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3.十王町の十王庁 1/2

「あらまぁ、本当に落ち着いていらっしゃいますね」


 笑顔で手を振る紳士と微笑む銀髪美女に一礼し、静に促されて部屋を出る。そうして言われた第一声がこれだった。「とっても素敵ね」と左頬に手をあてて静が楽しそうに、しかし上品に笑う。


「そうでしょうか…」


 左江子としては現実味が無さ過ぎて余計に反応が薄くなっているだけなのだが、一般的にはそういうものでは無いらしい。その『一般』すらどこを指すのかがすでに分からない。


「ええ、混乱して大変困った状態になる方も少なくありませんので…。まずは落ち着いていただくことから、ということがほとんどなのですよ」


 静が手を口元に当ててふふふと笑う。隣をしずしずと歩く姿はさながら白百合のようだ。「ああ、あちらがカフェテリアです」と指さす方を見ると、一面ガラス張りになったスペースがあった。淡く優しい光が差し込んでいる。


「まずはお茶をいただきながら少しお話いたしましょう」


 静が「お疲れになったでしょう?」と眉を下げてねぎらってくれる。何もしていないはずなのに確かに疲れていた。

 静は紛うことなき癒し系だと思う。口元に湛えた微笑みが温かくて、左江子は「お姉ちゃん」と呼びたくなった。左江子は長女だったので姉はいなかったのだが…。


「私はチーズケーキと紅茶をいただきます。遠山さんはどうされますか?職員の飲食は全て経費で落ちますのでお好きなものを安心して注文なさってくださいね」


 一面が窓になっている、その窓側。街並みが綺麗に見える席に座り、静がメニューを開いて見せてくれた。カフェテリアという呼び名ながら、メニューの内容は中々に純喫茶風だ。ナポリタン、メロンソーダ、ホットケーキにチーズトースト。何とも素敵なメニューが並んでいる。左江子の顔が思わず綻んだ。

 飲み物はジュースもあるが、紅茶と珈琲の種類がすごい。紅茶も珈琲も定番メニューのブレンドと合わせ、日替わりでブレンド二種とシングルオリジンが五種類ずつ出ているらしい。『今日はこちら』という手書きの紙が貼られていた。


「これは…悩みますね…?」


 思わず「うーん」と唸ってしまう。食べ物も素晴らしいが、紅茶と珈琲が…。左江子は朝は紅茶、昼は珈琲をその日の気分で茶葉や豆を選び、紅茶は茶葉とポットで、珈琲は豆から挽いてドリップしていた。非常に好きなのだ、このお湯で浸出するタイプの飲み物が。ちなみにフレーバーティーやハーブティーなどのインフュージョンも大好きである。メニューにもあって嬉しくなった。

 「ゆっくり悩んでください」と笑ってくれる静に「すいません」と顔を上げた時、左江子はふと気づいた。


「あの、私、職員では…」


 職員は経費で落ちるとのことだったが、左江子は今日ここを訪れたばかりで職員ではない。何なら通貨が何なのかも分からない。順当に円だろうか?それともまさか六文銭と同じ銭…?


「ああ、問題ありません。遠山さんは『償い人』ですので非常勤職員のような扱いになります。問題なく経費で落ちますよ」


 後ほど臨時職員証をお渡ししますね、とのことだった。なるほど、ボランティアにも非常勤として福利厚生が付くなど実に優良企業?のようだ。左江子は妙に感動した。


「では…こちらのプリン・ア・ラ・モードとグァテマラを…」


 遠慮なく好きなものを選ばせてもらうと、「はい」と微笑んで静がそっと手を上げた。「ご注文は?」と現れたのはロマンスグレーを後ろに撫でつけたダンディな口髭のおじさまだった。瞳孔が縦なのが気になったが。

