第5話 一緒に風呂に入ろうぜ
朝7時に幕間を更新しています。
レオはまずは泊まるところを確保しようと、途中で屋根から通りに降りて、古着屋に向かった。
ここでルイの服や靴を買うついでに、宿の情報を得られるといいんだが、と思いながら中へ入る。
「ルイ、どんな服がいい?」
「……どれでもいい」
きょろきょろと店内を見回した後、ルイが言った。
レオも同じ年くらいの頃、古着屋に連れていかれて親父に同じ返事をしたのを思い出して、懐かしくて笑ってしまった。子どもの頃は服なんて着られれば良かった。
服をルイの体に当てて大きさだけ確認して数着買い求め、店主に宿の情報を尋ねると「いい宿があるよ」を教えてくれたので、少し多めに支払って、教えてもらった宿を目指す。
町の中心から少し外れた住宅街のほうにその宿はあった。
軒先に『陽だまり屋』と宿の名が彫られた看板がぶら下がっていた。
宿の入り口の脇にある小さな花壇には春らしく花がたくさん植えられていて、袋から顔を出したポンタが、くんくんと鼻をひくつかせる。
飴色のドアを開けて中へ入るとこぎれいなカウンターがあった。
「おーい、いるかー?」
声をかければ、少ししてカウンターの奥のドアが開き、ふくよかな女性が顔を出す。
「はい、いらっしゃい。私はここの女将のマージだよ。宿泊かい?」
「ああ。部屋は空いてるか? それと犬もいるんだが……」
「犬? あれ、可愛いねぇ」
人のよさそうな顔をした女将のマージは、レオの腰にぶら下がる革袋から顔を出すポンタに目じりを緩めた。
「うちは従魔も泊まれるからね、その小ささだと裏庭の小屋じゃ他のに潰されちまいそうだ。部屋に小型の従魔用のベッドを用意するよ。にしてもなんだか細っこいいねぇ」
マージはカウンターに宿泊者のための記入用紙を取り出しながら、ルイを見て言った。
いくら身なりを整えても、服の中の骨の浮いた体は隠せるものではない。
「俺はさ、冒険者のレオっていうんだ。んで、こっちは……西の平原の向こうの森で野宿してるときに、まあ、拾ったんだわ」
「まあまあ……そうかい、そりゃあ、なんてことだろうね」
マージが言葉を詰まらせた。
森の中で拾ったという言葉だけで、ルイがどういう子どもだったかを察してくれたようだ。アルト王国は豊かな国ではあるが、捨て子というものが珍しい存在ではない。
「うちはね、小さい宿だけとお風呂があるのが自慢なんだ。この時間は普通なら入れないんだけど、お湯を沸かしてあげようね。ご飯は食べたのかい?」
「ああ、飯は食ってきた。部屋はもう使えるか?」
「すぐに使えるよ。丁度、一部屋開いている。何泊予定だい?」
「とりあえず一週間。先払いで」
「あいよ。素泊まりなら、一泊銅貨五枚。朝食を付けるなら、七枚。朝食と夕食を付けるなら銀貨一枚」
ここ三か月、レオが使っていた宿は一泊銅貨二枚ぐらいの安宿だった。レオは腕に覚えがある冒険者なので治安が悪くても問題なかったが、やはりルイのためには金を払って安全な宿の方がいい。それにここはおそらく家族連れなどの旅行者向けの宿だから、むしろ良心的な値段だ。
レオはルイをとりあえず降ろして、ポーチから財布を取り出し、銀貨を十枚枚取り出す。
「これで頼む」
「これじゃ多いよ、一週間なら七泊で七枚だ」
「いいんだよ。世話になるからとっておいてくれ。もうすでに特別に風呂を沸かしてもらう予定だしな」
「ふふっ、分かった。ありがとう」
マージは笑って、銀貨をカウンターの向こうへしまった。
「なあ、ここって食材の持ち込みは受け付けてるか?」
「悪いねぇ、個人だと受け付けてないんだよ。貸し切りとかの団体だと受け付けてるんだけど……」
「じゃあ、宿泊客分ありゃいいんだな? ちょっとデカい肉を手に入れてよ。まだ冒険者ギルドで解体してんだが、猪、どうだ?」
「本当かい?」
マージが顔を輝かせた。
「おう。でかくてうまそうだったぞ。な、ルイ」
「うん。おっきかった……おじさんよりもおっきかった」
ルイが短い腕を精一杯伸ばして大きさを表現する。マージは「とっても大きかったんだろうね」と笑った。
「うちは旦那が料理担当でね。ここは料理も自慢なんだ。楽しみにしておいておくれな」
