幕話 【カバーストーリー:勇者】
【この物語は幕話です。本編には全く関係ありません】
【読まなくても大丈夫です】
これは、語られることの無いおとぎ話である。
すでに100年以上過ぎ去った歴史の一片である。
何が真実で、何が嘘かは定かではなく。
既に真実を知っている者たちは死んでいる。
しかしこれは、勇者によって覆い隠されたおとぎ話である。
その1点において、価値のある物語だ。
血の臭いと死体を焼く臭い。
どこまでも行っても、この場所には死の臭いが付いて回る。
「ははっ。すごいな」
市壁の外を展望できる場所に立って、”勇者”は笑った。
街を囲むようにして、無数の軍勢が今か今かと『王』の合図を待っている。
「うーん、これは勝てるかなぁ」
ヘラヘラと、人類に残された最後の土地で”勇者”はへらりと笑った。
―――――――――
5年前、北のある土地に1人の王が生まれた。
最初はただの人だったと言われている。
いや、それはどうだろうか。
魔族とも、エルフとも、ドワーフだったともいわれている。
それが本当なのかどうかを確かめる術はなく、それが真実であると知る意味も今となっては見いだせない。
1人の『王』は、生まれるやいなや1つの国に『宣戦布告』を行った。
誰も本気にしない、狂人の戯言。
誰しもがそう考えていた。
だが――2週間でその国は堕ちた。
『王』は堕とした国の国民15万を自らの軍勢として、隣国に戦いを挑んだ。
次が堕ちたのは1週間だった。
15の国が地図から消えたころ、世界各国は慌てて同盟を組み、たった1人の男を迎えうつべく軍を編成した。
『王』が誕生してから1年。あまりに遅すぎる同盟であった。
蹂躙、という言葉がこれ以上に当てはまる戦いは無いだろう。
『王』の軍勢は死なない。
正確にいえば、もう死んでいるのに動いている。
彼の軍勢は死体の軍勢であった。
『王』の属性は【固有:不死】。
死者に命を与え、自らの傀儡とする。
それは、失ったはずの0に1を与える奇跡。
彼の魔術は後の世にて、『魔法』と呼ばれるそれであった。
『王』の軍勢は死なず、『王』の軍勢によって殺されたものは彼によって命を与えられ彼の軍勢につく。
そうして、1が2に。2が4に増えていく軍勢を前に、人は何もできなかった。
悪魔の様な『王』。悪魔どもの『王』。
故に、彼は『魔王』と呼ばれた。
―――――――――
「”勇者”様、不謹慎ですよ」
勇者の後ろにいた少女が、笑う勇者をたしなめる様に鋭く言う。
「やだなぁ。みんなの希望はこういう時こそ笑わないと」
”万能”なるグローリアス。
この世に生まれついた時から全ての属性の適性が【S】。
人類最強の男はそう言って笑った。
「……勝てるの、ですか」
「んー。どうだろうね」
軍勢の最奥に控えるドラゴンゾンビたちを”勇者”は見た。
その数、およそ15体。
最強種と呼ばれるドラゴン。
死体といえども、その強さは折り紙つきだろう。
「勝てる、かな」
嘘である。
少なくとも”勇者”と、彼のパーティーは『魔王』相手に15以上の敗北を喫している。
まず、挑めない。
斬っても死なず、魔術でも死なない亡者どもの壁を突破できない。
突破したところで、彼らの体力は削られている。
その上で『魔王』の配下である四天王と戦わなければならない。
そんな中で、死なないように立ち回るのが精いっぱいなのだ。
故に、ここまで追い詰められた。
「……なぜ、『魔王軍』は攻めてこないのでしょうか」
「さぁ? 楽しんでるんじゃないかな」
勇者はそう言って笑う。
「ほら。どうやったって人類は勝てないしさ」
肩をすくめる。
直径10キロの円。
それが、人類に残された最後の大地である。
それ以外の大地は全て魔王軍に覆いつくされ、死体の苗床となり、汚染され続けている。
魔王によって汚染された大地では通常の植物が育たない。
よしんば魔王を倒せても人類はその後、厳しい生活を強いられるだろう。
それも、『勝てれば』の話ではあるが。
「いやあ、絶望的だねえ」
勇者は笑う。
笑わないと、やっていられない。
肉親が死んで、友人が死んで、仲間が死ぬ。
そして、それ以上の兵士たちが死んでいく。
その中で人類という重圧を背負っても、勇者の気が狂わないのは元より狂っているからだろう。
「ここにいたのか。グローリアス」
「やあ、ケイン。元気だったかい?」
”剣聖”ケイン・エスメラルダ。
人類最強といわれた剣士も、数億の軍勢の前では手も足も出ない。
「まだ、寝ないのか?」
時刻は既に深夜。
月明かりだけが彼らの視界の支えである。
「寝れるなら寝たいさ。でも、ちょーっとこれを前にするとね」
「……ああ」
蠢き、ひしめき、人類最後の砦を囲んで愉悦に浸る数十億の軍勢を前にして寝れるほど肝の据わった人間がどこにいるだろう?
