第17話 約束は重ねて強くなるのよ
「基本的に討伐は俺とロザリーで行う。相手が未知の魔物である以上、俺たちもこれまでのように守ってやれる保証はないから、被害が及ばないところで待機していてほしい」
冒険者ギルドの会議室で行われているキノコモグラ討伐戦の作戦会議にて提案されたレオの意見にバージが室内に視線を走らせた後、頷いた。
会議には、ギルドマスターであるバージを始め、町長でもある商業ギルドマスターのクラウス、騎士団団長のギュンター、そして彼らの事務官や秘書、部下、ギルド職員などが出席している。
ロザリーは別室でルイと討伐に向けた準備をしてくれている。
「分かった。君の言う通りにしよう」
レオはバージの返事にいささか拍子抜けする。
するとレオの表情から察したのかバージが苦笑を零した。
「俺だって昔はBランクの冒険者だったんだ。守りながら戦うのと、好き勝って戦うのじゃ、やりやすさが大分違って来る。騎士団だってその辺は弁えてるさ。彼らは俺たちよりずっと何かを守ることに対して、慣れてんだからな」
ギュンター含め、騎士団の代表者たちが、バージの言葉に頷く。
「そうか。ありがとう。……つっても、キノコモグラが、あのムース苔につられて絶対に出てきてくれるとは限らねぇんだがな」
レオは、がりがりと頭を掻いた。
決戦は今夜と決めて動いているが、一日かけて集めた苔にキノコモグラがつられて出てきてくれるかは賭けでしかないのだ。
「もし、出て来ないとすればどうするべきか……」
バージが重々しく溜息を吐く。
地下や水中にいる獲物をおびき寄せるのは、なかなかに骨が折れる。人間が呼吸のできない場所にいる獲物との戦いは非常に難しいのだ。
「そうなったら穴掘って引きずり出すか!」
がははと笑えば、バージが「レオならできそうだな」と笑った。
それからさらに加勢の合図や方法、非常事態の報連相など、細かい取り決めをして、終了とともに皆、忙しそうに席を立つ。
レオも立ち上がり、正面の壁に貼られた様々な書き込みがされた地図の前に立ち、改めて頭の中を整理していく。
「レオ」
目だけを向ければ、バージがシェリーと一緒にこちらにやってきた。
「シェリーに頼みたいことがあるんだろ?」
会議が始まる前に、シェリーに頼みたいことがあると伝えていたので、わざわざ連れて来てくれたようだ。
「おう。悪いな。……シェリー、すまないが今夜はギルドのほうでアベルと一緒にルイとポンタを頼んでもいいか?」
「ええ、もちろんです」
シェリーがしかと頷いてくれた。
「シェリー! ちょっとこっちをお願いしたいんだけどー!」
開けたままのドアの向こうから彼女を呼ぶ声が元気よく聞こえて来る。
「今行くわ! すみません、失礼いたします」
シェリーが慌てて頭を下げ、忙しなく来たばかりの会議室を出て行った。
いつの間にか会議室はレオとバージだけになっていた。
「……ちゃんと、戻ってきてくれよ。俺たちのためじゃなくて、ルイのために」
バージの真っ直ぐな眼差しにレオは背筋を正す。
「もちろん。……二十年、冒険者をやってりゃ捨て子を拾ったのは初めてじゃない。ルイよりも酷い虐待を受けていた子どもを保護したことも、戦で親を失っちまった子どもをまとめて保護したことも、奴隷商をうっかり潰して保護したこともある。でも、できうる限り迅速に安全な町の然るべき機関に子どもたちを託してきた」
「……ルイだってそのつもりなんだろ?」
バージの問いかける声は静かだった。
静かに、感情が波立つのを押さえているような、そんな声だった。
「そうだと思ってた」
「違うのか?」
「……なんか、手放せなくなっちまった」
口端にかすかに浮かんでしまった苦笑を隠すようにレオは片手で口元を覆った。
愛しいと心から思ってしまった。そうなったら手放すことなど考えられない。
「他の誰でもない、俺が、ロザリーと一緒に、幸せにしてやりてぇって思ったんだ」
「だったら、絶対に、腕の一本二本、飛ばしても、生きて、帰って来いよ」
静かな声がわずかに波打つ。
「……バージ?」
「シェリーと俺、似ていないだろう」
「あ、ああ。奥さんに似たんだろ?」
レオは、戸惑いながらもそう返す。
大牙猪の肉をあげた際、シェリーがバージの娘で、アベルも一緒に暮らしていると言っていた。だがそこにバージの妻の話は一つも出て来なかった。だから死別か、離縁か、とにかくそこにはいないのだろうとは思っていた。
