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結婚後の冷遇は断固として許しません

作者: 猫の玉三郎

 結婚してからというもの、レイチェルはまるで人にあらずの扱いを受けていた。


 朝起きても着替えを手伝うメイドは来ず。

 テーブルどころか床に配膳される食事。そこにはもちろんカトラリーはなく。おまけにまったく食欲をそそらない食事内容にレイチェルは呆れて声も出ない。


 結婚から一週間。初夜以来ずっと顔を合わせていない夫は今どこで何をしているのだろうか。会えば文句のひとつでも言ってやるのに、とレイチェルは不満を日々募らせていた。


 使用人たちへ待遇改善を伝えても、彼らはにこりとほほ笑むだけで何もしない。いや、何もしないだけならまだしも、本人の目の前で文句を言う。


「奥方がこれでは、さすがにロバート様が不憫でならない」

「素敵な奥さまがいらっしゃると思ったのに」


 こんなことが許されるのだろうか。

 レイチェルは身ひとつで嫁いできた為に味方は誰もいない。本来ならいちばんの味方であるべき人物が帰ってこないのは本当に不服だった。


 どうも仕事がとても大変らしく、新婚だというのに王城へ缶詰めだという。もしかして自分の夫はとんでもなく仕事ができないのかと疑った。その次に、仕事と偽って自分を避けているのかもと思った。


 つきんと胸が痛む。

 初めて会った時にステキな人だなと思った。だからもし、この結婚に思うところあってレイチェルを避けているのなら、切ないし寂しい。



 そして今朝。


「ほら奥さま。いかがですか」


 嬉しそうにネズミのおもちゃを差し出す使用人に、いいかげん堪忍袋の緒が切れたレイチェルは屋敷を飛び出した。


 夫が帰ってこないのなら、こちらから行くまでだ。屋敷での状況を包み隠さず伝えて、その対応しだいでは離婚をつきつけてやると、レイチェルは息巻いた。


「お待ちください奥さま! 大変! みんな、奥さまが!」


 追ってくる使用人を背にレイチェルは走りだした。本気を出せばレイチェルに追いつく人間はいないだろう。


 城までの道のりはなんとなくわかるので、途中で何度か休憩をはさみながらもレイチェルは走り続けた。城に着いた頃にはもうへろへろになっていたが、ここで止まってはいられない。


 塀をひょいと飛びこえ、門番の脇をすり抜ければ、立派なお城が目に入る。


 耳を澄ませばいろんな音が聞こえてくる。風の音、小鳥のさえずり、働く人々の足音。記憶を探りながらとことこ歩みを進める。結婚指輪代わりの大きなリボンが風でふわりと揺れた。


「レイチェル!?」


 お目当ての人はすぐに見つかった。


「どうしてここへ」


 夫のロバートはすぐさま近寄ってレイチェルを抱き上げた。軽々と抱える姿はまあ男らしくていいんじゃないかと思う反面、そんなにしっかり抱かれると動きづらくてたまらない。


 誰かがロバートの名を呼んだ。

 見ると頼りなさげな若い男が立っている。どうやら彼の部下らしい。腕に抱かれるレイチェルを見るなり、部下は表情を明るくした。


「どうしたんですか、その猫」

「あ、いや」


 レイチェルはむっと顔をしかめる。

 自分の妻だと紹介するのがそんなに難しいのだろうか。こんなに愛らしい姿なのに。だからレイチェルは「ロバートの妻です」と名乗ることにした。


「にゃあっ」


 しかし口から出てくるのはにゃーだとかみゅーだとか、相変わらず人に伝わりづらいものばかり。まったくもってもどかしいとレイチェルはほぞを噛む。


 こうなったら仕方ない。

 レイチェルは首元にある魔石へ力を込めた。




 ◇




 ロバートはいつも不運に見舞われる男だった。

 くじを引けば必ずはずれ。外を歩けば鳥のふんを落とされ、何百にひとつという不良品はだいたいロバートの手元へ渡ってくる。


『百年に一度、盟約により果ての魔女を娶る』というふざけた案件に白羽の矢が立ったのもきっとそうだ。突然えらい人たちの前へ呼び出され、魔女がどんな人物かよくわからないまま王命で結婚が決まってしまった。後日、対面の場に現れたのは一匹の白猫。


