第7話 ギルドマスターがお待ちです
「おう、マスター。シェリーにアベルも……どうした?」
「大牙猪を見たくてな。もう解体しちまったか?」
バージは深夜にも関わらず迎えてくれたサウロに問いかける。
「いや、今さっき血抜きが終わったところだ。見事だぞ、こっちだ」
バージたちは、サウロの背について解体所の奥へ行く。
そこには、天井から太い鎖で吊るされた大牙猪がいた。ほかの解体師たちが、毛皮の汚れを落とす作業をしている。
許可を得て、近づいて傍で見る。
「こんなに素晴らしい大牙猪は他にないぞ」
サウロが興奮した様子で告げる。
「確かに大きいですが……」
「そうじゃねぇよ。分かるか、バージ、アベル」
「……信じられないです。僕はほとんど意識が朦朧としていて……大牙猪自身の体で決定的な瞬間は見えず、子どもたちもどうやってあの人がこれを仕留めたのかは知らないと」
アベルが呆然とつぶやくが、バージもまた言葉を喪っていた。
「どういうことですか?」
シェリーが不安そうに問うと、サウロがある一点を指さした。
「分かるか、シェリー。こいつの致命傷は、あの眉間の傷だ」
シェリーが少し移動して、それを確認する。
「そうみたいですが……」
「シェリー。この大牙猪、他に傷がないんだ」
「え?」
アベルの言葉にシェリーが目を見開く。そして、彼女もしげしげと大牙猪を観察し始めた。
「大牙猪は、獰猛な魔物だ。それに加えて、この牙に、この巨体、毛皮も分厚く、脂肪も分厚い。並みの武器じゃ壊れちまうし、下手な魔法じゃなんの効果もねえ」
「確かな実力を必要とするがゆえに、討伐ランクはB+。しかもパーティーでの討伐が推奨されている。だが、Bランクであっても、仮にAランクであったとしても、ここまで綺麗に仕留めるのは難しいはずだ。しかも彼はソロでこれに挑んだんだろう?」
バージはアベルを振り返る。
「はい。ルイくんとポンタくんがいましたが、彼らは木の陰に隠れていたそうで、生徒たちがレオさんに頼まれて連れに行ったそうですし、そもそもあの子たちに戦闘において何かができるとは思えません」
「そうだろうな……」
「俺も大牙猪は、これまでの解体師人生の中で数度、解体したことがある。ここまで見事な個体は初めてだ。牙も折れてねぇし、内臓に傷一つなく、毛皮に焦げの一つもねえ。目玉も無事で四肢もしっかりしたままだ。血だってほとんど流しちゃいねぇから普通の倍以上採れた」
サウロがずらりと並ぶ血液の瓶を指さした。あれらは全て薬の材料になる。
魔物という生き物は、大きく強ければ強いほど、捨てる部位がほとんどない。大牙猪も全てが武器や薬などに使われるために買い取り対象だ。
だが、死闘の末、討伐されることが通常であるこの猪の魔物は、討伐した冒険者がぼろぼろであるように、彼らもぼろぼろであることがほとんどなのだ。
肉が抉れ、骨が折れ、血が噴き出して、そして、ようやく息絶える。無論、買い取り価格は下がるし、下手をすれば破棄するしかないほど損傷が激しいこともある。それゆえに貴重な素材として高値で取引されるのだ。
「あ、すみません……少し離れます」
シェリーが飛んできた紙飛行機を受け取り、数歩下がる。伝達魔法で何か報せが飛んできたようだ。
「……正直、僕は死を覚悟していました」
アベルがぽつりとこぼす。
彼は将来はBランクに上がれるだろう実力は兼ね備えているが、まだまだ青臭いCランクの冒険者だ。彼一人なら魔法を駆使すれば倒すことはできなくても、逃げることはできたかもしれないが、Gランクの新人たちを庇いながらではそれは不可能に近かっただろう。
「せめて子どもたちだけでもと思いましたが、防戦一方で、あの初心者平原なんて揶揄される場所に今の状況でベテランが通りすがるとも思えず、僕の魔力が尽きる時が死ぬ時だと、せめて逃げろとそれしか言えませんでした」
アベルが悔やしそうに拳を握りしめた。
「でも、子どもたちも大暴れする大牙猪に完全に腰が抜けてしまい、ベンノが負傷していたこともあって動けずにいました。ですが、薄れゆく意識の中であの人が駆け寄って来るのが見えました。……神様が来てくださったんだと、馬鹿みたいですが、思ったんです」
「これは確かに神業、だけどな」
サウロが大牙猪を見上げながら頷いた。
「親方! ちょっといいっすか?」
サウロは弟子たちに呼ばれて、悪いな、と告げて彼らの下へ行く。それと入れ替わるようにシェリーがこちらに戻って来る。
「マスター、お話し中、失礼いたします」
「どうした?」
バージは首を傾げて先を促す。
シェリーは困惑の色を浮かべて、伝えるべき言葉に悩んでいるようだった。
「シェリー? どうしたんだい?」
アベルが婚約者の様子に眉を下げて、心配そうに問う。
シェリーはアベルの顔を見た後、手元の手帳に視線を落とした。
