第8話 大盤振る舞いとはこのことだ
「だから、それは俺の仕事じゃねぇだろ」
レオはバージの提案を眉間に皺を寄せる。
「狩り場の保全は、ギルドお抱えの土着冒険者の仕事で、俺みてぇな流れの冒険者の仕事じゃねえ。ギルドの規約にもそう書いてあんだろ」
ここは昨日と違い、ギルドマスターの部屋だ。書類が積まれたデスクの向こうにある本棚を指さす。そこには分厚い革表紙の本があり、背表紙に『冒険者ギルド規約』と書かれている。
バージの隣のシェリーが口を開きかけたのを制し、バージが困り顔のまま口を開く。
「それは百も承知だ」
「なら、流れの俺に徹底的な調査命令はおかしいだろう。俺がその命令に従う義理はない」
レオはきっぱりと言い切った。
冒険者には二種類いる。
レオのように拠点を持たず、自由に旅を続ける流れの冒険者。
一方は、一年以上同じ町や村などに住み、宿ではなく賃貸や戸建てで暮らし、そこで生計を立てる冒険者だ。
後者は、町を気に入って居着いたり、生まれ故郷だったり、家族を持ったりしたなどの理由が多い。
長くいれば、それだけギルドとも信頼関係を築くことができるし、自分が暮らす場所だからこその愛着も湧く。
だからこそ、普段出ない場所にありえない魔物が出た時に真っ先に対処するのは土着冒険者の役目となる。流れの冒険者には、そこまでの義務も責任もないし、愛着も何もない土地で死ぬのは避けたい。とんでもないお人よしでもない限り、流れの冒険者は情報提供はしても協力まではしない。
「今、この町に……Bランク以上の冒険者がいないんだ」
「……は? これだけでけぇ町で?」
バージが深々と頷いた。
Aランクと違ってBランクの冒険者は、これだけ大きな町であれば普通にいるのだ。そもそもこの町の規模であれば、Aランクがいてもおかしくはない。
だが、昨日、掲示板の前で覚えた違和感の正体に気づく。
Bランク以上のクエストの依頼票が異様に多かったのだ。
「王都で金の鉄槌というパーティーがとあるクエスト遂行のためにメンバーを募集していてな。加入試験を受けに行っているんだ。試験は来月だ」
思いがけない場所で、突然出てきた苦い名前にレオはますます眉を寄せた。
「金の、鉄槌?」
「ああ。知らないか? 王都で最近頭角を現し始めた有名なパーティーだよ」
知らないもなにも、三カ月前まではそこのリーダーだった、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「なんでもリーダー交代が起きて、元のリーダーはパーティーを去ったらしい。それで、その穴を補充するために募集をかけたんだが、なかなかの好条件でな」
バージがシェリーを振り返るとシェリーが立ち上がり、バージのデスクから一枚の書状を持ってきた。それを渡され、並ぶ文字に目を落とす。
『パーティーメンバー募集
パーティー名:金の鉄槌
リーダー:ルディ Aランク冒険者・剣士
サブリーダー:ララ Bランク冒険者・魔法使い
メンバー:ガアデ Bランク冒険者・弓士
クエスト内容
魔獣王討伐
募集要項
・前衛職・後衛職・魔法補助職 各一名
・Bランク以上
・性別・種族不問
待遇
・クエスト報酬・等分
・ドロップ品 職業振り分け
・衣食住費用王家負担
・そのほか優遇制度あり 』
「なん、だ、これ」
メンバーは見慣れた名前が並んでいた。
だが、そこに彼女の――ロザリーの名前がない。どういうことだろうか。彼女はレオと同じBランクで実力は確かな冒険者だった。
それについこの間までCランクだったララとガアデがBランクに上がっている。この短期間で上がれるほどの実力は、まだ彼らにはなかったはずだ。
「……まだ噂程度だが、聖者と聖獣が召喚されたらしい」
バージの言葉を数瞬遅れて理解する。
聖者、女性であれば、聖女と呼ばれる異世界から召喚された者。魔獣の吐き出す瘴気を浄化し、魔獣王を討つことができる唯一の存在だ。
そして、聖獣とは聖者ないし聖女を守護する神獣のことで、異世界から共に召喚されるという。
「レオ?」
バージが驚愕に言葉を失うレオにいぶかしげに眉を寄せる。
「……ああ、うん、あまりに驚いて……召喚なんて伝説みてぇな話だと思ってたからよ」
「そうか。それは確かに俺も信じられないが、噂じゃ今代の聖者様は背の高い金髪の男性で、聖獣は真っ白な狼のような神獣らしい」