「似てなくて当たり前だ。シェリーは俺の親友夫妻の娘で、俺の実の娘じゃないからな」
バージはそう告げて、近くの椅子を引いて座った。脚を組み、膝の上に組んだ手を乗せて、目を伏せる。
「シェリーは俺のパーティー仲間夫婦の娘だった。俺とあいつらとで三人のパーティーだ。……でも、今から十八年前、二人はクエストに行ったきり、戻らなかった。あの時、まだ二歳だったシェリーを俺が引き取った。シェリーもそのことは知ってるよ。のちに冒険者を引退して、俺はギルドマスターになったんだ」
「……バージは、一緒に行かなかったのか?」
「その二週間くらい前に、ちょっと難しいクエストで怪我をしてな。療養中だったんだ。でも、だから二人も自分たちのランクより少し低めのクエストを暇つぶしがてら受けてた。俺たちはいつも誰かがいない時はそうしていたからな」
「じゃあ、なんで?」
「分からない。今も分からないままだが……二人が死んだことだけは事実なんだ」
悲しそうに、寂しそうに、バージは告げた。
レオには状況も理由もなにもかもさっぱりと分からないし、知らないが、当時、若かったバージは仲間の死の理由を、きっと必死で探っただろう。事故か事件か、何か一つでも死の理由につながるものはないかと、探したに違いない。
だって、もしレオが、自分のいないところでロザリーやルディを喪ったら、そうしていただろうから。寝る間も惜しんで原因を突き止め、それが葬れる存在ならば、人間だろうが、魔物だろうが、例え、魔獣だったとしても地の果てまで追い詰めてでも、仇を討つだろう。
「何が何でもルイのために、帰って来てくれ。レオ」
「当たり前だろ」
レオの答えにバージはわずかに顔を上げ、小さく笑った。
「絶対だぞ」
「絶対だ」
バージの眼差しはレオからそれることはなく、レオもただじっとその目を見返した。
数秒の間を置いて、バージがゆっくりと目を伏せた。
「では、作戦会議と行こうか」
次に顔を上げた時、そこには憂いはなかった。レオは、ああと頷いて地図へと向き直り、バージとともに頭の中を整理しつつ、今夜の討伐に向けて話し合いを進めるのだった。
*・*・*
ロザリーはテーブルの上に並ぶ各ポーションの数や種類を確認しながらポーチへとしまっていき、レオの分は用意した籠に入れる。あとで戻ってきたら彼のポーチにしまってもらう分だ。
「これは?」
「これは魔力回復ポーションよ。魔力を使い切ってしまうと、体がだるくなって、最悪、意識を失ってしまうの。魔力が底をついて死ぬことはないけど、魔物と戦っている時だと危ないでしょう?」
うん、とルイが神妙な顔で頷く。
「だから、戦闘中は自分の魔力の残りにも気を配らないといけないのよ」
「わかった」
ルイはとても素直な生徒だ。真剣な様が可愛いらしくて、ロザリーは優しく目を細め「いい子ね」とその小さな頭を撫でる。
むずがゆそうに、けれどその目じりにわずかな照れと喜びが浮かんでいるのを見つけて、ロザリーは胸がきゅーっとなる。多分、これは「愛しい」という感情に基づく現象だ。
初めてルイを見た時、レオに抱き縋って泣くルイをロザリーは、抱き締めたくてたまらなくなった。
自分でもその感情は未知のもので、初対面の幼子にこんな感情を抱いたのも初めて、レオに会えなかった寂しさで、自分がおかしくなってしまったのかとさえ思った。
でも、レオの隠し子かもしれないということより、どうしてか、ロザリーは自分がこの子を産めなかったことが、何より悲しかった。
今も、その想いは強い。
「おねえちゃん、これは?」
赤い小瓶を小さな指が示す。
「これはね、治癒ポーション。怪我を治してくれるし、飲めば体内の怪我も治してくれるすぐれものよ」
「けがが、なおるの? ちがでてても?」
「ええ。だからこの一本は、ルイが持っていてね。これに入れておくのよ」
ロザリーは、買い出しの時に雑貨屋で買った肩掛けの革のポシェットをルイの首にかけた。可愛らしい獅子を模したデザインにルイの目がキラキラと輝いた。
「私が空間拡張魔法をかけておいたから、たくさん入るわよ」
ふふっと笑って中に治癒ポーションを入れる。
使い方を教えれば、ルイは難なくリストを出して、使いこなす。
残りの治癒ポーションを二本は自分のポーチに残りの五本は怪我の多い前衛職であるレオの分として籠にいれる。その代わり魔力回復ポーションは比率が逆になるのだ。
