名雪家
スーパーに寄り道して買ったソーダ味の棒アイスを食べながら歩いていると、隣にいる朝霧が足を止め目の前に立つ建物を見てそっと息を吐いた。
「相変わらず、すごい豪邸ね。これが個人の家だというのだから驚きだわ」
呆れとも感嘆ともつかない声で目の前の建物について評する朝霧の視線の先には城門と見紛うような造りの門が鎮座しており、開け放たれた門の向こう側には松の木の植えられた庭園が見える。
庭園を超えた先に立っている平屋建ての日本家屋は面積だけなら周囲の家の三倍はあるので、確かに広いことには広いけれど。
特段、華美な装飾が施されているわけではないしテレビで見るようなセレブの邸宅と比べれば豪邸という程のものでもないだろう。
「田舎だからな。市街地と比べれば土地も安いし、昔からある旧い家ならこんなものだろ」
一々足を止めて見入る程の建物でもないので門を潜り敷地の中へ入ると、朝霧は俺にもの言いたげな視線を向けてきた。
「謙遜、というわけじゃなく本気で言っていそうなのがまた恐ろしいわね。生まれたときから住んでいると、感覚も麻痺するのかしら」
俺が住んでいる場所、つまりは名雪家の屋敷を見た朝霧の反応は非常に大げさなもので、この様子だと俺がどれだけ言っても意見を譲りそうにない。
まあ、豪邸云々の話はどうでもいいし、朝霧がそう思うというならこれ以上無理に否定するつもりもないけれど。
名雪家と付き合いのある家には似たような規模感の屋敷に住んでいる人間が多いし、俺としてはやはりこの家が特別豪華だとは思えない。
「お帰りなさいませ、朱鷺哉様」
俺と朝霧がてきとうに話しながら母屋へ入ると、そこにはまるで俺たちを待っていたかのように玄関に立つ白髪頭の男の姿があった。
白髪頭の男は仕立てのいいスーツに身を包んでおり、俺に向かって出迎えの言葉を口にし頭を下げる一連の動作には淀みがない。
彼、桐澤善二は俺が生まれる前から名雪家に仕えているらしいので慣れているのも当然といえば当然だけど、わざわざ俺を出迎えにきたのは些か妙だ。
名雪家では身内に対する礼儀作法は簡略化することにしているし、普段なら桐澤が俺を出迎えるためだけに玄関まで出てくるようなことはない。
「桐澤がいるってことは何かあったのか?」
「いえ、そういうわけでは。ただ、本日は朝霧様もご一緒のようでしたので。鷹子様から、客間へお通しするよう仰せつかっております」
協会に未登録の魔力持ちとして連れてきた前回とは異なり、今日朝霧を連れてきたのは魔術師としての責務は関係ない完全な私用だ。
なので、俺としてはおばあ様に時間を割かせるつもりはなかったのだけれど。
当主であるおばあ様自身が会うと言っているのなら是非もない。
「わかった。じゃ、そういうわけだしハーブティー作りより先におばあ様に挨拶してくけど、別にいいよな?」
俺が念のため確認すると、朝霧は何やら気になることでもあるのか戸惑い気味に頷いた。
「それはもちろん、私はお邪魔させてもらっている身なのだし構わないけれど。桐澤さん、でしたよね?」
「はい。何でしょう?」
「その、なぜ私が来ることを? 名雪君は事前の連絡などはしていなかったと思うんですが」
「……ああ、なるほど」
問の意味がわからなかったのか、桐澤は一瞬だけきょとんとした顔を浮かべてからすぐに得心いった様子で口を開いた。
「一般家庭出身の朝霧様にはあまり馴染がないかもしれませんが、魔術師の家では屋敷の周囲に結界を張り外敵に備えることが多いですから。当家でも当主である鷹子様が結界を張っておりますので、敷地の中へ入ったものはたとえ鼠一匹だろうと見逃すことはありません」
「わかりました。教えてくださり、ありがとうございます」
朝霧が軽く頭を下げてから、俺の方に意味ありげな視線を向けてくる。
「わかってはいたことだけど、魔術というのは本当になんでもできるのね」
「なんでもは言い過ぎだな。魔術にできることは確かに多いけど、基本は魔獣との戦闘を中心に発展してきた力だし能力もそっち方面に偏ってる。現に、俺とお前はお茶一つ淹れるだけでも苦労してるわけだしな」
魔術について明るくない朝霧が変な勘違いをしても困るので、一応彼女の発言を訂正しておいたのだけれど。
朝霧はゆったりとした動作で首を横に振ると、普段とは違う無邪気な子供のような表情を浮かべた。
「いいえ。生まれたときから魔術と共にあった名雪君には実感が湧きにくいかもしれないけれど。普通の人間にとって、魔術とは不可能だと諦めていた望みに希望の光を灯してくれる素晴らしい力よ。まさに、奇跡ね」
「……大げさだな」
どことなくいつもとは様子の違う朝霧に対し微かな違和感はあるけれど。
わざわざそれを指摘するのも気にし過ぎに思えて、結局俺は大して意味のあることを言えないまま桐澤に先導され客間へと向かうことになった。
◇
「失礼します」
客間へ着いた俺と朝霧が襖を開け中に入ると、そこには黒を基調とした和服に身を包み畳の上で正座している一人の女がいた。
年齢を感じさせない艶やかな黒髪には俺と同じく青のインナーカラーが入っており、こちらを見やる鋭い水色の瞳は彼女の意思の強さを感じさせる。
顔立ちは六十という年齢の割には若々しく、まっすぐに背筋を伸ばして座る姿はこの空間の主に相応しい堂々としたものだ。
彼女こそ、俺の祖母にして名雪家の当主を務める魔術師、名雪鷹子に他ならない。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、お座りください」
おばあ様が何の用で朝霧を呼んだのかは知らないけれど。
このままぼうっと立っていても仕方がないので、俺と朝霧は促されるがままおばあ様の正面に腰を下ろした。