 魔女は猫だった。

 毛足の長いまっしろな猫。

 瞳は見る角度で色が変わる不思議なもので、それはそれは美しい。

 けれど猫だ。


 猫相手にどうしたらいいかわからないままその場で結婚式が終わってしまった。簡易ではあるが大司教自らが立ち会ったのだ。有無を言わせず婚姻の儀を完遂させるために違いない。


 屋敷の使用人たちも困惑しながら、それでも初夜ということで夫婦の寝室に放り込まれた。途方にくれたロバートは「じゃあおやすみ」と言ってさっさとベッドで横になる。なにやら妻となった猫がずっとにゃーにゃー鳴いていたが、それよりも訳の分からない状況に疲れ果てていた。途中あまりにうるさいのでレイチェルを抱き寄せる。満足そうに喉を鳴らしていたので、そのまま抱いて眠った。


 最近不眠ぎみだったのに、その日はぐっすり眠れたのを覚えている。



 しかし腕の中にいる女性はいったいなんなのか。

 急に現れて、しかもハダカで、あわてて自身のマントをかけたけれど、さっぱり状況が理解できない。


「旦那さま、これ以上わたしを蔑ろにするなら離婚ですから!」


 目の前の美人は何を言っているんだろう。

 同時に、視覚からのあまりに強い情報はロバートの鼻腔を刺激し、ついには鼻血を出しその場に倒れてしまったのであった。



 目が覚めたのは医療室のベッドの上。苦しいと思ったら妻のレイチェルが胸の上に乗っている。苛立たしげに尻尾を振りながら。やはり先ほどの女性は幻覚か何かだったのだろう。よっぽど疲れていたらしい。


「あの、ロバート様。奥さまが『なぜそんなに帰宅が難しいのか説明してください、さもないと離婚です』とおっしゃっていました」


 はて、部下はいつから猫語が理解できるようになったのだろう。みんな疲れているんだろうなと思いながらも、ロバートは話を合わせることにした。やはり猫であろうと自分の妻へなんの説明せずにいるのはよろしくない。


「実は王が飼っている小型ドラゴンが逃げ出してしまったのです。それを探すよう内々に命じられて……」


 いたずら好きで人の言うことを聞かないドラゴンだ。かなり希少な生き物で他国から献上されている手前、見つからないと外交上非常にまずい。日が暮れてからの方が捕獲が容易かもしれないと部下たちと夜な夜な茂みや物陰を探す日々だった。


「お、奥さま。ロバート様は本来ならそのような事をなさる必要はないのですが、我々を見かねて手伝ってくださっているのです。だから、」


 部下がフォローを入れてくれたが、妻は不服そうな声を漏らすだけ。納得はしていないようだ。


 ロバートは手を伸ばし、自分の上に居座る妻の体をそっと撫でた。あちこち走ってきたのだろう、泥や小さな葉っぱが毛に着いている。きっと家にいるのが嫌になってロバートの元までやって来たのだ。世話は使用人たちに頼んでいたが、みな猫を妻として扱うのは初めてだったから不備があったのかもしれない。


「嫁いできたばかりのあなたをほったらかしにして申し訳ありませんでした」


 ロバートは平に謝った。

 指先でレイチェルのふわりとした額を撫でる。


「寂しかったですか?」

「……にゃ」


 ごろごろと喉を鳴らし始めたのでご機嫌は直ったのかもしれない。


「先ほど奥さまは『仕事に行く際は必ず自分も連れて行くように』と申されていましたが」

「それはどうかと思いますが……はあ、仕方ないですね。毎度脱走されるよりはいいでしょう」


 いくら王都と言えど道中はカラスも野犬もいるだろう。こんな小さな体、襲われたらひとたまりもない。今日は運良く無事だったが外はあまりに危険だ。それに美しい毛並みが泥や汚れるのももったいなく思う。