「そりゃ、楽しみだ。ちなみに今夜は?」
「今夜はトサカ鳥だよ。食堂に降りてくるかい? 部屋で食べるなら本当は別料金だけど、多めに貰っているから今夜はサービスしてあげるよ」
マージがちらりとルイを見る。きっとどちらかというとこれは多かった心づけの分というよりも、拾われたばかりのルイへの気遣いだろうと、レオは有難く受け取ることにする。
「じゃあ今日は部屋で食べるよ。まだ落ち着かねえし」
「そうだね。なら夕食は何時ごろにする?」
マージの言葉に壁に掛けられた時計を見る。
「今から風呂入って、一息入れて……十九時で頼む」
「あいよ。じゃあ、これが部屋の鍵。娯楽室と食堂は二階。お風呂は地下。準備ができたら呼びに行くよ。あんたたちの客室は、三階の角だよ」
そして、マージから部屋の鍵を受け取り、カウンターの横にある階段を上がっていく。
レオたちの部屋は三階の角部屋だった。五階建ての宿で、三階から上が客室になっているようだ。各階が三部屋ずつの九部屋だけとなる。本当にこぢんまりとしているが、その分、掃除などが行き届いている印象だった。
中へ入ると大きめのベッドが壁際に置かれていて、二人掛けのソファが一つとローテーブルが一つ、備え付けのクローゼットが一つのシンプルな部屋だった。
レオは部屋に入って、ルイを下ろす。
「ルイ、勝手に部屋を出ちゃだめだぞ」
「うん」
「ポンタもな」
「わんっ!」
ひとりと一匹の良い返事にレオは、よろしい、と鷹揚に頷く。
ベッドの脇に魔力登録型の鍵がついた金庫があったので、とりあえず必要なものを出してから、そこにポーチを入れておく。
「さて、着替えの仕度をしねぇとな」
レオはクローゼットを開ける。
「ルイの服はここに置いておくな」
レオは、クローゼットの下の方にあった引き出しにルイの服を入れる。
クローゼットの中にはタオルのセットが置かれていた。とりあえず上着をかけて、タオルを取り出す。
「ルイはお風呂、ひとりで入れるか?」
虐待というものは多岐にわたる。レオは、大人に裸を見られるのを恐れる子どもがいることも養護院で嫌というほどに知っていた。病院では大丈夫そうだったが、我慢していただけかもしれない。
だからそう尋ねたのだが、返ってきたのはレオの想定していた答えとは違った。
「おふろってなに?」
レオの差し出したタオルを受け取りながらルイが首を傾げた。
「お風呂ってのは、体を洗ったり、頭を洗ったりするんだ。おまえのとこじゃ言い方がちがうのか?」
「……オレ、おふろはしらない。いつもおかあさんが、ながしで、オレにみずかけてた」
ぐっとこみ上げる怒りは、発散する対象もいない。
「じゃあ、ルイが嫌じゃなかったら、おじさんと一緒に入るか? ここは、浴槽があるからな。あったかくて気持ちいぞぉ~」
「うん!」
ルイが少しだけ口元をほころばせて頷いた。
「わんわん!」
「おう、ポンタも入ろうな」
わしゃわしゃと撫でれば、ポンタはぶんぶんとはち切れそうなほどに尻尾を振った。
それから少しして、マージが部屋にやってきた。
「お風呂の準備ができたよ。いつもは夕方から朝ごはんの時間までは自由に入れるからね。それとこれはパジャマ。サイズ、大丈夫かね」
そう言ってマージが手に抱えていたパジャマの一番上のものをレオに渡してくる。レオはそれを広げて体に当ててみたが、大丈夫そうだ。
「ありがとさん。なあ、犬も洗っていいか?」
「人間用の湯船はだめだよ。でも小型従魔用の桶が置いてあるから、それを使っておくれな。洗濯物は別料金だけど、あのカゴに入れて、ドア横のポストに入れておいてね。朝、回収して洗濯をしておくよ。翌日、カウンターで渡すからその時に洗濯代の支払いを。部屋の掃除が必要なら朝食の時に教えておくれ」
「おう、やっぱり金を出すとサービスがいいなぁ。ここんとこ安宿ばっかりだったからよ」
「うちは懇切丁寧なのも自慢なんだよ。さ、お風呂に入ってさっぱりしておいで」
カラカラと笑うマージに見送られて、レオはルイを抱き上げ、ブーツから部屋の入り口にあった室内履きに履き替え、ポンタも連れて部屋を後にしたのだった。
地下の風呂は、男女で別れていて、三日ごとに浴場は交代しているらしい。今日は左側のドアに男性と書かれたプレートがかけられていた。
