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アタシと旅立ちの……

 煙草と排ガスと、田舎の森の匂いが混じった味がする。

 ラジオからは当たり障りのない話題が零れ、窓の外の小学生の声が置き去りになっていく。アタシは軽トラックの助手席で物憂げに座っていた。

 軽トラックは子犬のようによく跳ねる。跳ねても誰も褒めてくれないのに、一度跳ねてガタン、アタシの尻が宙に浮く。クッション性皆無の潰れた座席がアタシを抱きしめる。跳ねる度に、読んでいる本のページが飛び去る。


「それ読めてるんかぁ?」

 ドライバーの声に、アタシは答える。

「何度も読んでいるからね」

 本は貴志祐介さんの〝新世界より〟だ。V系バンドのドラマーみたいな恰好をした運転手が、ちらりとアタシの手元を見て言う。

「その本、重ない?」

 数少ない友達の、化け(、、)カラスのロキ君だ。

 アタシは「好きなんだよ。悪い?」と言いかえす。

 目が少し疲れた。アタシは目頭を揉みながら問いかける。


「あのさ」

「おん」

「なんでバンドマンみたいな恰好してるの?」

「バンドマン……?」

「長髪で、化粧してて、ロングコートで……好きなの? そういう恰好」

 ロキ君の本体はたいそう大きなカラスで、出雲の森にいたときは主みたいな面をして暮らしていた。柿が好きで、妙な言葉で喋る。恰好の趣味まで変わっているのかと気になった。

「ああこれ、ちゃうねん。この格好の人間、コンビニの廃棄を巡ってわしの子分とよぉ喧嘩しててん。ほんでわし呼ばれるやろ? 脅かすやろ? 何度かやってるうちにコイツの恰好が目に焼き付いて」

「くだらな」

 シンプルにどうでも良い理由だった。


 絵の多い本に変える。

 新世界よりを閉じて、次に開いたのは、あまん きみこさんの〝きつねのおきゃくさま〟だ。

どちらの本も何度も読んだから、本の端が擦り切れていた。

 アタシはTシャツに短パンのラフな格好で、絵本を読み進める。シートベルトがひどく煩わしかった。手癖でいじっていると、化けカラスのロキ君が「ほどいたらあかんでぇ」と変な訛りで言った。アタシはその言葉は無視した。代わりに、むかし読んだレビューを口ずさむ。

「お腹のすいたキツネが、痩せたヒヨコを太らせて食べようとします」

「あぁ、やっぱり身が少ないと食いでがないからなぁ」

「黙れ、貴様」

 ロキ君が黙ったので、アタシは続ける。

「ヒヨコは食べられるとも知らず、キツネのことを親切なお兄ちゃんとアヒルやウサギにも教えていきます。親切だなんて言われた事のないキツネはぼうっとしてうれしくなってしまいました」

 4匹で仲良く暮らしていると、狼がヒヨコ達を食べにきますが、勇敢にキツネが立ち向かいます……。

 あたしは少しぼうっとして、それから呟いた。

「これからどうしよう」

 叔父がアタシに引いた人生のレールは、木っ端微塵となった。看護師の資格を取ることは取ったけれど、たぶんもう、二度と使うことはない。アタシには看護師は向いていなかった。味方のいない場所で生きていくのにも、少し疲れてしまった。

「どうなるんだろう」

 窓の外では、景色が高速で吹っ飛んでいる。

 気を抜いたら、すべてから置き去りにされそうだった。いや、もしかしたら、もう置き去りになっているのかも……。アタシが暗い気持ちになっていると、ロキ君が口を挟んだ。


「どうしたいかは、決めたんちゃうのん?」

「あー」

「せやから引っ越すんやろ?」

「そうね。そうだったね」

 アタシは叔父のもとから逃げ出して、遠くに引っ越すことにした。そこも〝町〟の人からしたら田舎扱いかもしれないけど、人より木や猪の方が多い故郷と比べれば、アタシにとっては十分都会だった。

 ただ、全てのしがらみ(、、、、)から逃げられたわけでも、ないけれど。

 引っ越し先の大家さんは、親戚の友達だからだ。県をいくつ跨いでも、アタシを全く知らない土地にはいけない。風の強い日に、飛ばされてきたゴミが足にまとわりつくようなうっとおしさがある。