「レイチェルもお転婆はおよしなさい。せっかくの美人が台無しですよ」


 妻は不服そうに短く「みっ」と鳴くと、そっぽを向いたまま瞳を閉じてしまった。喉はごろごろいっているので機嫌を損ねたわけではなさそうだ。


 ぽかぽかの体温に気持ちのよい手ざわり。

 気持ちよさそうな喉の音。

 それがひどく眠気を誘う。


「……もう少しだけ、眠らせてください」


 部下がなにか返事をしていたが、理解するよりも前にロバートの意識はすうっと落ちていった。




 ◇




 また眠ってしまった夫を見て、レイチェルは得意気にふふんと鼻を鳴らした。妻の愛らしさを再確認してくれたようで何よりだ。これで早く屋敷に帰って来れたらなおいいのだけど、事情を聞くかぎりすぐには難しそうである。


 仕方がないのでレイチェルは逃げたというドラゴンを探してやることにした。きっとロバートは鈍臭くて仕事ができないのだ。それをフォローしてやるのも妻のつとめだろう。


 ぴょんと胸元から飛び降りると医療室を出て行く。首元の大きなリボンのおかげか、城の飼い猫と思いこんだ人間はなかなか良い働きをした。ドアの前に立てば鳴かずとも開けてくれるし、レイチェルを見れば愛おしそうに目尻を下げる。屋敷の人間にも見習ってほしいものだとレイチェルはしみじみ思った。


 見晴らしのいいテラスに出ると、耳を澄ませて精霊の気配を探っていく。


(この城で飼われていたドラゴンを知らない?)


 彼らと意思疎通ができるのは魔女だけだ。


 誘導されるままに行ってみると、ドラゴンは鍵のかかった大きな引き出しの中で金貨に埋もれて眠っていた。ここはどこかの大臣の部屋らしい。鍵付きの金庫だろうが書棚だろうが、ドラゴンや精霊にかかればそんなもの簡単に開いてしまうのだから人間ももう少し気をつけた方がいいと思う。


(起きなさい。みんな探してるわよ)


 もちろん魔女なのでドラゴンとも話せる。


(やだあ……ここがいい……)

(いいから起きなさい)


 寝ぼけまなこのドラゴンをせっついて移動を試みる。小型というだけあってレイチェルより少し大きいくらいのサイズだ。


 歩いている途中で立ち止まりまたすぴすぴと眠りだしたので、レイチェルはその前足にがぷりと噛み付いた。ドラゴンの皮膚は特殊なのでこれくらい何ともないだろうけど、なんて思っていると。


「レイチェル!」


 あっという間に抱き上げられて、レイチェルはまたロバートの胸の中にいた。いつのまに近くまで来ていたんだろう。さっきまで気持ちよさそうに寝ていたくせに。


「だめですよ、あなたがケガをしたらどうするんですか」


 ロバートは髪も乱れて息も上がっていた。ここまで走ってきたのかもしれない。もしかして心配してくれたのだろうか。レイチェルは少しだけ胸が高鳴った。


(……魔女がドラゴンなんかに負けるわけないわ。それよりも、あなたが探していた子よ)


 じっと見上げる。すると思いが伝わったのか、ロバートが改めてドラゴンを見た。ドラゴンはやっぱり眠たかったようで、床にうずくまりまたすぴすぴと寝入っている。


「もしかしてドラゴンを見つけてくれたんですか?」

「みゃ」


 そのとおり。

 不甲斐ない夫のために果ての魔女が一肌脱いだのだから、存分に感謝をしていいと思う。




「いやあ、やっぱりロバート君は持っているよ。引き寄せ体質なんだろうね」

「はあ。昔から運の悪さは折り紙付きで」

「そうとも言えないさ。出発直前に馬車が壊れたおかげで出先での火事からまぬがれたし、フンのせいで着替えた礼服が外交使節団の琴線にえらく触れたり。運が悪いと言えなくもないけれど、それ以上に幸運も引き寄せていると私は思うよ」


 ぽんぽんと夫の肩を叩いているのはこの国の宰相らしい。彼らの会話を聞くに、ドラゴンが寝床にしていたあの金貨は密かに探していた横領の証拠とのこと。ドラゴンどころか大事件の発覚に城中が右往左往しているようだ。