「よし、これでとりあえずは大丈夫ね」
ポーションや他の薬、道具類の仕分けを終えて、ロザリーはほっと息を吐く。
「少し休憩しましょ」
ギルドの休息室を借りているので、壁際に置かれたソファへと座った。ルイも乗っていた椅子から降りてロザリーのもとへやって来る。ちなみにポンタは、どこかへ遊びに行っている。ギルド内にはいるはずだ。
だが座る様子はなく、ロザリーの前で足を止め、何か言いたそうに胸の前で指をもじもじさせている。
「……どうしたの?」
ロザリーは優しく問いかける。
「……オレも、いっちゃだめ?」
か細い糸のような声で紡がれた問いかけだった。
お腹の前で小さな両手がぎゅっと服を握りしめた。かすかにその手が震えていることに気づいて、ロザリーはそっとその手に触れた。
びくっと細い肩が跳ねる。
「ごめんね」
ルイのついて行きたい先が、商店街や会議や騎士団、公園、そういった場所ならいくらでも許してあげられるけれど、今夜の討伐に連れて行くことはどうやっても出来ない。
「おいで、ルイ」
ロザリーはルイの脇に手を入れて抱き上げ、脚を跨ぐようにして座らせ、膝に乗せる。
近くなった距離にルイが驚いたように顔を上げた。
「お留守番は、怖い?」
その問いかけにルイは、少しだけ間を置いて、頷いた。
「だ、って、おじさんとお姉ちゃん、いなくなったら、オレ、また……っ」
長いまつ毛に透明な雫が溜まって、吐き出された言葉は震えている。
ロザリーはルイをそっと抱き寄せた。
「私とレオは必ず、ルイのところに帰って来るわ。良い子で待っていてくれたら、すぐに帰って来る」
小さな手は縋り方も知らず、きっとまだ自分の服を握りしめている。
ロザリーはまだルイの満面の笑みを見たことがない。表情の変化が乏しくて、ルイの喜怒哀楽はとてもささやかなものだ、
まだ五歳なら、感情なんて夏の日差しのようにはっきりとしたものであるはずなのに、ルイのそれは春のかすみのように輪郭がぼやけている。
感情をあらわにすることを許されずに育ったからだろう。
病院で治してもらったと聞いたが、ルイの体にはたくさんの暴力の痕跡が残されていたそうだ。ごはんはよく食べるけれど、まだガリガリで、手足など枯れ枝のように細い。
過酷な日々だっただろう。ポンタもガリガリに痩せこけているから、一匹と一人、寄り添い合うようにして、なんとか生きてきたのだろう。
そこに差し伸べられたレオの手は、どれほど力強く安心できただろう。
「……私もレオも、ルイとずーっと一緒にいたいのよ」
「…………うそだ」
返って来たのは、小さな絶望だ。
「おじさん、オレとポンタのこと、どっかにおいていくって……っ」
本当は、すでにレオがルイを連れて行くと決めていることを伝えたい。でも、ルイはロザリーではなくて、他ならない「レオ」からその言葉を聞きたいのだ。
「でも、ルイは例の不思議なおじいさんに言われたんでしょう? 繋いだ手を離さないようにって」
ロザリーは腕の力を緩めて、お腹の前で握りしめられていたルイの手を取った。
ロザリーの細い手にすっぽり収まってしまう小さな手。
「おじいさんの言う通り、ちゃんと増えたでしょう?」
その顔をのぞき込んでロザリーは微笑む。
頬を涙に濡らしながらも、ルイは自分の「うん」と小さく頷いた。
「だからね、離さなければいいの。レオは可愛いルイを振りほどくなんてできないから。もちろん、私もね」
「……ほんと?」
小さな手が弱い力でロザリーの手を握り返す。
「本当」
ロザリーはルイの手を片手で握ったまま、もう片方の手でその頬を濡らす涙をぬぐった。
「泣かないで、可愛い子」
「オレ、かわいくないよ。……お母さん、オレのこと、きもちわるいとか、うざいとかいってたもん」
「あら、こんなことは言いたくないけれど、きっとルイのお母さんは目と頭が悪かったのね。だって私にとって、ルイは世界一可愛いもの」
うっかり漏れ出そうになった殺意と呪詛をルイへの愛情でなんとか封印して、ロザリーはルイを抱き寄せる。
「ルイは可愛い。とっても可愛いわ。このサラサラの黒髪も、柔らかいほっぺも小さな手も、耳も、鼻も、口も。その声も、ぜーんぶ可愛いわ」
ロザリーの腕の中でルイは、びくりと驚きに固まったあと、じわじわと頬を赤くする。
「ふふっ、真っ赤でも可愛い」
ルイは目を白黒させている。
