第3-33話 備えあれば患いなし
少し鼻を動かすと、鼻孔の奥を闇の臭いがくすぐった。
厳密にいえば、それは闇の臭いではない。
人の澱みの臭いである。
人を害することに抵抗を覚えず、むしろそれこそが人間性であると心の底から信じてやまない化け物たちの魔力と思考が、この場所に澱みを生み出すのだ。
「イグニ、元気にしとったか」
「ぼちぼちだよ。じいちゃん」
『地下監獄』の入り口で合流したルクスと2人でイグニは下に下にと『自動昇降機』を使って降りていく。
「久しぶりに来たが、相変わらずひどいところじゃのう。ここは」
「俺は初めてきたけど、嫌なとこだね」
イグニはそういって顔をしかめた。
だが、この場所の臭いはわずかに懐かしさを感じ取る。
それはイグニが2年前に自らの生業としていた『どぶ』の臭いと似ているからだ。
あれも人の澱みを払う仕事であったため、同じように澱みが溜まった『地下監獄』の臭いに懐かしさを感じるのは仕方のないことだろう。イグニはそれに戻りたいなどとは思わないが。
「しかし、驚いたぞ。まさかイグニがアビスを捕まえるとはな」
「まぁ……成り行きでね」
「ふん。成り行きで”極点”を捕まえるか。成長したの。お前も」
「ああ。じいちゃんのおかげだよ」
ちん、と鈴の音を鳴らして『自動昇降機』が目的階層にたどり着いた。
『地下迷宮』を改造して作られたこの監獄は、『魔法使い』の犯罪者だけを収容するための施設だ。
故に、中に入る場合は必ず護衛がつくのだが今回の2人に護衛はいない。
”極点”1人と、”極点”を捕らえた者には護衛が足手まといになる。
「しかし……不思議なもんじゃの。あのアビスの方から話をしたいなどというとは」
「どうせろくなこと言わないんじゃないの」
「くはっ。それもそうかの。まあ、どうせアイツが生きたままこの監獄を出れるとは思えん。話くらいは聞いておいてやっても損はなかろうて」
アビスが呼び出したのはイグニとルクスだけでは無かった。
他にも各国全ての”極点”を相手に呼び出しを行ったのだが、アビスの話を聞こうと動いたのがこの2人だけだったのだ。
アビスの人徳の無さが伺える。
「さて、ここかの」
ルクスがそう言って、独房の入り口を指し示した。
「鍵は開いてるんだっけ」
「ああ。中には簡単に入れるという話じゃったの」
入り口で看守に言われた言葉を信じて、独房の入り口に手をかけると何の抵抗もなく扉が開いた。
「よォ。いらっしゃい」
中にいたのは、十字架に磔にされたアビスだった。
全ての抵抗を奪われて、四肢を拘束されている。
それだけではなく、アビスの首には1つの首輪が取り付けられていた。
『地下監獄』の囚人につけられる専用の魔導具だ。
首輪は常にアビスの魔力量をチェックしており、それが一定値を超えると自動的に身体から排出する。そうして、あえて魔力切れの状態を作り続けるのだ。
当然、魔力を排出された後でも首輪によって吸収できる魔力量には制限がかかっており、囚人たちは一日のほとんどを眩暈と吐き気に襲われたまま生活している。
イグニは『魔力切れ』でも死なないことを、身をもって体感しているが、多くの人はそうは思っていない。
この世界の常識として、『魔力切れ』は死に繋がるものだという認識がされている。
だが、それでもこの場にいる囚人たちは1日に何度も『魔力』を吐き出される。
そう。彼らは、死んだら死んだで構わないのだ。
さらに首輪は魔術や魔法を使おうとした瞬間に、それを検知して爆破する機能付きである。
殺しはしない。だが、苦痛は与える。
そして、そこで死のうとも構わない。
それが『地下監獄』のあり方である。
「来たのは……2人だけか。シけてんな」
「むしろ2人も来たことに感謝するべきじゃろ」
「あァ。それは……そうかもな」
アビスはへらへらとした態度を崩さずに答えた。
とは言っても、慢性的な眩暈のせいかその表情は前に見た時よりも少しだけ歪んで見える。
「んで、なんじゃ。さっさと用件を話せ」
ルクスはアビスに向かって吐き捨てる。
アビスは「そう焦るなよ」と言いながら、深呼吸を繰り返した。
「俺の目的を話してやろうと思ってな」
「目的?」
イグニが問い返す。
目的とはアビスがサラを執拗に狙っていた目的だろうか?
