3.魔族(前)
1.ククルプスの魔族
迷宮は大きく二種類に分けられる。
踏破済迷宮と未踏破迷宮。
つまり、ボスが既に討伐されているか否かだ。
「……ついにここにも魔族が出たらしいな」
「《ククルプス》が発見されてからもう長い。時間の問題だった」
冒険者は皆ボス討伐に飢えている。
ボス討伐の恩恵は多岐に渡るが、一番大きいのは魔術刻印だろう。止めを刺した者の肉体には確率でボスの魔術式が刻まれる。
そのボスの使っていた魔術の廉価版を使えるようになるのだ。だから冒険者はこぞって迷宮を攻略し、ボス討伐を目指す。
ボス討伐は箔がつく。単純に戦闘能力も増えるしな。魔術が使えるようになるんだから。例えばプリャドさんは『身体強化』と『剛剣術』、二つの当たり魔術を持っている。
「ボスに隷属すれば魔術刻印を刻んでもらえるなんて眉唾、なんで信じるのかね」
「頭が足りないんだろ。体よく利用されてるだけだってのに」
ざっ、ざっ、ざっ。
そら寒い山脈に足跡が二つ。この雪景色で痕跡を隠すのは難しい。
ボス側に寝返った人間のことを魔族と呼ぶ。
こういう奴らは定期的に現れる。
特に《ククルプス》のように、長らくボスが討伐されないと発生する。討伐できないのなら、隷属し、お慈悲をいただこうという魂胆だ。
献身的に支えれば。ボスの気分が良ければ。万分の一の気まぐれを起こしてくれたら。
もしかしたら、自分に魔術刻印を刻んでくれるかもしれない。
前例などない。それでも愚かな人間は魔術を諦めきれない。
二人組の冒険者は慣れた足取りで歩を進める。ベテランだ。
片割れが急に口を抑えて蹲った。
「……っ」
「どうした? なっ、毒か!?」
最近ここ《ククルプス》に現れた魔族は相当にタチが悪いらしい。
ただでさえ険しかった山脈は更に意地悪く人間を責め立て、人間の良心を抉るようなトラップが増えた。
魔族どもは明らかに組織だって動いており、つまり、複数人いる。
隠密に長けた冒険者。しかも山脈の内部構造を知り尽くした連中。それが、音もなく蹲る二人のベテランを取り囲む。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
「……連れていけ」
「ハッ」
そう、俺である。
俺は歯列をギラつかせて連中の前に姿を見せてやった。背後に控える黒子が万一がないよう俺の周りを固める。
連中は悔しそうに歯軋りなどした。全身に力が入らないだろうに健気なものだ。
「てめぇが……魔王か……!」
「魔王? ふ、ふふ。ふはははは……」
人のことを魔族だなんだ魔王がなんだって言いやがってよ。
俺は嘲笑った。気分が良かったからだ。
先生曰く、俺は大義を以て殺すらしい。
いつも殺すための理由を探している。
理由さえあれば躊躇なく殺す。
全くその通りだ。やはり先生は素晴らしい。
ククルプス様に逆らおうとする愚か者に相応しい末路など決まっている。
「フハハハハハ!!」
ここは素晴らしい場所だった。
殺して良いヤツが次から次へとやってきやがる!
2.回想
数日前のこと。
俺は先生の命を受け山脈型迷宮・《ククルプス》に押し入った。
転送の長いゲートを潜ると雪国であった。
ゲート。異界の門。迷宮の入り口だ。ゲートは至る所に自然発生する。俺が知ってる最悪のケースはクランハウスの風呂場に出現した時だな。怒り狂ったプリャドさんが三日で攻略していた。
ここを通る瞬間はいつもワクワクする。リスキルされることも多いけど、それ以上に新天地への期待が募る。
ぐわんぐわんと視界が靄に包まれて、強いお酒を一気に呷ったみたいな酩酊感に襲われる。転移酔いとか呼ばれるヤツだ。こんなものがあるからリスキルなんて横暴が罷り通るんだよ!
「オラァッ!」
暗転した視界が開けた瞬間。
雪景色を堪能する暇もなく、俺は斧を振り回した。
種族人間は宝の山だ。特に冒険者ともなると高価な装備に身を包んでいる。危険な迷宮探索をするくらいなら人間を襲って金目のものを盗もうって魂胆だ。とても人間の風上にも置けない考え方だが、俺は支持するぜ。迷宮内は治外法権。誰が誰に殺されたなんてここゼブルートじゃ森の中の木だ。
「うわっ!」
いきなり斧を振り回した俺に近くにいた人がびっくりした。拍子抜けする反応だな。まさかこいつら、リスキル狙いじゃないのか?