ルイはまだ五歳だ。これまでの五年間、彼の世界にいたのは、話しぶりからしてクソの両親とポンタだけだった。狭くて恐ろしい世界での常識がルイのすべてだ。
だけど、ルイはこれからレオとロザリーにたくさん愛されて、たくさんの出会いや別れを経て、成長していくのだ。少しでも誰かからの愛情に慣れてほしいし、注がれる愛情を受け取れるようになってほしい。
「大好きよ、ルイ」
「オ、オレ、も、お姉ちゃん、すき」
「まあ! 両想いだわ! 嬉しい!」
思いがけない返事に、喜びがあふれて、ぎゅうっと抱きしめると、ルイの小さな手がそっとロザリーの服を掴んだ。それだけでも大きな一歩で、なんだか泣きそうになるのをこらえながら、ロザリーは「本当に大好きよ」とルイを笑顔で抱きしめるのだった。
*・*・*
「あのね、ポンタ」
「わふ?」
一人と一匹きりの休息室で瑠偉はソファに並んで座るポンタに話しかける。
「お姉ちゃん、オレのこと、だいすき、なんだって」
照れが、声に混じってしまう。
「わふわふ!」
ポンタが瑠偉の肩に前脚をかけて、頬をぺろぺろ舐めて来る。まるで「ぼくだって、だいすきだよ!」とロザリーに張り合っているみたいだ。
お姉ちゃんは、現在、おじさんに呼び出されて会議室に行っている。今夜のモグラをやっつける作戦の会議らしい。すぐに戻って来ると言っていた。
お姉ちゃんは、ロザリーという名前で、おじさんと同じ冒険者なんだって。魔法がとっても上手で魔法士でもあるらしいけど、ルイにはよく分からない。
でも、お姉ちゃんの魔法が特別綺麗ですごいことは分かるから、きっとすごいことだ。
お姉ちゃんは、いつも花びらをまとっていて、さらさらの銀色の髪に紫色の瞳の綺麗な人だ。おじさんの大切な人で、マスターおじさんが教えてくれたけど「こいびと」っていう特別な関係らしい。
「こいびとは、ずっといっしょにいられるんだよ」
「わふー?」
「それにね、お姉ちゃんがね、おじさんといっしょにいたいなら、てを、はなさないようにするといいって」
「わん!」
ポンタの小さな前脚が瑠偉の手の上に置かれた。瑠偉はその前脚を優しく握り返す。そうすればポンタはふさふさの尻尾を嬉しそうにぶんぶんと振る。
「あのふしぎな、おじいちゃんがいったおり、お姉ちゃんがきたから、だから、おじいちゃんもいってたように、てをつないどくの」
「わふわふ」
「ポンタもいっしょだよ」
「わんわん!」
はっはっと舌を出し、ぶんぶんと尻尾が揺れる。その内、取れちゃうんじゃないかと心配になるくらい元気な尻尾だ。
とても可愛くて、瑠偉はポンタをぎゅうと抱きしめる。
ポンタは、ふわふわして温かいけれど、瑠偉を抱き締められはしない。これまで瑠偉を抱きしめてくれる人はいなかったのに、おじさんは瑠偉を抱きしめてくれる。しかも、お姉ちゃんも「大好きよ」と瑠偉を抱きしめてくれる。
二人の腕の中は、あったかくて、胸がぽかぽかする。
おじさんとお姉ちゃんと瑠偉とポンタとみんなで食べるご飯は美味しくて、夜も一緒のベッドで眠れば、何も怖くなくて、やっぱりどうやっても瑠偉は、おじさんとお姉ちゃんの傍にいたかった。
だって、瑠偉がテレビの中だけだと思っていた、あったかい家族は、きっとこういうものなんだろうから。
「こんや、おじさんとお姉ちゃんは、あの、おっきいモグラをやっつけにいくんだよ。オレとポンタはおるすばん」
「わふわふ?」
まるで僕らは行かないの?とでも言いたげに、ポンタが首を傾げる。
「うん。いっしょにいきたいけど、オレとポンタがいたら、きっと、おじさんもお姉ちゃんもしんぱいしちゃうから、ここでシェリーお姉ちゃんとおるすばんするの。いいこにしてれば、すぐにかえってきてくれるって、お姉ちゃんがいってた」
「わん!」
分かった、とポンタが返事をして、瑠偉の頬をぺろぺろしてくる。くすぐったい、と笑いながら瑠偉はポンタの小さな頭や背中を撫でる。
おじさんたちは、瑠偉だけじゃなくポンタにもたくさんご飯を食べさせてくれるので、ガリガリだったポンタも少しお肉がついた気がする。
「がんばろうね、ポンタ」
「わんわん!」
元気な返事に、瑠偉はくすくすと笑いながら、ぎゅうっとポンタを抱きしめる。
胸の中にぽつんと存在する重くて、怖くなるような感情に気づかないように。そうしないと、行かないで、と、或いは、一緒に行く、と言って、二人を困らせる悪い子になってしまうから。




