第7-1話 モテと魔術師
「イグニよ。よく聞け」
イグニは自らの目の前に座る男を2つの瞳でしっかりと見つめた。
そこにいるのは世界最強。
誰に聞いても、誰が答えても最強と答える彼こそ“極点”の魔術師。
いくら老いていようと、その魔術は極みに達しており、いかなるモンスターが歯向かおうとも一瞬で灰になるだろう。
「ど、どうしたの。じいちゃん」
イグニは逸る気持ちを抑えて、自らの祖父に尋ねた。
白髪を後ろで束ね、老いた肌を隠すようにローブを身にまとう。それでいて、なお鋭い光を放つ瞳は、まるで狩人を思わせた。
「モテたいか」
「も、モテたい……!」
彼は祖父の問いに頷いた。
モテたいに決まっている。
女の子にきゃあきゃあ言われたい。
言われたいのだ……!
「ならば、強くなれ」
「つ、強く……」
「そうだ。モテの極意その1。――“強い男はモテる”」
「つ、強い男は……モテる……!」
何度も聞いた極意。
それを繰り返しながら、イグニはこくこくと何度も呟いた。
「強くなりたいのであれば、ただ1つ」
「う、うん……!」
「来年の『適性の儀』にて、最強の“適性”を得るしか無い」
「さ、最強の……適性……!?」
イグニは最強という言葉に浮かされるようにそう呟いた。
はて、世界広しと言えども最強の適性とは一体なんなのだろうか。
「うむ。その“適性”とはな」
「……な、何?」
「何でも良いのじゃ」
「なッ! なんでも良いッ!?」
イグニの声が裏返った。
そんなことがあるのだろうか。
「そう! なんでも良いのじゃッ! 良いか、イグニ! よく聞けぇッ!」
「う、うん!」
「必要なのは“適性”にあぐらをかかないこと。Sランクの適性だろうが、Fランクの適性だろうが、それはあくまでも“適性”ッ! 才能に過ぎないッ!!」
「さ、才能に……?」
「そうッ! 才能を明確にすることが『適性の儀』ッ! じゃがな、それは本人の強さを意味しないッ!!」
「ど、どういうこと!?」
「世の中には、魔術が使えずとも魔法に至った者がおる。ろくな魔術を使えずとも、“極点”になったものがおる。執念じゃ、イグニ。強くなろうという執念こそが、魔術師には大切なんじゃ……ッ!」
「強くなろうという……執念……っ!」
「今一度聞くぞ、イグニ」
「う、うん!」
「……モテたいか」
「うん!!」
「よし! ならば強くなれィ!」
「分かったよ! じいちゃん!!」
イグニが威勢よく返事する。
それはかつての遠い記憶……。
……ではなく、夢である。
「……変な夢みたな」
イグニは珍しく寝汗びっしょりで真夜中に目を覚まして、上体を起こした。
「……モテたい、か」
ぽつりと漏らすと、二段ベッドの上を見た。
そこにはルームメイトの少女……じゃなくて、少年があどけない顔で眠っているだろう。
暗闇の中、ベッドから這い出ると水差しを手にとってコップに水を注ぐ。
イグニは【水】属性の魔術を使えないので、こうして水を飲むしか無い。
だが、それを不便に思ったことはあるが不満に思ったことはない。
それを手に入れられなかった代わりに、自分はもっと別のものを手にしたのだから。
「モテるって、何なんだろうな」
この男、珍しくセンチメンタルになったかと思ったらこれである。
「俺、モテてんのかな」
ふとイグニは柄にもないことを呟いて、水を飲み干した。
思ったより身体が乾いていたのか、水はとても身体の中に染み渡っていった。
――――――――――
「……はぁ」
「イグニ、またため息ついてるわよ」
「え? 俺、今ため息ついてたか?」
「ええ。どうしたの? 最近、ナイーブだけど」
昼休み、席に座っているとアリシアにそう注意されてイグニは目を丸くした。まったくもってため息をついている自覚が無かったのだ。
「いや、ちょっと悩みごとがあってさ……」
「ふうん? イグニでも悩むことがあるのね」
「……ああ」
イグニは神妙な顔で頷いた。
この男、ここ最近ずっと同じ悩みを抱えている。
それはつまり自分はモテているのか、ということである。
確かにルクスの言う通り、強くなった。
そして、多くの女の子を助けてきた。
助けてきたのに、なんだかモテていると思えないのだ。
これは一体何がダメなのだろう?
イグニは腕を組んでむむむと唸った。
「イグニが凄く難しい顔してるよ」
「どうせ大した悩みじゃないわよ」
「あ、アリシアさん……」
イグニが悩んでいると、教室の扉が音を立てて開かれエレノアが入ってきた。
「今日の授業はぁ、みんなにとっても身近だと思うからしっかり聞いておいてねぇ」
いつものように間延びしたエレノア先生の声を聞きながら、イグニは『魔術と精神』と書かれた教科書を取り出して開いた。
「みんなの年頃になるとねぇ、今までと同じように魔術を練習してて良いのかってなっちゃうのぉ。例えば、【水】属性が最適属性なんだけど、そればっかり鍛えるんじゃなくて【火】属性も練習した方が良いんじゃないかとかぁ。【闇】が得意だけど、他にも【生】属性も頑張ってみようとかぁ」
クラスメイトたちは心当たりがあるのか、はっとした顔をしながらエレノアの話を聞いている。あいにくと、イグニはそんな悩みとは無縁だ。
「そういうのはぁ、確かに自分の道が広がるからすっごく良いんだけどぉ……たまにね? たまにぃ、自分のやってきたことが無駄に思えてきたり、意味がないと思って魔術が使えなくなっちゃうことがあるのぉ」
……ふむ?
イグニの視線に光が灯った。
「そういうのを、自己欠乏って言ったりするんだけどぉ、みんなも心当たりない?」
……心当たり、あるぞ。
イグニは心の中で呟いた。
というか、ここ最近は心当たりしか無いぞ!?
イグニの冷めきっていた心に熱が入る。
最近やけに気合が入らないと思っていた。
それもそのはず。
自分は本当にモテているのかと、このままの調子でモテるのかという(イグニにとっては)深刻な悩みが彼を襲っていたのだから!
「これがねぇ、すごく大変でぇ……。なかなか難しいのぉ。もし、みんなも困ってたら先生に相談してねぇ」
エレノアの言葉を聞きながら、イグニは得心いったのか何度も繰り返した。
俺のはアイデンティティクライシスだったのか……ッ!
「どうしたの? イグニ、なにか分かったの?」
隣の席のユーリが小声でこっそり尋ねてくる。
きっと、それだけイグニの顔が分かりやすく変わったのだろう。実際、この男は大変分かりやすい。
「ああ、分かったよ。ユーリ。俺の悩みが」
「そ、そうなの? 良かったね! それで、何で悩んでたの?」
「俺は……アイデンティティクライシスだったんだッ!」
イグニの答えにユーリは「凄いね!」と小さく漏らした。
あいにくと、本音に気がつける者は席の関係でズレを修正することは出来なかった。