 静が職員証を見せて注文すると、おじさまが「かしこまりました」と微笑んで去っていった。おじさまのお尻には虹色の尻尾が生えていた。


「ニホントカゲ」


 思わず口に出すと、静がコロコロと笑った。


「よくご存じですね?確かにあの尻尾はよく似ていると思います。ですが、誰も何の尻尾なのか知らないのですよ」


 秘密は男を魅力的にするからと、おじさまは誰にも教えてくれないらしい。なるほど、そんなところもダンディなのか。今日は感心することがとても多いと左江子は唸った。


「それでは改めまして」


 静が座り直し、左江子を真っ直ぐに見た。


「十王庁、『償い人』案内係の静と申します。十王庁とはこの庁舎の名前、先ほどの着物の男性は十王庁の長官です」


 十王庁。十王とは、仏教において死後の人間を裁く十人の王だ。閻魔大王もそのうちの一人である。ちなみに、十人で判決が出ないと三王が出てきて最後の審判をするらしい。普通の裁判でそこまで長引いたらとんでもないことになりそうだが。


「あの方は、閻魔様なのですか?」


 左江子は素朴な疑問を投げかけてみた。実は何となく違う気はしているのだが。


「いいえ、あの方は長官ではあるのですが、いわゆる閻魔様ではありません。というより、十王庁とは申しますが閻魔様も秦広王様も泰山王様も存在しません」


 先に飲み物が運ばれてきた。珈琲の香しい香りに、左江子の視線がカップにくぎ付けになった。紅茶は一人用のポットに入って出てきた。素晴らしい。


「存在しない、のですか?」


 ちらりと静を見ると頷いてくれたので、左江子はカップに口を付けた。熱すぎない温度が良い。


「はい、存在いたしません。十王庁とは申しますが、それはあちらからいらした方が理解しやすいように付けられた名称です。それぞれの国や宗教に合わせて支部に分かれておりまして、十王庁は言うなれば『日本・仏教支部』なのです」


 静がポットの蓋に手を添えてカップにこぽこぽと紅茶を注ぐ。飲むのは紅茶でも注ぎ方は和風だな、と左江子は思った。


「ここは十王町と呼ばれる地区です。その中心に建つのがこの十王庁。十王町は十王庁で働く者と、迷い人たちが暮らすための町なのです」


 静もそっとカップに口を付けた。ふーふーと何度か吹いていたので、熱いものは苦手なのかもしれない。


「その、『償い人』は何となく理解したのですが、『迷い人』というのは何なのでしょうか?」


 『償い人』は左江子自身がそれにあたる。例の丸眼鏡の長官も言っていたが、強く罰するほどではないが少々の罰はないといけないね、くらいの人たちなのだろう。意外と多そうだ。

 ちらりとカウンターを見ると、紳士がカトラリーの用意をしている。もうすぐプリン・ア・ラ・モードにお目にかかれそうだ。ゆらゆらと虹色の尻尾が楽し気に揺れている。


「『迷い人』は、文字通り迷ってしまった人です。本来ならば何の問題もなく『命の流れ』に乗れたはずなのに、『心残り』が大きすぎて意識が強くなり、自分を保って迷ってしまいます」


 自分を保って迷う。それはつまり、自分を失えば『命の流れに乗る』。そういうことだろうか。


「その、『命の流れに乗る』とはどういうことでしょう?」


 言葉通りに捉えれば輪廻をするのだろう。転生をするかは分からないが。『輪廻転生』と一つの言葉にされがちだが、輪廻と転生は別物だ。

 輪廻は六道の世界で生と死を繰り返すことであり、転生はひとつの肉体の死後、別の肉体に宿ることだ。物理的な肉体を持たない世界に生きて死ぬならば、転生は起こらない。…ということだったと思うが、左江子はそこまで仏教に詳しくない。とりあえず聞いてみることにしたのだ。


「『命の流れ』とは…そうですね、仏教的観念でいえば輪廻に似ていると思います。どの命もあちら側で亡くなるとこちら側へ渡ってきます。特に何もなければそのまま記憶ごと眠り、次の生に向けて流れていくのです」


 一度言葉を切ると静が紅茶を飲んだ。もう飲みやすいくらいに冷めたようだった。

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