからは、ドレスアクターの真価をお見せします」
「おいおい、それを言うならアクトレスだろう」
スターリングは、ナツメの言葉に苦笑した。
それからナツメは、まるで赤子の手をひねるように敵の攻撃を捌き、カウンターを叩き込む。その動きは、無駄がなく、圧倒的な実力差を感じさせた。やがて、エネルギーを使い果たした敵ドレスは動きを止め、クルセイダーの一撃で派手に吹き飛ばされた。
スターリングは、ナツメが見せた圧倒的な戦闘能力に驚き、動くことができなかった。
そして……
戦いが終わり、静けさが戻った夜道に、ナツメとスターリングは立っていた。
「助けていただき、本当にありがとうございました」
ナツメは改めて礼を述べ、スターリングと固く握手を交わす。スターリングは、まだ熱が冷めやらぬといった様子で、感嘆の表情を浮かべていた。
「いや、驚いた……。生で見るタイトルホルダーの戦闘がこれほどとは」
「ご期待に沿えたならなによりです」
スターリングは、ナツメの答えに納得したように頷いた。そして、少しだけ眉をひそめ、冗談めかして忠告する。
「にしても、夜道に女の子が一人で出歩くものではない」
ナツメは苦笑するしかなかった。言っていることはもっともだが、肩を並べて戦った男から女の子扱いされるのはなんとも言えない気分だった。
騒ぎを鎮静化させるため、イノベイターの処理班が駆けつけた。二人は、お互いにやるべきことをするために別れる。ナツメは、迂闊な行動をした自分を反省した。
しかし、その一方で、今夜の出会いに、運命めいた胸の高鳴りを覚えていた。男性の身でありながら、臆することなくこの世界で戦っているスターリングの姿は、ナツメに勇気を与えてくれた。それは、これから彼が歩む道に、一筋の光を照らしてくれたようだった。