「へえ……」
ルイとポンタが全く当てはまらなかったことにレオは人知れず安堵する。聞いたことのない言葉を発する子どもだったので、ひやりとしたのだ。
「本題へ戻すが、全面的にこちら側の都合で申し訳ないが、協力してもらえないだろうか? 気づいていると思うが地鳴りのせいで町から人が減って、冒険者も王都に向かっていてほとんどいない。残っているのは、募集要項を満たさないGやFランクの冒険者ばかりだ。Cランクですら、野心家たちは王都に向かっている」
「……俺に何をしてほしいんだ?」
「先ほども言ったが、平原とその周辺の調査だ。大牙猪が出現した理由を調査してほしい。それと夜にだけ起こる例の地鳴りについても調査を依頼したい」
「答えは、否だ」
レオははっきりと告げ、ソファに深く腰掛けて脚を組んだ。
「俺の負担がデカすぎる。そうだろ? 俺は最初から言ってるが、流れの冒険者だ。その上、他に有力冒険者がいない状況で、俺一人でそれだけの調査をするなんて、ごめんだ」
バージが言葉に詰まる。
「確かに俺ァ言ったぜ? 冒険者稼業は助け合いのお互い様だって。んだが、それとこれは話が違ぇ。大牙猪はともかく、この謎の地鳴りの調査はそれこそ俺には関係ねぇだろ。何が原因かも分からねえ。下手すらAランク、或いは国の軍隊の出番かもしれねえ。隣国が何か仕掛けようとしてんのかもしれねぇし、自然災害だとすれば甚大な被害が出るかもしれねえそれを俺が一人で調査を行うなんて理由は『ひとつもない』だろ?」
レオは牙を見せて笑った。
シェリーが顔を青くして俯き、バージも逃げるように目をそらした。
「近いうちに俺ァ、そもそもこの国を出て行くつもりだ。今回、討伐した大牙猪のおかげで当面、金にも困らねえ。ギルドに来る用事はなくなったわけだ。冒険者にとって一番大事なことは、善人であることじゃねえ。引き際をはき違えねえことだ」
よっこいせと立ち上がる。
固まる二人を置いて、レオは出口へと向かう。
「頼む、待ってくれ!」
ドアノブに手をかけたところで呼び止められる。
「だから、俺は……おいおい、勘弁してくれよ」
振り返るとバージが床に膝をついて頭を下げていた。シェリーも同じように彼の後ろで頭を下げている。
「せめて、平原の安全保障調査だけ手を貸してほしい! これは命令ではなく、マスター直々の依頼とする!」
「どうか、お願いします。あの平原が使えないとG、Fランクの冒険者たちはなにもできなくなってしまいます……!」
レオは、二十年前のことを思い出す。
十五で冒険者になったのは、少しでも自分の暮らす養護院での生活をよくするためだった。
ひよっこ冒険者の仕事など、さほどの金にはならない。それでも必死に薬草をかき集めて、角兎を狩り倒し、レオは日銭を稼いだ。
養護院の家族に少しでもいいものを食べさせるために。
もちろん冒険者のすべてが貧しい家庭の出身というわけではない。だが他のどの職業より貧困層出身者が多いのも事実だ。
冒険者になるには頭の出来も貴賤も問われないからだ。誰でもなれる。誰でも成り上がれる。だからレオだって、冒険者になった。
平原が使えなければ、立ち行かなくなる低ランク冒険者がいる。その事実は消えない。
レオのように家族を養う少年少女が、その家族が飯が食えなくなるかもしれない。
「…………報酬は?」
空腹が、一番辛いことをレオは知っているのだ。
「金貨三十枚と治癒ポーション五本でどうだろうか? それとは別にアベルたちに使ってくれた止血、体力回復、魔力回復ポーションを保証する」
治癒ポーション自体が一本金貨三枚だ。調査以来としては破格と言ってもいい値段だった。それだけ冒険者ギルドが困っているという証拠だろう。
「……分かった」
レオは再びソファへと戻る。
シェリーが「依頼票を作成してきます」と告げて慌ただしく立ち上がり、部屋を出て行く。バージも立ち上がって、ソファに座りなおした。
「さっきアルト国を出て行くと言ったが、隣国に用事があるのか?」
「いいや、実家に帰ろうかと思ってな。いい歳だし、そろそろ親父に顔の一つもと思ったんだ。とはいっても俺は養護院で育ったから、院長である親父とは血がつながってねえし、親父はエルフ族だからまだまだ死にゃしないがな。きっと今なら、俺の方が年上に見られるだろうな」