室内履きを脱いで脱衣所に入る。特別に開けてもらったのもあり、誰もいない。
棚に籐の籠が並んでいて、そこに脱いだ服を入れていく。パジャマと一緒に渡された体を洗うためのスポンジを持つ。
ルイのあばらの浮いた体に、絶対にうまいもんを食わせてやろうと決めて、小さな手を引き湯船に向かう。
「わ、なんか、むわってした……」
ルイが湯気に驚く姿に、くくっと喉を鳴らして笑いながら、シャワーが並ぶところへ向かう。壁につけられたシャワーはコックをひねればお湯が出る。これも魔道具の一つだ。
これで朝晩の食事付きで銀貨一枚は安すぎないか、と心配になってくるレベルだ。
「よーし、洗うぞ。頭にお湯掛けていいか?」
「うん」
「じゃあ、目ぇ閉じてろ」
そう声をかけてシャワーを壁から外して、優しくルイにお湯をかけて頭を洗ってやる。
「体は自分で洗ってみるか? こうやって、泡だてて洗うんだ」
泡立てたスポンジを渡して、優しくルイの体をこする。
「オレもできる」
「よし、じゃあやってみろ。おじさんも髪洗っちゃうな」
ルイにスポンジを渡して、レオはルイの様子を伺いながら髪を洗う。量が多いので洗うと泡の量が尋常じゃない。それを洗い流して、ルイの泡も流す。
「よーし、ルイ、おじさんの背中を洗ってくれ。その間に、おじさんはポンタを洗う」
「うん」
レオは壁際に立てかけられた従魔用とプレートのくっついた桶を持って来てシャワーでお湯を溜める。
レオがしゃがみこむとルイがスポンジをもこもこに泡立てて、背中をこすってくれる。
「もっと強くごしごししてくれ」
「痛くない?」
「おじさんは大人だからルイの力じゃ痛くない」
「がんばる」
ルイがごしごしと洗ってくれるのに礼を言って、少し離れたところでお座りをしていたポンタを呼ぶ。
ポンタは嬉しそうに桶にぴょんと飛び込んだ。
シャワーでそっとお湯をかけて、レオは絶句する。
「……お前、本当にポンタか……?」
レオの言葉にルイが手を止めて、のぞき込んでくる。
「ポンタ……?」
ルイも不安そうにポンタを呼んだ。
お湯をかけてしぼんだポンタは、あのふわふわの姿が幻だったかのようにしょんとしている。本人は笑顔で気持ちよさそうにしているが、あまりに小さい。毛量に対して中身が少なすぎる。
「お前……もっと飯食えよ?」
レオは真剣に告げて、ポンタを洗った。
途中、ルイにポンタを任せて自分の体の残りを洗って、ポンタの泡を流す。
桶のお湯を入れ替えて、浴槽近くに置くとポンタは自分で入って、桶のふちに小さな顎を乗せてくつろぎ始めた。
レオは、ルイの手を引き、湯船につかる。
「あぁぁぁ、きもちぃ……」
古着屋の店主に感謝だな、と思いながら横を見れば、ルイも気持ちよさそうにしていた。
しばし無言の時間が続いて、ゆらゆらと立ち上る湯気をぼんやりと目で追いかける。控えめな視線を感じて目を向ければ、ルイと目がった。人間に見つかった猫みたいにぴくんと細い肩が跳ねた。
「どうかしたか?」
「……おじさん、ここ、いたい?」
ルイがレオの肩を指さして首を傾げた。下がった細い眉に反してレオは笑う。
二十年以上冒険者稼業を続けているレオの体は、傷だらけだ。ルイが心配してくれる左の肩口の傷は、その昔、魔獣につけられたものだった。
魔物と魔獣は似ているようで違う。魔物はその辺にもいるが、魔獣は森の奥深くや谷の底、洞窟の最奥などにいて、非常に凶暴で瘴気をまき散らす恐ろしい生き物だ。
「ずーっと昔の傷だから、もうどれも痛くねえよ。おじさんは冒険者だからよ、勲章みたいなもんだ」
「ぼうけんしゃってあぶないの?」
「冒険者は、今日の猪みてぇなでっかい魔物を倒したりする分、あぶねえな」
「あぶないけど…………おかね、かせげる?」
「強くなればな。冒険者、興味あるのか?」
質問を重ねる瑠偉にレオが尋ねる。
ルイは、うん、と頷いた。
「……おかねがあると、ごはんがかえるでしょ? ポンタにちゃんとごはんたべさせてあげたいから」
ぐるぐると胸をうずまく感情を何と呼ぼうか。
ルイの姿が、いつかの自分に重なる。
そうだな、お金があるのとないのって、生きづらさが全然違うよな。明日のご飯を心配しなくていいだけでも、幸せだよな。