人の気配は数十。思ったよりも多いな。未踏破迷宮とはいえ。
「……」
俺が斧を振りかぶったままの姿勢で沈黙していると、連中の長らしき男が前に出た。
「君は野良の冒険者かな? それとも魔族だろうか? 問答無用で攻撃するとは穏やかじゃない」
「自衛だよ。転移酔いは格好のリスキルポイントだからな。ゼブルートじゃ常識だ」
「……そ、そうなんだ。物騒だね。僕らは最近ゼブルートに来たばかりなんだ。クラン名は【奇道怪鳥】。僕はリーダーのバドウェイ・バザールだ。シグズフォレストじゃそこそこ名の知れたクランなんだけど……」
「聞かねぇな」
嘘だ。知っている。【奇道怪鳥】ね。
俺はぐるりと辺りを見回した。なるほどねぇ、隣国からやってきた精鋭クランか。確かクランランクは七。粒揃いだ。
だが──脇が甘いな。
確かに普通に考えればこいつらは優秀なんだろう。命が一つしかない探索ではな。
しかしここはゼブルート。不死の国だ。
命の価値が低い国。
ここらの冒険者なら少なくとも、目の前で戦意を見せた俺を見逃すなんて選択肢はあり得ない。殺しても死なねんだからとりあえず殺す。重要な局面で背後から攻撃されたらたまらない。
素人め。俺は鼻で笑った。
「僕たちは昨日ボス部屋を発見して、これからボスに挑むところなんだ。できればあまり刺激しないで欲しい」
「……へぇ!」
俺は目の色を変えた。
前言撤回。こいつらものすごく優秀だ。
《ククルプス》は発見されてからもう二ヶ月は経っている。それでもまだ攻略されていないのはそれ相応の高難易度だということ。
それを、最近ゼブルートに来たばかりのクランがボス部屋まで発見しているだって?
俺はにっこりと笑って手を差し伸べた。
「それは悪かった。俺はタイダラ。クラン【飼い犬】から来た偵察兵さ。見たところ君たちはゼブルートに──特に『女神の祝福』に詳しくないようだね。良ければ同行しようか?」
「……! 【飼い犬】というと、レチェリ女史のとこか! 心強い! ぜひお願いしたい」
そういうことになった。
やはり女神。レチェリ先生の名は万里に轟く。
まあ、正確には俺は今【飼い犬】所属じゃねんだけど。
しめしめ。俺は含み笑いを漏らした。体よく優秀な護衛をゲットしたぜ。俺ってばお茶目でさ、戦闘だけはからっきしなんだ。
その代わりと言っちゃなんだが、温室育ちの冒険者にここの常識ってやつを教えてやるよ。
3.回想(2)
「なるほど。死体の再生……魂の隔離?? にわかには信じがたいね」
「なんだ、まだ誰も死んでないのか?」
「うん。まだ本格的にボス戦をやったわけじゃないし、死んでられないよ」
へぇ。
俺はクラン【奇道怪鳥】の評価をもう一段階引き上げた。ゼブルート人は軽率に死ぬからなぁ。
俺はこいつらのアドバイザーとして雪山を歩いていた。酸素が少ないな。息苦しい。山脈型迷宮はこれだから。
簡単に『女神の祝福』の説明などしてやるが、少し味気ない。そろそろ俺がこいつらにおんぶに抱っこでサボってるのがバレ始める頃だ。あれ、こいつ何もしてなくね? って。
一芝居打つか。
「じゃあいっぺん見た方が早いな」
「え?」
「オラァッ!」
「うわぁっ!」
俺はその辺にいた知らない冒険者に斧を振り下ろした。「ああ"ッ!?」とドスを効かせて即反撃しようとするのはさすがゼブルートの冒険者。常在戦場の心構えよ。
だが、背後から不意打ちしたんだ。不幸な野良冒険者の即死は避けようがなかった。
首が斬り落とされて鮮血が舞う。
俺のいきなりの凶行にバドウェイくんが慌てふためいた。
「き、君! タイダラ君! 何してるんだ!?」
「まあ落ち着けよ。こいつはレッドクランの犯罪者だ。俺も何度も殺されてる。つまり自衛だな」
「そ、そうなのか……?」
「ああ。危ないところだった」
いや別に嘘だけど、まるっきり全部が嘘って訳でもねぇな。
レッドクランなんて括りはこのゼブルートには存在しない。ちょっと殺したくらいで犯罪認定されるんなら全部のクランがレッドクランだ。つまりこいつは犯罪者って寸法よ。犯罪者なんだからヤられる前にヤらなきゃな。
俺は名前も知らない冒険者の死体を指差した。
「ほら、見てみろよ。血が戻っていって首がくっつこうとしてるだろ。もうすぐ完治する。この状態で女神像の前に持っていくと蘇生するってワケ」
「へ、へぇ……ほんとだ。タイダラ君は物知りだなぁ」
よしよし、好感触だな。
俺はしめしめと笑った。
実のところ、俺は全く【奇道怪鳥】の役に立っていない。ただ護衛してもらってるだけのお荷物だ。
いつか気付かれる。が、遅延することはできる。
ここらじゃ当たり前の情報を渡すだけでこいつらは俺に勝手に恩を感じてくれるんだ。
確かに俺はテイカーかもしれない。貰ってばかりの穀潰しって意味ね。
でもテイカーにはテイカーなりの矜持があるんだ。
