生活のはじまり
今回もよろしくお願いします。
傭兵団カルスラールの団長室を後にした俺とミユは、もう夕方になっていたことからさっさと俺の住む家へと移動した。厳重なセキュリティを解除し、ドアを開いて中へと入る。するとミユが嬉々とした声を上げた。
「わぁ。結構広いんですね!!」
「まあな」
俺の住む集合住宅は街が一望できる高台にある。部屋に入ると、ちょうど夕陽に染まった街の光景がベランダから視界に飛び込んできた。
「きれい」
ミユはその光景に目を細めて見とれていた。俺にとっては見慣れた光景だが、他の者からすれば何らかの感慨を抱くものなのだろう。ウルスラも休日に時々やってきては、酒を飲みながらこの光景を眺めている。
「感動を覚えているところで悪いが、この住居の説明がしたい」
「あっ。そうでした。よろしくお願いしますー」
放っておくと日が沈むまで眺めていそうだったので、俺は声をかけた。3分も待てば十分だろう。
「まずは、こっちが寝室だ」
「ベッドが1つ置いてあるだけですねー」
「こっちは別室だが、衣服の置き場として使っている」
「戦闘用スーツばっかりですねー」
「次に左の扉がシャワールームで、右の扉がトイレだ」
「どうしてブレードが立てかけてあるんですー?」
「そして最後にキッチンだが、見ての通り使用していない」
「見事なほど何もないキッチンですー」
俺は親切心からできるだけ簡潔に自分の部屋の説明をした。そのはずなのだが、ミユはなぜか固まっていた。俺の説明に何か不備があったのだろうか。俺が首をかしげているとようやく彼女は言葉を発した。
「あの!? シジマさんは本当にここで暮らしているんです!?」
「突然、大声を出してびっくりさせるな。当たり前だろう」
「あまりにも物がなさすぎます!!」
「余計な物は買わない主義なんだ」
どうしたのだろうか。別段、これといった問題はないはずだ。それなのにミユは俺に詰め寄ってきた。
「ううっ。お話には聞いていましたが、これは重症ですー」
「何の話だ。あと、もう1つ話しておくべき問題がある」
「このうえ何があるというんですー?」
ミユが詰め寄ってきたことで、俺は急ぎの問題を思い出した。だが同時に、その解決策も閃いていた。重大な問題ではあるが、別に乗り切れなくはない。そう思って、俺はミユにそのことについて話した。
「この部屋にはまともな食料を置いていない。だが軍事用の保存食がある。今日はそれで――うおっ!?」
途中まで話したところで、ミユはものすごいスピードとパワーで俺の肩をガッとつかんできた。顔はうつむいていて表情が読み取れないが、とてつもないオーラと威圧感を感じる。
「お買い物にいきましょー」
「い、今からだと帰りが遅くなるぞ。それに護衛に差し支える」
「お買い物に行くのです」
「分かった!! 分かったから肩から手を離せ!!」
俺が了承したところで、ミユはようやく肩から手を離した。そして顔をあげた彼女はいつも通りの明るい表情をしていた。それを見て俺はようやく安堵を覚えた。肉食獣に追い詰められた獲物の気分だったと言えば近い表現になるだろうか。俺はミユの見てはいけない一面を垣間見たような気がした。
「それで、近くにお店はあるのですかー?」
「あ、ああ。歩いて15分程度の場所にショッピングモールがある」
「では、さっそく行きましょー」
「お、おい!! 引っ張るな!!」
ミユは俺の腕を掴むと、ぐいぐいと引っ張って部屋の入り口まで移動し始めた。俺は引きずられるかのように、部屋の入り口まで移動させられたのだった。
ショッピングモールの食品コーナーで、俺たちは1時間以上の時間を費やしていた。それよりも問題だと感じているのは、周囲が好奇の目で俺たちを見ていることだ。店員もチラチラとこちらの様子をうかがっているのが見て取れた。
「大型カート2台に山積みは、さすがに買いすぎなんじゃないのか」
俺は食料品で山盛りになった大型カート2台を押しながら、半ばぼやくように言った。それに対して、ミユは人差し指を立てながら俺に注意するように返事をした。
