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3.十王町の十王庁 2/2

「お待たせしました」


 おじさまがプリン・ア・ラ・モードと静のチーズケーキを持ってきた。チーズケーキはしっかりと目の詰まったベイクドチーズケーキに赤いスグリのソース掛け。プリン・ア・ラ・モードは昔ながらの硬いプリンに綺麗に切ったバナナやメロン、イチゴ等のフルーツと生クリームが添えらえている。

 絞ったホイップクリームではない。乳脂肪分たっぷりのクリームを泡立て、それをそっと添えてあるのだ。実に左江子好みであり、話の流れが左江子の頭から飛んで行った。

 

 左江子があまりにも嬉しそうだったのだろう。静が「まずはいただきましょう」とくすくすと笑っていた。少し気恥しいが仕方がない。美味しいものは賛美しなくては。

 左江子の想像通り、プリンは卵の味のするしっかりと硬い蒸し焼きのプリンで、甘くない生クリームとカラメルのほろ苦さが実に絶妙に溶け合っている逸品だった。これはどなたが作っているのだろう。まさかあの紳士だろうか。

 しっかりと堪能し、最後に珈琲をひと口飲む。ほぅ、と左江子の口からため息が漏れた。静かも瞳を閉じて紅茶を飲んでいる。

 ふと窓の外を見ると、静が話し始めた。


「遠山さん、あの空が見えますか?」


 一度左江子に顔を向けると、静は再度外に目を向け、空を指さした。指の先を見ると、青い空を横切るように、窓から差し込むのと同じ淡いクリーム色の輝く帯があった。それはゆらゆらと右に左に揺れながら、広がったり、縮まったりしてゆっくりと一方向に流れている。そして。


「太陽が無い…」


 空には、見慣れた太陽が無かった。光源となっているのはその光の帯に見える。朝の優しい光か午後の穏やかな光かと思っていたが、もしかしたら今はそのどちらの時間でもないのかもしれなかった。


「そうですね、十王町には…いえ、こちら側には太陽がありません。代わりにと申しては何ですが、あの空を流れる輝く川が存在します。あれこそが『命の流れ』です」


 流れを見つめる静の表情がふっと曇る。だが、ほんの一瞬で、瞬きの間に穏やかな微笑みに戻っていた。


「生きとし生けるものは皆、生きて死に、そしてあの流れに乗り世界を廻ります。流れはいつも一方通行で、決して、戻ることはありません」


 視線を左江子に戻すと、静は丸眼鏡の長官から受け取ったファイルを右手に掲げた。


「遠山さんにお願いしたいのは、このファイルの中にリストアップされた迷い人の内、三名をあの流れに乗せることです。迷い人を流れに乗せるためには迷い人の『心残りを消す』か、『納得』させるか、『満足』させるか。この三つの方法のどれかになります」


 タイミングを見計らったように紳士がトレーを持って音もなくやってきた。「失礼します」と言うと食べ終わったお皿を下げてくれる。飲み物のお代わりを聞いてくれたが静も左江子も丁重に断った。


「対象の迷い人はすでに長官が選出しています。今日は時間も遅いのでこの庁舎を一通りご案内し、実際の活動は明日からといたしましょう」

「え、今って何時でしょう?」


 左江子は思わず窓の外を見た。窓の外には見慣れぬ街並み。数軒分ほど離れるとなぜか()()がかかったようにその向こうが見えなくなるのが不思議だった。けれど、やはり優しい色の光が満ちている。とても遅い時間には見えなかった。


「あちらで言うところの十八時頃です。ああ、ほら、あちらの空から少しずつ色が変わっていきますよ」


 言われて空を見ると、青かったはずの空が徐々にオレンジ色に染まっていく。それと同時に淡くクリーム色に光っていた命の流れも徐々に濃い青に、そして紫に染まっていき、その中を光がキラキラと流れていくのが見えた。


「うわぁ…」


 それはとても美しい光景だった。さながら金のオーロラが揺らめくような。そしてその中に無数の金の粒を溶かし込んだような煌めきが、ゆっくりと一方向へ流れていく。


「天の川みたいですね」


 どれほど眺めていただろう。空の色がオレンジから濃紺に染まり、流れていた紫も今は同じ濃紺。その中をまるで沢山の光が砂金のようにさらさらと流れ光っていた。


「そうですね。天の川が無数の星の集まりであるのと同じように、命の流れも無数の命の集まりなのです。あの煌めきのひとつひとつが次の生へと向かう命です」

「次の、生」

「そうです。肉体の殻を抜け、命の流れに乗り、縁あるところで大きな流れから分かれて現世へと向かっていきます。迷い人は、迷う限り、次の生へは進めないのです」


 それを良しとするのか、悪しとするのかは、誰にもわかりませんけれどね。そう言うとまた静は悲しそうに笑った。


「何かご質問はありますか?」


 問われて、左江子はずっと気になっていたことを聞いた。


「迷うことに、何かペナルティはあるんですか?」


 たとえば迷っている間に時間が経ちすぎると怪物になってしまうとか、劣化して消滅してしまうとか。そんなことがあるなら早々に流れに乗らねばならないだろう。左江子自身も含めて。

