第3-29話 理不尽と魔術師
イグニの一撃によってアビスの身体が十数メートル吹き飛んだ。
「これで終わると思うなよッ!」
『熾転』によって、全身の運動神経が跳ね上がっているイグニはアビスの吹き飛ぶ速度に追いついて腕を掴むと、そのまま勢い任せに地面に叩きつけるッ!
『空間』を2次元平面に展開しているため、空間に作用する魔術以外で削り取れない不動の大地にアビスの身体が叩きつけられた。
後れてアビスが傷を眷属に押し付けようとするが、それよりも先にイグニは拳をアビスの鳩尾に叩きこむ。
「……ッ!」
アビスの顔が苦痛に歪む。
それと同時にイグニは強引にアビスを起こすと、アビスの脇腹めがけて蹴りを入れた。
「……くそッ!」
アビスが悪態をつく。
だが、イグニはそれで止まらない。
この状況下で『装焔機動』は使えない。
だが、そんなことをしなくても弾丸のように吹っ飛ぶことはできる。
「『熾転』ッ!」
秒間30回転で回り続ける魔力のまま、地面を蹴るとイグニの身体が砲弾のようにアビスに向かって飛ぶ。
アビスの身体が歪に歪み、身体に受けたダメージが受け流されていくよりも先にイグニの頭突きがアビスの顔に叩きこまれた。
「くそッ! めんどくせェなァ!」
戦闘職ではないアビスは、負けないことに特化している。
どれだけ傷を負っても、死に至るような状況に追い込まれても、彼は死なない。
いや、死ねない。
だが、痛みは人並みに感じる。
“極点”として戦う中で痛覚を鈍らせる方法は学んだが、それでも0にする方法は学んでいない。
「『対象は我が眷属、そして腐り果てたもの』」
アビスが詠唱。
「『入れ替わり給え』」
どろり、と肉が地面に落ちる音がした。
次にイグニの鼻孔に届いたのは、吐き出しそうになるような腐肉の臭い。
そして、漆黒だというのに仄かに明るい世界に舞い降りたのは、誰もが知っている最強種。
「……ドラゴンっ!」
「まァ、腐ってンけどな」
ドラゴンゾンビ。強さの位はSS。
イグニが『魔王領』で倒したスカルドラゴンと同レベルの強さを誇ると言われており、討伐には“極点”クラスが派遣される化け物だ。
当然、生前ほどの強さは持ってない。
『魔王』の魔力によって死んでも動き続ける亡者に過ぎないが、魔術が使えないというこの状況がイグニとって不利になる。
「ドラゴンがどうしたッ!」
イグニは『熾転』の回転数を跳ね上げる。
魔力の回転数は制御できる秒速30回転っ!
イグニの蹴りがドラゴンゾンビの横っ面を殴り飛ばす。
ぶん!! と、ドラゴンゾンビの頭が横を向く。
遅れて腐肉が周囲に飛び散った。
……駄目だ。火力が足りない。
イグニは自分の方向に振り向くドラゴンゾンビの虚ろな眼窩を見ながら、心の中で吐き捨てた。
『WooooOOO!!』
ドラゴンゾンビの巨大な顎がイグニに伸びる。
イグニは空中でドラゴンの牙を蹴り飛ばして、距離を取ると地面に着地。
「『熾転』ッ!」
イグニの咆哮じみた叫びに応えるようにドラゴンゾンビの身体が空に浮かぶ。
「……やるぞ」
『熾転』の回転数を挙げた時に制御できない原因は分かっている。
身体の高速移動に目が付いてこないからだ。対応方法は簡単で、目に魔力を集めてしまえば良い。
だから、魔力を分割する。
イグニは身体の中にある魔力を自分の身体の中心部と眼球付近に分割。
そして、再び回転開始。
回転数は2つとも同期するようにして、毎秒30回転から押し上げていく。
熾った魔力がイグニの身体から零れ、赤く変色してイグニの周囲を覆う。
それはまるで、イグニ自身が燃えているかのように見えて。
「シッ!」
イグニは回転数が毎秒70回転を超えた瞬間、地面を蹴った。
音の壁を容易く超えたイグニの身体を空気という分厚い壁が邪魔をする。
だが、イグニの視界では全てが静止したかのように遅く流れていく。
(そうか……)
イグニは1つ、気が付いた。
(これは、魔力で何かを補う技術なんだ)
イグニの動体視力をそれで補ったように。
そして加速しきったイグニの拳がドラゴンゾンビの顎に触れた瞬間、腐った枝のようにドラゴンゾンビの首が吹き飛んだ。
「アビスッ! これで、終わりだッ!」
イグニはそのまま大気を蹴って、アビスに飛ぶ。
「ああ、そうだな。これで終わりにしよう」
「おォッ!!」
イグニの拳がアビスの身体にクリーンヒット。
アビスは顔にほほ笑みを浮かべたまま殴られた。
先ほどとは違う手ごたえ。
