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5.二人目 ~虹の橋 9/11

『5.二人目』はペットの死を扱います。

苦手な方、心に大きな傷のある方はご注意くださいませ。



 十王庁所有のたてがみのお嬢さんの馬車は静が使用中だったため、左江子たちは十王庁の正門前から出ている乗合馬車に乗って虹の橋へと向かった。


 先日は静とふたりで馬車に揺られた道を、十王庁の職員と同じくらいそれぞれの姿をした人たちと奈々と共にゆっくりと走る乗合馬車で待合通りへと向かう。

 途中の停車場から左江子の隣に座った緑の髪の奥さんが「食べな」と飴をふたつ渡してくれた。「若いと色々あるわよね」と微笑まれ、左江子は思わず奈々と顔を見合わせてお互いの顔のひどさに苦笑した。奥さんの若いの定義は分からなかったが素直に礼を言って受け取った。優しい苺ミルク味だった。


 馬車は中央公園を過ぎて待合通りに入った。停車場で降りると左江子は身分証を出し、事前に静から言われた通り十王庁に請求してくれるよう告げた。

 そのまま煩悩川沿いをゆっくりと、手をつなぎ歩いて下った。奈々も左江子もひと言も話さなかったけれど、繋いだ手を離すことも無かった。


 いなりやの前を通り過ぎ、ブックカフェや茶屋の前を通り過ぎる。それからもうしばらく行くと目の前に先日見た大きな橋が広がった。


「虹の、橋…」


 奈々がぽつりと呟いた。


 今日も空に輝く命の流れから穏やかに降り注ぐ光に欄干の上の七色のガラス玉がきらきらと輝いている。夜にはガラス球にほんのりと灯りが灯り幻想的な光景になるらしいのだが左江子はまだ見たことが無い。いつか左江子も笑って見に来る事ができるだろうか。


「…止めますか?」


 足が止まってしまった奈々に左江子は静かに問いかけた。

 ここまで来ることができたことがもうすでに凄いことだと左江子は思う。このままその辺のカフェでお茶を飲んで帰るのだって構わないと思うのだ。たとえそうなったとしても、左江子はきっと思い切り奈々を褒めるだろう。よく頑張ったと、よく耐えたと…奈々をぎゅっと抱きしめて。


「…大丈夫、行くわ」


 首を傾げた左江子の顔を真っ直ぐに見ると奈々はゆっくりと首を横に振った。

 目の腫れは相変わらず酷いが瞳は穏やかに凪いでおり、口元には静かな笑みが浮かんでいる。今の奈々ならきっと大丈夫だと左江子にも思えた。


 そうしてまた二人で手を繋いだままゆっくりと煩悩川沿いを歩いた。橋の入り口に差し掛かると、奈々が左江子を振り返って瞳を揺らした。

 しばらくそのまま見つめ合っていると、奈々が何度かゆっくりと瞬きをして、ひとつ大きく深呼吸をすると言った。


「行って、きます」

「はい。行ってらっしゃい」


 覚悟を決めたような顔でお互いに頷き合うと、どちらからともなくつないでいた手を離した。

 そうしてゆっくりと、けれど迷いなく虹の橋へと入っていく奈々の後ろを、左江子も少しだけ離れてゆっくりと着いていった。


「ミィ…」


 きょろきょろと、奈々が愛猫の姿を探す。左江子もそれらしき猫がいないかと辺りを見回した。


 虹の橋は思ったよりも広く、そこには沢山の動物たちがころころと転げまわっていた。じゃれ合い、時に威嚇しあい、そうして所々で団子になって眠っている。種に関わりなく寄り添い過ごす楽園のような不思議な光景に、左江子は静かに感動した。


「ミィ」


 奈々がとても優しい声で奈々の猫を呼んだ。

 左江子も「ミィちゃん」と呼びながら真っ白でふわふわの大きな毛玉を探した。


 ミィを拾ったとき、奈々はまだ幼稚園児だったらしい。小さな奈々の両手にも少しはみ出すくらいで乗っかってしまうほど小さかったミィは衰弱してとても危険な状態だったそうだ。それを家族みんなで交代で、寝る間も惜しんで温めて…いつの間にかふわっふわの、普通の猫よりもずいぶんと大きな猫に育ったそうだ。

