第10話 見ての通り修羅場だ
※朝7時に、幕間その2を更新しています。
※明日以降はまた1日1回19時更新です。
「さて、今日も平和そうだがなぁ」
レオは平原を見回す。
平原の調査を始めて、早いもので五日が過ぎた。
レオはルイとポンタのお守り役のアベルを連れて、初日はまず大牙猪が出た時の詳しい事実確認。二日目は、平原の調査。三日目以降は平原を囲む森の調査などをしているが、大牙猪が出てきた理由は今のところは分からない。
ルイはレオの近くにいて、レオを真似して平原を見回している。ポンタはしきりに地面の臭いを嗅いで、時折、一丁前に穴を掘っているが、あの小さな前脚ではさほどの穴はできない。
「群れからはぐれたか、群れを何者かに奪われて、縄張りを追われたか」
エンドの町へ行くには、西側からは北と南の街道があり、どちらも森の中を通って、町へと続いている。レオは北の街道からやってきた。ちなみに東側には大きな河があり、そこを渡ると隣のペーシ公国となる。
どちらの街道もまばらではあるが商人や旅人の姿があった。アベル曰く、普段はもっと大勢の人々が行き交っているらしい。
「大牙猪から群れを奪うなんて……大型の肉食魔物が出たんでしょうか」
アベルが心配そうに告げる。彼の肩には、襟巻カラスが一羽止まっている。彼の従魔である魔鳥だ。首の周りが真っ白な羽でおおわれている以外は真っ黒で、普通のカラスよりも一回り大きい。とても賢い魔鳥だ。
大牙猪に襲われたあの時は、換羽期で調子を崩していたので、自宅で留守番をさせていたそうだ。
「つっても牙猪一頭で、この地方に棲息している大概の肉食系の魔物の腹は膨れるだろうな。群れ一つ食っても足りないってことはねぇと思うがな……それか群れのボスが死んで、次代のボスの突然変異が二個体同時に起きて、あいつは闘争に負けたか……だがサウロが余計な傷がねぇと言ってたしなぁ」
レオはがりがりと頭を掻いた。
大牙猪は気性が荒いので、仲間同士、或いは別の群れで縄張り争いをした後は、見るも無残な姿になっていることも間々あるほどだ。
だが、レオが討伐したあの大牙猪は、レオが覚えている限りでも血の臭いはしなかったし、怪我なども見受けられなかった。それどころか肥え太っていたのだから、何かしらの争いに敗れたというのは考えにくい。
「とりあえず、昼飯にすっか」
レオは後ろを振り返る。
今日は調査の時間帯をずらしてみようといつもよりも遅い時間に町を出てきたのだ。
「わん!」
穴を掘っていたポンタが誰よりも意欲的な返事をして、アベルの足元でぴょんぴょんしている。アベルが昼ご飯を持って来てくれているので、それを覚えたのだ。
レオは、この平原の目印だというあの日もルイを隠した大きな木の下へ行く。あたりに何もいないのを確認して、アベルが敷いた敷布の上に腰を下ろす。ルイがちょこんと隣に座った。
旅人や商人、納品帰りの農家もそこで昼ご飯をたべようと木の下に集まって来る。立派な枝が葉を生い茂られているので、丁度良い木陰になるのだ。
「今日は、トマトとハムとチーズのバケットサンドです」
「おお、うまそうだな」
「ルイくんは、具材は同じだけど、サンドウィッチだよ」
そう言ってアベルが柔らかな食パンで作られたサンドウィッチをルイに渡した。
初日、バケットサンドをもらったルイは、一生懸命食べたのだが固いバケットに半分も食べられないまま、顎が限界を迎えてしまったのだ。そのことをアベルが、これを作ってくれているシェリーに伝えてくれたようで、ルイの分は柔らかいパンを使ってくれるようになったのだ。
「おいしい」
「ルイくんがいつもおいしいって言ってくれるからって、シェリーは毎日張り切ってるよ」
「本当にうめぇもんな」
レオの言葉にルイは、うん、と頷いた。
ポンタはおやつのささ身を早々に食べ終えて、またくんくんと地面の臭いを嗅いで穴を掘り始めた。犬らしい本能も残っていたんだな、と冒険者ギルドに帰ると受付嬢たちの腕の中を渡り歩いている姿を思い出して、しみじみする。
「アベルは、エンドの出身なのか?」
「いえ、王都です。旅をしている内にたどり着いて、シェリーに惚れてしまって、二年かけて口説いてやっと恋人になってもらえたんです。でも、マスターの許しをもらうのに一年かかって、結婚してからも一緒に住むなら良いって許可をもらったんです」
「バージがねぇ」
レオは、調査から帰ると待ち構えている強面のマスターを思い出しながら、小さく笑った。
それから他愛のない話をしながら昼食を終える。
「午後はどうすっかなぁ……もう一回、あいつが出てきた森の調査でもすっかな」
「もり、いくの?」
「おう。あの大きな猪が出てきたところを調査し……」
レオは勢いよく森を振り返る。
「『聴力強化』」
聴力を強化すれば、夥しい数の足音が聞こえてくる。
「レオさん?」
「アベル、今すぐ……」
バキバキバキと木をなぎ倒すような音が聞こえて、アベルもそれに気づいてルイを抱き上げた。ポンタが唸り声をあげて、牙をむき出しにする。
「来るぞ!」
ブギィィィィーー!!