「お手柄ですな、魔女殿」

「……にゃ」


 触れようとしてきた宰相の手を避ける。

 馴れ馴れしいのはきらいだ。


「はは、貞淑な方のようだ。それとももうロバートに骨抜きなのかな?」


 そんなわけない。

 でもロバートはレイチェルに骨抜きかもしれないと思った。だって心配で駆け付けてくれるくらいですもの、とふふんと得意げに鼻を鳴らす。


「レイチェルから目が離せないのは私の方ですよ」

「なんだもう相思相愛か」


 そのやりとりに耳がピクピク、鼻がひくひく。

 ついでに尻尾もふわりと揺れた。


(あ、愛し合ってるって……まあ、でも、ロバートがその気持ちなら、受け入れてやるのも妻のつとめね。仕方ないわ。そう、仕方ないの。だって夫婦だもの)


「機嫌よさそうですね」とロバートが指先で触れてきたので好きなだけ撫でさせてやる。優しい撫で心地は誰よりも上手で、だから特別に許してやるのだ。




 なぜレイチェルが猫の姿をしているのか、なぜ王国側が百年に一度という盟約を結んでいるのか、これにはいろんな事情がある。


 人間に戻るのも条件があるので、きちんと説明できるのはまだまだ先になりそうだ。なんせようやく夫が仕事から解放された。これからは新妻とハネムーンを満喫するに違いない。


「あ、奥さまは魚派だそうです」


 帰り際に部下が思い出してくれたため、屋敷での夕食も満足いくものになった。食器も床に直置きではなく低めのテーブルに置いてくれるようになったのも嬉しい。


 食事の途中でちらりと夫をうかがうと、ばっちり目が合った。とたんに優しげにほほ笑む夫。


 レイチェルは恥ずかしくなって慌てて目を伏せた。きっとロバートは妻のことが気になって気になって仕方ないに違いない。じゃないとあんな甘い表情をしないだろう。


 これからはやっと夫婦らしく寄り添うことになる。果ての魔女と人間の婚姻は古より結ばれてきた契約であり世界の決まりだ。人間側の認識にちょっと不安もあったけれど、ロバートとならうまくやっていけそうだとレイチェルは胸を撫でおろす。


 この時レイチェルは完全に油断していた。

 安心と期待から胸を躍らせていた。



 直後あんな裏切りを受けるとは思いもせず。



 ことは就寝前。

 レイチェルは今夜こそ夫婦らしく寝室で一緒に眠るものだと信じていた。なのに、ロバートは「おやすみ」と頭を撫でて、さっさと自分の部屋へ行ってしまったのだ。


「…………?」


 ぽつんと取り残された広い部屋にひとり立ち尽くす。あまりのショックに意識が追いつかなかったが我に返ったレイチェルは体をぶるぶると震わせた。


(はわ、はわわわ、こんなことって許されるの!? わたしたちは夫婦で、新婚で、あ、ああ、愛し合っているのよ!?)


 夫婦なら一緒に寝るのが当たり前じゃないのか。

 別にレイチェルが一緒に寝たいとか、ロバートが好きだとか、彼の体温が心地いいとか匂いが好ましいとか顔がタイプだとか、ぜんぜんそういうのじゃなく夫婦として必要だろう。まさか家庭内別居で冷遇を続行するつもりか。


 自分の姿が猫であることを棚に上げてレイチェルは怒った。


(そんなの許されないわ!!)


 みゃあみゃあ。にゃおん。うるるるる。レイチェルは扉の前でそれはもう恨みがましく鳴き続けた。


「どうしたんですか?」


 その甲斐あって、その晩は久々に夫と一緒に過ごすことができた。まだ仕事が、と駄々をこねる夫を寝かしつけ、自分も腕の中におさまる。だいたいロバートはいつも顔色が悪い。疲労をとり去り仕事の効率化を上げるためにも大事なのは体調管理。すなわちたっぷりの睡眠だ。夜はぐっすり眠るべきである。


 ロバートの腕に抱かれ、眠りゆくレイチェルはご満悦の表情であった。


睡眠大事

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