【幕後】ガルネッタの湯煙を:上
『魔王』との戦いも終わり、イグニの『極点』への昇格も確定したタイミングで、ロルモッド魔術学校は春休みに突入した。
この春休みというのが、長いのである。
ロルモッドの夏休みは二ヶ月あるが、春休みも同じ月数だけ与えられるのだ。
そこからさらに『魔王』との戦いに勝利したということで王国はテンションを上げにあげて、休みがさらに追加されたのである。
ただでさえ暇な学生たちが暇に突入したものだから、どこかに外出したいと考えるのは当然のこと。しかし、どこに行くべきかイグニが「あーでもないこーでもない」と足りない頭を捻っていると、突然男子寮にやってきたイリスが言ったのだ。
「イグニ様! ぜひ、ウチに来てください! 歓迎しますよ!」
そう言われたイグニたちは、「そういえばイリスの実家って行ったことないよね」という話になり、それならばぜひにということでイグニたちはイリス領に向かうことになったのだ。
しかし、決まったのもつかの間、帝国まで馬車でアホみたいに時間をかけ、さらにそこから数日という超遠距離にイリスの実家があるという。色々方法を考えたイグニたちだったが、どれもこれも上手く行かず結局馬車に乗って帝国領の端にまでやってきた。
ここまで帝国の端までくると南方連合が目と鼻の先である。
「もうすぐ着きますよ! イグニ様!」
「意外と来てみると一瞬だったな」
「……ううん。長い」
さて、そんなイリスの家まで信じられないほど時間をかけてやってきたものだから、同行していたサラは馬車の中でぐったりとしてイグニの膝に頭を預けて小さく不満を漏らした。
そんなサラだが、彼女の腕にはあるべき腕輪がない。
かつてサラの溢れ出る魔力、【固有:汚染】によって世界を侵食するはずだった魔力はイグニというフィルターを通すことによって、全くの無害な魔力へと変換されていることが分かったからだ。
そして、イグニはサラによってもたらされた『人の澱み』を燃焼させることで黒炎を使えるようにもなったのだ。
しかし、そんな話は余談も余談。
問題はイリスの実家がど田舎にあるということである。
「そういえば、ちょっと前にイリスさんが実家が帝国の端の方にあるって言ってたもんね。本当に端っこだとは思わなかったよ」
「よくこんな遠い所から一人で王都に来てたな」
ユーリとイグニの問いかけを笑ってイリスは答えた。
「住んでしまえばどれだけ遠くても変わらないですから!」
そういうイリスは実家が近づいているからか、テンションがいつもより高い。
ゴトゴトと揺れる馬車が突き進むのは険しい急峻な大地。
既に春先が近づいているというのに、イグニたちの視線の先には青く削り出された山脈と、その上に蓋をしている真っ白い雪が踊っている。
街道……と、呼んで良いのか分からないほどに細い道を馬車が進むたびにガッタンガッタン揺れるので、腰が痛いのなんのって。
「本当はハイエムに連れて来てもらえば良かったのにな」
「それは無理よ。まだ帝国にやってきたときの衝撃を忘れている人は少ないだろうし」
イグニのつぶやきに肩をすくめて答えるのは、馬車の最奥でフードをかぶったアリシア。イリスの実家は帝国の端とは言え、帝国の一部。ここに来るまでに御者に顔を見られないようにと、フードをかぶっているのだ。
そして、彼女の答えこそイグニたちがアホみたいに時間をかけてイリスたちの実家にまでやってこなければいけない理由だった。
無論、イグニたちとて最初から馬車を使おうとしていたわけではない。
イグニは極点であり、多大な恩賞金をアーロン経由で王国から貰っているのだから馬車など使わずに竜車で移動するという手を最初に考えた。
しかし、竜車の御者は操縦だけではなく竜の細かい世話をしなければ行けなかったり、高い竜の餌を持ち運ばなければならないため専門性が高く、その絶対数が少ない。そのため、竜車は却下。
次にイグニが飛んでいくということも考えたのだが、1人ならともかく2人も3人も数日かけて飛ぶのは大変なのでなし。
そして最後の最後に目をつけたのがハイエムだったのだが、彼女はそもそも帝国を荒らし回っており、その衝撃は今も帝国の内部に残っている。そんな竜が帝国の空を飛んでいたらどんなパニックが起きるか分からないという理由で馬車になったのだ。
「それにしても……ずっと座りっぱなしだと身体が凝るな」
「そうね。もう身体が鈍っちゃったわ」
「大丈夫です!」
イグニとアリシアが身体をバキバキと鳴らしていると、イリスが急に馬車の中で立ち上がった。
「ウチには大きな温泉がありますから! ぜひ疲れを癒やしてください!」
「温泉……?」
イグニが首をかしげる。
はて、かつてどこかで温泉という単語を聞いた気がするが……。
思い出せずにイグニは首を横にかしげる。
ここのところ忙しくて必要のない知識を忘れてしまっていることがあるのだ。
……温泉、温泉。
どこかで聞いたことがあるような……?