「なんとかなるて。ならんかったら、戻ればええやん」

「戻ることはもうないよ」

「土地に? 群れに?」

アタシは答えを持たなかった。ロキ君もそれっきり口を開かなかった。

 アタシたちの暖かな沈黙に突っ込みを入れるように、背後の荷台からは積荷が動く賑やかな音が聞こえていた。

 アタシの数少ない持ち物。家財道具と言えるほど、立派なものは持っていない。パソコンと、服と、日用雑貨。あと、少しの本。そのくらい。段ボール箱に詰められたアタシの歴史が、どん、どん、と賑やかに鳴いている。



 大家さんは人の良さそうなお爺さんとお婆さんだった。

 アタシが二人に挨拶している間に、V系バンドのドラマーみたいな男が、せっせと荷物を長屋に運び込んでいる。

「あの子、あの、見た目凄いけど、働き者ねぇ」

大家さんはアタシと話しながらも、異様な恰好のドラマーが気になるようだった。気になるよね。真夏に長髪ロングコートの長身お兄さんだもんね。そんな視線を露知らず、ロキ君は荷物をさっさと降ろすと、

「ほな! また! 暫くしたら様子見に来るわ!」

 挨拶もそこそこに行ってしまった。

 アタシと違って社交的なカラスだから、予定がいっぱいなのだろう。

 引っ越し先は、山の中の長屋だった。平屋で、徒歩2秒の位置に畑がある。車で五分くらい行くとコンビニがあるから、ギリ都会と言って差し支えないだろう。問題は、アタシが車を持っていないことだ。

大家さんと別れ、アタシは部屋の整理を始める。

 長屋の戸や窓を開けていくと、風に押された埃が連なって飛んでいくのが見えた。カラスのロキ君も大家さんもいないと、長屋は随分と静かだった。

 引っ越しの片づけを進める度、どこからか埃が舞い上がる。片づけを終える頃には、アタシは埃だらけになっていた。

「うがー」

 引っ越しの疲れから呻くと、口の中にも塵が入っていた。お風呂に入ろう。そうするしかない。そんな気分だった。

 洗ったばかりのお風呂にお湯を張る。

 なんと! 故郷の出雲の山奥でも見たことのない、五右衛門風呂? というやつだった。

 洗い場で体を流す。狼耳も、尻尾も、こすると塵が無限に出てくる。毛があるとあったかいけど、こういう手入れはなかなか面倒だった。


「どぉしてこぉ」

 アタシはなんとなく呟く。

「人と違う感じ、なのかなぁ」

 アタシは、アタシたちは〝人狼〟ってやつだった。ほとんど人間みたいな見た目だけど、やっぱり決定的に違う。耳は、狼耳と人間の耳と合わせて4つあるし、尻尾もある。

 でも何より、寿命が違った。

 人間と一緒に暮らしていたこともあったけど、いつからか別れて、そして隠れ住むようになっていた。

 アタシは人狼の隠れ里でも、鼻つまみものだった。一生懸命人間のフリをして学校に行っても、やっぱり馴染めなくて。人間の役に立てば人間の世界に居られるって思ったけど、やっぱり務まらなくて。

