第3-22話 闇と魔術師
「アリシア、俺は……」
月光に照らされたアリシアの金の髪が、夜風に揺れる。
イグニが何かを言おうとした時、その口がアリシアの柔らかい手でふさがれた。
「……何も、言わないで」
「…………」
イグニはアリシアに言われるがままに、黙り込んだ。
「……ね、イグニ。私って、皇女なんだよ」
イグニは黙って頷いた。
「しかも、3番目。本当は自由なんて無いの」
アリシアがほほ笑む。
イグニには、彼女が何を言いたいのかが掴めなかった。
「でもね、嬉しかったの。イグニが、姉さんを倒してくれて。本当に、嬉しかったの」
馬乗りになったまま、イグニにそう伝えるアリシア。
ここは砂浜。
ちょうどロッジからは死角になる位置だから、誰もこれには気が付かないだろう。
「だから、3年間だけでも。こうしてたいの」
アリシアが再びイグニに顔を近寄せて、唇を触れさせた。
静かになった浜辺に、波の音だけが響いていく。
潮の臭いと、アリシアの匂いが混ざり合ってイグニの鼻腔をくすぐった。
いつまでそうしていただろうか。
少しの間だったかもしれないし、とても長い時間だったかもしれない。
「ちょっとー!? アリシア、どこにいるの!」
ふと、ロッジの方からイリスの声がしてアリシアがその唇をイグニから離した。
「あ、そこにいたの。って、イグニ様も!?」
「お、おう」
2人は立ち上がって、何でも無かったかのように振る舞う。
「ちょっとアリシア! イグニ様となんの話してたのよ!」
「……サラの腕輪についてよ。今日壊れたらしいの」
「あの腕輪ってそんなに大切なものなの?」
サラのことを『魔王領』にいたとは知らないイリスがアリシアとイグニに尋ねてくる。
「サラは……まあ、ちょっと特殊な体質でね。あの腕輪が無いとみんなと一緒にいられないのよ」
「あの腕輪は俺がアリシアに頼んで用意してもらったものだから、相談してたんだ」
「そうだったんですか! それはすみませんでした!」
イリスがぺこりと頭を下げる。
「あと、アリシア。みんなが呼んでるよ。そろそろカード占いするんだって」
「そ。じゃあ、もうちょっとしたら上がるわ」
「おっけー。そう伝えとくね」
イリスは要件だけ伝えて、ロッジに戻っていく。
「……イグニ」
「ん」
「誰にも、言わないでね」
イグニの服の袖を、アリシアがそっと握ってそう言った。
「言わないよ。誰にも」
だから、イグニは優しくそう言った。
「じゃあ、上がるね。また明日」
「おう。また明日」
イグニはアリシアを見送ってから、溜息をついて後ろを振り向いた。
「で、誰ですか。さっきからそこにいるのは」
「……怖っ。この距離でバレんのかよ」
70m以上離れた木陰から、1人の青年が出てきた。
夜闇に溶け込むような黒い髪に、暗い紫の瞳。
その顔には人を小馬鹿にしたような笑顔。
「途中から、嫌な視線を感じたからな」
その視線を感じたのは、イリスがやって来た直後。
「なんで視線だけで分かンだよ。化け物かよ」
へらへら笑いながら、男が近づいてくる。
「待て、それ以上近寄るな」
イグニは、自身の第六感を信じて30mほどの辺りで男を止めた。
「ンだよ。離れてたら声が聞こえねえから、近寄ってるだけじゃねえか」
「お前は誰だ。ロッジには居なかっただろ」
イグニの身体は完全に戦闘状態に移行している。
男の視線は突如として出現した。
まるでそこに、瞬間移動でもしてきたかのように。
「ここら辺に住んでンだよ。海の様子を見に来たんだ」
「その格好でか?」
男の服装はとてもじゃないが、海の様子を見にくるようなラフな格好ではない。
どちらかと言えば、冒険者。
いまにもモンスターを倒しにきたかのような格好をしている。
「別に良いだろ。恰好くらいよォ」
相変わらず男の顔には笑いが張り付いている。
どこまでも余裕だと言いたげに。
「そう構えることじゃねェ。俺は本気で探し物を探しに来ただけだ」
「探し物?」
「ああ。お前に迷惑はかけねェよ」
男がそう言って笑う。
「なに、すぐだ。すぐに終わる」
次の瞬間、ロッジに灯っていた全ての明かりが消えた。
「『装焔』ッ!」
イグニの第六感が男を敵と判断。
『ファイアボール』を生成する!
「だからすぐに終わるつってんだろ」
イグニの生み出した『ファイアボール』に魔力が込められ、赤から白へと変色していく――。
「よし、見つけた。……あん? 邪魔が入ったな」
「イグニさん!!」
ロッジからヴァリア先輩が顔を出す。
「サラさんが狙われました! いま、ミル先輩とミコ先輩が対処していますわ! 周囲を警戒してくださいまし」
その言葉でイグニは全てを理解した。
「『発射』ッ!」
そして、自身の直感を信じて男に向かって『ファイアボール』を発射!
「あーあ。そういうことかよ」
青年は前面に生み出した漆黒の壁を解除しながらそう言った。
「思ったよりも、邪魔者は多そうだ」
男がバックステップ。
イグニはそれを刈り取る。
「『装焔:徹甲弾』」
「『強き者よ』」
「『砲撃』ッ!」
「『闇より出でよ』」
両者の同時詠唱!
イグニの生み出した『ファイアボール』が空気と擦れて音を鳴らす。
ヒュドッッ!
彼我の距離は30m。イグニにすれば無いも同然の距離。
だが、その間に挟まれるようにして出現した黒い腕がそれを防いだ。
「おお、すげェ。闇の精霊の腕を砕くのか」
「『装焔:極小化』ッ!」
当然、イグニの『徹甲弾』を受けて無事でいられるはずもなく、闇から出現した腕は粉々に砕け散った。
「『加速』ッ!」
極小の状態で展開された『ファイアボール』が、イグニの後方に生み出された魔力の加速炉を通って加速開始!
――キィィィイイイイイインンン!!
イグニの背後に、後光のように展開された加速炉の中で『ファイアボール』は亜光速まで加速されて――。
「『発射』ッ!!」
「『防げ』」
男が使ったのは簡易的な防御術式。
だが、イグニの撃ちだす亜光速の『ファイアボール』がその程度で防げるはずがない!
簡単に男の防御術式を貫いて、その身体を後ろに吹き飛ばした!
「サラに何の用だ」
「魔術ぶっ放しておいて目的聞くのかよ。普通、順番逆だろうが」
男の身体から煙が上がる。
人体の発火温度を超えて、その身体から煙が上がっているのだ。
「言っても分かんねェだろうから、言わねえよ」
「……なら、ここで止める」
「止める? お前が、俺を? どうやって??」
男の身体が起き上がる。
その身体がまるで、逆再生のように修復されていく。
「教えてくれよ。ロルモッドの学生よォ」
ズン、と夜の闇がより深くなると、そこから無数の人型が出現する。
それらは、全て昼間に出会った闇の人型と全く同じ形をしていた。
「自己紹介がまだだったな」
男は笑う。
「俺はアビス。“深淵”のアビス」
イグニはその名前を知っている。
どこの国に所属しない、はぐれの魔術師。
だが本人は戦闘職ではなく、あくまでも探求者だと言い続ける異常者。
そして、多くの国で禁術実験を行い指名手配されている犯罪者。
「“闇の極点”だ」