「エルフ族は長い事若々しい姿のままだからな。どこ出身なんだ?」
「ツークン王国だ。二十歳で国を出て以来だから、もう十五年は帰ってないな」
「いいじゃないか、きっと喜ぶ。ルイも連れて行くのか?」
「……いや、それはちょっとな」
バージが意外そうな顔をした。
「俺がもうちょっと安全な職であれば、それでもかまわねえが、明日死ぬともしれねえ仕事だ。養護院か孤児院か、いいところがあればと思ってる」
「……そうか。それを言われるとな」
バージが目を伏せた。
ギルドマスターは、自分がマスターを務めるギルドでクエスト遂行中の冒険者が亡くなった場合、遺族がいる時は彼らの死を伝える義務があるのだ。これまでのことを思い出したのかもしれない。
「お待たせしました……どうかしました?」
戻ってきたシェリーがしんみりした空気に気づいて首を傾げた。
「いいや、なんでもないよ。依頼票を」
「はい、こちらに」
シェリーはバージの様子を伺いながら、依頼票を差し出した。
それをバージが確認してから、レオに差し出してくる。依頼票を受け取り、しっかりと確認する。
「もう一つ、条件を出していいか?」
「内容による」
「誰か一人でいいから貸してくれ。この町に知り合いはいねえ。預け先がねえからルイを連れて行くことになる。何かあった時にあの子を抱えて逃げられるやつがほしい」
「そういうことなら、もちろんかまわない。アベルでどうだ? さすがに十三、四の子どもを何人も抱えていてはあいつも防戦一方になってしまったが、ルイなら抱えて逃げられるだろう。残っている冒険者の中では、腕が立つ」
「それならそれでかまわない」
レオはシェリーが貸してくれたペンで依頼票に署名をする。
バージが依頼票を確認し、次にシェリーが重そうな布袋をテーブルに置いた。
「確認をお願いします。丁度、大牙猪の討伐依頼のほうがようやく処理されていたので」
それは、袋の口を開けて中の金貨をテーブルに積み上げて数える。
「おう。確かに五十枚。悪いが、こっちの十枚を銀貨と銅貨、錫貨に適当に両替しておいてもらえるか? 明日でもいい」
「分かりました。お預かりします。それと大牙猪なんですが……」
シェリーが困ったように眉を下げた。
「もう少しお時間いただいてよろしいですか?」
「解体、終わったんじゃないのか?」
レオはテーブルの上の金貨を袋にしまいながら尋ねる。
「解体は、本当につい先ほど終わったんです。お肉以外の部位を買い取り依頼でしたよね?」
「ああ。肉と一番大きな牙はもらって帰るが、それ以外は買い取りで頼むつもりだ」
「実はあそこまで毛皮から内臓まで全てが綺麗に残っている事例が初めてでして、買い取り価格の査定にもう少しお時間を頂きたいんです」
「そういうことならいいぜ。調査も数日はかかるだろうしな。肉さえもらえればいい。ルイとポンタに食わせてやりてぇんだ。細っこいからな」
「五歳で大牙猪とは贅沢だなぁ」
バージが羨ましそうに言った。
大牙猪の肉は、それはそれは美味いがとても高級品だ。牙猪も美味いが、大牙猪は別格なのである。討伐も難しいため、市場にはめったに出回らない。
「ルイくんで思い出しました。ルイくんの登録書類も出来上がっていたので、確認と記入をお願いします」
数枚の書類を受け取り、目を通す。
「お庭で楽しそうに講習を受けていましたよ。魔力を操れるようだったので、測定器で基礎的なデータは登録させて頂きました」
「おう、ありがとさん」
レオはギルドカード作成書類に目を通す。
『ルイ 五歳 男性 人族
職業:――
スキル 剣術 火魔法
ユニークスキル ???』
「お、あいつ、あの年でもうスキルが二つもあんのか」
スキルというのは、剣術や料理、土木などは生まれ持ったもの以外でも努力すれば獲得することができる。ただ、魔法系のスキルは、こうして生まれた時から与えられたもの以外、ダンジョンと呼ばれる場所の宝箱で稀に出て来るスクロールと呼ばれる魔法スキル取得魔道具というものでしか、後天的には取得できない。
レオは、もともと火魔法を持っていたが、水魔法と風魔法はスクロールで獲得した。
「ユニークスキルはまだか」
ユニークスキルは、早くて五歳、遅くても七歳までには発現する。それがどうしてかは知らないが、スキルと違って生まれてすぐに確認することは出来ないのだ。
