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5.二人目 ~虹の橋 7/11

『5.二人目』はペットの死を扱います。

苦手な方、心に大きな傷のある方はご注意くださいませ。



 奈々は幸せそうに沢山の思い出を聞かせてくれた。


 どんなおもちゃが好きだったのか、どんな食べ物が好きだったのか、どんなふうに甘えたのか、嫌がったのか。

 うっかり開けっ放しにしていた窓から出てしまい慌てて捕まえに行ったら外が怖かったか窓の下で呆然と固まっていてすぐに捕まえられたとか。たまにいなくなって焦って家中探すのに全然見つからなくて、外まで探しに行こうかと思うとどこかからひょっこり出てきて驚かせたとか。


 本当に色々な話を、まるで堰を切ったように話してくれた。


 左江子も、奈々に負けじと沢山の話をした。奈々の話に相槌を打ち、うちの子はこうだった、うちの子はこれが嫌いだった、うちの子は、うちの子は――――。


 二人で話して話し続けて…気が付いたら紳士が大きな保温ポットに用意してくれた紅茶は無くなってしまったけれど、それでも夢中で話を続けた。

 大切な…自分たちの大切な猫たちの話を。大切な大切な宝物を自慢するように…共有するように。


 話が尽きなかったのは、きっとお互いの傷が分かるからこそだ。

 ペットとの別れで傷だなどと大げさだと思う人も居るかもしれない。けれど左江子は四十年以上、あの子を忘れることができなかった。奈々もきっとそう…忘れることができなかったのだ。何か心残りがあるからこそ、余計に。


 はー、と息を吐くと、奈々はぽすりとソファの背もたれに寄りかかった。

 

「ミィはね、いつも一緒にいてくれたのよ。寝るときも一緒、勉強するときも一緒。私が泣いていればずっと側で張り付いていてくれて、私が喜んでいるとちょっと遠いところで一緒に居てくれたわ」


 嬉しいときは私が乱暴に抱き着くから警戒してたみたいよ、と奈々が楽しそうに笑う。大きな白い毛玉…ミィに奈々が襲い掛かるところを想像し、左江子も思わず口元をほころばせた。

 いつの間にか二人とも目に薄っすらと幕が張っているけれど、そんなことはまったく気にもならなかった。


「だからね、私もいつも一緒にいたの。できる限りね、側に居たのよ。年を取って動きが遅くなって、食べるのが下手になって、おトイレが上手にできなくなっても。私が側に居て、大切にして」


 笑顔だった奈々の顔がどんどんと曇っていく。奈々の猫は老衰で亡くなったのだなと、左江子は思った。


 世間では猫の可愛いときばかりが注目されて安易に猫を欲しがる人は多いが、実は最期まで看取るのは本当に大変なのだ。

 猫だけではない、生きとし生けるものは必ず老いる。人と同じでどんな動物も、長く生きれば自然と介護が必要になる。


 目も見えにくくなるし、耳も聞こえにくくなる。認知症にもなるし食事もうまくできなくなる。動けなくなれば数時間に一度は抱き上げて体の向きを変え、床ずれが起きないように気を使わなければならな。トイレができなくなったらおむつだって定期的に取り換えてやらなければいけない。


 それでも彼らはどんな状態になっても意識ある限り愛情を返してくれる。愛しい愛しい宝物だ。

 奈々は正しくそれを理解し、奈々のミィに寄り添ったのだろう。それはとても幸せなことだと左江子は思う。寄り添うこともできずに失われてしまう命があることを、左江子はとてもよく知っていたから。


 左江子が奈々を少し羨ましく思っていると、奈々はぎゅっと唇を噛みしめた。


「私が、側に居て、大切に、してあげたかった…」

「大切に、してあげたかった?」

「うん。そう。大切にね、してたのよ、本当に。最期まで、大切にしたかったのよ…」


 ついに奈々の瞳から雫がひとつぽろりと落ちた。ぽろぽろ、ぽろぽろと大粒の涙を流しながら奈々は声を震わせて苦しそうに言った。


「あのね、生まれて初めて彼氏ができたのよ。ずっと好きだった先輩から告白されてね、私、明日死ぬんじゃないかしら!?ってぐらい嬉しくて…それこそ天にも昇る気持ちでOKしたのよ。ほんと、どうしようもないくらい浮かれてたのよ」