「明日が最後の戦いになるだろうな」
「暗いこというなよ。ケイン」
「……すまない」
勇者の明るい声に、”剣聖”は低く返した。
「あと、何人残ってるんだ?」
「10万だ。うち5万が負傷兵だな」
それが、人類に残された最後の戦力である。
「うーん。絶望的だなぁ」
そういってグローリアスは再び笑った。
「治癒師たちは?」
「一生懸命治してるが……それよりも死体の処理の方が忙しくてな」
「ああ」
通常の死体はすぐに『魔王軍』として活動を始める。そのため、死体を焼き残された骨を粉々に砕くのだ。
そこまですれば、『命』を与えられたとて流石に動かない。
尊厳など何もない遺体の処理。
しかし、そうしなければ人類は生き残れないのだ。
「エルフとドワーフの将軍たちは仲直りした?」
「すると思うか? グローリアス」
「しないね」
”勇者”と”剣聖”は笑う。
そう、人類の9割が減らされても、
生き残るだけで精一杯の土地に追い詰められても、
人が協力することなど、出来ないのだ。
「グローリアス。姫様に挨拶しておけよ」
「うん? 彼女まだ寝てなかったのかい?」
「お前を待ってるんだ」
「それじゃあちょっと行ってくるよ。あとよろしくね」
「ああ」
”勇者”はそう言って展望台を後にする。
向かうのは街の中心にある大きな砦。
お目当てはその中にいる1人の少女である。
「”勇者”さま!」
「”勇者”さま!!」
街を歩けば、身体の一部を包帯にまかれた軍人か、四肢を無くした軍人に声をかけられる。もしくは、それ以上に絶望している生き残りたちから。
「勝てますか……? 『魔王軍』に」
「勝つよ」
なんて薄っぺらい言葉だ。
これまで何度負けたというのだ。
絶対的な戦力差があるではないか。
「”最強”だからね」
しかし、『希望』たる彼に弱音は許されない。
どれだけ仲間が死のうとも、子供たちが死のうとも、彼には笑顔以外が許されない。
それが、”勇者”だ。
「”勇者”さま! このモグラに何かいってください! まったく私の話を聞かないんです!」
「なんだと!? ”勇者”さま! ウドの大木を怒ってください!! ドワーフのことを馬鹿にしてるんですよ!!」
砦に入ると、エルフとドワーフの将軍たちが駆け込んできた。
「ははっ。仲良しだね」
「「どこが!!」」
「それも、今日までだね」
グローリアスがほほ笑むと、2人とも黙り込んだ。
2人とも分かっているのだ。
明日、この土地は地獄になると。
残された土地にいるのは軍人だけではない。
エルフが、ドワーフが、獣人が、人間が。
それ以外の多くの人類がわずかな土地に身を寄せ合っている。
ここに『魔王軍』がなだれ込めば、人類は文字通り全滅する。
「やあ。グローリアス。上でお姫様がお待ちだよ」
ローブを被った魔術師。”賢者”アリアがグローリアスを出迎えてくれた。
彼女も大事な”勇者”パーティーの仲間だ。
「うん、聞いたよ。挨拶だけしておこうと思ってね」
「別れの挨拶かい?」
「そんなところだよ」
2人して笑う。
ブラックジョークもここまでくると笑えないが、笑わないとやっていられない。
グローリアスは最上階に上がると、扉を数回ノックした。
「どうぞ」
「やあ」
中に入ると、1人の少女が顔を伏せていた。
「勇者さま……」
「元気にしてたかい? お姫様」
人類最後の王族である彼女の顔は、ひどく曇っていた。
「人類は……勝てるのでしょうか」
「勝たないと、だね」
”勇者”は笑う。
「今からでも……今からでも、『魔王軍』に投降することは」
「ダメだよ。それをやった国がどうなったか、知らないわけじゃないでしょ?」
『魔王軍』の圧倒的な戦力を前に、白旗を上げた国は少なくなかった。
その全てが、次の日には『魔王』のものとなっていた。
「チャンスは……まあ、無い事もないよ」
「そう、なのでしょうか」
「うん。『魔王』は絶対に前線に来る。それは今まで1度として例外はないんだ。だから、みんなで協力して『魔王』の元まで行ければ……ってところかな」
「そんなことが……。そんなことが、出来るのでしょうか? 勇者さま」
「やんなきゃ死ぬだけだよ。みんなね」
そういって勇者は笑う。
その作戦は、幾度となく立てられて……その全てが失敗に終わった。
「勇者さま……今からでも、式をあげませんか?」
「結婚式かい?」
「はい」
「それは……」
それは、人類が『魔王』に勝ってから、という話だった。