だが、それはあの『天使』を降臨させるためだろう。
それはアビス自身が言っていたことだ。
「まァ、聞け。もっと多くの”極点”が知っておくべき内容なンだがな」
「結論から話すんじゃろうの」
「もちろん! 俺は探究者だぜ」
「ほう。なら、お前の目的を教えてもらおうかの」
「人類種の生存だ」
「……ふむ?」
ルクスの表情が変わる。
その鋭い眼光がアビスに向けられる。
「この世界で生まれた観測史上初の魔法使いってのは……説明しなくても分かるよな」
「『魔王』」
「正解だ、イグニ。10点やろう」
屍に命を与えて動かす魔術は魔術ではない。
魔法だ。
「その魔王を倒した『勇者』は、魔法使いじゃねェ。全ての適性がS超えてるって化け物ではあンがな」
アビスは吐き捨てる。
“輝ける”グローリアス。
仲間たちとともに決死の作戦で『魔王』を撃ち破った勇者で、『魔王』討伐後はアンテム王国の初代国王になったと言われている。
「人類は辛くも『魔王』を倒した。多くの犠牲を払ってな。で、だ。問題はここからだ」
アビスが笑いながらルクスとイグニを見る。
「『魔王』を倒した後から、じわりじわりと『魔法使い』が増え始めた。最初は1人だったものが、それに呼応するようにに2人目、3人目と出てきた。これはどうしてだと思う?」
「偶然じゃろう」
「偶然にしちゃ出来過ぎだ。『魔法』はどう考えても人の領域から逸脱しちまってンだろ。それが『魔王』なんて存在が出てきた後から増えるのか? 俺は偶然だとは思わねえ」
「じゃあ……何だってんだ」
イグニはアビスに次を促した。
確かにここまではアビスの言う通りだ。
『魔王』の死後から、指数関数的に『魔法使い』の数は増えている。
「最初は『魔王』に抵抗するために、増えたんだと思った。免疫みてェなもんだよ。人類が人類を守るために『魔王』という災厄に抵抗した。だが、そうじゃねェとしたら?」
「何が言いたい」
「今の時代はすげェよ。馬鹿みたいに『魔法使い』で溢れちまってる。そろそろ両手で数えきれない数になりそうだ。しかも、それだけじゃねェ。……10万人に1人やら100万人に1人の天才といわれているはずの適性SランクやSSランクが今の世代にあまりに多すぎる」
「『黄金の世代』かの」
「あァ。それに加えて、『術式極化型』なんて空想上の産物まで現実に生まれちまってる」
アビスがイグニを見ながら、そう言う。
イグニはその視線を真正面から受け止めた。
「まるで、何かに備えてるみたいじゃねェか」
だんだんと、イグニはアビスの言いたいことを掴んできた。
「……何に?」
「さて、なんだろうなァ」
イグニの問いにアビスは肩をすくめた。
いや、肩をすくめるほどの動きは許されていないのでそういう仕草をとっただけだ。
「もちろん、『魔王』は人類にとっての特異点だった可能性もあンぜ。『魔王』を皮切りに、人類が次のステージに駒を進めたってわけだ。別に『何か』におびえるわけでもなく、人類が進化しただけって説がな」
「ワシはそっちを推したいの」
「ヒヒッ。そうだと良いなァ。だが、それにしてはあまりに『術式極化型』が生まれるタイミングがタイミングすぎるだろうよ」
「『属性特化型』より珍しいからの。今まで見つからなかっただけとワシは思うがの」
「1つ以外の属性適性に『none』が出て、適性がFという奇妙な値が今まで見つからなかったと思ってンのか」
「…………」
「100年以上前、人類は『魔王』の時代から『何か』に備えてンだ。俺はそう思ってる」
ルクスは黙り込む。
イグニも、黙り込んだ。
「『魔王』は時計の針を進める役割を担ったんじゃねェのか? 戦乱の時代には、化け物が生まれる。それこそ、勇者のような」
「はッ。それがお前の目的とどう繋がるってんだ」
イグニの問いかけにアビスは真面目な顔で応えた。
「その『何か』が来る前に人類を次のステージに進める必要があンだよ。だから俺は、『魔王』になる必要があったのさ」
「下らぬ」
アビスの半笑いをルクスは一言で切り捨てた。
「たったそれだけのために、あれだけの禁術に手を染めたのか? 多くの人類を犠牲に?」
「そうだ」
「狂っておるの」
「俺がやんなきゃ、誰がやンだよ」
アビスの視線と、ルクスの視線が交差する。
アビスの顔から笑みは削ぎ落ちていた。
「もう用件は終わりかの?」
「あァ。しっかり用心しておけよ。『何か』は来るぜ」
「帰るぞ、イグニ」
「……うん。分かった」
ルクスが扉に手をかけた瞬間、最後とばかりにアビスが続けた。
「いつか……いつか、後悔すンぜ。俺をここに捕まえたことをな」
「後悔などするわけがなかろう」
ルクスはアビスを見ずに答える。
「ワシらは、強いからの」
「……はッ。はははははっ! ははははははっ!!!」
イグニは外に出る。
アビスの声が小さくなっていく。
「そうかい! じゃあ、地獄の底で見せてもらうぜ。お前らの活躍をな」
扉が閉められていく。
「また、な」
そう言い残して、アビスは再び牢獄の奥底へと消えて行った。
To be continued!!!
これにて3章終わりです!
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次回更新日は3/4になる予定です。
それまでお楽しみに!