 奈々が自嘲気味に笑った。

 仕方が無いよ、とは左江子には言えなかった。初めての恋は誰しも浮かれるものだ。奈々だけじゃない。でもそんな言葉を奈々が求めていないことが分かるから、左江子はただ「そっか」とだけ言った。


「ミィのことが大切なのは変わりなかったけど、いつの間にか私、ミィとの時間より彼氏へメールを送る方を優先するようになってたの。食事やトイレのお世話は変わらずしたんだけどね、ミィを膝に乗せてても、私、ケータイばかり見てミィを見ていなかったわ。ミィは変わらず、私の側に居てくれたのに」


 左江子に責める言葉は無い。けれど、かけてあげられる言葉も無い。左江子は奈々の懺悔にも似た話を目を逸らすことだけはせずただ黙って聞き続けた。


 奈々はひとしきり涙を流すと、震える唇から言葉を絞り出した。


「最期の日ね、あまり動かなくなってたミィが学校へ行こうとする私を鳴きながら追いかけたのよ」


 目を閉じると奈々は大きく息を吸い、そうしてしばらく息を止めるとまた大きく息を吐いた。目を開くと両手を開いてじっと見つめ、奈々はまたゆっくりと話し始めた。


「おかしいとはね、思ったの。でもね、その日は彼氏と放課後にカラオケに行くことになっていて。遅くはならないし、親にも許可を取ってたし……それに、少し学校に遅刻しそうだったから。ミィにごめんね、待っててね!って言って、一度頭を撫でるだけで家を出ちゃったのよ…………追いかけてきてくれたあの子を、抱き上げもしなかった」


 奈々は大きく息を吸ってごくりと喉を鳴らし唇を嚙みしめた。

 何かを耐えるように眉間に力を入れ唇を震わせ何度も何度も、奈々は深く息を吸って吐いた。


「……馬鹿みたいにはしゃいで、騒いで、予定よりも少し遅くなっちゃってね。十九時には帰るつもりだったんだけどね、家に帰り着いた時にはもう、二十時だった…」


 握りしめた奈々のこぶしが真っ白になっている。あまりに強く握っては爪で手のひらを傷つけはしないかと左江子は心配になったが何も言わず耐えた。奈々の言葉を止めたくはなかった。


「親からのメールにも全然気が付かなくてね…。ふわふわした気持ちで家に帰ったら、リビングでみんな泣いてたわ。意味が分からなくてきょろきょろしてたら、みんなの真ん中に、箱に入って冷たくなった………ミィがいたの」


 ふるりと、奈々が震えた。喉からくぐもった音が聞こえる。天を仰ぎ目をぎゅっと閉じて唇を嚙みしめる奈々を、左江子は静かに見守った。


「母親からのメールはね、十八時三分だったわ。今ミィが亡くなりましたって、入ってた。私ね、学校から真っ直ぐ帰るときは、いつも十七時五十八分くらいに家に着いてたのよ」


 十八時のニュースが始まる寸前ね、と奈々が力なく笑った。

 奈々は左江子を見ると瞳を揺らし、「なのに……!!」と血を吐くように言って首を横に振った。


「ミィは…ミィはね、きっと待っててくれたの。私が待っててって言ったから。いつもなら私が帰る時間まで待って、待って、頑張ってくれて………きっと、力尽きた。私は………ミィの最期の期待を、裏切ったの……!!」


 奈々は両手で顔をおおって慟哭した。応接室に奈々の悲痛な泣き声が響く。

 「ミィ…ミィ……」と何度も何度も奈々の猫を呼ぶ声を聞きながら左江子もまた目を閉じて大きく息を吐いた。


 奈々が迷ってしまったのはミィを裏切ってしまったことに対する強い後悔から。奈々が動けないのは、もしかしたらミィが、最期の日と同じように虹の橋でまた奈々を待ち続けているかもしれなくて…けれど最期に裏切った奈々をもう待ってはいないかもしれないからだ。


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