猪の鳴き声があたりに響き渡る。一頭や二頭ではない、足音と嘶きが聞こえてくる。
「全員、木の上に逃げろ!!」
レオは、ポーチの中にあった錘付きロープを三本、枝に投げてひっかける。幸いなことに休憩をしていたのは、男たちがほとんどで縄を頼りに上っていく。レオは、二人だけいた女性を抱えて、木の上に登り枝に座らせ、下へ戻る。
「あんたは町へ! 救援を!」
「は、はい!」
鳥系の獣人族がいたので、彼にそう伝言を頼めば翼を広げ、町の方へと飛んでいく。
「アベル、お前も上に行け!」
「で、ですが!」
「いいから早くしろ!」
アベルの背中にルイを括り付け、肩にポンタを乗せ、アベルを風魔法で押し上げれば彼は危なげなく枝に着地する。
「体当たりをされる可能性がある! 各自、枝にしがみついておけ!」
レオはそう叫んで森の方に顔を向けた。
「お、おい、あんちゃん、来たぞ!」
商人の男が叫んだ。
あの日、大牙猪が出てきた方角から、二十頭近い牙猪を引き連れた大牙猪が現れた。
レオは、大木の陰に身を隠しながら、様子をうかがう。
牙猪が二十三頭、大牙猪が一頭の大所帯だ。
牙猪たちは、地面の臭いを嗅ぎながら辺りをうろうろし始めた。
大木の周りは、昼ご飯の後が残っている。彼らは嗅覚に優れているので、気づかれるのは時間の問題だ。
「アベル、ルイを頼んだぜ」
「レオさん!?」
アベルが顔を青くするのを横目にレオは、脚へ魔力を流す。
「『脚力強化』!」
レオは一気に大木の陰から飛び出す。
「ブギィィィッィィ!」
牙猪たちがレオに気づいて、雄たけびを上げる。
「さあ、こっちだ!!」
レオに気づいた牙猪たちが一気に追いかけて来る。大牙猪も顔を上げて、レオを見た。
だが、大牙猪はすぐに大木へと顔を向け、地面をひっかきだした。突進の前兆行動だ。
「アベル!! そっちにでかいのが行くぞ!! 耐えろ!!」
レオは、ぴたりと急停止して上に飛び上がった。急には止まれない牙猪たちは、そのまま走っていく。レオは風魔法で足場を作って、牙猪たちの上を走っていく。
しかし、大牙猪が走り出せば間に合わない。
「クソっ! 間に合え……! 『氷の球よ 降り注げ!』」
大牙猪に向けてそう叫ぶが、距離がありすぎて気を引くことができない。
こうなったら、とレオが剣を抜いて、振りかぶった時だった。
「『氷の壁よ行く手を阻め』!」
凛としたその声は、レオの不安を一気に吹き飛ばした。
大木を覆い隠すように巨大な氷の壁が出現し、大牙猪が雄たけびを上げながら突進するが、完ぺきな魔力の調和によって存在する壁はひび一つはいらない。
レオは、思いっきり飛んで大牙猪の真上に飛ぶ。
「『腕力強化』!」
大牙猪の眉間に向かって剣を突き刺す。
「ブギィィィィィッ!」
断末魔を上げて、大牙猪が絶命する。
「レオ!」
「ロザリー!」
氷の壁の上に、白銀の髪と深緑のローブの裾を風になびかせ、美しい顔に微笑みを浮かべる愛しい人がいた。
氷の壁がするりと溶けてロザリーが倒れた大牙猪の上に降り立つ。
「牙猪が戻って来るわ! サポートする! 泥沼作戦よ!」
「了解! 『脚力強化』!」
レオは、戻ってきた牙猪の群れに向かって駆け出す。
「『大地よ隆起せよ』! 『水よ湧き出よ』! 『浮遊せよ』!」
ロザリーがロッドを振りかざせば、牙猪たちの足下で土隆起し、水が湧き出て足元がぬかるみ転ぶ。そして、レオの靴に浮遊魔法がかけられ、レオは泥の影響を受けず、自由に飛び回る。
「『氷よ刃となれ』!」
ロザリーがレオの手元に次々に氷の刃を出してくれ、それを掴んで腕力を強化したレオは次から次へとそれを牙猪たちの眉間に刺して、とどめを刺していく。
「レオ!」
「おう! あらよっと!」
