第03話 極意の魔術師
「そんな大したことじゃあないわい。良いところで亭主が帰ってきて、慌てたワシはトイレに逃げ込んだ」
「……トイレに」
下水から上がったルクスだが、水の1滴だって滴っていない。ルクスが貼っていた防御膜のおかげだ。
そもそもルクスの防御膜は【地】属性の“極点”の次に堅牢と言われている代物。何なら最強種のドラゴンのブレスにだって耐えたという伝説が残っているくらいだ。
まさか、それが下水の汚れ避けに使われるなんて誰も思ってないんだろうなぁ……。
「ああ。トイレに逃げ込んで、安心しておったら亭主が腹を壊したとか言いよっての」
「……それで、どうしたの」
「うむ。窓があればそこから出たのだが、あいにくと窓がない。仕方ないから、トイレに逃げるしかないだろう。と、“極点”のワシは考えたわけじゃ」
「意味が分からないよ」
「じゃが、トイレの穴は狭い。人が通れるほどじゃない」
「…………まあ、そうだね」
自分はいったい何の話を聞いているのだろうか。
「じゃから、身体を粒子化してトイレの中に逃げ込んだ。そのあとは適当な大きさのところで戻せば、ほらこの通り」
いや、この通りじゃねえんだよ。
しかもさらっと聞いたことの無い魔術を使ってるし。
「いや、何。亭主がおる方が盛り上がるってもんよ」
「……そうなのかなぁ…………」
「して、イグニ。お前はこんなところで何をしとるんじゃ」
ルクスはそういってイグニの目を覗いた。
相も変わらず、眼力だけはすさまじい祖父の視線にイグニは言葉に詰まった。
……詰まったが、別にもう過ぎた話だ。
「家を追放された」
「ほう? わしと一緒じゃの」
ルクスがケタケタと笑う。
「……違うよ。俺には、才能が……なかったんだ」
それにつられて、イグニも少しだけ笑った。
笑わないと、こんなこと、言えなかった。
「『適性の儀』か」
「……うん」
「最適は?」
「【火:F】」
その時、ルクスの瞳に複雑な術式が浮かび上がる。
「……ほう。ほう、ほう。なるほど。なるほど、の」
そして、1人でうなずく。
……じいちゃんの得意魔術の『鑑定』だ。
ルクスが『鑑定』を使う時は3つ。
1つ。味方の『ステータス』を覗くとき。
『鑑定』魔術は他人の『ステータス』を覗けるのだ。
2つ。強敵の『ステータス』を覗くとき。
相手の得意とする属性が分かれば、その属性に相性の良い属性でぶつかればよい。
そして3つ目。女性の3サイズを見る時だけである……ッ!!
だが、多くの人間は3つ目の使い方を知らない。
3つ目を知っているのはイグニとルクスだけである。
「……爺ちゃん。俺、強くなれなかったよ」
自分で自分を嗤いながら、イグニはそう吐き捨てた。
ルクスの実力は本物だ。彼の『鑑定』は教会の持っている水晶よりも、相手を見抜くと言われている。だから、イグニが【火】属性の、『ファイアボール』しか使えないことが良く分かるはずだ。
だが、ルクスは何も言わずにイグニを見つめるだけ。
「して、イグニよ」
「……うん?」
「モテたいか?」
「…………」
この人は……。
この人は、何を言っているんだろうか。
「じ、じいちゃん? ちゃんと聞いてた?? 俺は、強くなれないって……!」
ルクス流モテの極意その1。
――“強い男はモテる”。
だとしたら、強くない自分がその土俵に上がれるはずがない。
強くなれない自分がそこに立てるなんて思えない。
「イグニ。もう一度、聞くぞ。モテたいか」
「…………俺は」
モテたい。
確かに『適性の儀』までは暢気にそんなことを考えてた。
『イグニ。モテたいか?』
『ダメだよ。爺ちゃん。俺、婚約者がいるからさぁ』
『真に良い男は1人に決めないんじゃぞ』
『そ、そうなの……!?』
なんてことをルクスと言い合って笑っていた。
だが、この1年。そんなこと1度たりとも考えたことは無かった。
……モテたいか?
改めて考える。
ローズとはもう会えない。
婚約関係もとっくに切られているだろう。
だが、こんな状況でモテて何になるというのだ。
魔術は使えない。ちゃんとした仕事にもつけない。
……こんな俺が、モテるわけないよ。
「じいちゃん。俺は、モテないよ」
「よく聞けェッ!!!」
ばんっ!!!
と、叫んだだけなのにイグニの身体が後ろに吹っ飛ばされて壁にぶつかった。
すげえ。ただの魔力放出だけで俺を吹き飛ばした……ッ!
「お前に聞いてるのは、モテたいかだッ! 今、モテるとか。モテないとかは聞いておらんッッツ!!!!」
……すさまじい圧力。
イグニは思わず呼吸も忘れてルクスを見ていた。
「決めろっ! 今ここでッ! 安寧の地獄に戻るかっ! それとも、激動の地獄に向かうかッ!」
「……俺は」
言葉を絞り出す。
……なんだこの緊張感は。
ルクスの眼がイグニを見る。
……呼吸が、出来ない。
あと、一言だ。あと一言だけしか喋れない。
そう。これはイグニが初めて見るルクスの“極点”としての姿。
人類最強は、伊達ではない。
ルクスはイグニの次の言葉で全てを決めるつもりなのだ。
これからの、俺の人生を……ッ!!
「俺は…………モテ、たい」
「ほう」
「モテたいよ。爺ちゃんっ!!」
「よく言ったっ! それでこそ、ワシの孫じゃ!!!」
ぱっと、緊張がほどける。
大きく深呼吸する。
下水の臭いも気にせずに、イグニは何度も空気を吸った。
「……で、でもさ。爺ちゃん」
「なんじゃ?」
先ほどとは打って変わって、いつもの祖父としてルクスが答える。
「俺、弱いよ」
「うむ。今はな」
「……強く、なれるのかなぁ」
「うむ。間違いない」
「……本当に、モテるの?」
「イグニよ。そろそろモテの極意をちゃんと伝える時期が来たようだな」
「モテの極意、を……っ!?」
「ああ。良く聞け」
ルクスは何の臆面もなく、イグニを見ながら叫ぶ。
「モテの極意、その1ッ! ――“強い男はモテる”」
「それは知ってるよ!」
「じゃが、“努力する男はもっとモテる”」
「……ッ!!!」
はっとした顔をするイグニ。
そ、そんな……。
まさか、じゃあ…………。
その時、イグニは“真理”を見た。
衝撃の事実に手がわなわなと震えだす。
「お、俺……。モテモテに……!!」
「なれる! なれるぞ!! イグニ!! ワシにしっかりついて来い!!」
「ついていくよ! 爺ちゃん!」
「おう! では早速修行だ!!」
「ま、待って。爺ちゃん」
イグニは手に持ったバケツを祖父に突き出してから、
「ここ、出よう?」
「うむ」