「でも、スキルが二つとは見どころがありそうだ」
バージがテーブルの上に広げられた書類をのぞき込んで言った。
「あいつは魔力とか魔法について親から教わらなかったみたいで、昨日、俺が教えはじめたんだが、ランタンに綺麗な赤い魔力が灯ったよ。魔法は上達が早そうだ」
言いながら、レオは保護者の欄に自分の名前を書いた。
「これで頼む」
「では帰りにカウンターで受け取ってください。もうお肉と牙は、用意してあるそうです」
「よろしく。……じゃあ、調査は明日の早朝からやらせてもらう」
「馬車とか必要なものがあれば用意しておくが?」
「じゃあ、馬車と馬。小さいのでいい。いざとなったら捨てるかもしれねえからな」
「分かった。用意しておく」
頼むな、と告げてレオは立ち上がる。するとバージも立ち上がった。
「俺も大牙猪の肉を見たい」
「そうかい」
笑いながら肩を竦めて、レオはバージとシェリーと共にマスター室を後にしたのだった。
「おお……」
「すごい量……」
「お肉でパーティーできちゃいますね」
バージとアベル、シェリーが積み上げられた肉を前に各々感想を零す。
講習をしっかり受けていましたよ、とアベルに言われたルイもレオの横でぱちぱちと目を丸くしていた。ポンタはシェリーの腕の中でよだれを垂らしている。
サウロがレオが来たのを確認して、テーブルに積み上げてくれた肉はもはや山だった。
「これが牙だ。形の良いほうにしといたぞ」
「ありがとさん」
サウロがどすんと置いた牙は、レオぐらいある。
「これ、きば?」
「おう。下のほうの顎から生えてたやつだ。こういう珍品を持ってると旅の途中で、好事家に会った時に良い取引ができるんだ」
「こうずか? とりひき?」
「宿へ帰ったら教えてやるな」
ぽんぽんとルイの頭を撫でて、レオは牙に手をかざしてポーチへしまう。
「いやぁ、こんなに綺麗な大牙猪は初めてだ! 解体のし甲斐があったぞ!」
サウロが興奮した様子で言った。
レオは肉をしまいながら、そうかい、と笑う。
「しかも春だってのに、随分と脂を蓄えててよ、うまいぞ、こりゃ」
冬は大牙猪に限らず野生の魔物や動物のエサが減る。秋の内に蓄えた脂肪で彼らは厳しい冬を乗り越えるのだ。そのため、今の時期だと秋に比べると脂が少ない。
「森でエサが豊富なんだろうな」
だったらなぜ、平原にまで出てきたのだろうと思いつつ、大きな塊を一つ残す。
「これは解体師たちで食ってくれ。夜通しやってくれたんだろう?」
サウロや周りの弟子たちは、目の下にくっきりと隈があった。この大きな獲物の解体は大仕事だったはずだ。
「いいのか? 最高級品だぞ?」
サウロが面食らったように肉とレオを交互に見る。
「かまわねえさ。美味いもんは大勢で食うに限る」
「じゃあ、甘えさせてもらうか。おい、お前ら! ごちそうだぞ!」
サウロが振り返って言えば、成り行きを見守っていた他の解体師たちが歓声を上げた。
レオは、笑いながら口々に告げられる感謝の言葉に手を挙げて返し、油紙を一枚貰ってポーチから両手に乗るぐらいの肉の塊をもう一つ出す。
「アベル、お前にもやる」
「え?」
目を丸くするアベルの手に肉を乗せる。
「明日からお前さんには、俺の調査に付き合ってもらうことになったんだ。明日の早朝、朝の鐘が鳴る前に草原に行く。馬車をバージに頼んであるから、支度しておいてくれ」
「で、でも……!」
「言ったろ? 美味しいもんは大勢で食うに限るって」
アベルは困ったようにバージを振り返ったが、バージが頷くとアベルは、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。シェリー、僕、ソテーがいいな」
「了解。ありがとうございます、レオさん!」
シェリーも嬉しそうに言う。どうやらアベルとシェリーは一緒に暮らしているようだ。
「ということは俺も相伴にあずかれるな。ありがとう、レオ」
バージがほくほく顔で油紙の上からアベルが持つ肉を撫でた。
「どういうことだ?」
「父娘なんです。私は父とアベルと一緒に住んでいるので……」
シェリーの説明にレオは、へぇ、と驚きに声を漏らす。
「似てないな」
シェリーは華やかな美人だが、バージは貫禄のある渋い雰囲気だ。
「娘は母親似、だからな」