勇者は『魔王』に半年で蹴りをつける予定であり、姫も……そして、多くの人類がそうであると疑わなかった。
「明日、生き残ったら式を挙げよう。姫」
「はい……」
こくり、と彼女は頷く。
「だから、今日はもう寝るんだ」
「……わかり、ました」
彼女はそういってベッドに入る。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
グローリアスはランプの明かりを消して、部屋の外に出た。
「勇者さま」
「どうした? フレイア」
それは、展望台で勇者の後ろにいた少女である。
「そろそろ、お休みになられた方がよろしいかと……」
「うーん。やっぱり?」
「はい。明日の決戦は万全の体調で挑むべきです」
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらうよ」
72時間、ひと時も休むことなく戦い続けた勇者はそういってほほ笑み、彼は自らの部屋へと向かった。
「やあ、ケイン。君もフレイアに言われた口かい?」
「ああ。明日に備えろ、だとさ」
「どうせ死ぬんだろう? 休む必要もないさ」
「暗いねえ。アリア」
3人になってしまった勇者のパーティーは笑う。
本当はここに”盾役”のロックがいたのだ。
しかし、彼はもういない。
数か月前の戦いで帰らぬ人になってしまった。
「俺は寝る」
「おやすみ、ケイン」
”剣聖”はそういってベッドにもぐりこむ。
グローリアスも、それに倣ってベッドにもぐりこんだ。
「最後の夢だな。せいぜい良い夢を」
「ありがとう。アリア」
2人はそのやり取りを終わらせて、眠りについた。
―――――――――
それは、ひどく嫌な夢だった。
血と、死の臭い。
肉体が腐りはてた『魔王軍』特有の臭い。
その中で、『魔王軍』を殺していた。
夢でまで自分は戦っているんだな、とグローリアスは夢の中で笑った。
夢だからだろう。身体がひどく軽い。
今までのように『魔王軍』の兵士たちに邪魔されることなく、奥に進める。
斬って、撃って、また斬って。
最短ルートで突っ切った勇者は、魔王のもとへとたどり着く。
ああ、クソ。現実もこうだったらいいのに。
そんなことを思いながら、呆気にとられた顔をしている魔王の首を斬った。
――そして、目を覚ました。
「みご、とだな……。勇者……」
目の前には、首が斬られた魔王がいた。
自分の手元には、魔王の血がついた剣があった。
その後ろではアリアとケインが四天王たちと、戦っていた。
「……は?」
夢、だと思った。
これはたちの悪い夢だと。
魔王に勝ちたいがあまりに、自らが見せている幻覚だと思った。
しかし、魔王の首は落ちていた。
「ああっ! あああ!! 魔王さま!! 魔王さま!!!」
四天王の一人が叫んでいる声が聞こえる。
人類最後の領地を囲んでいた『魔王軍』たちの肉体が、崩れていく音が聞こえる。
……なんだこれは。
何が起きているんだ。これは。
「ああ。魔王様……! なんてことだ!!」
四天王の1人が魔王の死体を抱えて飛び立つ。
それを追撃に動いたケインにグローリアスが叫んだ。
「待てケイン! 状況確認をッ!」
「グローリアス! これは!!」
アリアの驚いた声が聞こえる。
「…………っ!?」
ケインはグローリアスの言葉に立ち止まって……目を丸くした。
崩れていく。死体である魔王軍が崩壊していく。
「……勝った? 俺たちが?」
ぽつり、と呟いた勇者の言葉は疑いようのない真実。
求めつづけられた勝利。
誰しもが理解できず、納得のできない状況で。
この日、人類は『魔王軍』に勝利した。
―――――――――
それから3日間は、ひたすら事後処理だった。
『魔王』の死によって崩壊した『魔王軍』だったが、四天王を始めとする生きている幹部たちや『スカルドラゴン』を始めとする強大なモンスターたちは『魔王』の死によっても倒れずに、人類に牙を向くものと撤退するものの2つに分かれた。
グローリアスたちは、人類に牙を向くモンスターをひたすら殺し続けた。
『魔王』という最強の魔術師が消えた今、『魔王軍』にとって『死』は絶対のものと化したのだ。
今までの人類の戦いは何だったのだろうかと、そう叫びたくなるほどにはあまりに呆気なさすぎる終わり方だった。
暗黙の2時間。
人類が魔王軍に侵攻を始めて、”勇者”が魔王の首を斬り落とすまでの2時間。
その間、勇者を除く全人類の記憶が消えていた。
