第18話 譲れねえ理由があんだよ
空が赤や橙も通り過ぎ、紫色から黒へと変わる時間。
レオは久しぶりに防具を身に付け、腰に愛剣を差す。ロザリーもいつもの深緑のローブではなく、白に金糸で刺繍が施された特別なローブに身を包んでいた。
門の前は物々しい雰囲気に包まれている。
平原のキノコモグラをおびき寄せる場所――決戦地までは騎士団とともに馬で行くが、そこまで行ったら馬とともに騎士団は離れた場所で待機をしてもらう予定だ。
冒険者ギルドからもギルドマスターのバージと数名のCランクの冒険者も同行し、騎士たちとともに待機してくれる。
アベルはルイの子守り役なので、ルイとポンタ、そして、シェリーとともに留守番だ。
現在もルイはアベルに、ポンタはシェリーに抱っこされている。
「ルイ、シェリーとアベルの言うことをちゃんと聞いて、いい子で待っていてね」
ロザリーがルイの頬を撫でながら告げる。
「ちゃんと、まってる」
精一杯、不安を押し込めているのが、その少し震える声から伝わってきて、レオは今すぐに抱きしめたくなるのをぐっとこらえて、小さな頭をぽんぽんと撫で、額に鼻先をくっつけて体を起こす。
ロザリーにもその健気な心が伝わったのだろう。
だが、抱き締めたら離せなくなるのも分かっている彼女は、頬へのキスでなんとか堪えたようだった。
「それじゃあ、行って来るな」
「すぐに帰って来るからね」
「うん」
「ポンタも頼むぞ」
「わん!」
レオのお願いに、ポンタは勇ましい顔で元気な返事をした。
あまり別れを惜しんでも、離れがたくなるだけだとレオはそばにいた馬の鐙に足を駆けて、さっとその上に跨る。ロザリーももう一頭の馬に跨った。
周りの騎士たちやバージたちの仕度も整っていることを確認し、ルイに一度、笑みを向けてから顔を前に戻す。
「あとは頼んだぞ! 行って来る!」
「いってらっしゃい!」
「お願いします!」
「ご武運を!」
「わんわん!」
送り出すその声に手を挙げて返し、レオは馬の腹を蹴った。
町から離れるほどに速度を上げて、平原を駆け抜けていく。
平原は、決戦地までの道のりに松明が掲げられて、宵闇を照らしている。
待機場所は町と決戦地の間でいくつか設けてあり、決戦地へ向かうにつれて、人数が減り、最終的に大量のムース苔の山が見えて来る頃には、レオとロザリーだけとなる。
速度を落とし、緩やかに止めて、馬をなだめる。
「お疲れ様です!」
見張り役の騎士の青年たちがレオたちの到着に背筋を正す。
ムース苔は、想定外の時間にキノコモグラが出て来ないように匂いを消しているが、見えてはいるため、他の動物や魔物に荒らされないように騎士団で小隊を一つ貸してくれ、見張りをしてくれていたのだ。
ロザリーが早速、ムース苔の確認に行く。
「ご苦労さん、変わりないか?」
「はい。我々が監視している限りでは、キノコモグラは動いておらず、平原で危険な魔物や動物の出没もありません」
「そうか。ありがとう」
ここはキノコモグラの進行方向にある。少し離れた場所にキノコモグラはいるが、一晩の移動距離からして、真夜中にはここに到着する予定だ。
だが大好物を前にして、速度を上げる場合も考えられるので、出現時間については確かなことは言えない。
レオたちの到着の報せが隊内に行き届き、続々と監視をしていた騎士たちが集結し、移動の準備を始める。彼らも離れた場所にある待機所に移動するのだ。
「では、以降のことはよろしくお願いいたします」
隊長が挨拶に来て頭を下げる。
「おう。俺とロザリーに任せとけ。それと、俺たちが乗って来た馬も頼む」
レオはどんと胸を叩いた。隊長は顔を上げ小さく笑うと「失礼します」と目礼し、部下とともに待機場所へと出発する。