悪いことをしたら菓子折りを持って謝りに行く。嘘はバレないように吐く。最初は過剰なくらい多くを与えてやる。わざとらしく見返りを求めない。
返報性の原理っつってな、人は親切にしてもらったら同じ分だけ親切を返したくなるんだ。だから俺は惜しげもなく情報を渡してやるぜ。こんなのここらじゃ誰でも知ってることだしな。
「ちょっとバド、その男は本当に信用できるわけ?」
ちぃっ。勘のいいヤツがいるな。
俺は小さく舌打ちした。
バドウェイくんが庇い立てしてくれる。
「アンバー、失礼を言わないでくれ。彼は【飼い犬】の人なんだよ。僕たちと同じランク七の冒険だ」
「【飼い犬】ってアレでしょ、確か──そう、『魂の流刑地』! 異常者ばっかりって話だよ。さっきから戦闘も全部私たち任せじゃない!」
「僕はレチェリ女史と会ったことがある。彼女は聡明な人格者だった」
「そりゃマスターは優秀なのかもしれないけどさぁ!」
キッ、と俺を睨むのは赤毛の女。
アンバーと言うらしい。立ち振る舞いから見てそれなりの立場。サブマスターとかかな? プリャドさん枠だ。
旗色が悪そうだったので俺も口を挟んだ。
「俺は先駆兵なんだって。地質調査に来たんだよ。戦闘は苦手だけど、鉱石掘りや薬草集めが得意なんだ」
「さっきは偵察兵って言ってなかったっけ?」
「あぁ? ああ〜、そうかもなァ??」
「やっぱりコイツ、信用できない!!」
しまった。売り言葉に買い言葉で煽ってしまったよ。トホホ。
俺はピロピロと舌を出しながら涙を流した。また誤解されちゃうぜ。俺はこんなにも善良で平凡な鍛治師なのによォ??
赤毛の女はムキーッと地団駄を踏んだ。
「二人とも、やめるんだ。もうすぐボス部屋に着く」
バドウェイくんが宥める。俺たちは喧嘩をやめた。
ボス部屋は、いわゆる山頂だった。
切り立った崖にロープが掛かっている。恐らく前回の探索で【奇道怪鳥】が掛けたモノだろう。
ロープを登って様子を伺う。
崖の上は半径二十メートル程度の円形になっており、中央に巨大な鳥が鎮座しているのが見えた。
あれがボス──ククルプスか。
鳥だ。でっかい鳥。シルエットは鷹で顔は梟。全長は五メートルほど。ボスにしては小さいが、問題は飛行能力だろう。上空に逃げられれば種族人間に抗う術はない。
「勝算は?」
「三割。何度か軽く探ったけれど、未だにヤツの魔術は分からない。ヤツは臆病で狡猾だ。傷を負ったらすぐに逃げる」
バドウェイに問うと懸念していた通りの答えが返ってきた。
ふむと頷いて俺はアンバーに向かって手招きする。
「……何よ」
仏頂面を返すアンバーに俺は懐から人抱えほどもある球体を差し出した。
「逃げられるんなら逃げられないようにしちまえってな」
「な、何!? 何なの! 私は今何を渡されたの!?」
「卵だよ。多分ククルプスの。さっき見つけたんだ」
「は、はぁ!?!?!?」
頭上にハテナマークを浮かべてアンバーは動転している。
いやさ、お前らそれでもプロの冒険者かって。卵だっつってんだろ。理解が遅いな。
武装した冒険者が数十名、寝床まで押しかけてきている。
そいつらが自分の大切な卵を持ってたらどう思うかって話だよ。
「キエエェェェエエエ!!!!」
激昂したボスが襲ってくるんだよ。
「ひっ」
「総員、戦闘態勢!!」
怯えるアンバーの姿はかなり笑えたが、流石にバドウェイくんの判断は早かった。
飛来する雪の礫を剣で弾きながらアンバーを後方に庇う。お手並み拝見と行こうかね。
「タイダラ君、こういうことは前もって言っておいてもらいたいかな!」
「悪いな。ゼブルートのボス攻略は『当たって砕けろ』だ。死なねんだからな。全滅したら死体は回収してやるよ。おい、バド」
俺はわざとニックネームで呼びかけて、バドウェイくんに向かってハードボイルドに笑いかけた。
「さっきは逃げられさえしなければ勝てるみたいな言い草だったなァ?? ヤツの退路は俺が絶ってやったぜ」
「……君って奴は!」
バドウェイくんも笑った。流石に一流冒険者。煽られてんのは分かったか。
「おい、僕らは随分と舐められてるみたいだぞ! 存分にゼブルートに見せつけてやろうじゃないか! 【奇道怪鳥】ここにありってね!」
「「「うおおおおおお!!!!」」」
そういうことになった。
俺はそそくさと戦場から退避した。
一時間も経てば死んでるだろ。いやまあ、普通に考えればこんな遭遇戦で勝てるわけないよね。確かにゼブルートの基本戦術はゾンビアタックだけどさ。それにしちゃ頭数が足りねぇよ。ゾンビアタックするにしても死体回収役とタンクが倍はいる。女神像まで持って帰らなきゃ蘇生できないんだからさ。
俺は約束を守る男。財布と一緒に骨は拾ってやるからね〜。
ナチュラルにクズ
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