ロザリーの掛け声にためらわず脚力を強化して、上に飛べば、レオのいたところに牙猪が突っ込んできた。
「これで最後だ!」
最後の一頭に向かって自身の剣を突き刺した。
耳をつんざくような鳴き声と共に最後の一頭が息絶える。
はぁはぁと荒い呼吸を整えながらレオは突き刺していた剣を引っこ抜き、血ぶりをして鞘へと戻す。
「レオ!」
ロザリーの呼ぶ声に顔を上げる。
「……はぁ、はぁっ……ロザリー」
肩で息をしながらレオは、彼女を振り返った。
紫の瞳が潤んで、今にも涙がこぼれそうだった。
「レオ、レオ、レオ!」
ロザリーがロッドを放り投げて駆け出してくる。
レオは彼女を受け取るために腕を広げた。
「ロザリー……! ロ、ザリー!?!?!?」
ロザリーの腕がレオに伸ばされる。抱き着くのかと思ったその左手は、引っ込み固く握りしめられて魔力をまとった右手が迫ってきた。
「報告連絡相談は仲間の基本だっつったろうがぁぁぁ!」
「ぐはっ!」
レオの左頬に強烈な拳が決まった。
べちゃりと泥の中にレオは背中から転がる。吹っ飛ぶ直前、アベルがルイの目を手で隠してくれているのが見えた。
「……いってえ!」
「レオの馬鹿ぁ!」
うわぁぁぁん、と泣きながらロザリーがレオの首に腕を回して抱き着いてくる。
レオはその細い背を抱きしめていいものか、と腕をさまよわせる。
「抱きしめなさいよ、馬鹿!」
「泥がつくぞ?」
「早く! 抱きしめて!」
「ったく、困ったお嬢さんだ」
レオはぎゅうぎゅうしがみついてくるロザリーをぎゅうっと抱きしめる。甘い薔薇の香りがして、彼女からこぼれる花びらが頬をくすぐって消えていく。
「なんで、私を置いて行ったの! 馬鹿レオっ!」
「……ルディがお前も納得してのことだと」
「はぁ!?」
ロザリーがばっと顔を上げた。
紫色の瞳からぽろぽろと涙がこぼれている。
「私そんなの知らない! あの日は、指名依頼が入って、それで」
レオは咄嗟にロザリーの口を手でふさいだ。アベルたちがこちらにやって来るのに気づいたからだ。ロザリーもレオの視線に気づいて口をつぐんだ。
「おじさん……っ!」
アベルから降りたルイが、泣きそうな顔で抱き着いてくるのを受け止める。右にロザリー、左にルイを抱える形になる。
ルイに驚いたロザリーの涙が止まった。代わりにレオの首にしがみついてルイが泣き出した。声を押し殺して、しくしくと泣いている細い背をとんとんとあやす。
「大丈夫だ、怖かったな。ごめんな、ルイ」
ぎゅうぎゅうと苦しいくらいにしがみつきながら、ルイはこくんと頷いた。
「お取込み中すみません……レオさん、こちらは」
アベルが戸惑いながら問いかけて来る。
「ああ、彼女は俺の大事な人だ」
「は、はぁ」
アベルが間抜けな返事を返す。
「とりあえず、話は全部後だ。肉食系魔物が湧く前に片づけをしちまおう。ロザリー、動けるか」
「……逃げない?」
「逃げない」
ロザリーの額に鼻先をこすりつける。ロザリーはそれを大人しく受け入れてレオの額に同じように鼻先をくっつけるとレオから離れて立ち上がる。レオもルイを抱えたまま立ち上がる。
「ロザリー、女性たちを下ろしてやってくれ。俺は牙猪を回収する」
「ええ、分かったわ」
ロザリーが大木のほうへ向かって行き、魔法で女性たちを下ろすのを横目にレオはルイを肩車して、頭にしがみつかせてその間にポーチに牙猪をしまっていく。ロザリーも途中から牙猪をしまい始める。
「おい、誰か魔法カバンあるか!?」
「あ、はい!」
商人の男が手を挙げた。
「牙猪、二頭、入るか?」
「多分、入ると思います……!」
そう言って彼が魔法カバンにしまってくれる。
「よし、急ぎ町へ戻るぞ。ロザリー、先導してくれ。俺が最後尾に着く」
「分かった」