レオはその背を見送り、ムース苔の確認をしているロザリーの下へと向かう。
「どうだ?」
「匂いも質も変化していないし、問題なく使えると思うわ」
顔を上げたロザリーが満足そうに言った。
「なら、あとはモグラが釣れるかどうかだな。……準備が出来次第、魔法を解除して、待つだけだな」
「そうね。釣られてくれれば、一番、楽なんだけど……穴掘るのは大変なのよね。深いところにいるみたいだし……」
ロザリーが少し離れた場所に刺さっているキノコモグラの居場所を知らせるロッドを振り返る。今のところ、動いている様子はないが、あと一時間もすれば夜の活動時間になる。
「キノコモグラって美味いのかな」
「どうかしら……モグラ系の魔物は、基本的に素材は毛皮がメインだったし……あんまりモグラのお肉って聞いたことないわよね。岩槍モグラはお肉まで石のように硬かったし」
「とはいえ、キノコの胞子を持ってるなら、キノコモグラも下手に食わんほうがいいのかもな。毛皮でも取れりゃいいがなぁ。……牙あるかな」
「もう、素材については、討伐してから考えましょうよ。気が早いわ」
ロザリーが苦笑を零し、レオも「それもそうだ」と頬を掻いた。
それから二人で決戦地の確認をする。
足場の状態や障害物、空の様子などを調べて、準備を整えるのだ。
魔物と対峙する時は、この間の大牙猪のように突然ということもあるが、そうでない場合――主に今回のようにおびき寄せる場合や相手のねぐらを襲う場合は、入念に周辺の下調べをするし、なんだったらその地域の生態系も軽く調べて、乱入してくるかもしれない存在についても留意しておく。
今回は相手が聴覚と視覚がほぼ機能していない(と思われる)モグラ種なので、レオの咆哮で他の魔物を追い払っているため、乱入の心配はあまりしていない。
「雨も降りそうにねぇし、今のところ、雲もねえし、月も明るい。なかなかにこっちには有利だな」
「ええ。風もほとんどないしね。あとは、モグラちゃんが出て来てくれるかどうかってところね」
ロザリーが、空を見上げる。つられて顔を上げれば、目前には夜の色を濃くして、星が輝き始めた空が広がっていた。
――ゴゴゴゴゴ……
大きな揺れにレオとロザリーは剣とロッドを構えて耐える。
目覚めたらしいキノコモグラにレオは笑い、ロザリーを振り返る。
「動き出した。ロザリー、合図を出して解除を」
「ええ」
ロザリーが空にまばゆい光を一つ、打ち上げた。これは、作戦決行の開始を待機場所にいる仲間に報せる合図だ。そして、ムース苔の山にロッドを翳す。
苔の山を覆っていたロザリーの魔力がほどけ、青臭い苔の匂いがむわりと立ち込めた。
「さあ、キノコモグラちゃんを呼んできて。『風よ』!」
ロザリーが風を操り、キノコモグラのいるほうへと匂いを運ぶ。
レオとロザリーは苔の山から少し離れて、揺れに足を取られないようロザリーの風魔法で空中に待機する。その時を待つ。攻撃を担うレオは前に支援を担うロザリーはより広範囲が見渡せる後ろに。
――ゴゴゴゴゴ……
キノコモグラが動き出した。今までよりずっと揺れが長くその音がだんだんとこちらに近づいてきているのが分かった。
「よし、こっちに近づいてきてるぞ!」
「ええ。気を付けてね、レオ!」
「おう!」
レオは剣を構え、体内に魔力をより多く、強く巡らせていく。背後でロザリーも魔力を練り始めたのが伝わって来る。
興奮に神経が昂る。地面をかき分け、地上に上がって来る音がレオの耳に鮮やかに聞こえて来ていた。
「……来るぞ」
ボコッと地面に大きな穴が開いた。
最初に出て来たのは鼻でも手でも爪でもなく、触手だった。
「え? 何あれ、気持ち悪い……」