 静は「ああ」と何かに気づいたように言い、そうしてまた優しく微笑んだ。


「特にはありません。というよりも、あまりにも長くここに居ると自分を保てなくなり自然と流れに乗ってしまいます。ですので、無理やりに流れに乗せなくてもいつかは流れに身を任せることになります」

「つまり、わざわざ心残りを晴らす必要もないってことですか?」

「はい、そうなります」


 身も蓋もない。では、左江子がさせられようとしていることはいったい何なのか。もしや三途の川の河原で石を詰む子供たちのように無意味なことをやらせられるのだろうか。お地蔵様が助けに来てくれるだろうか。


「何もせずとも流れには乗れますが、心残りが強ければ強いほど、自分を強く持てば持つほど、自然と流れに乗るまでには時間がかかります。気が遠くなるほどの時間を、迷い人は心残りを抱えたままどこにも行けず、ここで過ごすことになるんです」


 静が目を伏せ、テーブルに置いたファイルの『迷い人』の文字をそっと指でなぞった。

 今、左江子は間違いなくここに居て、見て、触れて、香りを感じて、味を感じて、静の声に耳を傾けている。けれども、現世で言うところの肉体は無いらしい。滅びる肉体が無いのなら、ここでの死はきっと流れに乗ることを指すのだろう。

 気が遠くなるほどの時間と静は言った。それはたったの六十三年で生涯を閉じた左江子には想像も及ばない時間だろう。その間ずっと何かに囚われ終わりも見えないまま生きるのは…それは左江子には、とても苦しいことに感じる。


「だから、流れに乗せてあげるんですね」


 左江子はぽつりと言った。人によっては大きなお世話なのかもしれない。永眠ねむることさえ拒むほどの心残りなら、抱えたままでいたいと思う人もいるのかもしれない。けれど、できるなら…そう思ってしまう気持ちは、左江子にも分かる気がした。

 静が左江子を見て、また悲しそうに微笑んだ。


「囚われたままでいるのは、とても、苦しいですから…」


 また視線を外へ移す。空を往く煌めきはゆっくりと、けれど確実にひとつの方向へ流れていく。すると、流れ星が流れるようにすっと、流れから逸れて消える輝きがあった。


「あ」

「ああ、縁が結ばれましたね」


 静が少し目を瞠ると、今度は嬉しそうに微笑んだ。


「ああして結ばれた縁に引かれるように皆、現世へ流れていくのです。そしてまたひとつの生を生き、終えればまた流れへ還る。私たちのお仕事は、その縁を、繰り返す流れを、澱まぬようにお手伝いをすることですよ」


 「明日から、頑張りましょうね」と微笑む静に、左江子も「はい」と返した。ぼんやりと外を見ていると、またひとつ、光が流れ星になって消えた。左江子にもあの流れ星を作る手助けができるだろうか。


「では、ご案内を続けますね。…まずはお夕飯でしょうか」


 静が立ち上がる。左江子も慌てて立ち上がり「はい」と答えた。美味しいプリン・ア・ラ・モードがまだお腹にいるのだが大丈夫だろうか。とはいえ、案内もかねてだろうし、軽いものをいただけば良いかと考える。


「食堂へ行って、それから少し遠回りをしてご滞在いただくお部屋へ参りましょう。お風呂とお手洗いはお部屋にありますから、ご安心くださいね」


 そうか、この体は食べるのだから排泄もするし汚れもするのか。当たり前のことだが、その当たり前に左江子は驚いた。この十王町は、『こちら側』は、いったいどういう摂理になっているのだろう。


 それから静に連れられて食堂へ行き、部屋へ案内された。静は「明日の朝八時にお迎えに参りますね」と微笑み、またしずしずと去っていた。

 夕飯は軽くと思っていたが、本日のA定食…大きなアジフライとサラダ、お味噌汁と雑穀ご飯にデザートのコーヒーゼリーまでしっかりと完食してしまった。

  この体は太るのだろうか…。左江子はお風呂に入りながら思わずお腹を摘まんだ。


続きは明日、投稿します。

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