喉元まで出かかった言葉たちを飲み込んで、レオは微笑んだ。
「そんな心配すんなって。おじさんが、ちゃーんとお前たちが幸せに暮らせるような場所、見つけてやるからさ」
一緒に行こう、とは言えなかった。
レオは、自分がルイとポンタを養うくらいはできることは分かっている。だが、この体に残る傷跡が物語っているように、冒険者稼業はいつ死ぬかもわからない危険な仕事だ。
二十年、冒険者をしてきたレオは、子どもを遺して死んだ多くの冒険者を知っている。
「……しあわせに、くらせるばしょ?」
「おう。ちゃーんと三食飯が食えて、読み書きを教えてもらえて、あったけぇ布団がある場所だ。おじさんが必ず見つけてやる」
ルイはなんだか心もとない顔でレオを見つめている。
「おじさんは、いっしょじゃないの?」
ルイの問いかけに、レオは優しく微笑む。
「お前たちの生活が落ち着くまでは、そばにいるから安心しろよ。それに今日明日、いきなりそんな場所が見つかるわけじゃないさ」
どの町にも孤児院や養護院といった、行き場のない子どもたちが暮らす施設はある。
エンデの町にもあるはずだが、正直なところどれだけ雰囲気がよくても謎の地鳴りが頻発する地域はあまり乗り気がしない。
押し黙ってしまったルイの頬が大分赤いことに気づいて、レオは立ち上がる。
「さて、出るぞー」
よいしょ、とルイを持ち上げて浴槽の外に出す。
「ルイ、ポンタを出してくれ。俺は桶を片付ける」
ルイがこくんと頷いて、ポンタを抱き上げた。ポンタは不満そうな顔をしていた。よほど風呂を気に入ったらしい。
レオは桶を軽く洗って、もとあった場所へ戻し、ルイの手を引き脱衣場に戻る。
「ポンタは最後な。その代わり、これにくるまってろ」
ポンタ用のタオルに包んで棚の上に置いておく。足下だとうっかり踏みそうだ。
ルイの頭や体を拭いてやり、古着屋で調達した下着を履かせてパジャマを着せる。
「ルイ、ポンタを拭いててやってくれ」
ルイにポンタを渡して、今度は自分の体を拭いて、パジャマを着る。
「おじさんにもおとうさんとおかあさんいる?」
パジャマの上を被ったところでそんな質問が投げかけられた。
「お父さんはいるな。血は繋がってないけどな。母親はいたけど、子どもの頃に別れてそれきりだな」
パジャマに頭を通しながら告げる。
レオの母親は娼婦だった。
だから父親が誰かは分からないが、獅子系の獣人族だということは分かっている。母は人族だったからだ。
常に酒に溺れているような人だったという記憶が、ぼんやりと残っている。母親はレオに暴力をふるい、ろくに食事を与えてくれなかった。
でも、時折、正気に返ってレオを抱きしめて泣いて、謝って、そしてまた酒に溺れるのを繰り返していた。
母の生い立ちを幼いころに別れてしまったレオは知らないが、何かがきっと彼女をいつも苦しめていたんだと大人になった今は分かっている。
最後に会った母は、泣いていた。泣きながらレオを抱きしめて「幸せにおなり」とレオを養護院の前に置いて行った。
その後、母がどうなったかは知らないが、愛してくれてはいたのだとレオは思っている。
いや、ロザリーがそう思わせてくれた。
ロザリーは『路地裏でも娼館でもなく、養護院の前に置いて行ったのが、お母さんから貴方へのひとひらの愛情なのよ』と、そう言ってくれた。
「さーて、部屋戻って髪乾かして、飯の時間まで休もうぜ」
よっこいせ、とポンタごとルイを抱き上げて、レオは部屋へと歩き出す。
「……ねえ、おじさん」
「んー?」
「あしたは……あしたは、まだいっしょにいるんだよね?」
ルイが不安そうにレオを見上げている。話すのが早すぎたかと少し後悔する。だが懐くだけ懐いた後に言うよりはいいに決まっている。
「明日は早すぎるなぁ。大丈夫、まだまだ当分、一緒にいる、つか、この町には置いて行かねえ」
「ほんとう?」
「ああ。本当」
頷いたレオに、ルイがわずかに表情を緩めた。そこに感じる胸の痛みに気づかないふりをして、レオは階段に足をかけたのだった。
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