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2.左江子の罰

「三番の方、お入りください」


 待合室のような場所で、柔らかなクッションの具合も良いひとり掛けソファに座って走馬灯のごとく過去を思い俯いていた左江子がふと前を見ると、少し先に木でできた重厚な…重そうな扉がある。チーク材だろうか?良く磨かれているようで艶々と輝いている。真鍮製と思われる風合いの良いドアノブも美しい。

 ちらりと手元を見る。この建物の『受付』とやらで、くるんと内巻きのショートボブに整えた見事に混じりけのない赤い髪に、少しつり気味の赤い瞳の目をした、猫耳と尻尾が可愛いお嬢さんに手渡された木札がある。耳と尻尾は三毛柄だったなと思い出しつつ木札を見ると大変達筆な文字で『参』とある。呼ばれたのは左江子のようだった。


「はい」


 左江子が答えて椅子をふらりと立つ。するとドアを開け『参』を呼んだ、艶やかな銀髪を左サイドで結び前に流した妙齢の美女が左江子を見て微笑んでくれる。右の目尻の下、銀の瞳を際立てるように添えられた泣きぼくろが艶めかしい。


「こちらへどうぞ」


 ドアを大きく開け、左江子を招き入れてくれる。花に誘われる虫のようにふらふらとドアへ近づくと、あと少しというところで躓いた。何もないところで躓くのは幼いころからの左江子の特技だ。


「大丈夫ですか?」


 今日もやらかしたな、と思っていると銀髪美女が腕を掴んでくれていた。細身だが意外と背が高く、しっかりと左江子を支えてくれている。どうも転ばずに済んだようだ。


「ありがとうございます。お見苦しいところをお見せしました」


 体を立て直し、美女を見上げて軽く頭を下げてお礼を言うと「いえ」と笑って腕を支えたまま左江子の背をそっと押してくれた。それに合わせて左江子もゆっくりとドアをくぐり部屋へ足を踏み入れた。


「ずいぶん落ち着いてるねぇ」


 その人の第一声はそれだった。ドアと同じチーク材と思しき艶やかで大きなデスクの向こう。質の良さそうな張りのある地紋入りの銀鼠の着物に濃い緑の羽織を合わせた穏やかそうな紳士が、銀の丸眼鏡の縁を指で直すと面白そうに左江子を見た。

 この建物にたどり着いてからこの部屋に至るまで、少々風変わりな美男美女や美少年美少女ばかりを見ていた左江子は、この良くも悪くも目立たなそうな紳士を見て、落ち着いているも何も安心したぐらいだった。


「そう…でしょうか?」


パタン、と思ったよりも軽い音がしてドアが閉まる。あの銀髪銀目の美女さんはドアの横に控えるようだった。振り向くと微笑んでくれる。


「そうだね。普通ここにたどり着く前に大抵の人間は周囲の異様さに怯えるか興奮するか現実逃避するかだからね。君は身も心もとても凪いでいる。とても珍しいと思うよ」


 「転移?転生!?俺にも来た!?」とか騒ぎ出す人も最近は多いね、と丸眼鏡の紳士が苦笑している。

 最近では当たり前になった単語が並び、さもあらん、と左江子は思った。建物全体がコスプレを好む人たちの集まりかそういうアトラクションなのかと左江子も思ったぐらいだ。

 ただ、受付の赤毛の三毛猫さんの耳と尻尾は意志を持って動いているように見えたし、もしも衣装ならかなり投資をしたものだと思う。


「なるほど」


 左江子はただ頷いた。執務机と思しき立派な机の前に置かれた緑の革張りの、これまたチーク材と思しき木材に彫刻が施された、背もたれの大きな椅子を勧められた。

 適度な硬さで体を包み込んでくれる感触が心地良い…と言いたいところだが、小柄な左江子は足が浮く。足が付くように座ると椅子の弾力で前にずり落ちそうになる。仕方なくお尻が落ち着く場所に座るが、足がぷらぷらとして落ち着かなかった。オットマンが欲しい。


「ここがどこだかわかるかな?」

「いいえ」


 左江子は即座に答えた。分かるわけがない。

 左江子は深夜の病院でひとり静かに息を引き取ったはずなのだ。良い人生だった、などと満ち足りて眠ったはずなのだ。

 なのに、気が付いたらこの建物の受付に居た。後ろを振り向いたらドアがあったが、ドアを開けた覚えもくぐった覚えもない。目が開くような気がして何となく目を開けたら、目の前で猫耳美少女が「ようこそいらっしゃいました!」とにっこり微笑んだのだ。八重歯もあって可愛らしかった。