うにょうにょとピンク色の数十本の細長い触手が、いつぞや海で見たイソギンチャクのように地面に生えている。だんだんとその長さは増して、三メトルに達する。
「ねえ、キノコモグラって、あんなの生えてた?」
「ベノワが見せてくれた絵は、可愛かっただろ? 実際に見たバージがあの絵に異を唱えなかったんだから、あれで間違いねぇと思うぜ!?」
想定外の事態にレオはわずかに後ずさる。
触手がちょろちょろと伸びて来て、ムース苔をむんずと掴むとそれは穴の中に戻っていく。咀嚼音が聞こえて、レオは舌打ちをする。
「ロザリー、苔を空中に持ち上げてくれ!」
「了解! 『浮遊せよ』!」
ロザリーが触手の届かない高さへと苔を持ち上げる。追いかけてきた触手が無限に伸びるタイプだったらと危惧するも、それにはきちんと限界があったようだ。
うねっていた触手が針のようにピンと苔に向かって伸びる。
「再生する類いじゃありませんように!」
そう願いながらレオは駆け出す。
「『身体強化 腕力』!」
「『蔦よ 捕縛せよ!』」
ロザリーの声が高らかに響き、地面から生えた蔦によって触手がひとまとめにされた。レオはその根元をばっさりと切り落とした。血しぶきが舞い、レオは浴びたくはないので、一気に空中へ逃げる。魔物の血液には、毒があることも多々あるのだ。
「ギィィッィィィィ!」
夜を引き裂くような甲高い悲鳴にレオは顔をしかめる。ロザリーが「うるさわいねぇ」と煩わしそうにぼやく。
「……これで出て来るか?」
レオは剣を構え直す。
ボコッとまた一回り穴が大きくなり、黒光りする長い爪が顔を出す。
レオとロザリーの間に緊張が走る。
ゆっくりと出てきたそれは穴のふちに分厚い皮に覆われた手の平部分がかけられた。そして、もう一本、今度は反対の手が同じように出て来て穴のふちにかけられる。
その手が想定していたキノコモグラの大きさにしては、いやに大きく感じたが、問題はその頭が出てきた時に露呈した。
大牙猪が可愛く思えるほど、発見時より成長したのかキノコモグラの頭は、頭だけで三階建ての建物よりも大きく見える。
「…………おいおい、嘘だろ……」
「……こんなの聞いてないわ」
ぎちぎちと鉄の刃をすり合わせたような不快な音がその口元から聞こえる。黒い毛皮に覆われた巨大な丸い頭部は、禍々しい穢れた瘴気を纏っている。
その大きな頭の中でつぶらな瞳が、滴る血のごとく紅く光っていた。
「こいつ、今の一瞬で……魔獣化しやがった……っ」
ふしゅーふしゅー、と呼吸の音が聞こえる。
魔獣化したキノコモグラが小山のような巨体がその穴から徐々に出て来る。
「ロザリー!」
「分かってる!」
ロザリーが空に向かって赤い光の玉を五つ、連射した。
五つの光の玉は横並びになり、強い光を放って爆発した。
これはレオが以前、平原で打った危険信号の中で最上級の、魔獣の出現を知らせる信号だ。
「聖水、あったか?」
「あるわけないでしょ。あれは魔獣出現に際して、討伐隊にようやく与えられる貴重品だもの」
ロザリーの顔からは血の気が引いている。だが、レオもきっと同じような顔色だろう。
魔獣を倒すには、教会で作られる「聖水」というアイテムが必要になる。各国共通で、各国でその国の神に祈ることで作られるらしいが、詳しい方法は一般には秘匿されている。
聖魔法によってつくられる聖水は、唯一、魔獣がまとう瘴気を祓うことができる。
聖魔法は、非常に希少なレアスキルだが、確かに存在していて、大体が教会や神殿に所属している。異世界から召喚された聖者や聖女は、彼らの持つ聖魔法とは性質が異なるらしい。
レオのような攻撃を担う者は、その武器に聖水をふりかける。ロザリーのように魔法を駆使する者は、聖水を一口含み、魔力にその聖なる力を一時的に宿す。