「何もないゼロの状態から始まっていることに気がついてください」
「軍事用の保存食なら――」
「それ以上はダメですー」
軍事用の保存食ならある。そう言いかけたところでミユはニッコリと笑った。なぜだろうか笑顔なのに威圧感を感じる。どうやら部屋で見た彼女の一面は、気のせいではなかったようだ。
「えーと。これくらいで十分ですー」
「やっとか。ところで、支払いは問題ないとしてどうやって持って帰るつもりだ?」
「え?」
「まさか考えていなかったのか」
俺はとたんにきょとんとした表情をしたミユに絶句した。運搬する工程を考えていなかったらしい。どう考えても俺が運ぶ流れだ。俺はカートに山盛りになっている食料品をざっと見て、運べない重量ではなさそうであることを確認した。
「まあいいだろう。俺が運ぼう」
「すみません。お願いしますー」
ミユは折り目正しくこちらに頭を下げてきた。俺はため息をつきながら、カートを押して会計を済ませるために有人レジへと向かった。有人レジに向かったのは、購入した商品の袋詰めをしてもらうためだ。俺もこうした大量の買い物は久しぶりすぎて、どうやれば袋におさめられるのかが分からなかった。有人レジに行くと、50歳くらいの女性の店員が、声をかけてきた。
「こんなに買い込んで、もしかして新婚かい?」
「えへへ。そんな、新婚だなんてー」
「おい。否定しろ」
ミユは顔を赤くしてもじもじとし始めた。これでは勘違いされる一方だ。そう思った俺は真っ向から否定した。
「言っておくが、断じて違う」
「おや、じゃあ彼女かい。大事にするんだよ」
店員は俺の言葉を聞き流すと、商品が山盛りになったカート2台を引き寄せるとレジで商品を読み取りだした。俺の発言はむなしくも別の勘違いを生んだだけだった。
「合計で、2万4060リルだよ」
「こいつで頼む」
「あいよ」
だんだんと疲れてきた俺は、早く会計を済ませることにした。この際、赤の他人には勘違いされたままでいい。決済のために端末を差し出し会計を済ませる。すると、どうやったのか分からないが、たった2つの袋に収まった商品が手渡されてきた。
「助かった。礼を言う」
「まあ仕事だからね。毎度あり、またおいで」
店員は大きな袋2つをぶら下げた俺と頭を下げるミユを、どこか微笑ましいものを見るような目つきで最後まで見つめていた。
ショッピングモールから出ると既に日は沈んでおり、あたりは暗くなっていた。俺はミユにそばから離れないように言い、警戒しながら自宅へと向かっていた。
「お手伝いできず、すみませんー」
「この程度なら問題はない。それよりも先ほど言ったように俺から離れないようにしろ」
「は、はい!!」
「いや、密着しろとは言っていない。歩きづらいだろう」
俺の言葉に、ミユはピタリと肌を合わせるようにこちらに密着してきた。肌を通して暖かい体温が伝わってくる。注意したところで、ミユは慌ててパッと離れた。
「す、すみませんー」
「今日だけで分かったが、お前は抜けているというかなんというか天然が入っているな」
「よく言われます―」
否定しろとツッコミかけて、俺はやめることにした。ツッコミに労力をかけても徒労に終わる経験はつい先ほどしたばかりだ。なんというか今日は、精神的に非常に疲れた一日だった。そんな風に今日の出来事を心の中で振り返っていると、今度はミユのほうから話しかけてきた。
「そういうシジマさんは優しい人ですよねー」
これまでの対応でどこに優しさを感じる場面があったというのだろうか。なんともいえない気持ちになりながらも、俺はきちんと否定することにした。
「何を言っている。そんなことはない。俺は傭兵でテロリスト相手とはいえ殺しが仕事だ」
「お気づきになっていないだけで、優しい人だとミユは思います」
またしても否定しても徒労に終わるパターンがきた。そう思って俺は何度ついたかわからないため息をついて、自宅へと続く坂道を歩き続けたのだった。
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