幕間 その3 ギルドマスター・バージの困惑
※本日は朝7時と夜19時の2回更新です。
※夜19時に14話を更新します!
エンドの町の冒険者ギルドのマスター・バージは、困惑していた。
バージは今年四十七歳になる冒険者ギルド・エンド支部のギルドマスターだ。人族でかつてはBランク冒険者として自身もこのエンドの町を拠点に活躍していた。
花盛りの可愛い娘と可愛くなくもない婿候補と共に暮らし、割と穏やかに生きていたはずだったのに、王都で王家直属という異例の待遇で冒険者の募集が始まると一変した。
冒険者とは夢を追いかける仕事である。合否はともかくとして、千載一遇のチャンスを掴むために王都に旅立って行った冒険者たちを責めることはできない。バージだって、アベルくらい若く、現役だったら、同じように挑戦していただろう。
だが募集が始まり、ベテランたちが王都に旅立って間もなく、エンドの町では謎の地鳴りが頻発するようになった。
原因が分からず、調査をしようにも依頼できるベテランの土着冒険者たちがいない。
そこへひょっこりと現れたのが、Bランクの冒険者、レオだった。
獅子系の獣人族らしくがっしりとして背が高い。金と黒の髪はまるで鬣のようで、立派な牙はいつも口から少し覗いている。
実力も確かなもので、突然、平原に出現した大牙猪を一撃で仕留めるほどの腕前だ。
森で拾ったという捨て子のルイと捨て犬のポンタを連れていて、のらりくらりとしているようで、引き際をしっかりと熟知している。
冒険者にとって、引き際を知ると言うのはとても重要なことだ。若い頃はとくに無茶をしがちで、手柄を急いでしまうものだが、熟練の冒険者たちは自分の実力を弁え、それ以上のものが必要になる場合、その案件に手を出すことは、ほぼない。
だが、だからこそ彼は熟練、或いはベテランと呼ばれるようになる年月を生き延びることができるのだ。冒険者とは希望に溢れ、実力さえあれば誰だって金持ちになれる夢のある職業だが、同時に命の危険が常に隣にあるような職業でもある。
それでもレオは情に厚く、根がお人好しのようで、ひたすらに頭を下げた結果、調査を請け負ってくれた。
数日間の調査は何事もなく終わるかと思ったのだが、ここへきて大牙猪率いる牙猪の群れが出現し、町は一気に警戒態勢に入った。
二十三頭の牙猪と一頭の大牙猪が出現し、その場に居合わせた全員が無事に帰ってきたのは奇跡ともいえる。
もちろんそこには、彼の仲間で現在は恋人としておさまったというロザリーの存在も大きい。
ロザリーは、実に可憐な花人族らしい美しい女性だが、かなりの腕を持つ魔法士だそうだ。
痴情のもつれか何か知らんが喧嘩別れをしていたようで、ロザリーがいなくなったレオを追いかけてきたらしく、それまで十年間、パーティー仲間として過ごしていたそうだ。
彼女はレオと同じくBランクで、再会したその日に「獅子の夜明け」という名のパーティーを新たに組んだ。
ロザリーをレオは大分信頼しているようで、あれだけ拒否していた地鳴りの調査も、ロザリーが手伝ってくれるならと請け負ってくれた。
今夜はある意味、この二人にとっては初仕事だったわけだが、訳が分からな過ぎてバージは冒険者ギルドに帰って来ても困惑していた。
「獅子系に限らず大型の肉食系獣人族が強いのは知ってるが……あんな咆哮一つですべてが逃げ出すなんてなぁ」
受付奥の事務所のソファに座り、バージはそうこぼす。
「……お義父さん、僕、Bランクになったらシェリーと結婚すると言いましたが、なれないかもしれません……。あの人、昼間も森狼を唸り声一つで追い返してて……僕にあんな芸当、できる気がしません」
「安心しろ、アベル。俺にだってできねぇし、うちの看板でもあるマイケルやゴーシュにもできねぇ。あとまだお義父さんじゃない」
今は王都へ出かけているが、エンドの冒険者ギルドの二枚看板の名前を出せば、アベルが「そうなんですか」と困惑気味に顔を上げた。
マイケルはBランクの人族、ゴーシュはAランクの熊の獣人族だが、威嚇一つで森狼を追っ払ったという話は聞いたことはない。
「まあ、獅子系って獣人族の中でも別格ですからねぇ」