「アタシは、自分が正直でいられる場所が欲しいだけなのに……」

 ちょっと嘘かもしれない。

「アタシは、ただ、みんなに愛されたいだけなのに……」

 アタシは湯の中に頭まで浸かる。

 羊水の中の胎児みたいに丸まる――でも、狼の耳だけは、湯に入れず湯気を受けるだけだった。


 超、のぼせた。

 お腹も胸も、湯たんぽになってしまったよう。

 アタシはパジャマ代わりのTシャツとショーツを着ると、布団に倒れ込んで眠った。

 体温が高すぎて、眠りに向かうまでが苦しい。透明な綿で喉が詰まっているよう。

 誰の束縛も受けない場所にきたかったのに、いまだけは、誰か守ってくれないかな、なんて思っていた。

 ……。

 …………。

 時折、目が覚める。

 雨漏りしたあとのある天井。暗い影が微妙に顔みたいだし、少しずつ表情が変わる感じがした。埃がふわふわと浮いて、ぼんやりした頭だとプラネタリムみたいに感じた。

 火照りは収まっていたけど、なんか、妙だった。ほとんど気づいてるのに、何度も目にしているのに、ふつう過ぎて目が滑る感じ。サイゼの間違い探しみたいな。

 時計代わりのスマホで時間を確認する。今は午前2時。いわゆる丑三つ時だ。スマホを放り投げ、また目を瞑る。


「……?」

 なにか妙だった。目を瞑っているのに、なぜか視界が白い。スマホの画面を見すぎて目がおかしくなっちゃったかもしれない。

「なんてね」

 そう呟きながら目を開けると、部屋の隅に妙なものが浮いているのが見えた。白い霞のような、トゲトゲした光の塊が二つ浮いている。

「……プラズマ? つーか、あーはいはい、だから天井が見えたのね、完全に理解した……え?」

 アタシはハッとした。今度こそ完全に理解した。たぶん、まだ、夢の中なのだ。布団を首まで引き上げ、目を強く瞑る。

 ……。

 …………なんか、光が強くなってるような……。

 薄目を開けると、プラズマ球が部屋の隅から、布団の傍に寄っていた。輪郭がビリビリと震えている。

 なに? なんなの?

 ――もしかしてこれ、電気的なやつ?

 アタシはそっと布団の端に逃げた。プラズマがふわっ、とアタシを追いかけてきた。アタシはコロコロと転がって逃げ、部屋の隅に置いてあった植木鉢から、水受けを取った。手裏剣のように構える。

「それ以上、近づかないで」

 アタシはプラズマに最終警告する。

「ていってするぞ」

 悲しい哉。プラズマは最終警告を無視してふわふわと近づいてきた。アタシはやむなく水受けを投げる。水受けはプラズマをすり抜けて、布団の上に落ちた。

 ジーザス! 水受けから土が飛び散った! 最悪! アタシあれで寝るんだが!?

 アタシがおののいていると、プラズマが急に消えた。ふっ、と辺りが暗くなる。訳が分からない。

「なにぃ? なんなのぉ?」

 アタシはスマホのライトで照らしながら、警戒を続けた。


 いつのまにか寝ていたらしい。布団から起き上がり、窓から差す優しい光をぼうっと眺めていると、突然がらっと開いた。大家のおじいちゃんだった。

「お、ネギいるか?」

隣に住んでいて、畑もあって、おじいちゃんは畑の土をつけた長靴をはいていた。

「あ……あ、じゃあありがとうございます」

 じゃあって、お礼の前につける言葉じゃなかったかも。

 自分の対応の悪さを引きずりながら、昨夜のことを問いかける。

「あの、この部屋って人魂の目撃情報とかあったりします?」

「ないよ」

「光ってて……ふよふよ浮いてて……ついてくるっていうか、子犬的っていうか」

「アンタそりゃ、寝ぼけたんだべ」

「あ、まー、そう、ですよね」

 あまりに普通の答えだったけど、普通に考えたら〝そう〟なんだから仕方ない。

 でも、大きすぎるおむすびのように、中々飲み込めない。

「でも、やっぱり、夢じゃないような気が、していたり……」

 そんなアタシを見て、大家さんが付け足すように言う。

「だば」

「だば?」

「訛りだべ……だば、アンタの守り神かなんかだったんじゃねぇの? 光ってんだから悪いもんじゃないし。お日様とか金とか、良いモンは光ってるもんやし」

 大家のおじいさんの適当な言葉は、そのあまりの適当さゆえに質量を持たなかった。喉に詰まっていたおむすびのような疑問は、ヘリウムガスのような空虚なものに変わって飲み込まれてしまった。

「だべかぁ」

 素っ頓狂な調子で返したアタシに、お爺さんが手を振った。

「だべか、なんて言葉はねぇ」

 そうしてアタシの田舎暮らしが始まった。


VTuber……世羅ローア

X(旧Twitter)……@WolfSeraRoar

ライター……神代 翁

小説家になろう……https://mypage.syosetu.com/163459/

X(旧Twitter)……@kumashiro_okina

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