何があったのか。何が起きたのか。
魔王軍に勝利したのもつかの間、人々の間ではそればかりが噂された。
人類が魔王軍に勝ったとは言え、気が付けばそれなりの代償は支払っていた。
4万人。
これが、魔王軍への侵攻で失われた最後の人々だった。
そう。4万人である。
その4万人が死んだ瞬間を、誰も覚えていないのだ。
人々は叫んだ。これは神の奇跡だと。
人々は叫んだ。魔王軍の自滅だと。
憶測が憶測を呼び、誰も記憶を取り戻せないまま、淡々と時間だけが過ぎ去っていった。
結局のところ、魔王軍の残党を倒しきるまでに1か月ほどかかった。
残党たちの士気は低く、倒しきるのにそう時間はかからない。
問題だったのは、汚染された大地の方だった。
従来の草木は生えず、農作物を植えてもすぐに枯れてしまう。
だが幸いにして、生き残った人類の数もひどく少なかった。
つまり食料に関しては、目下のところ足りている。
「つまりな、お祭りが必要なんだ」
「急にどうした。グローリアス」
真面目な会議中、勇者であるグローリアスは急にそう言った。
「魔王に勝った。でも、人類は勝っただけなんだ」
「本当にどうした? グローリアス」
”剣聖”であるケインが置いてきぼりになる会議のメンバーとグローリアスを繋ぎとめる。
はて、彼は戦い疲れて頭がおかしくなったのだろうか?
「勝ったというのに、みんな問題を深く深く考えてる! いや、考え過ぎてる!!」
ドン! と机をたたいて、グローリアスが立ち上がった。
「もっとこう……! ワイワイしようよ!! 明るくなろうよ!! 元気になろう! 今の人たちに必要なのは、明るさだ!」
「じゃあ、やるかい? グローリアス」
賢者であるアリアが笑う。
「君とお姫様の、結婚式」
そう言った瞬間に、会議室の中には先ほどとは違う意味の沈黙が降り立った。
「……あー」
生き残ったら結婚する。確かに魔王を殺す前日に勇者はそう誓った。
「……まだ、部屋から出てこないんだろう?」
「ああ。まだだね」
グローリアスの言葉にアリアが肩をすくめる。
魔王の討伐から1カ月。
当然、多くの人々が歓喜に沸いた。
そう。本当に多くの人々だ。
何しろ喜ばなかったのは、1人だけである。
心優しき姫君は4万の人類が死んだことに胸を痛め、部屋に閉じこもってしまったのである。
「グローリアス。君が行くべきじゃないのか?」
「行ったよ。何度も。でも、開けてくれないんだ」
「強引に入っても良いんじゃないか? 君は恋人だろう」
「マナーってものがあるんだよ? アリア」
「しかし、1カ月だ」
「ううむ……」
グローリアスは唸る。
確かにアリアの言う通り、もう1ヶ月になるのだ。
流石に長すぎる。
「分かった。僕が行くよ」
「うん。それで良い。私たちもついていこうか? 勇者くん」
「良いよ。僕1人で行ってくる」
グローリアスはそれだけ言って、会議室を出た。
向かうは最上階。人類最後の王族のための部屋である。
「……起きてるかい?」
「はい……。起きています」
ひどく覇気のない声。
彼女は1ヶ月もの間食事も満足に取っておらず、眠れてもいないようだった。
「……開けても、いいかい?」
「すみません。勇者さま、まだ……」
「……僕で良ければ、聞くよ」
「…………私は」
扉の前の声が、揺れた。
「勇者さまは、何があっても、私のことを好きでいてくれますか?」
「ああ。当たり前だろう?」
「どんなことがあっても、嫌わないでくれますか?」
「もちろんだ」
「……お話、します。開けてください」
グローリアスは、ゆっくりと扉を開けた。
1ヵ月ぶりに見る彼女の顔はひどくやつれており、泣きはらした目が真っ赤に腫れていた。
「私が、やったのです」
グローリアスが部屋に入るなり、少女はそう言った。
「……何を、なんて聞くのは邪道だね」
「私が……私が、殺したのですっ!!」
そしてまた、はらりはらりと泣き始めた。
「……人類が……っ! 人類が、1つになれば……! 魔王を倒せる……!! 私たちは、結ばれる……!! そう思って、私が、私がっ!!」
感情があふれ出し、言葉に詰まる少女を勇者は優しく抱きしめた。
「落ち着くんだ。教えておくれ。何があったのか」
「勇者さま……っ! ああ、勇者さま!! ごめんなさい! 私が悪いのです!! 私が魔術なんて使ったから!!」
「魔術……?」
グローリアスは心の中で首をかしげた。
おかしい。
この子には、魔術の才能なんて無かったはずでは?