ロザリーが頷き、ちゃんと回収したらしいロッドを構える。
群れて逃げ出していた馬たちが、アベルの指笛に冒険者ギルドの馬が反応し、一斉に戻って来る。
それぞれが馬に乗り、女性たちも農家の男性の荷馬車に乗り込んだ。
「ルイ、アベルと乗れるか?」
「やだ、おじさんがいいっ」
珍しく我が儘を言うルイに「じゃあ、しっかり掴まってろよ」と片腕で抱える。アベルにはポンタを頼んで、レオは周囲を見回す。
とりあえず牙猪の気配はないが、出没原因が不明な以上、再び押し寄せて来る可能性は否めない。一度、町へもどったほうがいい。
「『火球』!」
レオは手の上に火球を生み出し、それを三つ、打ち上げた。
「『爆発』!」
バンバンバンとすさまじい破裂音が響き渡った。これは一般的な危険を知らせる合図だ。魔法が使えない場合は、使い捨ての魔道具があるのでそれで報せることもできる。旅の必需品だ。こうすることで、近くにいるかもしれない通行人に危険を知らせるのだ。
「行くぞ! ロザリー!」
「了解! 『浮遊せよ!』『追い風!』」
ロザリーがロッドを掲げ、自分に魔法をかけた。彼女が文字通り風のように走り出し、馬たちがそれに続く。レオは、周囲を警戒しながらその一団の最後尾につく。
レオは神経と耳を尖らせながら、周囲を警戒し、なんとか無事にエンドの町へと到着したのだった。
「レオ! 無事だったのか!? 牙猪の群れが……レオ?」
レオは左腕にルイを抱え、右側をロザリーに抱き着かれながら冒険者ギルドへ足を踏み入れた。
おそらく応援に来てくれようとしていたのだろう武装したバージと冒険者たちに迎えられたレオだったが、正直、牙猪どころではなかった。
アベルを待っていたのだろうシェリーも目を丸くしている。彼らの後ろに伝言を頼んだ鳥系獣人族の青年がいた。
「そ、その頬は……牙猪に?」
ロザリーからもらった拳のおかげで、レオの左頬はジンジンしている。たぶん、見事に腫れあがっているだろう。
レオは何も言わなかったが、アベルの視線がロザリーに向けられたことで、これをやったのが彼女だと伝わっただろう。
「見ての通り修羅場だ。俺の今後と命がかかってる。部屋を貸してくれ」
「あ、ああ」
「では、初日にお通しした応接間をどうぞ」
シェリーが応接間のほうを手で示す。
「ありがとさん。アベル、後は頼んだ」
「はい。あの、頑張ってください……」
アベルに見送られて、レオは初日に使った応接間へと急ぐ。
中へ入りドアを閉めた。
泥だらけなのでソファに座るわけにもいかず、レオはルイの様子を見る。
「ルイ? 大丈夫か?」
「……うん」
「おじさん、このお姉さんと話があるから、ソファに座っててくれるか?」
「うん、わかった……けんかしないでね」
「ああ」
レオは、ルイを下ろし、ソファにポーチから取り出したマントを敷いて、レオに抱き着いていたせいで泥だらけのルイを座らせた。
するとドアをひっかく音がして、開けてやればポンタが入ってきて、ルイの隣にちょこんと座った。
「頼むぞ、ポンタ」
「わんっ!」
ポンタがきりっとした顔でルイの隣に座りなおした。
レオは深呼吸をして、レオの右半身に抱き着いたまま離れないロザリーを見る。
「ロザリー、話をしよう」
「わた、わたしは、レオが出て行くことに納得なんてしてないもん……っ」
レオに顔を埋めたままロザリーがもごもごと告げた。今だけは生まれ持った耳の良さに感謝しながら、その背をあやすように撫でる。
「……また昇級試験に落ちちまってよ。それでルディに追放を言い渡されたんだ。あの日、お前はいなくて……」
「あの日は!」
ロザリーが顔を上げた。
ぽろぽろと涙が泥の付いた白い頬を伝って落ちて行く。
