5.二人目 ~虹の橋 2/11
『5.二人目』はペットの死を扱います。
苦手な方、心に大きな傷のある方はご注意くださいませ。
その後は雑談をしながらいなり寿司を選んで詰めてもらった。長官のお使いはいつも同じらしく、静は「いつものを五つお願いします」と頼んでいた。
左江子はと言うと、田舎と出汁、黒糖、五目、山椒、枝豆入りをそれぞれ二つずつ詰めてもらった。
買い過ぎか?とは思ったが、冷蔵庫へ入れれば明日まで保つから大丈夫と言われ左江子は踏み切った。明日の朝ごはんは食堂へ行かず部屋でお茶を入れて美味しくいただこう。そうして心の中で長官に最大限の感謝を贈った。
お兄さんはやはりこのいなりやの店主さんで、今は休憩時間で不在のお姉さんと二人で店を切り盛りしているらしい。
いなりの入った紙袋を受け取るとき、そんなに喜ばれたら相方も嬉しいだろうからまた必ずおいでととても優しい顔で言ってくれた。左江子も「はい、必ず」と答えた。
十王町には仮の滞在で、自分がいつまで居られるのかは分からない。それでもこうして未来の約束ができることが、左江子はくすぐったくてとても嬉しかった。
いなりやを出ると、少し時間があるからと静が周辺を案内してくれることになった。この辺りは馬車を使わなければ来られない地区で、当然、左江子は初めて来る場所だった。
十王庁所有の二頭立ての黒塗りの馬車で来たのだが、引いていたのは馬かと思いきやなんと大きな一角獣だった。体は馬、顔も馬、けれどもその額には立派な一本の角が生えている。大きさは、競馬場を走るサラブレッドよりも少し小さいくらいだ。
右を引く一角獣は艶やかな栗毛でちょうど額にダイヤ型の白い模様があり、その中心に黄みがかった角が生えている。
左の一角獣は深い青毛で、少し葦毛がかっていた。額には灰に銀を混ぜたような見事な角が生えている。左側の年長の一角獣に栗毛の若い一角獣の教育を任せているらしい。一角獣というのはどうもずいぶんと賢いようだ。
少し歩くと川が見えてきた。例の十王庁の裏を流れる煩悩川らしく、こちらが下流になるらしい。煩悩川沿いには道路を挟んで川と反対側に小さな店が何件も立ち並び目にも楽しい。左江子はついついきょろきょろと物珍しそうに辺りを見回した。
この辺りは『待ち合わせ』をする場所らしく、その名も『待合通り』。可愛らしいカフェや昔ながらの純喫茶、大昔の峠茶屋のような場所もあれば何とゲームセンターやブックカフェなどもあった。珈琲の良い香りが漂ってくる。ぜひともブックカフェにはいずれお邪魔したい。
そういえばと、左江子は思う。祖父が先に逝ってしまった後、しばらくの間祖母が早く迎えに来てほしいと日々祖父の仏前で手を合わせ話しかけていた。祖父はとても穏やかでのんびりした人で、そうして読書の好きな人だった。
「あのノンビリ屋さんがあちらに着いてひと休みで喫茶店にでも入ったら、うっかり本を読みだして十年は迎えに来ないよ」
などと冗談を言って皆で祖母を元気づけようとしたものだが、これは意外と冗談になっていなかったかもしれない。いくら十歳年が離れていたとはいえ、祖父が祖母を迎えに来たのは十二年後だったのだから。もしかしたらノンビリな祖父はここのブックカフェで時間を過ごしすぎてしまったのかもしれない。
ふと川の下流を見ると広い川幅に大きな橋が架かっていた。石造りの重厚な橋で、欄干の柱ひとつひとつに色とりどりの、それなりの大きさと思しき光を反射して輝く玉が乗っかっている。目を細めて数えてみると片側に七つずつ、合計十四個あるように見える。
じーっと見つめていると静が教えてくれた。
「あれも待ち合わせ場所ですよ。いわゆる『虹の橋』です」
「ああ、あれが『虹の橋』…」
虹の橋。
ペットを飼ったことがある人なら一度は聞いたことがあるであろう、その場所。飼い主から十分に愛され先に逝ってしまった大切なペットたちは、虹の橋で飼い主がやって来るのをずっと待っている。そうして、飼い主が生涯を終えると虹の橋で再会することができる…と、言われていた。
きっと待っていてくれるから…そう信じて何とか前を向き先を生きるための希望にした人も決して少なくないはずだ。
「じゃぁ、本当にあそこには動物たちがいるんですか?」
左江子は少し距離のある橋をじっと見つめた。目を凝らすと、種類は分からないが確かに小さな影がちらちらと動いているのが見えた。小さな影は見えるけれど彼らは決して橋から出てくることは無い。
静も橋に視線をやり、そして頷いた。
「ええ。様々な種類の動物たちが橋にはおります。無事にご主人様に会える子たちもおりますよ」
会える子たちもいる。つまり、会えずにずっとあそこにいる子たちもいるのだろうか。じっと飼い主を待ち続ける寂しげな背中を想像してしまい、左江子は何となくしょんぼりしてしまった。
「大丈夫ですよ。何せ虹の橋で長い時を待ってしまうくらいの相思相愛なのです。ほとんどの場合は迷わず会えるのですよ」
こちらに渡った途端に虹の橋へ駆け込む人までいるくらいですから、と静はころころと笑った。その顔に曇りが無いことを見ると、本当にほとんどの動物とその飼い主は再会できるのだろう。左江子はほっとすると同時に、胸がちくりと痛むのを感じた。その胸の痛みに、左江子は静が迷わず会えると言ったことを聞き逃してしまった。
「そろそろ戻りましょう。長官がやきもきするといけませんので」
静がちらりと空を見ると言った。左江子は腕の時計で時間を確認しているが、静は空の様子で大まかな時間が分かるようだった。静かはこともなげに四季が無いので季節による変化が無く常に一定だからですよ、と言っていたが、とてもでは無いが左江子には見たところでさっぱりと分からない。
夜から朝へ…暁から東雲に染まり曙へと移り往く黎明の空と、昼から夜へ…宵から夕暮れ、黄昏へと移り往く薄暮の空と。そのくらいはっきりと分かれてくれれば左江子にも見てわかるのだが…この昼間の穏やかな金の流れはまだ左江子に時間を感じさせてはくれなかった。