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ある晴れた夏の日に

 実膳(みぜん)高校の屋上で大の字になり頭上を流れる白い雲を眺めていると、不意に視界へ影が差し耳元で上履きが床を踏む音が聞こえた。


「姿が見えないから一体どこに行ったのかと思えば、この真夏日によくこんな所で寝られるわね」

 

 俺の視界に影を作り声をかけてきたのは夏用制服を身に纏った女子で、こちらを見下ろす緑色の瞳には呆れが滲んでいる。


「別にどこで何してようが俺の勝手だろ。そんなことより、何の用だ? 朝霧(あさぎり)

「それはもちろん、あなたがいつまで経っても部活にこないから迎えに来たのよ。どう? 嬉しいでしょう?」

「寧ろ迷惑なんだが」

「あら、強がらなくていいのよ。異性とは縁のない寂しい青春を送っている名雪(なゆき)君が私みたいな美少女に優しくされれば、勘違いしてしまうのも無理はないもの。たとえ勢い余って告白してきたとしても丁重に断ってあげるわ」


 冗談めかした口調で何とも自意識過剰なことを言っているこの女子は朝霧理奈(あさぎりりな)といって、一応は同じオカルト部に所属する俺の同級生だ。


 たとえ冗談でも美少女を自称するだけあって顔立ちは整っているし、制服越しでもわかるスタイルの良さは認めざるを得ないけれど。

 先程の発言に限らずその言動はどこか芝居がかかった大げさなもので、どうにもどこからどこまでが本気なのかよくわからない。


「それで、せっかく私がきてあげたのに名雪君には起き上がろうという意思はないのかしら?」

「ない」

「そう。それなら仕方ないわね。いつまでも横になったままの名雪君には、特別に目覚めのキスをしてあげるわ」


 どうせ、これも冗談だろう。


 そんな風に考えたかをくくっていると、朝霧はおもむろに屈みこみ黄色とオレンジの間、向日葵色のウェービーヘアをかき上げながらこちらへ顔を近づけ始めた。


 何を考えているのかは知らないが、変に反応しても朝霧を調子づかせるだけ。

 頭では、わかっているのだけれど。

 向日葵色の髪の先端が頬に触れこそばゆい感触を伝えてくるのと同時に、俺はこちらへ近づいてくる小さな桃色の唇から逃げるようにして飛び起きた。


「あら、残念。童話のお姫様と違って、名雪君は早起きね」


 皮肉めいた朝霧の台詞は無視して、小さくため息を吐く。


「はあ……お前、その調子だといつかマジで勘違いしたやつに刺されるぞ」

「心配無用よ。私だって、からかう相手は選ぶもの」

「あっそ」


 朝霧との会話をてきとうに打ち切ってから屋上の縁まで移動し、落下防止用の柵へ肘を乗せる。


 眼下のグラウンドでは七月の炎天下を運動部の連中が走り回り、頭上には白い雲とうんざりするくらいに青い空が広がっている。

 目に映るのは至って普通の夏の景色で、一高校生に過ぎない俺にとってはこの何もない日常こそ平穏の証として享受すべきものなのだろうけど。


 どうしても、自分がこの景色の一部になっていることへの違和感が胸の内で燻って消えてくれない。


 俺は本来ここにいるべき人間じゃない。

 なんて、我ながら朝霧のことを笑えないくらいに自意識過剰だとは思うけれど。


 まだ中三だった去年の夏に家を継がなくていいと言われたときからずっと、愚にもつかない考えが俺の中で堂々巡りしている。


「黄昏ているところ悪いけれど、そろそろ部室へ行きましょう。名雪君にはやってもらいたいことが山のようにあるの」

「俺にはやりたいことなんてないんだが」

「でも、暇でしょ?」


 何か言い返したくて反射的に口を開いてから、すぐに反論の言葉など何もないことに気づき口を閉じる。

 俺のことを見透かした風に喋る朝霧の言いなりになるのは癪だけれど。

 俺が暇を持て余しているのは事実だし、どうせやることがないのならここでぼうっとするのも部室に顔を出すのも大差はない。

 

 別にムキになって拒否するほど朝霧との部活が嫌なわけではないし、これ以上ここで言い合いを続けるくらいならさっさと部活を始めた方がまだしも建設的か。


 若干冷静になった俺が部室へ向かおうと柵から腕を離した瞬間、頭の中を音楽に混じるノイズのような違和感が駆け抜けた。


「……見つけた」


 違和感の正体を探る俺の目に、グラウンドの上空を舞う一匹の蝶が映りこむ。

 