「私、マスターから指名依頼が入ったからって言われて、出かけてて……それで、帰ってきたらレオがいなくて……ララがレオは出て行ったって……っ」
「うん」
「なんで、置いて行ったの……っ」
「……ごめん」
「謝っても、許さないんだから……っ」
細い腕がレオの首に回される。身長差のせいで彼女は精一杯背伸びをしているし、レオは中腰が辛いので、ひょいと子どもみたいに抱き上げてしまう。
「ロザリー。ごめん、ごめんな?」
できるだけ優しくその髪を撫でる。
「レオが使ってた宿の人が『親父に顔を見せに帰る』って言っていたって聞いて……っ、それで、私、たぶん、こっちだと思って……っ。でもいなかったらどうしようって、ずっと、ずっと不安だったんだから……っ」
「うん、ごめん」
「でも、私にはレオ以外はいないから……っ、だからレオの実家で待ち伏せてやるつもりで来たんだから……っ」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、ロザリーが告げる。
「いっつも大事なことは言ってくれなくて……っ、でも、信じてたのに……か、隠し子までいるなんてぇ……っ!」
「待て、待て待て待て!」
とんでもない誤解にレオは勢いよく首を横に振った。
「どこの女に産ませたのよぉっ! あんな可愛い子、私が産みたかったのにぃぃ……っ!」
「待て、お願いだから、待ってくれ! 誤解だ! 俺の子どもはまだこの世には存在してねぇ! ルイはさっきの平原の北の方の森ン中であの犬と一緒にいたのを拾ったんだ! な、ルイ! ポンタ!」
ロザリーがルイを振り返り、レオが必死に告げると、ルイは、こくこくと一生懸命頷いた。
「……本当? こんなに可愛いのにレオの子じゃないの?」
「うん。おおきいいぬからにげてるときに、おじさんがたすけてくれた。おじさんが、オレのめんどうみてくれてる。ね、ポンタ」
ルイが一生懸命、説明をして、ポンタに同意を求める。
「わんわん!」
ポンタが尻尾をふりふり返事をする。
ロザリーの紫の瞳がレオに戻って来る。
「……本当?」
「本当。……第一、お前が成人してから七年、そういうことはご無沙汰だよ。あいつ五歳だし、どうやっても俺の子じゃねぇよ」
ぱちり、と長いまつ毛が瞬いて、ぽろりと涙が落ちた。
「お前が娼館には行くなって駄々こねたんだろ?」
レオは片腕でロザリーを抱えて、自由になったほうの手で彼女の涙をぬぐう。
成人してすぐにロザリーに告白された。だが、年の差もあったし、冒険者として未熟なままの自分ではだめだと断った。
だが、レオにとってその時にはすでにロザリーは特別だった。特別な女だった。
「お前が、行っちゃヤダって泣くから、あれっから一度も行ってねぇよ」
「でも、夜、こっそりルディと出かけてたもん」
「酒飲みに行ってたんだよ。お前、酒飲まねえだろ? それに夜の酒場は治安も悪いしよ。俺は早々に切り上げてたから、そのあとのルディは知らねぇけどな」
さらっとルディを裏切って、レオは苦笑を零す。
「ロザリー、俺たち獣人族にとって、特別な相手ってのは本当に特別なんだ。一度、番ったら絶対に離さねえ。お前が俺から離れたくなっても、絶対に離してやれねえ。それが俺たちなんだ」
「でも、私の告白、応えてくれなかった」
「冒険者として未熟な自分じゃお前に相応しくないと思ってた。年の差もあったし、お前は花人族で獣人族のこの特性を押し付けるのもためらわれた」
「……置いて行ったくせに」
「……俺の特別に『いらない』って言われたら、死んじまうからよ」
こつんと額をくっつける。
番を喪うことの次に恐ろしいのは、いらない、と言われることだ。嫌われることよりも不要だと言われることの方が辛い。
「……弱虫」
ぎゅうっとロザリーが抱き着いてくるのを抱きしめ返す。