アビスの身体が数百メートルほど吹き飛んで、地面に倒れた。
イグニはそれの追撃に移ろうとした瞬間、気が付いた。
アビスの傷の修復が始まらない。
そして気が付けば、足元に巨大な魔術陣が描かれている。
……これは違う。
魔術陣ではない。魔法陣だ。
アビスの魔法は『負けないこと』に特化している。
ならば、『勝ち筋』を用意しておくことは物の道理だ。
そう。アビスの狙いは最初からこれ。
本体が出てきたのも、この魔法を行うためである。
「『門』」
アビスの口から詠唱が漏れる。
それと同時に喀血。イグニからのダメージが蓄積された結果である。
「『解放』」
次の瞬間、その場に存在していた全ての魔力が熾されて魔法陣に飲み込まれていく。
遅れて、アビスの『世界』が崩壊し始めた。
「これは……!」
「ひひッ。イグニ、お前の『魔法』と同じさ。俺も、こいつを使うのに全部の魔力を使っちまうみたいだ」
イグニは慌ててサラを抱き上げる。
咄嗟に『装焔機動』を使うと、魔術が使えた。
アビスの魔法は機能していない。
その代わり、魔法陣から何かが姿を見せた。
「100年以上前! この世界に落ちた『魔王』はたった1人で人類の99%以上を殺しつくしたッ! 次は俺の番だ!」
「『装焔:極光』ッ!」
魔法陣から姿を出した幾何学の文様に向かってイグニは魔術を使う。
だが、光の速度で撃ちだされた『ファイアボール』は、ソレに当たった瞬間にぽちゃん……と、湖に落ちた水のように波紋を立てただけであった。
「効かねえんだよッ! そいつは俺たちとは全く別の次元の生き物! 高次元生物! 俺たちの攻撃なんて効かねえよ」
アビスは血交じりの咳を吐き出しながら笑う。
魔法陣から生み出されたそれを見て、サラがぎゅっとイグニの身体を強く抱きしめた。
全てが幾何学的に構成された身体。
かろうじて人型に思える中心部。
全身は15mを超えると思うほどに巨大。
だが、それよりもイグニとサラの目に入ったのは、ソレの頭上に浮かび上がる光輝く綺麗な円環。
そして、サラの心臓から1本だけ煌めくような線が繋がっていた。
「……天使」
ぽつり、とイグニが漏らす。
「俺も、そう呼んでる」
次の瞬間、アビスの世界が完全に崩壊し、イグニたちは海上に投げ出された。
慌てて後方確認すると、そこにはロッジが見えた。
イグニは『装焔機動』によって空中に浮かびながら、波に揺れるアビスを見下ろす。
既に彼に戦う力は残っていない。ただの絞りカスだ。
だが、今の敵は。
「けどこいつは天使じゃねえ。ただの無慈悲な殺戮兵器だ」
それに応えるように天使が腕と思われる場所を振るう。
キュドッッツツツ!!!
イグニたちの視界の端にあった山脈が吹き飛んだ。
「くははッ! これで人類は終わる。俺が次の『魔王』だッ!!」
サラのイグニを握り締める手に力がこもる。
痛いほどに、イグニのことを握り締める。
「止めたいか? 止めたいよなァ! 簡単だぜ、サラを殺せばそいつは消える」
ぎゅ、とサラが握るイグニの腕から血が流れる。
「そいつが現界するのに、サラの魔力を使ってるからな。だから、サラを殺せば天使は止まる」
幾何学的な肉体を保ったまま、空中に浮かび続けるアビスの周囲の海が汚染されていく。
天使を顕現させるだけでは消費しきれず、サラの身体から溢れた魔力が海を汚しているのだ。
「殺せるか? 殺せねえよなァ。だから、俺の勝ちだ」
アビスは瀕死の状態で勝ち誇ったように笑った。
イグニはそれに目も向けない。ただ、燃えるような瞳で天使を見る。
「サラ」
ただ目の前の現状に震えることしかできない少女に、イグニが語り掛ける。
「俺は“最強”だ」
静かに、ただ静かに。
100を使えぬ代わりに1を極めた少年の口から言葉が紡がれる。
「理不尽だって思うだろ」
少女が震える身体で頷いた。
彼女は何もしていない。ただ、生まれつき身体が特殊だっただけ。
それだけで人類の敵になり、アビスに狙われ……そして、こうして再び背負わされた。
だから、イグニは語るのだ。
「“最強”ってのは、“理不尽”を撃ち破るから“最強”なんだよ」
モテの極意その1。――“強い男はモテる”。
それは即ちもって、極意の始まり。
では何故それが始まりなのか。
ルクスはイグニに語らなかった。
だが、イグニは1人で答えを得た。
困難にあればあるほど、理不尽であればあるほど。
「『装焔:完全燃焼』!」
それを撃ち破るものは、
「『超球面』ッ!」
モテるのだ。