魔獣はこの瘴気に守られているため、瘴気を祓うことができなければ、そもそも魔獣本体に攻撃ができないのだ。
だから、あの触手を切った時、切れたということはまだキノコモグラは魔獣化していなかった。それとも魔獣化しかけている最中だったのかは分からないが、とにかく触手を切り捨てた後に、キノコモグラが魔獣化したのは、事実なのだ。
「……どうする、レオ」
ロザリーの揺れる紫色の眼差しを受けとめ、レオはキノコモグラに視線を向ける。彼女の目には、恐怖と不安が確かに見て取れた。
おそらく魔獣化したことでさらに巨大化した体を持て余しているのか、動きは鈍いようで、キノコモグラは穴から出るのに四苦八苦している。
聖水も持たず、聖魔法も使えない。なんの備えもないレオとロザリーでは、魔獣に対して攻撃することが一切できないのだ。
それに魔獣の纏う瘴気は、人間にとっては恐ろしい毒のような存在で、怪我を負った個所に瘴気が付着すれば、聖魔法と聖水を使用する以外の魔法が効かなくなる。つまり魔法薬や治癒魔法で怪我を治すことができなくなるのだ。酷い怪我ならば、そのまま死ぬしかない。
だがレオは、目の前の強敵に挑まなければならない理由がある。
「町には……ルイがいる」
ただその一言でロザリーの紫色の眼差しから、恐怖は消えた。
「エンドの町に教会はあるが、聖水があるかは分からねえ。それでも俺たちは、町にこいつが向かうことだけは阻止しないとならねえ。森に逃げるように仕向けるのが最善だ」
聖水がなければ、瘴気に守られるキノコモグラには、レオとロザリーであってもとどめを刺すことはできない。
「俺たちはルイのために、ここでこいつを止める。んで、生きて帰る。そうだろ、ロザリー」
「ええ、もちろんよ。サポートは任せて」
ロザリーは力強く頷いて、ロッドを構えた。
レオは彼女の頬にキスをして前を向き、剣を構える。
「あの大きさと体格からして、地を這うか、地下に逃げるかの動きに絞られるはずだ」
「私もそう思う。それとモグラだから地魔法系は使えると思うわ」
キノコモグラは尻に生えていた巨大なキノコが引っかかっていたようで、ようやく地上にその全体をあらわにした。
大牙猪の数倍はある巨体は、まるで山のように感じる。
その背に生えるキノコは、厄介なことに毒性を持っていそうな気配があった。周囲の草木がキノコモグラの発する瘴気に徐々に枯れていく。
「ロザリー、ムース苔を森のほうへ」
「ええ」
ロザリーが宙に浮かせたままだったムース苔を一度、キノコモグラの鼻先に近づけてから移動させる。一瞬、興味を示したが、キノコモグラの紅い目は、ただじっとレオを見ている。それでもロザリーが自身の魔力で操れる範囲で、最も遠くへとムース苔を押しやった。
長い爪を持つあの大きな手に力が込められたのを感じ取り、レオは咄嗟にロザリーを抱えて横に飛び、ロザリーは二人の周囲に氷の壁を展開する。
「ギィィィィィィ……っ!!」
ガキンガキンガキンッと氷の壁に石や土の塊がぶつかる音がする。ロザリーを片腕に抱えたままレオは脚を強化し、上に飛ぶ。
「うそ」
ロザリーが呟く声にレオも目を見開く。
キノコモグラが、後ろ足で立ち上がっていた。
あの大きさで、質量で、ありえないと脳が理解を拒否する。だが、現実は振り上げられた、鋼鉄の爪が生えた前脚にまざまざと存在している。
レオは、抱えていたロザリーを自分の後方に、肩の向こうへと投げた。
悪あがきで捩った体は、しかし、その爪をよけきれず、脇腹に激痛が走った。
「レオ!!!!!」
ロザリーが悲鳴交じりにレオの名を呼ぶ声が平原に響き渡ったのだった。