のんびりとした声に顔を上げれば、事務員のセーラがお茶を出してくれた。
「そうなのか?」
彼女はふわふわのやや黄色みがかった白い髪に丸い角を持つ羊系の獣人族だ。今年で勤続二十年になるベテラン事務員だ。
「そりゃあ、百獣の王と呼ばれていますからねぇ、獅子って言うのはもともとが強いんですよぉ。一部地域では、その百獣の王も虎だったりしますけど、どちらも獣人族の中では抜きんでて強いですよぉ。やっぱり、王、ですからねぇ」
「だが、獅子も虎の獣人族も知り合いにはいるが……レオは、俺の知る限りでは異質なほど強い。どうして彼がBランクなのかが分からないんだ」
「それはそうですねぇ。大牙猪をソロで仕留めた人は、間違いなくAでも問題ないですものねぇ。人格も穏やかで寛大で申し分ないですしねぇ。彼が土着冒険者になることを選べば、ギルドマスター候補にも挙がるでしょうし」
セーラが首を傾げる。
冒険者のギルドマスターになるのに必要なのは、Bランク以上であること。三十歳以上であること。十年以上の冒険者実績があること。土着冒険者であること(該当地域での三年以上の居住実績)。そして、人格に問題がないこと。
もちろん人格についてはまだ出会って日が浅いので、バージたちの知らない一面もあるだろうが、初対面の他人を大牙猪から守ってくれて、高い薬をためらいなく使ってくれる。その上、なんの義理もないのに頭を下げたバージたちに免じて力を貸してくれる。そういう部分に彼の人間性はこれでもかと出ている。
「お父さん、アベル。お疲れ様」
顔を上げればシェリーがトレーを手にやってきた。アベルがすぐに立ちあがって、トレーを受け取る。トレーの上には美味しそうなサンドウィッチと紅茶が並んでいる。
「どうしたの、これ」
「レオさんが宿泊している宿のコックさんが届けてくれたの。レオさん、大牙猪の肉を宿泊客分も無償で提供してくれて、そのお礼の一環なんですって」
「大牙猪の肉を宿泊客分とは、太っ腹だなぁ」
貴重で美味しい肉なので、売ればなんぼでも値段が吊り上がると言うのに。それを無償で提供してしまうなんて、と驚くと同時に自分たちや解体師たちにひょいと肉の塊をくれた彼を思い出して、彼らしいか、と納得する。
「レオさんたちはもう食べて、その残りよ。けっこうな量を差し入れてくれて、レオさんがみんなで食べてくれって。夜勤の職員でわけあって、これは二人の分」
「おう、ありがとう」
「美味しそうだなぁ」
「カツっていう東の地方の料理が挟んであるんだけど、やっぱり専門家の料理は違うわ。大牙猪のお肉が美味しいのなんの」
「ええ、私もうっかりお肉派になりそうなくらい美味しかったわぁ」
シェリーの言葉にセーラが頷く。
分厚く切られたパンにこれまた分厚い肉が挟まっていて、何かのキノコがソテーされたものと細切りのキャベツが挟まっている。
「え、うま……!」
がぶりと先に噛みついたアベルが目を丸くしている。どれどれとバージもサンドウィッチに噛みつく。
ぶわりと広がる肉のうまみにキノコ――これはダーシキノコだ――のうまみがこれでもかと後押ししてくる。そして、さくさくの衣とジューシーな肉、しゃきしゃきのキャベツが食感の違いで楽しませてくれる。
「これ、うまいな。さすが大牙猪」
「ふふっ、レオさんに感謝しないとね」
アベルの隣に腰かけてシェリーが笑う。
「って、ほら、アベル、口についてる」
「ふが、ごへん」
口いっぱいにカツサンドを頬張ったおかげで間抜けな返事をするアベルにシェリーは「仕方ないわね」と苦笑しながら、ハンカチで口元をぬぐってやっている。
年々、母親によく似てくるシェリーは、バージにとって痛みなんておそらく超越できるので、目に入れておきたいくらい可愛い娘で、自慢の娘だ。なので、アベルのことは少し憎たらしい気持ちもあるが、こんな面倒臭い義理の父親と一緒に暮らしてくれるだけの器があるいい男なのは間違いないので、可愛くなくもない。
「ふふっ、マスター。子どもはいずれ巣立つのに、傍にいてくれるなんて、それだけで幸せですよ」
勤続二十年のベテラン事務員は、バージが駆け出しの冒険者だったころからの付き合いで、全てを知る彼女は可笑しそうに笑うのだった。