「わかりません。ですが、想像するなら裁きの場でしょうか」


 さきほどちらりと入り口の横に控える銀髪美女を振り向いたとき、美女が立つのと反対側の壁に大きな鏡があった。何の装飾もない楕円形の鏡で脚が付いており、ちょうど椅子に座った左江子の背が映るように置かれていた。

 もしも左江子が正しく眠りについたのならば、もしも左江子の知る伝承が本当ならば。あれはきっと、真実の鏡―――浄玻璃鏡だろう。

 そんなおとぎ話のような想像を、笑い飛ばすのではなく微笑んで紳士が言った。


「ご名答。と言っても裁きではなくまずは聴取なのだけどね」


 言いながら執務机の上に開かれた本を右手の指で三回、叩いた。


「遠山左江子。乳がんの全身転移による病死。享年六十三歳。あってるかな?」


 左手で銀縁の弦を支えながら紳士が本を読み上げた。なるほど、あれは閻魔帳だろうか?と左江子は思った。


「はい、間違いありません」


 左江子が静かに頷くと、紳士も「うん」と頷いた。そうして腕組みをすると、ドアの横の鏡を見ながら今度は「うーん」と唸りだした。それなりに人様に言えないこともしたかもしれないが、そこまで悩むほどの悪人ではないと思っていたのだが…左江子も一緒になって口には出さずに「うーん」となった。


「そうだなぁ…正直、裁くほどではないんだよねぇ…」


 腕組みを止めると、紳士が今度は右手に頭を乗せて頬杖をついた。なるほど、罪が重すぎるのではなく軽いが故に量刑に悩んだのか。左江子は少しほっとした。


「とはいえ、何もなしっていうのもね…ほら、分かるだろう?」


 紳士が頬杖をついたまま視線だけで左江子の方を向いた。「はぁ、そうですね…」と左江子が答えると「そうそう、そうなんだよね」とうんうんと首を動かしている。頬杖をついたまま首を動かしては肘が痛くならないだろうか?


「まぁ、そういうことで…あれだ、学校の罰掃除とか、交通違反のボランティアみたいな…。君にはそういうものをやってもらおうと思います」


 よっこいしょ、と言って肩を回しながら背筋を伸ばし、銀縁眼鏡の閻魔様?と思しき紳士が言った。どうも肩が凝っているらしい。左江子もデスクワークだったため何となく親近感が湧いた。


「ボランティアですか」

「うん、ボランティア」


 がさごそと執務机の引き出しを漁り、「あれ?これ…じゃないな、あ!これ提出日昨日だ…ぁー…」などとブツブツ言っている。何とも現実的な呟きに、左江子は思わず「手伝いましょうか?」と言いそうになった。左江子は割と書類整理が好きなのだ。


「あ、あったよ、これだね」


 ずれてしまった丸眼鏡を直しながら、紳士がひらひらと一冊のファイルを出してきた。ファイルの背表紙には『迷い人』とある。「良かった、あった…」などと言いながら紳士が執務机にあった素敵な掘り模様の入った金色の熊の置物を頭をむんずと掴んで揺らすと、ちりりん、と澄んだ音がした。熊はどうも呼び出しベルのようだった。


「お呼びでしょうか」


 金色の熊にも負けないくらいの澄んだ声がした。執務机の左江子から見て右側の壁からふわりと白い影が舞い込んできた。一瞬、暗闇から本当に湧いたように見えてぎょっとしたが、目を凝らすと壁と同色のドアがあった。


「うん。この子は遠山左江子君。『償い』でしばらく滞在するよ。左江子君、彼女は静。ここに滞在する間の君の担当職員だ」


 紹介され、左江子は座ったままでぺこりと頭を下げた。静と呼ばれたその女性も、左江子を見てふわりと優雅に腰を折った。前髪を眉の上で揃え、両側のサイドの髪は胸元で切りそろえられている。いわゆる姫カットだ。背中辺りで緩く結ばれた髪は見事な黒髪。これがみどりなす黒髪か!と左江子は思わず感心した。瞳も吸い込まれそうなほど深い黒。それが白い着物に映えて、どうも先ほどはゆらりと湧いたように見えたようだ。


「左江子君」


 紳士が言った。


「君には贖罪として、三人の『迷い人』を命の流れに乗せてもらうよ」


 紳士が手に持っていたファイルをぽんっと静に渡すと、静は左江子を見てふわりと優しい微笑みを浮かべた。


本日中に何話か更新します。

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