「レオさんの身元照会結果が出たのですが……」
「犯罪歴でもあったか?」
シェリーは慌てて首を横に振った。
ギルドカードには、そのカードの保持者のすべてが記録されているのだ。
「いいえ、違います、なんというか奇妙な話なんですが……彼は十五歳で冒険者になり、冒険者歴二十年のベテランです。ですが冒険者としての記録が丸々十年抜け落ちている、と。ここ三か月の記録と、彼が十五歳から二十五歳までの十年間の記録しかないそうなんです」
「……どういうことだ?」
バージはますます訳が分からなくなって額に手を当てる。
「でも彼はBランクの冒険者なんだよね?」
アベルが問う。
「それは間違いないの……試験を受けたのは二十五歳の時で、確かに合格の記録が残っているもの。でも……それ以降の十年分の記録がごっそりと」
シェリーとアベルが答えを求めてバージに視線を寄越すが、バージにもそれがどういうことなのかはさっぱりと分からない。
「レオは、悪い奴ではないと思う」
バージは、悩みながらも口を開く。
「大牙猪に襲われてる奴らをためらいも助けて、貴重なポーションさえも惜しみなく使ってくれ、町まで送り届けてくれた。それに、森で孤児と犬まで拾ってる」
正直、レオが獅子系獣人族でなければ、彼が奴隷でも飼いならしているか、彼自身が虐待でもしていたかと疑われても仕方がない。
だが、彼はBランク冒険者で愛情深いと言われる獅子系の獣人族だ。
実際の獅子は子殺しをするが、彼らの血を引く獣人族に残ったのは子どもや家族に対する深い愛情と強い庇護欲だ。獅子系獣人族が、子どもを害することはほぼありえないと言ってもいい。
それに奴隷や自分が虐げている子どもをわざわざ病院に連れて行ったり、飯を食わせたり、そもそも人前に出すことはないだろう。アルト国とその周辺国は、犯罪奴隷以外は違法で、子どもの場合はもってのほかだ。当たり前のように子どもへの暴力や虐待は全て法で禁じられている。
後ろめたいことがないから、彼は堂々とルイとポンタを保護したことを周囲に伝えているのだ。
「何かがあったのだろうな。彼はやさしく懐の深い男のように感じるが、引いた一線を飛び越えることも、踏み込むことも許しはしないだろう」
アベルとシェリーが眉を下げたその時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴーー……
アベルが咄嗟にシェリーを抱き寄せる。ぶらんぶらんと大牙猪が揺れて、解体師たちが顔を青くしながらテーブルや柱にしがみつく。
ほどなくして地鳴りと揺れは収まって、サウロが鎖と器具の確認をしろと指示を飛ばす声が解体所に響き渡る。
「マスター……これの調査だってしないといけません」
アベルが途方にくれた顔でバージを振り返る。
「一体、どうすれば……今のギルドの状況では、レオさんに力を貸していただかないことには、大牙猪の調査さえままなりません」
シェリーがおずおずと告げる。
「明日、彼はこれの肉と報酬を取りに来てくれるはずだ。その時、お願いするしかない」
バージは、溜息交じりに吐き出して、大牙猪を見上げた。
一夜明け、朝風呂を楽しみ、朝食もしっかり食べたレオは、ルイの手を引いて、冒険者ギルドを目指していた。
行きたくないが、肉と金は惜しい。自分にそう言い聞かせて、レオは冒険者ギルドに向かっていた。
「ルイ、足痛くないか?」
「うん。あるきやすい」
ルイはブーツを履いた足を少し持ち上げて見せた。昨日、古着屋で買ったものだ。服もルイの体にぴったりの水色のシャツに黒のズボン、黒のベストとその辺にいる子どもと同じような格好をしている。
伸び放題の黒髪はそのままだ。切るか尋ねたら嫌だと言われたので、気が向いたら
ということで落ち着いた。
「あー行きたくねぇ……」
ぶつくさ言いながらもレオは重い足を進める。
歩きながら、町の中を観察する。全体的に出歩いている人が少なく、警邏をしている騎士たちもどこかぴりぴりしている。
商店街もお客がまばらで、八百屋や魚屋の店さきに並んでいる野菜や魚も種類がほとんどなく、そもそも数が少ない。
レオは、魚屋へと足を向ける。
「おう、塩焼きにおすすめのものはあるかい?」
そう声をかけると店の親父が、そうさな、と言いながら手前に置いてある魚を指さした。
「その編目鱒、今朝届いたばかりで新鮮だよ」
「編目鱒か。じゃあ、これをあるだけくれ」
レオはその魚をまじまじと見て、新鮮であることを確認してからそう告げた。
ルイは興味深そうに並ぶ魚を見ている。
「毎度。あんた冒険者だろ? 良ければ、串うちもしてやるよ。暇だし」
「お、ありがとさん」
親父は編目鱒を持って、店の奥のテーブルの方へ行った。
そして、あっというまに十匹の編目鱒に木製の串が打たれた。これで後は塩を振れば立派な一品になる。