 最期はずいぶんと痩せてしまったけれど、それでも空色の瞳は澄んでいて柔らかな被毛は豊かで美しいままだったのだと、見えないミィを抱きしめるように奈々は言っていた。奈々の最愛…何を捨てても諦めても、奈々が唯一忘れることのできなかった大切な宝物なのだと。


「ミィ!!!」


 前を行く奈々が大きな声で叫んだ。何度も振り向き、当たりを見回しては奈々の猫を呼んでいる。左江子も目を凝らすけれど、ふわふわの白い綿毛と青い瞳の猫を見つけることはできなかった。見回せば似たような猫はいるのに、奈々のミィだけがどうしても見つからない。


 前を見ると、すでに橋の対岸が見えている。橋の切れ目より向こうは薄くもやがかかり、こちらからは何があるのかを伺い知ることはできない。


「ミィぃ…」


 奈々の声に涙が混じり始めた。終わりの見えた虹の橋の対岸を見て、そうしてまた振り返った奈々の目にはまた今にもこぼれそうなほど涙が溜まっている。


「やっぱり駄目なの……?」


 奈々の足が止まった。天を仰ぎ、ぽつりと呟いてぎゅっと目を閉じた奈々の目からしずくが落ちる。頬を伝い、顎を伝い、ぽたりぽたりと、足元に落ちていく。


 左江子がとっさに駆け寄ろうと足を踏み出した時、左江子の横を白い塊がぶわりと駆け抜けた。


「なぁぁぁん!」


 奈々の右の脛にどすりと、白い塊が体当たりをした。


「!?」


 左江子が驚いて足を止めると、その白い塊は奈々の脛にぐりぐりと体を擦り付け、くるりと奈々に背を向けて少し離れると再度勢いをつけ、綿毛を靡かせごつんっと奈々の脛に頭突きをした。


「ああ…」


 左江子は思わず口元を両手でおおった。振り向いたときにちらりと見えた白い綿毛の瞳は…とても綺麗な青だった。


「え…………?」


 奈々がびくりと肩を揺らして目を開いた。「なぁん、なぁん」と繰り返し脛に当たる重そうな衝撃に、奈々が目を見開いたままゆっくりと視線を下ろしていく。見守る左江子の視線の先で、奈々の表情がぐしゃりと崩れた。


「――――ミィ!!!!!!!」


 奈々は大きなふわふわの毛玉を抱き上げた。重かったのか少し前につんのめり、ぐっと勢いをつけて抱き上げた。そうして奈々は顔の高さまで重そうな白い綿毛を持ち上げた。


「なぁぁん!」


 だらん、と体を伸ばした真っ白な巨体の尻尾がゆらゆらと揺れ、輝く空色の瞳が奈々を見つめていた。ピンクの鼻がひくひくと動き、もふもふの毛に埋もれた小さな耳がぴくぴくっと動いた。

 奈々の言っていた通り、白くてふわふわの、青い目がとても綺麗な大きな猫が奈々に抱かれて揺れていた。


「ああああっ…ミィ!ミィ!!!」


 顔をぐしゃぐしゃにして叫ぶと奈々は柔らかそうな綿毛に顔をうずめてぐりぐりと顔をこすりつけた。

お腹を吸われたミィが「ぶなぁぁぁ!」と抗議の声を上げるが奈々はお構いなしだ。

 ぺちりとミィが猫パンチをするのが見えた。勢いも無いし、きっと爪も出ていないだろう。


「あああ、ごめんミィ、ごめん…!ごめん…!側に居られなくてごめん、ひとりで逝かせてごめん…待たせて…本当にごめん!!」


 ミィの猫パンチを何度も頭に受けた奈々はやっと猫吸いを止めミィをしっかりと抱き直すと、今度はミィの頬に顔を摺り寄せた。


「ミィ…大好きよ、ミィ…愛してる…」


 ぐしゃぐしゃの顔で頬ずりを繰り返す奈々に、ミィも目を閉じ、幸せそうに頬ずりを返す。その何よりも尊く幸せな光景に、左江子も釣られて目頭が熱くなった。


「良かったですね…」


 左江子がぽつりと呟いた、その時だった。


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