「そうだよ、俺ァ、弱虫だ。この三か月、毎日、お前を思い出してた」
「……Aランクになんかこだわらないて、ちゃんと言葉をちょうだい?」
「ここじゃなくていいだろ。俺もお前も泥だらけだし、ルイとポンタもいるし……」
「いやよ。貴方、前科があるのよ。今言ってくれなきゃ、いや」
いやいやとロザリーがレオの肩口に顔を埋めたまま首を横に振る。白銀の髪がくすぐったい。
レオは、ちらりとルイを見た。すると勇ましい顔でルイは頷き、小さな手で耳をふさいで目を閉じた。ポンタは、舌を出して笑って尻尾を振っていたが、犬だからな、と自分を納得させて、レオはロザリーを強く抱きしめる。
「ロザリー、一生、俺をお前の傍にいさせてくれ」
ロザリーが顔を上げる。鼻先が触れ合うような位置に彼女の美しい紫の瞳がある。
「それじゃやだ。ちゃんと言って」
吐息が唇に触れる。
「我が儘だな、俺のお姫さんは」
「我が儘にしたのは、レオでしょ?」
「そりゃそうだ。だが、やっぱりここではやめておこうぜ」
つんと拗ねるようにとがった唇にキスをする。ロザリーが、初めてのキスに目を白黒させている姿に笑いながら、ドアを開ける。
「おわっ!」
「あだ!」
「きゃっ!」
レオはさっと避けたが、バージ、アベル、シェリーがどさどさっと床に転がる。
聞き耳をたてられていると気づいたのは、ロザリーがルイをレオの隠し子だと誤解し始めた時だった。
「おう、説明は終わったか? アベル」
「あは、はは……す、すみませーん」
「だからやめようって言っただろぉ」
「一番、乗り気だったのはお父さんでしょ!」
「いいから、ほれ、立て。緊急っちゃ緊急だ。ロザリー、宿でゆっくり話そうぜ。ルイのこともちゃんと話したいんだ」
「……分かったわ」
しぶしぶと言った様子で頷いてくれたロザリーをそっと床に降ろす。バージたちもなんとか立ち上がった。
「いや、ほら白熱したらまずいかなって」
「はいはい。とりあえずロザリー、洗浄魔法掛けてくれ」
「そうね。泥だらけだもの……ルイくんもおいで」
ロザリーが膝をついて、手招きするとバージたちがなだれ込んできた音に驚いて目を開けたルイがポンタを抱えておずおずとこちらにやってきた。
「私、ロザリーっていうの。よろしくね」
「オレ、ルイ。こっちはポンタ」
ルイがポンタを見せる。ロザリーが可愛いわねと微笑むとルイは少しだけ表情を緩めた。
「今から洗浄魔法っていう綺麗にする魔法をかけるからね」
「せんじょうまほう?」
「お風呂の魔法みたいなもんだ」
レオの説明にルイは、おふろ、とつぶやく。ルイは、宿の風呂をとても気に入っているのだ。
「じゃあ、いくわよ?」
ロザリーが彼女のポーチ(これも魔法カバンだ)から愛用のロッドを取り出す。深緑の鉱石の杖はロザリーの肩まであり、その頭には彼女を表すような白薔薇の細工が施された魔石が飾られている。
「『水よ、火よ、風よ、汚れを消し去れ』」
青白い光が一瞬、ぱっと光ったかと思えば、レオもルイも、ロザリーの泥も綺麗さっぱり消え去った。ついでにレオの頬もさっと治癒魔法をかけてくれた。
「お、おふろだ、すごい!」
自分の服を引っ張って確認しながらルイが声を弾ませた。
「ロザリーは、魔法がとっても得意なんだ。俺も色々と教わったんだぞ。ルイも教えてもらおうな」
「うん!」
嬉しそうに頷いたルイの頭を撫でる。
「ええと、じゃあ、会議室でお話を聞いてもよろしいですか? 皆さん、お待ちですので」
「おう。ルイ、おいで」
シェリーの申し出に頷いてルイを抱き上げる。
「ポンタちゃんもおいで」
ポンタは嬉しそうにロザリーに抱かれてぶんぶん尻尾を振っていた。
それを横目に入れつつ、レオはルイを抱えなおして、会議室へと向かったのだった。