そう言ってバージは愛おしそうにシェリーを振り返った。きっと彼は親馬鹿に違いない、とレオは勝手に決めつける。
「レオ、あんたほど腕のいい冒険者は久しぶりだ。しばらくはここに滞在するのか?」
サウロの問いに、ああ、と頷く。
「平原の調査をするからな。だが、あの初心者向け平原の調査だからデカい獲物は期待すんなよ?」
「そりゃ、つまんねぇなぁ。あんたの狩った獲物は綺麗そうだから楽しみにしていたんだが……」
「ははっ、ありがとさん。なんか獲ったら頼むよ」
「おう、その時は任せとけ!」
サウロがドンと胸を叩いた。
「よし、ルイ、帰るぞ」
こくん、と頷いたルイの手を取る。ポンタを返してもらい、腰にぶら下げた袋に入れる。
そうしてレオは、バージたちも一緒に解体所を後にする。
中庭で休憩をしていたコリーとミスラにお礼を言って、そのままギルドへ入る。
受付に行き、シェリーが差し出すルイのギルドカートを受け取った。
「ルイ、このカードのここを持って、魔力を流すんだ。できるか?」
冒険者ギルドのマークを親指で押さえるように言って、そう促すとルイは頷いて、昨日よりすっと魔力を流した。マークが一瞬だけ光った。
「ひかった……!」
「これでこのカードはお前さんの身分を保証してくれるものになったわけだ。……シェリー、確認頼む」
レオはもう一度、シェリーにカードを渡す。カードが正式に冒険者ギルドに登録されたか確認してもらうのだ。
「……みぶんってなに?」
「身分って言うのは、お前さんがどこの誰かっていうのを、町に入る時や大人になって仕事をするときとかに相手に伝えるものだ」
「おかあさんが、オレはとどけでをだしてないって、だからくににはいないから、いみがないんだっていってた」
シェリーと様子を見守っていたバージとアベルが息を吞んだ。
「……そうかい」
出生届を商業ギルドの住人管理課に出さなかったということだろう。ルイがどこの国の生まれかは分からないが、大体の国はそのような手続きを取るものだ。
「でも、今日からルイは、冒険者レオの保護下にあるルイだ。ちゃんと存在している」
「ほごか?」
「俺に面倒をみてもらってるってこった」
「…………それは、おじさんが、おとうさんになるの?」
ルイが顔を上げた。
「それは……」
「お、おとうさんに、なったら……おじさんも、オレを、なぐるの?」
泣きそうな顔で一歩下がったルイにレオはしゃがみこんで目線を合わせる。
「ルイ、俺は何があってもお前を殴ったりしねえよ。お前が命にかかわるような危ないことをしない限り、怒ったりもしない。俺はルイが怖がるようなことは絶対にしない」
ルイの中で「お父さん」という生き物は、きっと怖いだけの存在なのだ。
「……いたいこと、しない?」
「おじさん、痛いことしたことあるか?」
「ない。……おじさんといるの、たのしい」
「そら、よかった」
おいで、とルイを抱きあげて、立ち上がり額をくっつける。澄んだ黒い瞳は、吸い込まれそうなほどに綺麗だ。
「言っただろ? おじさんがルイもポンタも守ってやるって。だからなーんにも怖いことも痛いこともありはしねぇよ」
「……うん」
唇にかすかな笑みを浮かべたルイにレオも柔らかに目を細める。
いつかルイが、子どもらしく顔をくしゃくしゃにして笑える日がくればいいと心から願ってしまう。悲しみも苦しみも、この子から一番遠いところにあればいい。
「レオさん、ルイくんのカード、確認しました。正式に登録されています。なくさないように注意してくださいね」
シェリーがカードを渡すときの定形文と共に差し出してくれたカードを受け取り、ポーチにしまう。
「おう、ありがとう。じゃあ、アベル。明日の朝、朝の鐘が鳴る前に門のところで落ち合おう」
レオはアベルを振り返る。
「分かりました。よろしくお願いします!」
「レオさん、よろしければお肉のお礼に調査中のお昼ご飯を用意してもいいですか? アベルに持たせますので」
「そりゃ、有難い。頼む」
シェリーの申し出に頷いて、レオはルイに「こういう時の挨拶は、また明日、だ」と教える。
「また、あした」
「んで、手を振る」
「またあした」
ルイが小さな手を振るとシェリーたち三人に加え、隣のカウンターの受付嬢と冒険者たちも手を振ってくれた。ルイは嬉しそうに冒険者ギルドを出るまで手を振っていた。