親父が大きな葉っぱで編目鱒を包んでくれたものを受け取り、金を渡す。
「この町はあんまり盛ってないのか? 国境の町ってことで楽しみにしてたんだが」
「あんた、町で夜は過ごしたかい?」
「おう。昨日町に入ったんだ」
「じゃあもう体験したか? あの地鳴り」
「びっくりした……こわかった」
ルイがへにょんとした顔で頷いた。
親父は眉を下げて、それだよ、と言った。
「地鳴りのおかげでめっきり人が減っちまって……ここに納品してくれてた漁師たちも、町へ来る回数を減らしてえって言われちまってよ。そこの八百屋とかもそうだけどよ」
「なるほどな。それで騎士連中もピリピリしてんのか」
「……ああ。隣国が何か仕掛けて来てんじゃねぇかって話だが、隣の国とは仲が良いんだ。あっちからの客もめっきり減っちまって、商売あがったりだよ」
「確かになぁ。正直俺も早々に橋を渡って隣国にと思っちまうもんな……魔物や魔獣の可能性はねぇのか?」
「どうだかな。冒険者ギルドは今、人手不足だからな……昨日も平原に大牙猪が出たって話だし、ますます人が減っちまうかもなぁ……どうしたもんだか」
親父ががっくりと肩を落とした。
「まあ流れ者にゃ、何にも言えねぇが……」
「あ! レオさん!」
「……うげっ」
後ろから聞こえた声に振り返ると案の定、アベルが顔を輝かせて駆け寄ってきた。
レオは、魚屋の親父に「ありがとうな」と告げてルイの手を引き歩き出す。
「おはようございます、レオさん!」
しかしアベルはめげずに声をかけてきた。
「おはよーさん」
「ルイくんとポンタくんもおはよう!」
アベルは今日も朝から爽やかだった。ルイも少しばかり緊張した様子で「おはよう」と答えた。
「よかった、僕、レオさんを探していたんです!」
アベルは素直に告げる。
「そうかい、俺ぁ、肉と金を受け取りに行くだけだがな」
「はい! じゃあ、行きましょう!」
アベルはルイの隣をちょこちょこ歩いていたポンタをひょいと抱き上げた。
流れるように人質ならぬ犬質をとられてしまった。レオの牽制も聞いているようで、聞く気がないのが伝わって来る。
昨日来たばかりの冒険者ギルドへ入る。
「あ! おじさん!」
「おじさーん!」
駆け寄ってきたのは、ミスラとコリーの双子だった。
「おう、おはようさん。調子はどうだ? ベンノは?」
レオは駆け寄ってきた二人に笑顔を向ける。
「俺たちは全然元気です!」
「ベンノも元気です。まだベッドの上だけど、三日くらいで退院できるってお医者様が」
「そうかい、そりゃよかった」
わしゃわしゃと二人の頭を撫でた。
「レオさん! お待ちしておりました」
どこからともなくシェリーが駆け寄ってきた。
アベルは、相変わらずニコニコとポンタを抱えていて、ポンタは何にも分かっていないのだろう。無邪気に尻尾を振っている。
「ギルドマスターがお待ちです」
にっこりと笑ってシェリーが受付横の昇降機を手で示した。
「いやいやいや、おじさんは、お金を受け取りに来ただけだからね? お金貰って、ルイの買い物行かないといけないから、おじさん忙しいんだわ」
「ギルドマスターがお待ちです」
シェリーはにっこり笑って同じ言葉を繰り返した。
「それにまだ解体は終わっておりませんので、報酬をお渡しすることもできません」
「だがよ、ほら、ルイもいるし、な?」
レオは逃げ道を探して、手をつないだままのルイを指さす。
「大丈夫です。ご一緒でかまいません。ルイくんはとても良い子ですし。ルイくん、今からレオさんと大事なお話があるんだけれど、いい子で待っていてくれるかな?」
こくん、とルイが頷いてしまった。
レオは負けた、と天井を仰いだ。
「あの、もしよかったら俺とミスラがみてましょうか?」
「これから中庭で従魔講習会なんです」
双子の申し出にルイを見た。ルイは不安そうにレオの手をぎゅっと握る。レオはしゃがみこんで目線を合わせる。
「ルイ、ミスラとコリーと一緒に行って、勉強しておいで。従魔講習会ならポンタも一緒に行けば、勉強になる」
「……おいてかない?」
「置いて行かない。それに話し合いが終わったら、俺も中庭に行く。中庭通って、昨日行った解体所に行かないとおじさん、お金がもらえないから」
「なら、おべんきょうする」
「おう、偉いぞ。ポンタもしっかり勉強して来いよ」
「アンッ!」
アベルの腕の中できりっとした顔をされてもなんの説得力もないが、ポンタはやる気を出したようだ。
「じゃあ、行こうか」
差し出された二人の手をそれぞれ握り、ポンタはミスラの腕に抱かれて、中庭へと歩いて行った。アベルが今日も先生役のようで「僕も授業の仕度に」と言って事務所の方へ歩いて行った。
「さあ、こちらへ。ギルドマスターがお待ちです」
やはりにっこり笑うシェリーに促されるまま、レオはとぼとぼと彼女の後をついて行くのだった。