「あっ」
イグニが首を傾げつづけていると、ふと脳裏に閃くものがあった。
――――――――――――
『ダメじゃッ! ワシはそんな理由では魔術を使わんッ』
『た、頼むよ。じいちゃん! 一生のお願いだよ……ッ!』
魔王領のど真ん中でルクスに頭を下げるイグニ。
彼が頭を下げているのは他でもない。
『一生のお願い』を行使しているからだ。
イグニとて、その人生で一度しか切ることのできないカードをこのタイミングで行使するかどうかを本気で悩んだ。そして考えた。本当にここで使って良いのかと。
だが、どこまで考えてもこれにはルクスの協力が不可欠。
故にイグニはルクスに頭を下げたのだ……ッ!
『た、頼む……! 俺は見てぇんだ……! 楽園を……ッ!』
『イグニ、よく聞けぇッ!』
だが、頭を下げ続けるイグニを叱り飛ばしたルクスの叫びは質量を持ってイグニをひっくり返すと、空を見上げるように仰向けにさせられたイグニにルクスは続けた。
そもそも、なぜイグニがルクスに頭を下げているのかというと、
『魔王領の温泉に女がおるかァッ!』
『魔族とかがいるかも知れねえだろ!?』
こいつが女湯を覗きたいと言い出したからである。
『おらんわッ! そもそも魔王領に温泉など残ってたとしてもモンスターしかおらんッ! 無駄なことよッ!』
『やってみないと、分かんねぇだろ!』
『いや、知れたことよ。なぜなら……』
『何故なら……?』
『既にこのワシが試しておるからじゃ……ッ!』
『えぇ……』
『魔王領には人がおらんッ! じゃからワシの魔術で透明化しても無駄ッ! 意味のないことをするなッ! イグニッ!!』
『そ、そんな……。じゃあ、俺はどうすれば良いんだ……ッ!』
『それに……女湯を覗いたとて、何も心は満たされん。余計に心が飢えるだけじゃッ!』
『な、何だよ。その言い方……。じいちゃんは覗いたことあんのかよッ! 女湯を!』
『ある。そもそもイグニ、何故ワシがタルコイズ家を追放されたと思っておるのじゃ』
『え? 放浪癖と女癖が悪いからでしょ?』
『違うッ! ワシが女湯を覗いたからじゃ』
『えぇ…………』
『故にイグニッ! お前はワシと同じ過ちを起こすな……ッ! 一時の気の迷いが、将来取り返しのつかないことになるぞッ!!』
――――――――――――
……思い出したッ!
温泉といえば……覗き……ッ!!
そして、知りたくなかったじいちゃんの思わぬ追放理由だ……ッ!
過ちを改めざる……ッ!
これをすなわち過ちという……ッ!!
じいちゃんと同じ失敗をするわけには行かない……ッ!!!
「温泉って何?」
しかし、温泉について全く知らないアリシアが首を傾げるとすぐさまイリスが答えた。
「温泉というのは火山とかで地下水がお湯になってる場所のことを言うの。お湯に浸かるだけで身体にいろんな良い効果がでるって言われてるわ」
「魔術でもかかってるの?」
「そんなことしなくても効果がでるの! すごいんだから」
そういってイリスはドヤ顔。
「あ、でも残念なことに男女別なんです。ごめんなさい、イグニ様」
「いや……。別に謝るほどのことじゃないし……」
男女別ってことは俺1人か……と、少し物悲しくなるイグニ。
さらっとユーリを男にカウントしていないのはいつも通りのことである。
なんてことをやっていると、ガタ! と、大きな音を立てて馬車が大きく揺れた。
「あ、あれです! 見てください! あれがウチです!」
そういってイリスが指差したのは巨大な岩山から突き出すようにして生えていた巨大な砦。その見た目は無骨の一言で、ただただ堅牢性と防御性に優れているように見える。イグニは専門家ではないので分からないが、作られたのはきっと100年前の『大戦』のときだろう。
しかし、砦が凄まじいのはその見た目だけではなく、その周囲の環境である。
その真横には大きな滝が流れており、ごうごうと水を吐き出し続け砦に至るまでの道は異様に細い。徹底的に攻め込まれないようにしているのが目に取れる。
「あれがお家? すごい大きい……」
思わずサラもイグニの膝から頭をあげて感激の声を漏らした。
断崖絶壁の岩肌から突然に人工物が突き出している様子は夢のようにも見えてしまう。
「ふふ、すごいでしょ。ご先祖様が魔術で作ったんだって!」
そういえばイリスの得遺属性は【地】。
言われてみれば彼女の家系には【地】属性を得意とする者が多かったのではないだろうか。そう考えるとあの巨大な砦を魔術で作ったというのも受け入れられる。
だが、そんな中で受け入れられないものがあるとすれば……。
「ねぇ、イリス。アンタ、田舎の三流貴族って言ってたわよね」
「そうだけど、どうしたの?」
「田舎の三流貴族の家じゃないでしょ。これ」
思わずアリシアが漏らしてしまうほどに、その家がいかついということだろうか。
「田舎だから、過去のものを使ってるだけよ!」
しかし、イリスはこともなさげにそう答えると微笑むと、
「ようこそ、ガルネッタ家へ! 領主に代わって、イグニ様! そしてアリシア達をこのイリス・ガルネッタが歓迎するわ!」
そして、イグニたちは初めてイリスの家名を知った。
明日5月30日に極点の炎魔術師コミカライズ第2巻が発売です!
みんな買ってね!!!