「私が、私が……! 私がみんなを操ったから……っ!!」
「……ゆっくりでいいよ。落ち着いて」
グローリアスに出来るのは、ただ落ち着かせることだけ。
それだけしか、出来ない。
「私の……! 私の魔術は、『人を操る』こと! でも、操られている間は記憶が消えてしまうのです。なんて、なんて汚い魔術でしょう! なんて汚らわしい魔術でしょう……っ! だから……っ! だから!!」
「……だから、全人類を操ったのかい?」
その言葉に彼女は頷かず、ただ泣いた。
「……私が、殺してしまったのです! 家族のいる人たちを、未来ある子供たちを……! ただ、私が勇者さまと結ばれたいがばかりに……!!」
『魔王』の討伐は、理論上は可能だった。
人類すべてが協力し、まるで1つの生物のようにお互いを補完しながら中心にいる『魔王』の元へ勇者を届ける。
それさえできれば、人類は勝てる。あくまでも、机上の空論。
だが、現実はそうではない。
エルフとドワーフのように、仲の悪い種族もいる。
人間同士だって仲が良いとはお世辞にも言えない。
士気の低下に加えて、歴戦の戦士たちから死んでいく地獄の中で残るのは実力の無い兵士たち。
だから、机上の空論だったのだ。
けれど、人類がたった1人によって指揮されたとしたらどうだろう。
1人の人間が意のままに10万の軍勢を操作し、有象無象の魔王軍にぶつければ。
それは、机上の空論を実現できるのではないのだろうか?
「私は……! 私には! この魔術しかないのです! この魔術しか使えないのです!」
「……ありがとう」
泣きじゃくる少女を抱きしめて、グローリアスはそう言った。
「そして、すまない。君1人に全てを背負わせてしまった」
4万人。
人類を守り抜くために、年端も行かぬ少女はそれだけの人を切り捨てた。
その覚悟が如何ほどだったか。
その重みが如何ほどだったか。
勇者は強く少女を抱きしめた。
壊れないように。彼女の心が、崩れてしまわないように。
「……すまない。僕は君を見ていなかった」
「違うのです、勇者様。私が悪いのです! 私が!!」
泣きじゃくる少女を抱きしめながら、2人の時間が過ぎていく。
【固有】という属性がある。
それは数限られた人に与えられた天賦の才である。
人類に仇なす『魔王』がそうであったように、人類にもその才に恵まれた者がいた。
少女の【固有】は【心】。
人の心を操作し、自らの意のままに操作する属性である。
だがしかし、彼女の魔術の才を否定するように彼女には大きな枷があった。
彼女は、たった1つの魔術しか使えなかったのである。
だからこそ、彼女は誰よりも早くその境地にたどり着いた。
人が人として、たどり着ける限界点。極みの到達点であるそこに。
彼女は魔術を見させることにより、他人に隷属魔術を植え付けることが出来た。
しかし、彼女が出来るのはそれだけではない。
魔術の影響下にある人間を視認することにより、魔術を視認していない者にも隷属魔術を媒介できるのだ。
0を1に。1を2に。2を4に。無限に増えるそれは、魔術の領域を超えた至高の技法。
少女の魔法は『隷属の奇跡』。
奇しくも【術式極化型】であった。
まだ魔法が無かった時代に、魔法を使った少女がいる。
他の魔術を使えぬがあまりに、単一の術式を極めてしまった少女がいる。
けれどそれは、語られることの無いおとぎ話。
あくまでただの噂に過ぎない。
けれど”勇者”という巨大なカバーストーリーによって、覆い隠された歴史の真実がある。
彼女の魔術が悪用されないようにと、何も成せない男が隠した事実がある。
誰しもに知られることのない彼女こそ、”心の極点”ルディエラ・ディアモンド。
人呼んで、“優しき”ルディエラ。
人類最初の”極点”である。