 蝶にしてはやたらと高い場所を飛んでいるそいつは珍しい深紅の羽を持ち、体躯は普通の蝶の倍はある。

 そして、この深紅の蝶が羽ばたく度に周囲には微量の黄色い鱗粉のようなものがまき散らされており、グラウンドにいる運動部の連中へと降り注いでいた。


「名雪君? どうしたの?」

「魔獣がいる」


 まだ事態に気づいていない様子の朝霧が声をかけてきたので、端的な説明と共に深紅の蝶を指し示す。


「魔獣? あれが? 遠くて見えづらいけれど、普通の蝶とそれほど変わりないように見えるわね」

「下位種だからな。体躯はそれほど大きなものにはならないし、魔力量も少ないからわかりづらいのは当然だ」


 俺が朝霧と話している間にも深紅の蝶からは鱗粉が放出され続けており、やがて眼下のグラウンドでは一人の野球部員がふらふらとした足取りで数歩歩いてから力なく屈みこんでしまった。

 慌てた様子で駆け寄っていった他の部員が肩を貸し保健室のある方へ歩いて行ったのを見ると、熱中症の心配でもされているのだろう。


 実際、この暑さだし外で動き回っている人間が一人二人熱中症になったとしても別段おかしくはないけれど。

 視線の先で悠々と飛び回っている深紅の蝶の存在を考えると、これを単なる熱中症として片づけるのは些か問題だ。


「あの鱗粉、一時的に平衡感覚を狂わせる効果でもあるのか? まあなんにせよ、これ以上放置しといていいことはないか」


 頭の中でこれからやるべきことをまとめてから、右手で銃を模した構えを取り人差し指と中指の先端を深紅の蝶へと向ける。

 すると、指先にはこの季節には似つかわしくない冷気が集まり始め、やがてそれは先端の尖った氷の塊へと変わっていく。


 大きさでいえば親指ほどの小さなものだけれど。

 何もない空間から突如として氷が現れた。

 これは、普通の感覚に照らして考えれば異常なことなのだろう。

 けれど、これまでの人生で普通ではないのものに慣れ親しんできた俺にとって、特異な様相の蝶も突如として現れた氷も何ら驚くべきものではない。


 ほんの一年前まで、この景色こそが俺にとっての日常だった。


「ばん」


 銃の発砲音を模した俺の声と共に、指先の氷が深紅の蝶へ向かって発射される。

 恐らくは、迫りくる死に気づくことさえなかったのだろう。


 深紅の蝶は回避するそぶりさえ見せずに飛来してきた氷に貫かれ、その体は薄い紙きれのように容易く引き裂かれた。


 そして、一瞬にして絶命した蝶の残骸は重力に引かれて落ちる前に霧の如く拡散し、まるで最初から何もなかったかのように空気へ溶け消えていく。

 後に残されたのは、太陽の光を反射して輝く小さな氷の欠片だけだ。


「流石は魔術師様。危険な魔獣も一撃ね」


 魔術師様、どこか茶化すような口調で俺のことをそう呼ぶ朝霧の台詞それ自体は冗談なのだろうけど。

 呼び名に限って言えば、彼女は何も間違ったことを言っていない。


 魔術と呼ばれる異能の力を扱う人間、即ち魔術師は一般には知られていないだけで確かにこの世界に存在する。

 そして俺はそんな魔術師としての力を血によって受け継いできた家系、名雪家の人間であり紛れもない魔術師の一人だ。


「魔獣といったって、下位種なんか倒してもなんの自慢にもならないっての。それより、部活なんだろ。ここにいるのも飽きてきたし、さっさと行くぞ」


 俺が屋上の出入り口に向かって歩き出すと朝霧も歩調を合わせて横に並び、何が楽しいのか微かに笑みを浮かべた。


 朝霧は魔力こそあるものの出身は一般家庭で俺と会うまで魔術とは縁遠い人生を送ってきたようだから、こうして呑気にしているのもおかしなことではないけれど。

 俺はとてもじゃないがこいつみたいに笑う気分にはなれない。


 なにせ、こっちはとある事情により魔術師を廃業寸前なのだ。

 

 たとえ魔術師でなくなることが悪いことではないのだとしても、心穏やかではいられない。


 まあ、そうやって自分でもわかるくらい不安定になっているから、成り行きでこんなよくわからんやつと妙な部活を作ることになってしまったのだけれど。


「そういえば、貰い物のお菓子を持ってきたのだけど、名雪君はチョコとカスタードクリームならどちらが好き?」

「……チョコ」


 いつの間にか、朝霧と一緒にいることに違和感がなくなってきているのがまた複雑だ。

 なんて、魔術師らしくも普通の高校生らしくもない中途半端なことを考えている間にも、辺りにはセミの鳴き声が夏らしい大音量で響き続けていた。

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