5.二人目 ~虹の橋 3/11
『5.二人目』はペットの死を扱います。
苦手な方、心に大きな傷のある方はご注意くださいませ。
停車場へ戻ると一角獣たちは桶に入った水を貰っていた。ちょうど角が当たらない高さの桶に顔を入れてもそもそと動いているのが見える。静が声をかけると、傍らで優しい瞳で一角獣たちを見ていたハンチング帽のお兄さんが帽子を軽く持ち上げた。
何となく違和感を感じてよく見ると、シャツとサスペンダー付きのズボンに編み上げブーツを掃いたショートカットの『お嬢さん』であることが分かった。一角獣に気を取られて往路では全く気が付かなかったが、お嬢さんの背には馬のたてがみのように縦にふわふわの茶色の毛が同じ色のショートカットから流れて風に揺れていた。
「おかえりなさい」
少しお待ちくださいね、と御者のお嬢さんが一角獣たちの首をぱんぱんと叩き桶を片づけに行く。颯爽と歩く姿は実にすがすがしい。戻ってくるとウェストバッグから何かを取り出して一角獣たちの口元に持って行った。
「お砂糖…?」
もごもごと口を動かす一角獣たちを見つめて左江子がそう言うと、御者のお嬢さんが「正解です」と笑って馬車の扉を開けてくれた。馬と同じで一角獣もお砂糖を好むのかと、左江子は妙に感動した。
「足元に気を付けてくださいね」と御者のお嬢さんが手を支えてくれる。何もないところでいつでも転ぶことができる左江子は感謝をしてその手を借りた。
踏み台から転げ落ちて一角獣たちを驚かせるのも手に持ったいなり寿司の袋を落とすのも大惨事だ。主に左江子の精神面で。
無事に乗り込み進行方向に背を向けて座る。左江子は往路も進行方向に背を向けて座ったが意外と酔わなかったのだが、静は進行方向を向いていないとひどく酔ってしまうらしい。馬車自体があまり得意ではないのだと、珍しく遠い目をして言っていた。
「ああ、そうでした」
馬車に揺られてしばらくした後、静が何かを思い出したように言った。今のところはまだ酔ってはいないようだ。
「明日、急遽ふたり目の迷い人にお会いいただくことになったのですが…実は明日、私はまた所用で出かけねばならないのです」
困ったように首を左に傾げ右手を頬に当てると眉を下げて静が続けた。
「すでに左江子さんには職員として働いていただいていますし、実績もありますからおひとりでお会いいただくのに十王庁としては何の問題も無いのですが………」
そこで言葉を選ぶように止まると、静が小さくため息を吐いた。
「ふたり目の迷い人の方は少しばかり頑なでいらっしゃると申しますか………そうですね、お話を聞くにあたってまずは難しい思いをされるかもしれません」
「難しい、ですか?」
「ええ、あまりこう……お話をしたがらない方と申しますか」
「静さんもその方とお話をしたんですか?」
今度は右に首を傾げ左手を頬に当てると静はほんの少し視線を落とした。ふたり目を思い出しているのだろうか、ハの字に下がった眉の下の目が考えるように左右に泳いでいる。
「二言、三言、言葉は交わしました。ですがそれだけですのでお話をしたと言えるかどうかはなんとも…」
静の歯切れが悪い。静にこのような反応をさせるとはどれほどの相手なのだろう。左江子の胸に不安が募る。
あの朗らかで愛らしい香子と同じように楽しそうに話してくれることはきっと無いのだろうなと、香子の笑顔を思い出し左江子はほんのりと切なくなった。
その後も静が酔わないようにとぽつりぽつりとよもやま話をしながら馬車に揺られて三十分ほどで十王庁に到着した。ぎぃっと車輪のなる音がしてぽこぽこと聞こえていた一角獣たちの蹄の音が消え少しすると馬車の扉が外側から開いた。
まずは少し顔色の悪い静を先に下ろし左江子も扉を出ると御者のお嬢さんがまた手を取って支えてくれる。
「ありがとうございました」
御者のお嬢さんに頭を下げると、お嬢さんも「いえいえ」とハンチング帽を少し上げて笑ってくれた。ふわりと背中の柔らかそうな茶色が揺れた。触らせてくださいと言ったらやはりセクハラになるだろうか。
「それでは左江子さん、私は長官にこちらを届けてまいりますね」
静が右手で紙袋を持ち左手を添え、それを少し持ち上げて見せた。そういえば、静も先日の紫と真弓と四人でカフェテリアでお茶を一緒に飲んで以来、左江子のことを遠山さんではなく名で呼んでくれるようになった。少し親しくなれたようで左江子はとても嬉しい。
「はい、ありがとうございました」
左江子は静にも頭を下げた。非常に充実した一日に本当に感謝しかない。
「ふたり目の方との面会は明日の午前十時からです。調書は明日の朝、受付で真弓から受け取ってください。使用する部屋も明日には決まっているはずですので真弓に確認してくださいね。まずは無理せず、顔合わせ程度だと思っていただければ大丈夫ですから」
そう言って微笑むとたおやかに一礼して執務棟に入っていく静を手を振って見送る。左江子はこのまま職員棟へ帰る予定だ。
ふと思い立って左江子は馬車の前に回った。栗毛の若い一角獣と青毛の年長の一角獣がぶるるるぶるると何かを話すように頭を縦に振ったり横に振ったりしている。大きな角もぶんぶんと揺れている。
「ありがとうございました」
左江子は一角獣たちにも小さくお礼を言い、軽く頭を下げた。すると頭を振っていた一角獣たちがぴたりと止まり顔を上げると、栗毛の若い一角獣は「ひひんっ」と吐息のように鳴き、青毛のベテランの一角獣はぶるるんっと鼻を鳴らした。ちらりと脇で見ていた御者のお嬢さんを見るとニコニコと笑って頷いてくれたので、どうも拒絶はされていなかったようだ。良かった。
左江子がもう一度御者のお嬢さんに軽く頭を下げると、お嬢さんも手を振って見送ってくれた。
まだ昼間のクリーム色の空の下を庭園を抜けて職員棟へ入る。食堂には入ってすぐ右側に小さなコンビニのような売店があるのだが、テイクアウトの珈琲や食品、ちょっとした日用品が買えるようになっている。
紳士の珈琲には全く及ばないがインスタントよりもずっと美味しい珈琲が買えるので、部屋に戻る前に左江子もテイクアウトの珈琲を買おうと寄ったところ同じく珈琲を買いに来ていた紫とばったりと出会った。
「紫さん、いなり寿司は好きですか?」
「うん、好きだよ?」
ふと思い立って今日の話をして誘ってみると紫が喜んで快諾してくれたため、売店で珈琲や焼き菓子などを買い込みロビーの奥にある衝立のある四人掛けのテーブルセットで早めの夕飯にすることにした。
「ここなら素で話していてもばれないからね」
人差し指を唇に当てて悪だくみをするように笑った紫に、左江子も笑って人差し指を唇に当てた。
長官の厚意に存分に甘え、欲張ってちょうどふたつずつ買っていたいなり寿司はどの種類も二人でひとつずつ。紫お勧めの少し大きめのバナナケーキも二人で分け合った。
他のものもどれも美味しくて幸せで、左江子はずっと笑顔だった。紫も沢山笑っていた。少し多いかな?と話していたのに、気が付けば全て食べきっていた。もちろん苦しいくらいの食べ過ぎではあったけれど。
珈琲だけはふたりとも足りなかったので、次は二杯ずつ買わないとねと笑いながらその日の夕飯はお開きとなった。